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面々の御はからひ

詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなり。

(「歎異抄」『註釈版聖典』833頁)

現代語訳

つきつめていえば、愚かなわたしの信心はこの通りです。この上は、念仏して往生させていただくと信じようとも、念仏を捨てようとも、それぞれのお考えしだいです。

(同『現代語版聖典』7頁)

 

親鸞さまは法然さまに出会われ、お念仏の道こそが最もすばらしい道だと確信されました。その親鸞さまの晩年、関東から門弟たちが京都まで「極楽に往生する道」を問いただしに来られました。親鸞さまはその門弟たちの問いに対して、「私はただ法然さまの言われた道をそのとおりに信じているだけで、ほかに特別な理由はないです」と、阿弥陀さまから法然さままで継承された道を私もただ信じているだけだという、ご自身の理解を述べられた後、この「この上は、念仏して往生させていただくと信じようとも、念仏を捨てようとも、それぞれのお考えしだいです。」(面々の御はからいなり)というこの言葉を述べられました。

普通でしたら、そのような状況の場合、人情としましては「私の信じるこの教えこそ正しい、これしか信じてはいけません。」と弟子たちを囲いたくなるものですが、この「面々の御はからひなり」という言葉には、それと反対に人を縛らない自由さがあります。鎌倉時代のものとは思われず、信仰の自由がうたわれる現代にも通ずるところがあります。また、一見弱々しい信仰の態度、あるいは、弟子たちを突き放した態度のようにみえますが、よくよく思いますと、その底流に迷いのない強い自信をうかがい知ることができます。

 

文・佐々木大悟
2014(平成26)年3月