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寺よ、変われ
書評
  • 高橋 卓志 (たかはし たくし)
  • 出版社・取扱者 : 岩波書店(岩波新書)
  • 発行年月 : 2009年5月20日
  • 本体価格 : 本体780円+税

プロローグ-世界は「苦」に満ちている
第1章 寺は死にかけている
第2章 なぜ仏教の危機なのか
第3章 苦界放浪-いのちの現場へ
第4章 寺よ、変われ
第5章 葬儀が変われば、寺は変わる
エピローグ-寺が変われば社会は変わる

「そうはいってもなあ~」。この呟きは、本書を読んだ多くの僧侶が、渋面顔をつくりながら最初に発する言葉であろう。恥ずかしながら、評者の最初の言葉もそうであった。

著者の提言の一々は、明快であり、論理的であり、具体的である。仏教界の、特に僧侶のあり方を浮き彫りにし、その問題点について、「まことにその通り」と言わずにはおれないほど明確に指摘している。

「第2章 なぜ仏教の危機なのか」では、ニューヨーク・タイムズの記事を紹介し、その内容をまとめて、1、葬式仏教が揺らいでいるという危機、2、家族的経営である寺が消えるという危機、3、葬儀社とのかかわりによる葬儀のカタチの変化による危機、4、檀家システムが崩壊するという危機、5、戒名や布施というお金にからむ悪いイメージを与えているという危機、6、それらから抜け出すための「あせり」という危機を挙げ、6つの危機を具体的に解説していく。それらの危機を充分に認識し、その対応策を講じて行われているのが、「第4章 寺よ、変われ」「第5章 葬儀が変われば、寺は変わる」で紹介される著者の所属寺・神宮寺の活動なのである。それは、「寺は何をしてほしいか」という多くの人々の要望に応えたものなのである。

著者は、「寺が変わる」ということはなかなか困難であることを充分承知している。「寺は変わる必要がない」という意識や意見は僧侶側だけでなく、檀家側にも根強いことを述べる。また、僧侶側には「寺は世俗化すべきではない」という原理的な意識に逃げ込む場合もあり、檀家側には「余分なことをやらず、先祖供養だけをやってもらえばいい」という意見も多いと指摘する。

このような状況の中、伝統仏教の危機の改善をはかるには「強力な変革の意志を持つこと、そして社会の人々からの支持が必要」と著者はいう。「寺とは何をするところか」「僧侶とは何をする人か」について、著者が導き出した答えは

「社会に起きている、あるいは起きようとしているさまざまな『いのち』にかかわる難問(四苦)にアクセス(接近)する。そしてその難問に対して、支えの本性(利他心)を発動させ、四苦に寄り添いながら、課題の解決を図っていく、という役割を担うのが坊さんであり、その拠点として寺がある」

であった。

変わるためには動かなければならない。はたして僧侶は動けるのか。「そうはいってもなあ~」に止まるだけなのか。本書にも紹介されている『がんばれ仏教!』を書いた上田紀行氏が、「既成仏教の各教団に講演を依頼された際、大変良い話だと讃嘆してくれるものの、僧侶や教団に変化の兆しは見えない」と何かの折りに話されていたのを思い出す。本書を読んで元気を出し、動き出す僧侶が一人でもいることを著者は願っているに違いない。


評者:森田 眞円(教学伝道研究センター委託研究員、京都女子大学教授)


掲載日:2009年8月10日