- 出版社・取扱者 : ぷねうま舎
- 発行年月 : 2014年1月23日
- 本体価格 : 本体3,600円+税
目 次 |
序 I 無位の真人―禅におけるフィールド覚知の問題― II 自我意識の二つの次元 III 禅仏教における意味と無意味 IV 分節の哲学的問題 V 公案を通じての思考と非思考 VI 禅における内部と外部 VII 東アジアの芸術と哲学における色彩の排除 原註 訳註 解題(野平 宗弘) 解説 井筒俊彦と禅仏教の思想(頼住 光子) 索引 |
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「祖師が西からきた意義とは何か、私に教えて下さい」「庭の柏の木!」――こうした所謂「禅問答」は、一見意味不明の謎掛けのようだ。それは禅語が、言葉で真理を説き明かすのではなく、むしろ言葉によって分節される以前の、無分節なる真理の世界を悟得させるためのとっかかりだからである。禅の世界は「思考と言語的描写を許さない非凡な体験の世界である」と知りつつなお、著者が「禅体験に己自身を哲学化させるささやかな試み」(序)を敢行したのが本書である。『臨済禄』の一節「云何是法 法是心法」を「お前たちは〈リアリティ〉を何だと考えるのか。〈リアリティ〉は〈心のリアリティ〉に他ならない」(58ページ)とするなど、『無門関』『碧巌録』等々の禅語録・公案集を大胆に読解しつつ、華厳教学、唯識思想、水墨画までを会通して、禅における分節された表現と無分節の真理とのダイナミックな往還を、明晰な言葉で解き明かす。
井筒俊彦(1914~1993)は、ギリシア神秘思想、イスラーム思想、老荘思想、仏教思想などを網羅して普遍的な〈東洋哲学〉を考究した、世界的な言語哲学者である。国内では「コーラン」全訳をはじめイスラーム学の業績で知られるが、仏教に親しむ読者には「大乗起信論」を論考した名著『意識の形而上学』が有名だろう。
著作の大半が英文で書かれたため、むしろ欧米での評価が高い。本書はそのうち禅を主題とするものをまとめて1977年に刊行された著作集の邦訳である。主著『意識と本質』でも扱われる通り、著者にとって禅は重要な要素であったが、まとまった日本語の論集はなかった。初出はばらばらだからどこから読んでもいい。具体的に禅語が披露されるIII章、IV章あたりから入ると読みやすいだろう。知的空間に解放された禅体験の閃きを垣間見ることができる。