【座学の内容】
今回は『阿弥陀経』の「正宗分」のうち、「依正段」の後半と「因果段」について学びました。「依正段」の後半には、阿弥陀仏という仏さまの名が、なぜ「阿弥陀」といわれるのかという理由が示され、「因果段」には、浄土へ往生した者が得る「果」としての徳の内容と、浄土へ往生するための「因」となる行とは何かということについて説かれています。お経のご文でいうと、「舎利弗・於汝意云何」から「応当発願・生彼国土」(『日常勤行聖典』111頁5行目~114頁1行目)までです。
①「依正段」の後半について
前回学んだ「依正段」前半では、阿弥陀仏の浄土のすがたについて説かれていました。今回の後半部分(「舎利弗・於汝意云何」~「功徳荘厳」〈『日常勤行聖典』111頁5行目~112頁〉)では、阿弥陀仏とはどのような仏であるのかということが説かれています。
初めに、極楽浄土の仏をなぜ「阿弥陀」と申しあげるのか、という釈尊の問いが投げかけられます。そして釈尊は、その仏は限りない光と限りない命を有しているから「阿弥陀」と名づけることができるとお説きになります。すなわち、インドの言葉で限りない光をあらわす「アミターバ」と、限りない寿(いのち)をあらわす「アミターユス」という両方の徳を持つ仏であるから「阿弥陀」と名づけることができるということです。
さて、阿弥陀仏は「あらゆる者を救い取りたい」という願いを完成して仏となられたことは前回までに学んできました。その「あらゆる者を救いとる」という阿弥陀仏のはたらきを光と寿(いのち)によってあらわされていると受けとめることができます。『観無量寿経』には、「阿弥陀仏の光はあらゆる世界の念仏の衆生を救い取って捨てない」(摂取不捨)と説かれています。
その光に限りがないということは、私たちがどこにいても、またどのような者であっても分け隔てなく救い取ることをあらわしています。また、その寿(いのち)に限りがないということは、あらゆる時代に生きる人びとが阿弥陀仏の救いの対象となることをあらわしています。つまり、光と寿(いのち)か限りないということは、如何なる場所、いかなる時代のあらゆるものを救う仏であることをあらわしているのです。
親鸞聖人は『浄土和讃』において、
十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる(『註釈版聖典』571頁)
と、阿弥陀仏の光と寿(いのち)のすぐれたはたらきを、「摂取してすてざれば(摂取不捨)」という言葉で讃嘆されています。
また、この段落では阿弥陀仏は「成仏してから十劫の時間が経過している」と説かれていますが、親鸞聖人は、
弥陀成仏のこのかたは いまに十劫とときたれど
塵点久遠劫よりも ひさしき仏とみえたまふ(『註釈版聖典』566頁)
と、十劫よりもはるか前、無限の過去から阿弥陀仏はわれわれを救い取るためにはたらきつづけておられると思われるのであると述べられています。
「阿弥陀」という名前には、このような仏さまの救いのはたらきがあらわされているということを学びました。
②「不可以少善根・福徳因縁」について
次に「因果段」について話しをました。「因果」とは、原因と結果のことで、ここでは「浄土へ往生するための原因となる行」と、「浄土へ往生する者が結果として得られる徳」と言い換えることができます。今回は、その中の「浄土へ往生するための原因となる行」に注目をしました。
「因果段」では「不可以少善根・福徳因縁」すなわち、「少ない功徳をおさめても阿弥陀仏の浄土へ生まれることはできない」と説かれています。ここで疑問が生じます。「少ない功徳をおさめる」とは具体的にどのような行為なのか、その反対に「多くの功徳」とはどのような行為なのか、ということです。これについて、中国の襄陽という所にあった石に刻まれた『阿弥陀経』(実物は現存しません)に、私たちがおつとめをしている『阿弥陀経』にはない文言があり、そのなかに、これらの疑問を解決するヒントがあります。親鸞聖人の師匠である源空(法然)聖人が書かれた『選択集』にその文言が引用されており、それによると、「一心不乱」という言葉のあとに、
専持名号 以称名故 諸罪消滅 即是多善根 福徳因縁
と書かれているということです(註釈版聖典七祖篇1267頁)。すなわち、南無阿弥陀仏の名号をもっぱら口に称えること、つまり称名念仏には「多くの功徳」があり、「往生のさわりがなくなる」ことが説かれています。換言しますと、「浄土へ生まれることが難しい」、「少ない功徳」の行とは、称名念仏以外の行であることがわかります。
このように阿弥陀仏の浄土へ生まれるためには、ただ念仏のみが肝要であることが説かれていることを学びました。
③「其人臨命終時」~「現在其前」について
続いて「因果段」では、
聞説阿弥陀仏 執持名号 若一日 若二日 若三日 若四日 若五日 若六日 若七日 一心不乱 其人臨命終時 阿弥陀仏 与諸聖衆 現在其前
(『日常勤行聖典』113頁)
と説かれています。この経文には、ご文の表に顕れている意味(顕説)と、隠された意味(隠彰)との二つがあると親鸞聖人は理解されましたということを学びました。
この経文を顕説の意味で読みますと、「一日から七日まで、一心不乱に阿弥陀仏を念じれば、その人の臨終に阿弥陀仏が現れ、浄土へ導いてくださる」と理解されます。これは自力の念仏による往生とも見えます。
一方で隠彰の面からこの経文を窺うと、「一日でも七日でも、ふた心なく阿弥陀仏の教えに帰順すれば、その時から臨終にいたるまで、ずっと阿弥陀如来の摂取不捨の光に照らされている」といった、他力のご法義をあわらしたご文であると理解できます。
このように因果段では、まさしく他力念仏のご法義によって私たちが浄土へ往生することができることが説かれていることを学びました。
以上が今回の座学の内容となります。
【実践の内容】
実践では、『阿弥陀経』証誠段の「下方世界」の段から、最後(短念仏と回向)まで(『日常勤行聖典』116頁7行目~121頁最後)を学びました。
始めに、お仏壇のお荘厳についての話しがありました。おつとめをする前には、点火、点燭、供香、供飯の順にお荘厳することはこれまでの講座でも説明がありましたが、今回はさらにそれに先だつ心得として、お仏壇のお掃除についてのお話しをされました。お仏壇の金箔の部分は、ハタキでほこりを落とし、漆塗りの部分は布巾で拭き取るようにします。金箔の部分を強くこすると金箔が剥がれてしまうので注意が必要です。またお掃除は高い部分から低い部分へという順序で行います。
次に、前回まで出ていた二つの質問について回答していただきました。
Q1:『阿弥陀経』を漢音で読むことについて教えて欲しい
答え:西本願寺では、親鸞聖人のご命日である毎月16日と歴代のご門主様の祥月となるお晨朝で『阿弥陀経』を漢音でおつとめします。
漢音とは何かというと、日本語では一つの漢字に対して、呉音・漢音・唐音という複数の音読みがあります。例えば、「行」という字は、呉音では「ギョウ」、漢音では「コウ」、唐音では「アン」と読みます。仏教の言葉は呉音で読まれる場合が多く、『阿弥陀経』も多くの場合、呉音で読みますが、上記のお晨朝では漢音で読みます。このように『阿弥陀経』を漢音で読むことを「漢音小経」といいます。実際に「漢音小経」のおつとめにあわれたいという方は、是非西本願寺のお晨朝にご参拝ください。「漢音小経」がつとめられる日は、
■WEBサイト「お西さん(西本願寺)」
https://www.hongwanji.kyoto/visit/hoyo.html
でご確認いただけます。リンク先の各月の行事表のなかで「漢小」という表記がある日が「漢音小経」がおつとめされる日です。
Q2:『阿弥陀経』の「舎利弗」「一時在仏」という言葉の「つ」は鼻音で発音するのでしょうか。
答え:『阿弥陀経』では、基本的に鼻音を用います。『日常勤行聖典』では、「ツ」と表記されている箇所は鼻音、「っ」と表記されている箇所は促音で発音します。
その後、前回学んだ「舎利弗・於汝意云何」から、証誠段の「北方世界」の段(『日常勤行聖典』111頁5行目~116頁6行目)までを実唱しました。実唱が終わるときには、音程が下がっていたので、講師から、音が下がらないためのコツとして、「テンポよくおつとめをすると音程が下がりにくいですよ」と教えていただきました。
その後、証誠段の「下方世界」の段から、最後の「仏説阿弥陀経」という尾題のところまでをゆっくりと朗読しながら経文の言葉を確認した後、おつとめの際に留意すべき点を教えていただきました。ポイントをまとめると以下の通りです。
(a)『日常勤行聖典』119頁8行の「釈-迦牟-尼仏」など「-」が付されているところは、「火急」(かきゅう)といって、唱え方が普通の早さと異なる箇所です。「-」で繋がれる漢字二文字を一拍で読みます。
(b)『日常勤行聖典』120頁7行の「次第にゆっくり」と表記されている箇所以下について学びました。ここでは、「聞仏所-説」から急に速度を落とすのではなく、少し前の「天人」のあたりから徐々に速度を落とし始めます。また、「聞仏所-説」以降は、「次第にゆっくり」と「火急」が複合していて、言葉で説明するのが大変難しいので、講師の唱え方を何度も聞きながら、口伝の形で練習をしました。
(c)「仏説阿弥陀経」という尾題は、経題の「仏説阿弥陀経」と発声されたのと同じ速さで読むようにします。ここは、途中で息継ぎをせずに読みます。あまりゆっくりになりすぎると息が続かなくなるので注意が必要です。
(d)短念仏と回向について、音程はハ調のミです。そして、それぞれ、最後の一句は、「次第にゆっくり」という表記はありませんが、徐々にテンポを落として「言葉をおさめる」という雰囲気で終わるようにします。また、回向の二字仮名は後に付けて読みます。
次に、以上のポイントを踏まえながら、「下方世界」の段から、回向の終わりまでを実唱しました。今度の実唱では、先に比べて音程がきちんと保たれていたと、講師から評価いただき、「おつとめは、きちんと意識することによって大きく変る」ということを教えていただきました。
最後に質疑応答の時間をとって、おつとめの実践を終了しました。