現在、総合研究所では、より良い葬儀とは何かということを考えるプロジェクト(葬儀研究プロジェクト)を行っている。より良い葬儀を考える上で、友人から聞いた、山間部での葬儀の話は示唆に富む。
友人のおばあさんが亡くなった。日本の各地にいる親戚が集まった。冬の寒い時期、みな、着の身着のままかけつけた。布団も足らない、暖房器具もない。とにかく寒い。村の人が、「これを使ってください」と布団や暖房器具をもってきてくれた。コンビニも、車でかなり時間のかかるところにあり、食べる物にも事欠く。頼まないのに村の人が「これを食べてください」と持ってきてくださる。朝五時ぐらいから、弔問に村の人が訪れた。
葬儀が終わって、お斎の席、お坊さんの相手を親族の人たちが代わる代わるやっている。お坊さんは、おばあさんの息子さんの同級生。親族の人たちの知らないおばあさんのこともよく知っている。おばあさんの想い出話に花が咲いた。
葬儀にいたるまでの間、親族同士でメールアドレスの交換が行われた。疎遠となっていた関係がふたたびつながった。おばあさんの葬儀が、人とのつながりを再発見したり、再生するきっかけになったのだ。
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「無縁社会」といわれるように、人と人の関係が希薄といわれる世の中。その状況は首都圏をはじめとする都市部のみならず、地方においても同様の事態のようだ。首都圏では直葬が増えているという。それにはさまざまな要因が考えられるだろうが、遺された子どもたちに迷惑をかけたくない、そうした親の想いもはたらいているようだ。首都圏、山間部とその状況に違いはあるものの、葬儀に関わる人たちの「想い」を浮き彫りにして、それまで見えていなかったつながりに気づいたり、あらたなつながりをつくる力が葬儀にはあるのではないだろうか。
文・山本浩信
2013(平成25)年9月