【座学の内容】
今回は「舎利弗・汝我今者」から尾題の「仏説阿弥陀経」まで(『日常勤行聖典』114頁2行目~120頁の最後)を学びました。科段でいうと、「正宗分」の「証誠段」および「流通分」にあたります。内容は以下のようになります。
①「証誠段」の「所護念経」について
「舎利弗・汝我今者」から「是以甚難」まで(『日常勤行聖典』114頁2行目~120頁5行目)は「証誠段」と呼ばれています。「証誠」とは、「真実であることを証明すること」とここでは捉えていただければ良いと思います。すなわち、東方世界、南方世界、西方世界、北方世界、下方世界、上方世界というあらゆる方角のあらゆる仏がたが、阿弥陀仏の念仏の教えをほめたたえており、まさしくその教えがまことの教えであることが証明されている段であるといえます。今回の講座では、このなかの「所護念経」と「難信之法」という言葉に焦点をあてました。
まず「所護念経」とは、先にも述べましたようにあらゆる世界の仏がたが、『阿弥陀経』に説かれる阿弥陀仏の念仏の教えをほめたたえ、そして護念(お護り)してくださっているという意味です。それでは何故仏がたが護念されるのかというと、この経には、阿弥陀仏の名号を聞くことでわれわれが不退転の位に至ることができるという、いわゆる「聞名不退」が説かれているからです。「不退転」とは、仏道を歩んでいく上で、これ以上後ろへ戻らないという意味であり、親鸞聖人はこの位を「仏にかならず成るべき身と定まる位なり」(『註釈版聖典』645頁)と味わっておられます。
そして、釈尊は、このような功徳があり、諸仏がたにほめたたえられるこの経を信じるべきであると勧められておられるのです。
②「証誠段」の「難信之法」について
ところが、釈尊は続けてこの経は「難信の法」であると説きます。それは何故かといえば、この世界が劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁という「五濁」に満ちた世界であるからと釈尊は仰います。すなわち、われわれは真実を見ようとしても、煩悩によって私の都合のいいように世界を見てしまいます。それで五濁悪世の世界でこの法を信じるのは難しい、すなわち「難信の法」だといわれているのです。親鸞聖人はこのことを「正信偈」で「弥陀仏本願念仏 邪見驕慢悪衆生 信楽受持甚為難 難中之難無過斯」(『註釈版聖典』204頁)と、「難の中の難であり、これよりも難しいものは無い」のだと嘆じられています。
③「流通分」について
「仏説此教已」から「仏説阿弥陀経」まで(『日常勤行聖典』120頁5行目~最後)は「流通分」と言われています。これは論文で言えば「結論」にあたる部分です。『阿弥陀経』では、同じ「浄土三部経」の『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』とは異なり、終始一貫して念仏による往生のみを説いて結ばれています。
これは、9月13日の『阿弥陀経』①の講座の中で紹介したように、この経が釈尊の「一代結経」の教えといわれることと関係していると考えられます。「一代結経」とは、釈尊がその生涯を通して説かれた教えの総まとめの経という意味で、それはつまり、釈尊がこの世にお出ましになられた所以(出世本懐)が説かれたお経が『阿弥陀経』であることを意味しています。『阿弥陀経』には、念仏往生の教えのみが説かれているということは、それこそが釈尊が本当に説き示そうとされた教えであると受けとめることができます。
以上が今回の座学の内容となります。
【実践の内容】
始めに、前回に出された質問についての回答がありました。内容は以下の通りです。
Q:念仏、回向の最後のところの唱え方についてお尋ねします。「なまんだぶ」の「ぶ」の音や、「往生安楽国」の「く」の音など、最後の言葉の音は下がってよいのでしょうか?
A:確かに唱読法のなかには「落音(おちごえ)」というものがありますが、この箇所は、音を落とさず、真っ直ぐに読みます。また、「往生安楽国」の「く」の音は、「ささやく」といって、ほとんど声に出さない発声になります。「く(ku)」の「k」のみを発声するようなイメージです。
次に、前回も少し話しをされた「漢音小経」について、今回は呉音と漢音が日本に入ってきた歴史について、以下の説明がありました。
7~8世紀に中国に派遣された遣隋使や遣唐使が、長安の都で学んだ清新な文化とともに長安で用いられていた漢字音を日本に伝えました。これを「漢音」といいます。これに対して、それまでに日本に定着していた漢字の音を「和音」または、南方の呉地方の方言という意で「呉音」といいます。漢音が日本に伝えられると、持統天皇や桓武天皇および当時の朝廷は、漢音を積極的に学ばせ、その使用を奨励しましたが、仏教経典の読み方や律令用語ではすでに深く根を下ろした呉音が使われ続けました。
次に、実際におつとめをする際の注意点として、以下の説明がありました。
①『阿弥陀経』をおつとめするテンポと節柝ついて
『阿弥陀経』に限らず、お経をおつとめするときのテンポは、はじめはゆったりと始め、徐々にスピードに乗り、中程は一定の速さを保ち、中切やお経の最後は徐々にゆっくりとなります。中程の速さについては特に決まっているわけではなく、おつとめの状況によって異なります。例えば、他の宗派では、約5分で『阿弥陀経』を唱え終わるほどの速さでおつとめする場合もあります。このようにお経を読むテンポがさまざまですので、多くの方と一緒にお経をおつとめする場合、その時のテンポに皆が合わせられるように節柝を用います。ひとりでおつとめをする時には節柝は使いません。節柝は音木ともいわれます。お経本では句と句が「・」で区切られていますが、各句の頭の文字と節柝が合うようにおつとめをします。
おつとめのテンポについては、慣れるまでは、ゆっくり、味わいながら唱えられるテンポでおつとめをし、慣れてきたらテンポを速めるようにしてください。
②合掌・礼拝するときの心の持ちようについて
合掌・礼拝をするときは、阿弥陀仏に向かい、心を落ち着けることが大切です。この時にまわりをキョロキョロ見ないように注意し、阿弥陀仏に対面してその教えを素直に聞かせていただくのだ、というように心を整えようにします。心の器の中に阿弥陀仏の教えを入れる空白を空けるという気持ちで合掌・礼拝をします。
③お経本をいただくときの心の持ちようについて
お経本は、仏さまのお言葉が書かれたお聖教であり、私が生きていくために欠かせない大切なことが説かれているという思いでいただきます。お経本はただの紙の冊子ではありません。お経本は、1000年越しのご開帳よりも価値があるという思いで開きます。そして、仏さまに遇わせていただくという思いで、両手でしっかりと持ち、胸の前で保持します。
上記①~③を踏まえて、『阿弥陀経』を最初から最後まで実唱しました。その流れを記すと次の通りです。
①ご本尊に一揖(一礼)をして着座する
②合掌・礼拝
③経本を頂き開く
④鏧二声
⑤「仏説阿弥陀経~功徳荘厳」
⑥鏧三声
⑦「舎利弗~仏説阿弥陀経」
⑧鏧一声
⑨短念仏
⑩鏧一声
⑪回向
⑫鏧三声
⑬経本を閉じて頂く
⑭合掌・礼拝
⑮桴(ばち)を戻す
⑯立ち上がってご本尊に一揖(一礼)する
最後に、『阿弥陀経』の終わり部分について、再確認がありました。内容は以下の通りです。
①「聞仏所説」以降の、「次第にゆっくり」と「火急」とが記載されている箇所は難しい箇所なので、特に「作-礼而-去」の唱え方に注意しながら再度練習をしました。
②尾題の「仏説阿弥陀経」は途中で息継ぎをせずに一息で読みます。時々「仏説」の「つ」を延ばす方がおられますが、そうすると息が続かなくなるので、延ばさないようにします。
③「次第にゆっくり」と表記されている箇所について、現在、本山のお御堂でおつとめされる形は、『日常勤行聖典』にあるように、「聞仏所説」より次第にゆっくりとなります。