- 出版社・取扱者 : 新潮社(新潮文庫)
- 発行年月 : 2014年7月1日
- 本体価格 : 本体400円+税
目 次 |
はじめに 震災後に読む「方丈記」 無常という力 1 無常を生きる 2 天災と人災の果てに 3 人はこの世に仮住まいをしている 4 「賢き御世」でない時代 5 数え切れない死体の中で 6 大地震で人間は変わったか? 7 どこに住めばいいのだろう 8 五畳あまりの小世界 9 ものうしとても、心を動かす事なし 10 揺らぎつづけろ 11 手作りの、小さな自治のために 方丈記関係地図 玄侑宗久監訳「方丈記」現代語版 鴨長明「方丈記」原文 むすびに代えて 無常なるフクシマの未来へ 文庫版のためのあとがき(玄侑 宗久) 参考文献 動きと揺らぎと(解説)福岡 伸一 |
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鴨長明の『方丈記』と言えば、高校の古典授業で読んだことのある方も多いだろう。また、古典の初心者であっても、短編であるので、少々我慢をすれば読み切ることは不可能ではない。しかも、世の無常を感じ、世相を達観しようとしながらも、揺れ動く心を隠そうとしない長明の素直さに、どことなく親近感を抱くことだろう。長明は決して押しの強い理論家ではない。遁世をしながらも、現代にも通じる憂いを感じながら、とにかく生きているのである。
著者の玄侑宗久氏は臨済宗の僧である。芥川賞受賞の作家でもあるが、玄侑宗久という僧が、揺らぎながらもこの世を生きてきたこと、それが文筆として現れたのであろう。鴨長明の言葉に触れて、隠遁者としての達観に感銘を受けているのではなく、むしろ、完成しない人となりに共感している様子は、固定化されたものの見方をしない禅僧そのものである。
『方丈記』にはいくつかの天災の記録がある。大火事、大飢饉、大地震、いずれも「大」がつくほどの惨事であった。平安時代末期のことである。長明はそれらを目の当たりにしている。一方、2011年3月11日に東日本大震災は起きた。玄侑氏が住職を務める福聚寺は福島県三春町である。地図を見てみると、福島第一原子力発電所から国道を西に一直線、およそ45キロの道のりである。原発事故被害の大きさを考えれば、至近距離であると言って良いだろう。玄侑氏は三春町で生まれ育ち、三春町の人々とともに暮らしている。
長明とはスタイルが異なるが、国による震災復興政策も含めて、玄侑氏はこの世のさまに憂いを感じている。遠く離れた都会で物言うのではなく、三春町の大地に根差し生きている。だからこそ無常を感じるのであり、また、無常だからこそ、日々の暮らしが開けていくものだとも感じているのである。無常については、本書をお読みいただきたい。
なお、本書は2011年11月に発刊されたものに、著者による「文庫本のためのあとがき」と、生物学者の福岡伸一氏による「動きと揺らぎと(解説)」を加え、あらたに文庫版として刊行されたものである。