Ⅳ-1347至道鈔 一 父母の菩提のために佛事を修する功德のすぐれたる事。 一切の恩のなかには父母の恩最大なり。莖は種よりきざし、流は源よりはじまる。樂も榮もこの身の生じぬるうへのことなるによりて、生育の恩といひ敎訓の德といひ、報じがたく謝しがたし。されば佛經のなかには、父の恩をば山にたとへたり。迷盧八萬のいたゞきたかしといへども、もし父の恩にならぶればなをたかきにあらず。母の恩をば海にたとへたり。滄海三千のそこふかしといへども、もし母の恩にくらぶればまたふかきにあらず。このゆへに、いきたるときには孝行をいたして隨分のこゝろざしをはげみ、沒しぬるのちには追善を修して菩提の果をいのるべきなり。孝養の行を讚じ不孝のつみをいましむること、一代の正敎にその文おほきなかに、まづ淨土の三部經のうちに、『大經』には五惡をとくとき不孝のとがのおもきことをあかし、『觀經』には三福をとくとき孝養の善のおほきなることをあらはせり。 Ⅳ-1348いはゆる『大經』(卷下)の文といふは、五惡のなかに第四に口業の惡をとくとして、「兩舌・惡口・妄語・綺語、讒賊鬪亂。憎嫉善人、敗壞賢明、於傍快喜。不孝二親、輕慢師長、朋友无信、難得誠實。尊貴自大謂己有道、橫行威勢侵易於人」といひて、しもにその罪報をあかすに、「殃咎牽引當獨趣向。罪報自然、无從捨離。但得前行入於火鑊」といへり。生前不孝のつみによりて、後世に地獄にいりて火鑊の苦をうけんこと、もともかなしむべし。第五に意業の惡をとくとしては、はじめに「父母敎誨、嗔目怒譍、言令不和、違戻返逆す」(大經*卷下)といひ、つぎに「不惟父母之恩、不存師友之義。心常念惡、口常言惡、身常行惡、曾无一善。不信先聖、諸佛經法、不信行道可得度世、不信死後神明更生、不信作善得善、爲惡得惡」(大經*卷下)といひ、後に「欲害父母・兄弟・眷屬。六親憎惡願令其死。如是世人、心意倶然。愚癡矇昧而自以智惠、不知生所從來、死所趣向。不仁不順、惡逆天地」(大經*卷下)といへる文、これなり。一段のうちに三所まで、かくのごとく不孝の相をときて、その惡因によりて苦果をうくることむなしからざることをあかす。下に「善惡報應、禍福相承、身自當之。无誰代者。數之自然。應其所行、殃咎追命无得縱捨。善人行善、Ⅳ-1349從樂入樂、從明入明」(大經*卷下)といへる、これなり。「從樂入樂」といふは、生をあらため形をかふといへども、生々世々に富貴の身とむまれて樂にほこるべきこゝろなり。「從明入明」といふは、これまた在々處々に智惠をきはめて、さとりをひらくべき義なり。これらはみな孝養父母のこゝろありて、天地のこゝろに違逆せざる人の果報なり。これにはひきかへて、「從苦入苦」(大經*卷下)といふは、劫ををくり生をふといへども、三惡道をはなれずして重苦をうくべし。たとひまた人間にきたるときも、下賤の身として、或は乞丐・孤獨・聾盲・瘖瘂等の報をうくるなり。これみな父母に孝せず、ほしゐまゝに惡逆をつくる果をあかすなり。 つぎに『觀經』の說といふは、世戒行の三福をとくに、世善のはじめに孝養父母をのせたり。總じて三福の行を嘆ずるに、「三世の諸佛の淨業の正因なり」ととけり。もともこれをたふとむべき行なり。これによりて、『梵網經』(卷下)に圓頓一實の大乘戒をとくには、「師僧父母に孝順するを戒となづく」といひ、『花嚴經』(般若譯卷一*二行願品意)に地神の如來に申すことばには、「大地須彌をおふておもしとせず、不孝の人をばいたゞくにたへず」ととき、『增一阿含經』(卷一一善*知識品意)には「父母を供養する功德は、一生補處の菩薩を供養するにひとし」といひ、『心地觀經』(卷二報*恩品意)には「父母に孝養Ⅳ-1350する功德は、佛を供養するにことならず」といへり。欲界六天のなかに、下より第二の天をば忉利天といふ。かの天の主は帝釋なり。閻浮提の衆生の善をつくるをも惡をつくるをも、かの帝釋の札にしるすとみえたり。父母に孝養するをみては、善業の帳に記して善趣に生ずべきにさだめ、父母に孝せざるをみては、惡業の帳にのせて惡趣に墮すべきに判ず。いかでかこれをつゝしまざらんや。かの天に波利質多羅樹といふ木あり、娑婆世界の衆生父母に孝養するときにはこの花ひらく。天人これをみてよろこびたのしむ。もし父母に孝養せざればこの花しぼむ。天人これをみてなげきかなしむ。これによりて、父母に孝養すれば諸天・善神も納受し、諸佛・菩薩も隨喜したまふなり。諸天もゑみをふくみ、佛・菩薩の照覽にもかなひぬれば、いのちもながく福もきたるなり。 また玄奘三藏の『抖擻の記』に一の因縁をいだせることあり。三藏、渡天のとき、ある寺をみたまふに、眼目寺と額をうちたる寺あり。本尊を拜したまふに、彌陀の三尊なり。左右の脇士の御手におのおのひとつづゝ眼をもちたまへり。その因縁をたづねとひたまふに、寺僧こたふるやう、昔大王ありき、目しゐたり。醫師をめして療治をくわへんとするに、醫師まふしていはく、うちまかせたる藥をもⅣ-1351ちていやすことあるべからず、そのちからをよびがたきところなり。たゞし一の藥あり、一生涯のあひだ、一度もはらをたて、いかりをなさゞる人の兩眼をとりて、はいにやきて合藥し、これをつけたてまつらばいゑたまふべし。このほかは治術あるべからずとまふしゝあひだ、京中・邊土、手をわけ使をつかはしてたづねられしかども、貪嗔癡の三毒は欲界根本の煩惱なれば、聖果をえざらんよりほかは嗔恚をはなれたる人あるべきならねば、一期のあひだ生じてよりこのかた、はらをたてずといふ人をもとめいださず。こゝに大王に太子あり。くだんの太子のたまふやう、われ生をうけてよりのち、いまだ嗔恚をおこさず。はやく眼をぬきて父の王の御目をいやすべしと命ず。醫師このおもむきを大王に奏するところに、大王おほきに啼泣してのたまひけるは、われはとしおとろへ、よはひかたぶきぬれば、兩眼しゐたりといへども、いたみとするにたらず。太子はわかくさかりにしておしむべき身なり。われこの世をすてなんのちも、繼體の君として國の位をたもちたまふべし。されば太子のためにこそいかなる病もあらばわが眼もぬかめ。わが身この病をうけたればとて、朕がために太子の眼をぬかんことさらにおもひよらずとて、制しおほせられしかば、さては術計なしといひて、醫師すでⅣ-1352にまかりいでなんとするところに、太子ひそかにみづから兩眼をぬきて醫師にあたへたまひしかば、醫師おどろき存じながら、このうへはもだすべからざるゆへに、これを合藥して大王の御目につくる。兩眼すなはちひらきて、あきらかなること日ごろにこえたり。眼ひらいてのち、藥の效驗を感じて、いかなる藥をもて治するぞとたづねたまふに、かくれあるべきことならねば、醫師ありのまゝにしかじかと申けり。このとき大王かなしみなげきたまふこと、なのめならず。しかれども、後悔さきにたゝざれば、おもひのほのほむねをこがしたまへども益なく、うれへのなみだ袖をしぼりたまへども詮なし。悲嘆のあまり阿彌陀如來にいのりまうしたまふところに、觀音・勢至二菩薩の御手に兩眼をもちきたりて、太子の御目のあとにいれたまふあひだ、すなはち本に復せり。もとのまなこは肉眼なり、いまの眼は天眼なるがゆへに、はるかに他方世界のことをもみたまひしかば、大王のよろこびたとへをとるにものなし。大王よろこびにたえず、かの三尊の像をうつしつくりたてまつり、二菩薩の御手に眼をもたせたてまつれり。そのとき、この堂を造立してその像を安置せりとこたへけり。むかしの大王といふは淨飯王なり、かの太子といふは釋尊なり。忍辱太子といへる、すなはち嗔恚をおこしたⅣ-1353まはざりし名なり。しかれば、釋迦如來の因行も孝養のつとめをもはらにし、彌陀如來の大悲も孝養のこゝろざしを感じたまふとみえたり。 また聖德太子は觀音の垂迹、和國の敎主なり。守屋の逆臣を追伐して釋尊の遺敎を末代にひろめ、六齋の殺生を禁斷して善惡の因果を道俗におしへたまふ。しかるに太子三歲の御とき、用明天皇愛していだきたてまつりたまひしかば、兒が父の御手にいらんこと、百丈のいはほにのぼり千尺のなみにうかぶがごとし。はなはだおそろし、はなはだあやうしとのたまひ、十六歲のとき、父の大王やまひのゆかにふしたまひしに、太子衣帶をとかずして晝夜に看病したてまつりたまふ。天王一飯したまへば太子も一飯したまひ、天王再飯したまへば太子も再飯したまふ。すなはち无常の道理をのべ、彌陀の名號をすゝめたまひしかば、天皇正念に住し佛號をとなへておはりをとりたまひき。其時にあたりて、一には往生の御願のたがはざることを喜び、一には今生の再會のながくへだゝりぬることをなげき給き。是みな大聖も大權も親子のよしみのあさからざることを表し、二親の恩のかろきにあらざることをあらはしたまふなり。 父は能生の本として提撕敎訓の恩をほどこし、母は所生の源として乳哺生養の德Ⅳ-1354をあたふ。恩のおもきことは、そのあたひ千顆萬顆のたまにもまさり、こゝろざしのふかきことは、そのいろ一入再入のくれなゐにもすぎたり。なかんづくに『心地觀經』(卷三*報恩品)のなかに、人のおやたる人は、子のためにつみをつくりて惡道におもむくことをとけり。佛說のあらはすところ、そのかなしみもとも肝に銘ず。「世人爲子造諸罪、墮在三途長受苦。男女非聖无神通、不見輪回難可報」といへる文、これなり。この文のこゝろをきかんに、人の子として爭か悲情にたえんや。或は撫育敎示の恩をかぶり、或は慈悲哀愍のこゝろざしをになひ、或は財寶田園をゆづりえ、或は才智藝能の業をつぎて、そのうるところの恩はあつく、報謝のつとめはすくなければ、たとひ報ずといふとも、一滴をもて大海にくはへ、微塵をもて須彌にそふるがごとくなれば、たやすく報じつくさんことはあるまじきに、まして子をおもふ妄念によて、おやとしてその爲につみをつくり、そのつみにひかれて惡道におちんこと、いのちをすつるおやのため、あとにのこる子のため、かなしみのなかのかなしみ、なげきの中のなげきなり。人ごとにかゝるべきにはあらねども、子をおもふ愛執はふかく、佛法を信ずるこゝろなからん人は、かならずのがれがたきことなり。不孝のつみせめてもあまりあり、いⅣ-1355かにしてかこのとがをつぐのふべき。さればそれにつけても、ひとすぢに滅後の孝養をいたして、その報謝にそのふべきなり。 そもそも人の後世をとぶらふにとりて、まづ中有のあひだ善惡の生所さだまらざるさきに、よく功德を修して、惡道におとさず善所に生ぜしめんと回向する時分あり。つぎにその生所さだまりぬる後も、惡趣ならば善趣にも生ぜしめ、また善趣なりとも三界のうちをはなれて極樂に生じ佛果を證せしめんがためにこれをとぶらふべきなり。中有といふは、この生の命はつき、つぎの生の報はいまだうけざる二有の中間なり。この間に十王の裁斷にあふて生をさだめらるゝなり。いはゆる初七日は、秦廣王の裁斷にあふ。まづ人の命終らんとするとき、閻魔法王、奪魂鬼・奪精鬼・奪魄鬼といふ三人の獄率をつかはし、罪人をしばりて冥途にゐてゆく。はじめて罪門關樹のもとにいたるに、その木の枝葉ときことやいばのごとし。かの樹のもとをすぎて死出の山の南門にいたる。そのところに又ふたつの樹あり、兩莖身をせめてはだゑをさき骨をくだく。かやうに苦をうけて死出の山をこゆるなり。かの山のありさま、坂はげしく路とをくして、たゑがたきことまたいふべからず。この死出の山といふは、すなはち俗にいひならはしたる死天のⅣ-1356山なり。山をこゑをはれば、七日に滿ずるとき秦廣王のまへにいたり、善惡の業因を勘定せらるゝなり。二七日は、初江王にあふ。この王の所にいたるとき奈河をわたる。奈河といふは葬頭河なり、初江王の官廳のまへにながれたり。この河をわたるに三のみちあり、一には山水の瀨、二には江深の淵、三には橋なり。微善の人は橋をわたり、輕罪の人は山水の瀨をわたり、重罪の人は江深の淵にむかふ。七日七夜のあひだながれて、かの官廳のまへにいたるに、かの所に大なる樹あり。かの樹のもとに二の鬼あり、一をば奪衣婆となづく、二をば懸衣翁となづく。奪衣婆衣をぬがすれば、懸衣翁えだにかけてつみの輕重を校量するなり。日ごろ著するところの衣裳、今日うばゝれて裸形になる。恥をあらはし憂をいだくこと、このときいまひときわまさる。これ生前にしてほしゐまゝに惡業をつくり、善根を修せざりし无慚无愧のとがをあらはすなり。三七日には、宗帝王の所にいたる。このとき惡猊群集し、大蛇きほひきたりて身體をきりさき、或は支節を繫縛す。これまた前生の罪惡を罰する相なり。四七日には、五官王にあふて、また造罪の輕重を稱量せらる。かの官廳に二のいへあり。左にあるをば秤量舍といふ、これは業をかくるはかりをかけたる所なり。右にあるをば勘錄舍といふ、こⅣ-1357れは所作の業を記錄する所なり。五七日には、閻魔王にいたる。この所は閻浮提のした五百由旬にあり、大城の四面には鐵のかき周帀して四方におのおの鐵の門をひらけり。官廳のうちに雙童あり、一人は善を記し、一人は惡を記す。又この所に一の鏡あり、これを淨頗梨の鏡といふ、又は王鏡といふ。閻王この鏡のなかにおひて十方三世遠近の諸事をかゞみ、有情・非情、善惡の諸相をしる。また八方におひておのおの一の鏡をかけたり、あはせて八の鏡なり、これを業鏡といふ。一切衆生の所造の業因、悉くこれにうつるなり。微惡もうつらずといふことなく、小善もかくるゝことなし。善惡ともにかげをうかべて、たゞ眼に對するが如し。一の鏡にだにもかくれあるまじきに、八の鏡に一同に是をうつせば、娑婆にして犯す所の惡業さらにあらがふべき所なし。雙童の筆のはしにしるし、淨頗梨の鏡の面にうつして、大王ことごとくこれをしり、明々たる八の業鏡にうつりて罪人またこれを論ぜず。微塵の業までも、さらにのがれがたし。このときにあたりて、前生の罪業をはぢてかなしみくゆといへども、かつて益なし。こゝろあらん人、いかでかこれをおそれざらんや。六七日には、變成王のまへにいたる。中有嶮路のかなしみいよいよふかく、獄率呵責のうれへますます切なり。七々日には、太Ⅳ-1358山王の所にいたる。この所にも赤紫の冥官、黃緑の司侯あて、小惡・微善をのぞかず、これを錄して王に奏すれば、王これをみて染淨の二因を勘決し、善惡の生處を定判するなり。百箇日には、平等王のまへにひざまづきて、枷械のいましめにあひ、鞭傷の苦をうく。一周忌には、都市王の所にいたりて、重て苦辛をなし、ねんごろに齋福をもとむ。第三年には、五道轉輪王のまへにして、また所作の業因を勘へ、昇沈の果報をさだむるなり。これは十王のおはり、裁斷のきはまりなり。この十王裁斷の間は中有なり。この中有のありさま、こゝろぼそくかなしきことなり。飢寒身をせめ、衣食ともにかけたり。衣は葬頭河の岸にしてぬぎしかば、肌をかくすものなくして寒氣身をとほす。食は香を食よりほかに口にいるものなければ、飢渴しのびがたし。日月の天にかゝるもなければ、闇冥としてみちにまよひ、朋友のことばをまじふるもなければ、孤獨にしてなくなくゆく。たゞあひしたがふものとては、惡業と鬼神となり。『寶積經』(大寶積經卷九*六勤授長者會)には「死去无一來相親、唯有黑業常隨逐」ととき、『摩訶止觀』(卷七上)には「冥々として獨行、誰訪是非」といへる、このこゝろなり。十度の斷罪のあひだに、業の強弱によりて生處におもむくこと遲速あり。或は初七日、秦廣王の裁斷にあふⅣ-1359て地獄・鬼・畜におもむくものもあるべし。或は二七日、初江王の斷罪を蒙て人中・天上にむまるゝたぐひもあるべし。三七日にさだまらずは、四七日にいたるもあるべし。五七日にもなほ得脫せずは、六七日、七々日にあふもあるべし。乃至百ケ日・一周忌・第三年にいたり當來の果をうくるものもあるべしとなり。この十王にをひて、或は實類の有情といひ、或は佛・菩薩の化現といふ二義あり。權化といふにとりて、本地また異說あり。詮ずるところ、本地は經論のたしかなる說なきによりて一准ならざるなり。秦廣王は不動尊。初江王は藥師如來、または釋迦如來といふ。宗帝王は釋迦如來、また彌勒菩薩といふ。五官王は普賢菩薩、又は藥師如來といふ說あり、或は聖觀世音菩薩といふ說あり。閻羅王は地藏尊。變成王は彌勒菩薩、一說には觀音、一說には釋迦なり。太山王は阿彌陀如來。平等王は文殊師利菩薩、又は毗沙門といふ說あり。都市王は觀音、又は不動なり。五道轉輪王は大勢至菩薩、または阿彌陀なり。『倶舍論』(玄奘譯卷*九世品意)に中有の住持を判ずるに、あまたの義あり。一義には「一切中有、樂求生故、速往受生必不久住」といへり、この釋は時分をさゝず、たゞ早速なる義をあかせり。一義には「極多七々日」といへり。この義のごとくならば、中陰五旬のほどに定るべしとみⅣ-1360えたり。一義には「時无定限、生縁未合、中有恆存」いへり。この釋のごとくならば、時分さだまらず、かつは當生の託生の縁の和合するをまち、かつは過去の親屬の追善によりて生處におもむくゆへに、その時節に遲速あるなり。おほよそ人の死せるあとには、閻王もつかひをつかはして娑婆にいかなる追福をか修すると檢知し、亡者も肝をくだきて遺跡にいかなる善根をかいとなむとこれを悕望す。もしこれを修せず、これをとぶらはざれば、いたづらになきいたづらにかなしみて、憂をそへ悲をますなり。あとにとゞまる人、いかでか佛事を修せざらんや。さればこゝろざしの厚薄により、修善の淺深にこたへて、十王のうちに一王二王の裁斷にあふて出離するものもあるべし、乃至一周忌第三年の斷罪を蒙て得脫する人もあるべきなり。第三年まで十王にあひぬるのちも、或は十三年、或は三十三年などまでもその追善をいたすことは、聖敎のなかにあきらかなる說なしといへども、わが朝の風俗として人これを修しきたれり。せめてもその恩を報じ、いくたびも生處を訪んがためなり。これまたいまの「生縁未合中有恆存」といふ義ならば、時節をさゝざるうへはもとも道理にかなへり。なかんづくに、死亡の日にとりて一年に一度の正忌をば忌日といひ、一月に一度の忌辰をば月忌といふ。Ⅳ-1361月忌なをもて等閑なるべからず、いはんや忌日をや。さればたとひ年をふといふとも、亡日をむかへては世間の萬事をさしをきて必ず菩提をかざるべきなり。かの死する日を、或は忌日ともいひ、或は月忌ともなづけて忌と稱することは、忌といふ文字の訓はいみなり。是則その亡日にをひて、かの德を謝するよりほかに他事をいみて禁斷する義なり。外典の書に『禮記』といふ文にこの義をあかせり。また内典の書に『梵網經』に、もし父母・兄弟死亡の日は法師を請じて追福を修すべきむねをとけり。二親竝に兄弟等の亡日には、諸事をなげすてゝ佛事報恩をいとなむべきこと、内外の兩典にすゝむる所一なり。その追善におひて、かの亡者今生に惡業もふかく、修したる善因もなくして死せん人は、六道四生をはなれずして流轉の報をうけんこと疑なければ、それがためにはことにいそぎて善根を修し、ねんごろに功德を行じて追福をいたすべし。追善の分齊によりて善惡の生を定むべきがゆへなり。念佛の行者は、信心をうるとき橫に四流を超斷し、この穢身をすつるときまさしく法性の常樂を證すれば、十王のまへにいたるべきにあらず。地獄におつる人と淨土に往生する人とは中有の位をへざれば、かくのごとくの人のためには、あながちに善根を修せずといふとも不足あるべからずといへどⅣ-1362も、自心の行業のうへに他の功用をくわへ、極樂に生ずる人もなをその位もすゝみ、いよいよ衆生得度のちからも自在にならんこと疑なし。そのうへ恩をいたゞき恩を報ぜざれば、わが冥加もなく、德をになひて德を謝すれば、わが福分ともなるゆへに、たとひ眞實念佛の行者なりとも報恩のつとめをおろそかにすることはあるまじきことなり。 一 道場をかまへて念佛を勤行すべきこと。 おほよそ佛法修行のところはみな道場といふ、いはゆる眞言をおこなふ所をば三密瑜伽の道場といひ、妙法を行ずるみぎりをば法花三昧の道場といふ。念佛三昧の道場もその義おなじかるべし。されば念佛の行者、うちに信心をたくはへて心を淨土の如來にかくといふとも、道場をかまへて功を安置の本尊につむべし。自行化他の利益これにあるべきなり。このゆへに、和尙の解釋をみるに、『法事讚』(卷上)には行法の道場を讚じて「道場の莊嚴きはめて淸淨なり」といひ、『觀念法門』には『般舟經』によりて入道場念佛三昧の法をあかせり。このゆへに、穢土をもて淨土に准じ、私宅をもて道場に擬して、本尊を安ずる淨場とし、念佛をつとむる會座とするなり。 Ⅳ-1363そもそも道場といふは、堂舍の名なり。天竺には僧伽藍といふ、こゝには堂ともいひ寺ともいふ、又は道場ともいふなり。しかるに堂ともいひ寺とも稱するときは、そのかまへ嚴重にして人屋の一列にあらず。如來つねにましまして僧衆鎭に住し、講堂にして經を講じ、食堂にして齋を行じ、經藏におひて佛經を安じ、洪鐘をたゝきて衆會をおどろかす。かやうの儀式をとゝのふるをもて、堂とも寺ともなづくるなり。されば『弘決』(輔行*卷一意)に寺を釋するに「有法度處名也」といへり。道場といふときは、あながちにこれらの作法を具足せざれども、或は長時の持佛堂、或は一時の會座佛法を勤行するところ、みな道場なり。この道理によるがゆへに、道場をかまへて本尊を安置し、同行を會合して念佛を勤行すべきなり。 道場の二字をこゝろうるに、道といふは佛道なり、場といふは庭なり。庭といふはみぎりなり、みぎりといふはところなり。諸敎の道場の義をばこれをさしをく。いま念佛修行の道場について料簡せば、このところにして念佛を修すれば、彌陀如來、遍照の光明をはなちて稱名の行者をてらしたまふがゆへに、これ光明攝取のにわなり。このところにして念佛をとなふれば、光觸を蒙るものは、心不退をえて往生の益を決定するが故に、これ往生淨土のところなり。 Ⅳ-1364また堂にはおほくの名あり。或は淨住舍といひ、或は出世間舍といひ、或は遠離惡處といひ、或は親近善處といふ等、これなり。一々の名義、またいまの道場の義にかなへり。まづ淨住舍といふは、佛をば淸淨人といへば、淸淨人の住處なるがゆへに淨住舍といふ。彌陀如來に淸淨光佛の名あり、これすなはちこの佛の光明にふるれば、煩惱の業垢をのぞくがゆへなり。しかるに『觀經』の彌陀の三尊、つねに行人のところに來至したまへば、これ淨住舍の義なり。つぎに出世間舍といふは、六道四生ことごとく世間、有漏の舍宅なり、欲・色・无色またく出世无漏の舍宅にあらず。或は衆苦の充滿せるによりて火宅といひ、或は出離の期なきを牢獄といへる、みな三界の依報を世間の舍とする義なり。しかるにこの道場は、念佛を修して極樂を願ずる庭なるがゆへに、かくのごとく輪回の果報をはなれ、淨土の无生をさとるべきところなり。凡夫の眼見に穢土世間の舍宅なれども、佛陀の照覽には淨土出世の舍宅なるべし。つぎに金剛淨刹といふは、佛法修行の道場として堅固不壞の寶刹なるがゆへなり。また念佛の行者は金剛の信心をえて業障を淨除するがゆへに、金剛淨刹の義に順ずべきなり。遠離惡處といふは、このところにいたるひとみな佛を禮するおもひををこし、この庭にきたる人をのづかⅣ-1365ら法をきくこゝろざしあり。佛を禮するときは善心隨てをこり、法をきくときは妄心また息するがゆへに、遠離惡處といふなり。親近善處といふは、その義またあひおなじ。惡に遠離すれば善に親近する義あるなり。いま建立するところの道場は、そのかまへをいふに、佛閣にあらずといへどもこの所にをひて佛像を安じ、その體をいふに、人屋たりといへどもこの所にをひて念佛を勤行す。念佛の中には、衆惡を遠離して衆善に親近し、世間舍をいでゝ出世間舍に住する功力をそなへたり。かるがゆへに念佛を行ずる所は道場なり。道場のなかにはまた種々の利益を具足せりとしるべきなり。 また道場といふは、或は淨土をさし、或は佛果にかたどれる名なり。『大經』(卷上)の正宗に彌陀如來の因中の願をとくには「其衆奇妙道場超絶」といひ、『觀經』の流通に念佛の行人の生後の益をあかすには「當坐道場生諸佛家」といへり。いま道場と號するは、所信の法により所歸の佛についてその行を行ずるところなるがゆへに、穢土なれども淨刹に准じて道場といふなり。 されば自作・敎他ともに最上の善根なれば、誠心をぬきんでゝ道場をかまへ、同行を會して念佛を行ずべきなり。念佛は无上の功德超絶の勝行なるがゆへに、諸Ⅳ-1366佛も哀納し諸天も歡喜したまふ。諸佛の照覽にかなひ諸天の守護にあづからば、恩所の得脫も疑なく、自身の往生も決定し、二世の所願一々におもひの如くして、自利々他の願行圓滿し、自他平等の利益を獲得すべきなり。『法事讚』の下卷に、『阿彌陀經』を講讚する所願の句には「願此法輪相續轉、道場施主益長年。大衆咸同受安樂、見聞隨喜亦皆然」といへり。「法輪を轉ず」といふは、『阿彌陀經』を讀誦宣說するなり。『阿彌陀經』のこゝろは念佛の一行をあらはすにあり。しかれば、道場をかまへん人、長年の報をえ、同心助成の人勝利をうべし。現世なをしかなり、いはんや後世にをひてをや。ふかくこれを信ずべし、あへてうたがふべからざるものなり。 [或一本云] 此鈔は存覺上人の御作なり