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煩悩にまなこさへられて

煩悩にまなこさへられて  摂取の光明みざれども  大悲ものうきことなくて  つねにわが身をてらすなり

(「高僧和讚」『註釈版聖典』595頁)

現代語訳

煩悩という色眼鏡をかけて物事を見ているわたしたちは、阿弥陀如来の救いのおはたらきに気付くことができませんが、私を救おうとしてくださる広大な慈悲は、怠ることなくこの私に向けられているのです。

 

子どもたちを見ていますと、実に色々な子がおります。かけっこが速い子、お遊戯が上手な子……しかし、なかには「目立たない子だなぁ」と特徴をつかみきれない子もいます。
 詩人の金子みすゞさんは「星とたんぽぽ」という詩を書かれていますが、そのなかに「見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ」(新装版『金子みすゞ全集』Ⅱ・108頁)というフレーズが出てきます。昼には見ることのできない星は、夜になればキラキラと輝きを現します。星は常に同じ場所に存在しており、夜を縁として私たちにその姿を知らせてくれます。枯れて春をまつタンポポは、春になると綺麗な花を咲かせます。タンポポは枯れてしまった後も土のなかで根を張って一生懸命に生きており、春を縁として私たちにその姿を知らせてくれます。子どもたちも同じではないでしょうか。
 私たちは煩悩という色眼鏡をかけているため、ものごとのありのまま、本当の姿を見ることができません。言い換えれば、子どもたちが内に秘めた本質に気づかずに、勝手に「この子はこういう子」と決めつけてしまいがちです。しかし、どの子もみな、置かれた環境や外から受ける刺激によって、とりどりの芽を出す種(可能性)を持っています。あたたかくやさしい眼をもって一人ひとりと真摯に向き合い、その種にさまざまな角度から愛情という水をあげて、大切に育んでゆきたいものです。

 

文・佐竹真城
2014(平成26)年3月