Ⅳ-0795報恩記 一 孝養父母は百行の本なり、内典にも外典にもこれをすゝむ。報恩謝德は衆善のみなもとなり、貴も賤もこれをおもふ。生るときには孝順をさきとして養育の力を勵し、死せん後には追善を本として報恩の勤をいたすべし。 孝といふは、まづ外典のなかにさまざまこの字の意を釋せり。『孝經』には「人の高行」と云へり。こゝろは、人の行、千差萬別なりといへども、そのなかに孝行、もとも高貴の行なりといへり。又「孝は好なり」(釋名)と釋せる文もあり、是はよろづの行の中に好行となり。又「孝は順なり」(諡法意)と註せることもあり、是は父母のこゝろにさかへずして隨順せる義なり。又「孝は畜田なり」(禮記)といへる釋もあり、是は財產をたくはへて親を養義なり。又「孝は和なり」といへる義もあり、是はかほを和にしてあひむかふ義なり。是等はみな外典の釋なり。佛敎の中には、まづ『梵網經』(卷下)には「孝順父母・師僧・三寶、至道之法。孝名爲戒亦名制止」と云り。この經說のごとくならば、孝養の行は世福淺近の行にかぎらず、如Ⅳ-0796來の戒法も孝養をはなれずとみえたり。然に孝養報恩のつとめは、現當にわたり内外に通ずべし。然ども、外敎にいふところは今生を本とし、聖敎にあかすところは得脫をむねとするがゆへに、現世一旦の孝養は夢の中の報恩なれば、なを眞實にあらず、沒後の追善をいとなみて菩提をとぶらはんは、まめやかの孝養となるべきなり。なかんづくに、『觀經』には三福の業因を歎じて「三世の諸佛の淨業の正因なり」と云り。孝養父母、卽ちその一なり。いかでか是をつとめざらん。 凡そ父母の恩のふかきこと聖敎の所說も多く、報恩の志の切なること古今の先蹤もあまたあり。具にのぶるにおよばずといへども、今少々いだすべし。 『心地觀經』(卷三*報恩品)に云、「慈父恩高如山王、悲母恩深如大海、我若住世於一劫說悲母恩不能盡」と云り。是は父の恩の高ことをば山にたとふ。山の中にたかきは、須彌山にすぎたるなければこれにたとふるなり。母の恩の深ことをば水にたくらぶるなり。水の深ことは、海にしかざれば大海に比するなり。 又同『經』(心地觀經*卷三報恩品)に云、「若人至心供養佛、復有精進修孝養。如是二人福无異、三世受報亦无窮」[文]。是は佛を供養すると、父母を供養すると、功德ひとしと云なり。佛身と凡身と供養の福、差別あるべしといへども、その身におひてⅣ-0797恩をいたゞくこと父母におひて最ふかきゆへに佛を供養するとその功德等なり。善導和尙の『觀經義』の第二(序分義)に「父母者世間福田之極也、佛者卽是出世福田之極也」といへるも、卽この意也。又同『經』(心地觀經*卷二報恩品)に云、「善女人爲報父母恩、於一劫每日三時割自身肉以養父母、未能報一日之恩」[文]。 又『父母恩難報經』に云、「父母於子有大增恩、乳哺長養、隨時生育四大得成。若右肩負父、左肩負母、經歷千年、使便利背上、未足報父母恩」[文]。「乳哺」といふは乳をのませ食をくゝむる事なり。「長養」と云はかくのごとくして、そだてやしなふを云なり。されば「四大」と云は、人の身を成ぜる地・水・火・風なり。されば「四大を成ず」と云は、此身を成ずるをいふ。是卽父母の生養にあらずは、此身を人となすことあるべからずとなり。 又『四十二章經』に云、「凡人事天地鬼神、不如孝其親。二親最神也」[文]。又『觀經義』の第二(序分義)に云、「若无父者能生之因卽闕、若无母者所生之縁卽乖。若二人共无卽失託生之地。要須父母縁具、方有受身處。旣欲受身、以自業識爲内因、以父母精血爲外縁、因縁和合故有此身。以斯義故父母恩重。母懷胎已經於十月、行住坐臥常生苦惱。復憂產時死難。若生已、經於三年Ⅳ-0798恆常眠屎臥尿。床被・衣服皆亦不淨。及其長大愛婦親兒、於父母處生憎疾、不行恩孝者卽與畜生无異也」[文]。誠に水たゝへざれば、はちす生ずることなく、源みなぎらざれば、ながれふかゝらず。父母の恩にあらずは、たれか身體を長ぜん。然に是を報ぜざらんは、但畜生と同かるべし。『倶舍論』の中には、六道を釋するに人界を判ずとして、「多思慮故名之爲人」と云り。「思慮おほし」と云は、理非をわきまへ禮義をしる義なり。されば思慮なくして恩德をしらざらんは、そのかたち人なりと云とも、その心畜生に同じかるべしと云こゝろなり。畜生の中にも恩をしり禮をいたすことあり。羊、母の乳をのむにまづ膝を屈して敬をいたし、鶴は母の肉を知てくはざるがごとし。況や人倫に於ては、恩を報じ禮を正くすべきなり。 又『盂蘭盆經疏』(新記*卷上)に、佛なれども、父のために禮をいたしたまふことを釋して云、「佛初成道還本國、時淨飯王嚴駕出迎見佛作禮、佛卽踊身虛空、W乃至R禮訖下地發言起居」[文]。元照の『記』(新記*卷上)に是を釋するに、「佛爲世間慈父猶故敬親不正受禮意、使將來以此爲法」[文]。又同『疏』(新記*卷上)に佛、父の王に孝せんがために、棺を擔たまふことを云として、『增一阿含經』を引て云、「淨飯王崩、白Ⅳ-0799氎棺斂。佛與難陀在前、阿難・羅云在後。難陀白佛言、父王養我、願聽擔棺。阿難・羅云亦爾。當來兇暴、不報父母、故躬自擔棺。大千六返震動釋梵諸天皆來赴喪代佛擔之。佛執香爐前引就山」[文]。佛は三界の獨尊、四生の導師にてましませば、世のために尊重せられたまふ。位として是より上なるはなし。然ども父の禮をうしなはじとおぼしめすがゆへに、或は王の禮をうけざらんがために身を虛空に踊し、或は自ら葬歛に臨て、棺を擔たまふ事は、未來の衆生をして是をならはしめんがためなり。さればたとひ父は頑に子はかしこくとも、父となり子とならば、その禮をみだるべからざることを表す。この二の文は、釋尊、父の爲に孝養をもはらにしたまひし證なり。 次に『觀經義』の第二(序分義)に、如來、母の恩を報じたまふことを釋して云、「佛母摩耶生佛經七日已死、生忉利天。佛後成道、至四月十五日卽向忉利天、一夏爲母說法。爲報十月懷胎之恩。佛尙收恩孝養父母、何況凡夫而不孝養。故知父母恩深極重也」[文]。これは佛母摩耶夫人、四月八日に釋尊を生じ奉て後、わづかに七ケ日すぎ同き十五日に死して、欲界第二の忉利天に生じたまひて、釋尊十九にして出家し、三十にして成道したまひて、人天の大師となり三界の敎主Ⅳ-0800として一代半滿の敎法を說たまひし時、出胎の後いくばくならずしておくれ奉り給し悲母夫人のことをおぼしめしいたし、且は拜覲をとげんがため、且は恩德を報ぜんが爲に、佛、忉利天に昇ましまして、四月十五日より七月十五日まで、三月九旬のほど、歡喜苑のうち波利質多羅樹の下に安居して、一夏のあひだ法をとき給ひき。かの所說と云は卽ち『報恩經』これなり。今の世にいたるまで、安居と云て報恩修善のつとめをいたすことは、この佛の報恩より起れり。如來天に昇たまひしより後、天竺十六大國の諸王、各如來を戀慕し奉ること、殆父母におくるゝかなしみの如し。その中に盂塡大王ことに悲嘆甚し。一夏說法の後、下天したまはん時をまち奉んこと、なを千歲を經こゝちして心もとなくおぼしめしければ、佛の形像を造り奉て、生身の佛の歸下給んほど瞻仰し奉らばやと心念を發す所に、毗首羯磨、天上より來て、大王の心願を感じ如來の尊容を摸し奉き。斧の音三十三天にきこえしかば、天人聖衆これをきゝて同音に皆歡喜し、聲の及所の衆生、みな煩惱罪障を消滅することをえたりき。彫刻功終て後、大王かの形像をえて日夜朝暮に禮拜をいたし歸仰し奉ること、たゞ生身の如し。爰に如來、一夏安居ことおはりて忉利天より閻浮提に下り給し時、持地菩薩、喜見城より祇Ⅳ-0801園精舍に至まで、金・銀・水精の三の階をわたし釋尊を迎奉き。時にかの木像生身の如來の御迎に出給ふ。相好光明威德巍々として漸く人間に下り給しかば、梵王・帝釋、寶蓋を捧て左右に侍立し、菩薩・賢聖、威儀を助て前後に圍遶す。事の樣、嚴重に貴かりし儀式なり。その時かの木像、參會し寶階の下に至り給ふ所に、生身と木像とたがひに禮讓をなし、本佛と新佛と各道の前後を論じて倶にすゝみたまはず。人天大會、是を見て未曾有の思をなす。さるほどに木像、論じまけて先に立て行給しが、正く精舍に入給はんとせしとき、木像なを生身の佛を指て、我は形像なり、いかでか本佛の先には立奉るべき。早くまづ精舍に入給べしとまふし給ければ、生身の佛言やう、我は本佛なれども、八十年の機縁すでにつきなば、つゐに涅槃に入べき身也。新佛は久く世に住して末代濁世の衆生を利益し給べき尊像なり。然ば滅後の諸の弟子をばことごとく汝に付屬す、はやばや先に立給べしと敕し給ければ、木像理に伏して本佛の先にすゝみ、まづ精舍に入て寶坐の上に坐し給り。在世の不思議、誠に言語の及所にあらず。かの形像は唐土に迎奉て後、一朝の寶として代々貴敬尊重せられけるが、日本圓融院の御宇、永觀年中に奝然上人渡唐の時、かの國の大王に奏聞してその形像を造摸奉りしⅣ-0802に、かの形像日本國に渡て衆生を利益せんとおぼしめす志あるよし、上人に對して靈夢の告ありけるに依て、所摸の新佛を以てとりかへ奉り、偸にかの靈像をとり奉る。今嵯峨の淸涼寺の釋迦是なり。さればこの靈像も、釋尊、摩耶の恩を報じ給はんが爲に天上に昇り給しに依て出現し、邊土に住して末代の衆生に利益を施したまふ。かたじけなくたふときことなり。是卽釋尊、悲母の恩德を報じたまふことは、一切人天の位に超て、无上世尊の位に昇りたまへども、生養撫育の德を謝したまふことは、凡夫をして報恩の志を勵しめんが爲也。 又經の中に母の恩をとくとして、幼子の飮ところの乳の分量をあかせることあり。『父母恩重經』には、乳一升のあたひを計るに、米ならば一萬八百五十石餘、稻ならば二萬三千束、布ならば三千三百七十餘段にあたると云こゝろをとけり。『五道受生經』には、「南州の人の飮所の乳は八十八石なり」といへり。恩をうくることのあつきこと是を以て知べし。懷胎の間の辛苦よりはじめて、產生の時の苦難といひ、幼稚のほどの生養といひ、慈悲のねんごろにして報謝のつきがたきこと、母の恩まことに深し。託胎の後は、まづ胎内にして五位をふることあり。五位といふは、一には羯賴藍、これは梵語なり。此には凝滑といふ、又和合ともいふ。Ⅳ-0803父母の精血を與て赤白二渧の和合せるはじめなり、是その體いまだ分明ならざる位なり。二には頞部曇、こゝには皰といふ。その體いさゝか增して皰の生ずるに似たるなり。三には閉手、こゝには輭肉といふ。漸く肉の體のみゆる位なり。四には健南、こゝには堅肉といふ。少しかたまる位なり。五には鉢羅奢佉、こゝには支節といふ。髮・毛・爪等次第に生じてすでに人の形となる位なり。『倶舍論』の第九(玄奘譯*世品)に「最初羯賴藍、次生頞部曇、從此生閉尸、閉尸生健南、次鉢羅奢佉、後髮・毛・爪等、及色相、漸次而轉增」といへる頌は此事を釋するなり。此五位は十二因縁の内、名色の位と、六處の初なり。此時分をふるに、十月をへて二百六十六日を送る間に、そのかたち日をへて增長すれば、母の身隨てくるし。食してもあまからず、ねてもやすからず、行步も煩あり、起居もたやすからず。されども我身のくるしきことをばかへりみず、その子の平安に生ぜんことをおもふは人の親の心なり。そのゝち產生また最甚し。五臟もやすからず六腑もしづかならず、腹には金剛の山を呑が如く胸には劍林の刺を含に似たり。人中の苦の中に第一の苦なりとみえたり。されば是を半死半生の人と云て、子を无爲に生じぬる後も、七ケ日まではなを冥途に趣べき人數にかぞへられ、冥官筆を染て相待とⅣ-0804申しならはせり。何況や、生の後も其苦勞また多し。膚にまとへる襁褓のけがれたるときは、袂をもて不淨を拭にきたなしとおもふ心なく、床にしきたる半月うるほへるときは、乾を讓て自はぬれたるに臥す。乃至、東西南北に走て竹馬・芥鷄にたはむるゝ齡までも、疵をもつけじ、かたはをもつけじと、心苦く是を思て、晝夜六時行住坐臥に身心をくるしましめずといふことなし。これ倂、恩愛のいたす所なり、慈悲の極のしからしむるなり。 經の中に母子の志の切なることを云として、一の因縁をとける事あり。過去に鶴ありて三の子を生ぜり、時に國大に旱魃して食すべき物なし。その時に母、悲愛を生じて自ら腋の肉を製て、子の命をたすけんとす。こゝに三子少しかの肉を食して後云やう、是は常の氣味にあらず、我が母の肉なり。たとひ食をえずしてわが命をばおとすとも、爭か母の體を損ぜんやと云て、口を閉て食せず。此時に天神讚じて云、母の慈すぐれ、子の孝いたれりと云き。佛此の因縁を說て、その母と云は我なり、その三子と云は卽ち舍利弗・目連・阿難なりと云て、末世の衆生も孝養のこゝろざしをいたすべきことを說給り。是は『六度集經』にみえたり。 又むかし雪山に一の鸚鵡あり、父母盲たり、子つねに好菓を求て盲たる親に與ふ。Ⅳ-0805時に一人の田主あり、田を植るとき願を發て、この田の稻穀を以て一切衆生に施さんと云き。かの鸚鵡、田主の施心を喜てつねにかの穀を取て父母に供しき。然に田主、鸚鵡の田をふみ穀をとるをみて忽に瞋恚を起し、網をはりてかの鸚鵡を取てその所行を誡る處に、鸚鵡演云やう、田主この田をうへし時に、一切衆生に與べきよし意願を發しき。我むしろ一切衆生のうちにもれんや。然ばこれをとることなんぞ科に處せん。況や、わが爲に是をとらず、盲たる父母に供せんがためなり。爭か憐愍なからん。しかれども田主制止して故に瞋恚を起さば、われ自今以後更にとるべからずと申ししかば、田主忽にかなしみ恥て、汝孝養のために是を取こと、かへすがへす感じ思所なり。常にはやく是を取て父母に孝養すべし、あへて慳惜すべからずといふ。是に依てかの鸚鵡、いよいよその稻穀を取て父母に供しき。佛またこの因縁を說て、その時の田主と云は舍利弗なり、盲目の父母と云は卽ち淨飯大王・摩耶夫人なり。昔の孝養の因に依て、いま成佛することをえたりと言り。是は『雜寶藏經』の說なり。畜類も人身も恩を報ずべきこと先蹤分明なり、凡夫も佛も德を謝すべきこと佛說炳焉なり。 又三州の義士と云事あり。其因縁は四方より行合る道の辻に一塔あり、三方よⅣ-0806り三人の男此所に來集り、おのおのその住せる處をとひ互に其來れる由を尋ぬ。皆父に後て悲を含み思にたえずして流浪する由を語る。生國みな異なれども悲嘆ことごとく同じ。又一方より來れる老翁あり、三人その來れる由を問に、翁の云やう、われ子息に後て悲を含が故に流浪して此にいたれる旨を答ふ。是に依て三人の男、翁を以て父として、議して一處に在て老翁に孝順す。一事一言かつてその命をそむかず、九夏三伏の炎天には扇を以て枕をあふぎ、玄冬素雪の寒夜には席を溫て孝を致す。凡そ飮食・衣服・臥具・湯藥、ちからのたふる所、心の及ぶ處、是を求て供せずと云ことなし。如此して年月を送る處に、ある時老翁三子に向て云けるは、汝等我を親と思て萬事心にそむかず、我また汝等を子と思て深く孝順をたのむ。然にわれ一の所願あり、汝等早く是を營てわが願を滿べし。いはゆるわが住所の前の大河の中に殊勝の宮殿を造て、我をして其中に置べしといふ。三子是を聞て各領狀すといへども、互に相嘆やう、此河極て深廣にして水はやく波しきり也。輒く家を造がたし。然に父の命に隨が爲に、七日の間土石を運て島を築に微塵もとゞまらず、三子心を同して嘆こと極なし。悲哉、我等幼少にして父に後てのち、貴て亡親を戀る志に依て老翁に歸て孝順をいたす。父子の契Ⅳ-0807約をなしてより以來、露ばかりも其意に違ことなし。今此の一事かなはずして其命にそむかば、不孝の過のがれがたし。願は天地、我志を憐て我孝養を成ぜしめ給へと、慇懃に是を念願する。其夜俄に天地搖動し雷電振烈することおびたゞし。夜明てかの河を見に、河の中に靈岸立回て中に平地あり、上に宮殿あり、金を以て床とし錦を以て蓐とし、瑠璃を以て簾とし摩尼を以て燈とせり。忉利天の喜見城もかくやと覺ゆ、大梵天の高臺の閣も是にはすぎじと見たり。加之、微妙の香飮を机にそなへ、種々の甘露を砌に置たり。誠に心も語も及ばず、かの宮殿の中に聲有て、唱て云、親にあらざれども親として深く孝順を行じ、子にあらざれども子としてよく慈哀をいたすに依て、天地同くあはれむが故に現身に天の快樂を得といへり。宮殿を見のみにあらず、聲の告を聞て三子一翁ともに悅び互に感ずること極りなかりき。是は阿含經の說よりいでたり。今此因縁を按ずるに、實の親にあらざれども親と名て孝行の志を至ししかば、佛天隨喜してかやうの不思議あり。何に況や、多生の宿縁に依て親子となり、幼少より撫育の恩を受ん實の父母に於てをや。謝しても謝すべきなり。つらつら是を思に、我等は三界流浪の孤なり、かの三州の義士の如し。釋尊は衆生覆護の慈父也、かの一路の老翁に似たⅣ-0808り。然れば、釋尊の敎敕に順じて彌陀の名號を稱せば、生死の大海の中に何ぞ不退の宮殿をまふけざらんや。よくよく是を思べし。二親の恩德をむくふべきこと、經釋の明文といひ、孝順の先蹤といひ、略してかくのごとし。 凡そ父母は慈悲の本なるが故に、父をば慈父といひ、母をば悲母といふ。慈は與樂の義、悲は拔苦の義なり。父母の恩いづれも勝劣なきに於て各つかさどる所あり。父は愛を施すに取て家業をもつがせ、才智をも訓て世にももちゐられて身をもたて、人に交て頑なることなからんことを思て、且は呵し且は訓ふ。これ内には慈悲を懷き外に威德を顯すなり。されば父子の道は天性なるが故に、父として愛をたれ子として敬を致すこと自然の道なり。此故に、氏をつぎ家を傳て、その尊卑を定むること父の品、父によるに依て世俗にはなを父を以ておもしとす。『孝經』に此事を云に、「資於事父、以事母其愛同。資於事父、以事君其敬同」といへり。此文を註するに、「母至親而不尊、君至尊而不親、唯父兼尊親之義」(孝經)といへり。聖敎の中にも、佛の衆生を憐愍救護し給ことをば、人の親の子を生養してひとゝなすに喩たり。釋尊を三界の慈父と申はこの義なり。母は懷妊產生の苦勞より初て乳哺撫育の恩德をいへば、その慈悲なを慇なり。故にⅣ-0809佛敎の中に、子に於て依怙となること母の德は父にもまされりと見たり。いはゆる『法花』(卷六)の「藥王品」に、此經の勝たることを云に十喩を說る中に「如子得母」と云文あり。又文殊をば三世の覺母といひ、般若をば諸佛の智母といふ、その證なり。されば父の恩の高ことは山の如しといひ、母の德の深ことは海の如しといふ。何もかけては此身を全くすることあるべからず。車は二の輪を以て長途にめぐり、鳥は二のつばさを以て大虛にかけるが如し。食にあける子なれども、母にはなれぬればその膚たちまちにやせ、心さかしき子なれども、父にそはざればつたなきことおほし。卽ち釋迦・彌陀の二尊を父母に喩られたるは此義也。釋迦は抑止の方便を設て、衆生をして惡を犯せざれと道をつとむべきことをすゝめ給ふ。父の子をして身をたて人になさんと思ふ提撕の志に同じ。彌陀は攝取の悲願をたれて重罪の衆生をもかなしみ給ふ。是又たとひかたはなる子なれども、おもひすてざる母の悲にひとし。彼も此も報じがたく謝しがたきものなり。又『涅槃經』の中に、佛の衆生を念じ給ことを、父母の子を念ずるに喩たる文あり。「諸佛念衆生、衆生不念佛、父母常念子、子不念父母」と云る是也。是は世の人のありさま眼前にみえたることなり。親の子を思ふ心と、子の親を思ふ志とをくらぶるに、Ⅳ-0810淺深はるかなること也。誠に恩をいたゞける子は二親を養ふこと少し。是あはれみの深きと、志の淺とによるゆへ也。佛のときたまふ所何ぞむなしからんや、最もかなしむべきことなり。然ば、生前にそこばくの孝行をいたしいたさんよりは、沒後に隨分の善根をも營てかの佛果をかざらんは、其功德殊に莫太なるべし。定て諸佛の大悲にかなふべきなり。 一 奉事師長は是も三福の隨一として、三世の諸佛の淨業の正因なり。凡そ師の恩の深ことは、是又内典・外典に是を明せり。上に所引『梵網經』(卷下)の文にも「孝順父母・師僧・三寶、孝順至道之法。孝名爲戒、亦名制止」と云り。父母に孝養するも師長に奉事するも共に孝行也。 又『觀經義』の第二(序分義)には、「敎示禮節學識成德、因行无虧乃至成佛、此猶師之善友力也、此大恩最須敬重」と云り。師にあはずは學識德を得べからず、其德をえずは佛果にいたることあるべからずと云り。世間に重する處は君・父・師の三尊也、崇敬の是より深かるべきはなし。恩所の報ずべきは師僧・父母也、厚德の是にまさるべきはなし。父母と師僧とその恩ひとし、故に三福の中にも同く世善とし、共に敬上の行となづく。されどもその中に於てなを淺深を立る時は、Ⅳ-0811誠に佛法を授て今度の出離を思ひ定ん人の前には、師の恩は父母の恩にもまさるべし。父母は今生撫育の極り、師長は永生得脫の縁なるがゆへなり。されば高野の大師の解釋にも、「師資之道如父母相親。父子雖骨肉相親但是一生之愛、生死之縛也。師資之愛法義相親。世間出世拔苦與樂何能此況」(弘仁*遺誡)と云り。 師弟の好をいふに、親子の昵にもこえたりときこえたり。父母こそ福田の至極、恩所の最頂なるに、いかなれば師の恩はそれにも超たるぞと云に、詮ずる所は聞法の德の重がゆへなり。諸宗に立る所の血脈相承卽ち是なり。殊今淨土宗の意、『大經』(卷下)には「聞其名號信心歡喜」といひ、『小經』には「聞說阿彌陀佛執持名號」と云が故に、彌陀の名號をきくに依て信心を發起し、信心に依て往生の益を得と談ずれば、所聞の功德まことに重なり。但し是につきて又不審あり。誠に法を說てきかしめん人は然べし。さしたる佛法の道理を宣授こともなき人の、唯念佛を行ずべきよし、すゝむる詞ばかりにて聞法の益なくは、師と云がたき歟とおぼつかなし。是をこゝろうるに、師につきてさまざまの差別有べし、外典の師もあり内典の師もあり。内典の師に取て、聖道の師もあり淨土の師もあり。淨土の師に取て、經釋の深旨をも授け一宗の敎相をも敎んは、その恩、顯然なれば子細に及Ⅳ-0812ばず。又その義なしといへども、念佛を行ぜよとすゝむる時、兼てはこの法を信ずる心なけれども、かの勸に依て念佛を修し淨土を願んと思ふ心發らば、是卽相承の義也。「聞其名號信心歡喜」(大經*卷下)と云る、此義にかなふべきが故也。その身无智ならば經釋の義趣をさづけずと云とも、欲生の信心發らば「聞名欲往生」(大經*卷下)の義に順ずべければ、「皆悉到彼國」(大經*卷下)の益を得べし。かの勸に依てその益をえば、正く師資の道理あるべし。恩德又最も報謝しがたきものなり。その器は无智なりと云とも悔慢の想を生ずべからず、たゞ相承の義を重すべし。 『心地觀經』(卷三*報恩品)の說をみるに、「世間凡夫无惠眼、迷於恩所失妙果、五濁惡世諸衆生、不悟深恩恆有德」と云文あり。誠に三世の諸佛は恩を報ずるを以て成佛の因とし、一切の菩薩は恩をしるを以て發心の縁とす。この故に、是を報ぜざれば妙果を證せず、是をしらざれば惠眼をひらかずときこえたり。是をしらずと云は、身に於て恩ある人を恩ありと思はず、我に於て師たる人を師なりとしらざるなり。よくよく是を思べし。 抑觀音・勢至は彌陀如來の悲智の二門なり、經にこの二菩薩を說に、『大經』(卷下)には「有二菩薩最尊第一」といひ、『觀經』には「此二菩薩助阿彌陀佛普化一切」と云Ⅳ-0813り。又『般舟讚』には、この二菩薩の利生の相を釋するに、觀音を讚じて「救苦分身平等化、化得卽送彌陀國」といひ、勢至を嘆じては「有縁衆生蒙光照、增長智惠生安樂」といへり。これらの文のこゝろ、しかしながらかの二大士の利生は、衆生を引導して本師彌陀如來の淨土に生ぜしむるにあり。その中に、觀音は師長の德の重ことを表して、寶冠に彌陀をいたゞき、勢至は父母の恩の厚ことを顯して、寶瓶の中に前生の父母の遺骨を納たり。されば彌陀如來の利生も、最この二福を修すべきことを專にし給り。このゆへに『千手經』(意)にも『如意輪經』にも、「我を念ぜん者、まづ本師无量壽佛を念じて、後に我をば稱せよ」ととけり。これ本師を貴べき義を顯すなり。又聖德太子は和國の敎主、敎興の根源なり。是も觀音の垂迹にておはしゝかば、我朝に出世し佛敎を弘通し給し本意、もはら彌陀の敎にあり。卽ち敏達天皇二年、太子二歲にして東方に向ひ、言を出南无佛と唱へ給し。その名をあらはさずといへども意は彌陀の名號にあるべしと、先達この義を料簡せり。隨て又四天王寺を造給て後、推古天皇十年に御年三十一歲にして、かの金堂に御參籠有て七日七夜稱名念佛を勤行したまへり。是則、世間に於ては欽明・用明兩皇の御追善に衡せられんがため、出世にとりては本師能化のⅣ-0814重恩を謝し奉らんがために、かの名號を唱へ給ものなり。七日稱名の後、師恩報謝の御願といひ、兩帝得脫の子細といひ、一心の精誠をぬきいで三業の懇志を凝しましまして、遙に西方極樂世界の彌陀如來を禮拜し、懇に啓白廻向し給しかども、なをあきたらずおぼしめすゆへに、人間に於て生身の如來にてましますに付て、自ら御消息をあそばして小野大臣を御使として、善光寺の如來に御作善の旨趣を申し給けり。かの御消息の詞に云く、「名號稱揚七日已、此斯爲報廣大恩、仰願本師彌陀尊、助我濟度常護念」と云り。此の四句の偈の後に「八月十五日」と書て、其下に御名をば「佛子勝鬘」とのせられ、充所には「本師善光寺如來の所」とあそばして、東に向て三度禮拜し、小野大臣に給けり。大臣御書を給り、幷に黑駒を給て、これに駕して三ケ日に信州に下著し、かの寺に參じて本太善光を以て是を進ず。卽料紙と御硯とをそへて御帳の内へ差入けり。その時墨をすりたまふ音さだかにきこえて、如來御返事と御硯とを御帳の外へ押いだされけり。其詞には「一日稱揚无恩留、何況七日大功德、我待衆生心无間、汝能濟度豈不護」とあり、奧に「八月十八日」とて、御位署には「善光」と載せられ、「上宮太子御返報」とあそばされたり。又此御返事の意を御歌に和してそえられたⅣ-0815り。その御歌には「まちかねてうらむとつげよみなひとに いつをいつとていそがざるらん」とありけり。この御返事をば、善光、是をとりつぎて小野の大臣に與へ淚を流てまふすやう、忝哉憑哉、わが生々の本尊、生身の彌陀如來、前生の好をわすれたまはず善光をしたひこの國に來り給へり。難波の海底に沈み給ひしより已來、數十ケ年の間種々の苦惱をうけ給しが、善光をまちつけて悅をなしたまひ、天竺・震旦・我朝三生の往因を語出し、過去・現在・未來三世の値遇をおぼしめすがゆへに、黃金殊妙の佛體を曲て凡下下賤の兩肩に懸て、花洛の勝たる砌をふりすてゝ邊鄙の遙なる境に下りましますこと、おぼろげならず宿世の芳因なり。國に下し奉て後、別の堂閣に居奉るといへども更にその所に坐したまはず、善光が私宅にのみつき御坐こと忝ことなり。然に今太子の御返事にも善光が名字を載られ、まのあたり生身の如來の御筆をとりつぎ奉る事、往昔の本尊、前世の宿習と申しながら、人身をうけたるおもひで未曾有と謂つべし。たとひ我後に六通三明の聖果に至るとも、又三途八難の苦域に沈とも、爭か此事をわすれ、爭か此佛恩を報じ奉んとて、感淚そでをしぼり啼泣すること極なし。妹子の大臣も是を聞て同く傷嗟し、泣々此佛書を給て、都にかへりのぼり太子に進じけり。Ⅳ-0816太子かの御返事を御覽ぜられて、歡喜の御おもひ胸にみち、念佛弘通の御志ますますふかかりけり。如來の御歌に付て、太子また御返歌を詠ぜさせたまふ。其御歌に云く、「いそげひと彌陀の御船のかよふ世に のりおくれてはたれかわたさん」とよませ給て、今度は御使を進ぜらるゝまではなし、御心中に啓せられけり。その時の如來の御返事幷に御硯、今に傳て善光寺にあるよし、彼寺の縁起にみえたり。本地の觀音も師孝のために彌陀を頂戴し、垂迹の太子も師孝のために彌陀を敬重したまへり。是報恩の志をして凡夫に知しめんが爲なり、誰か是を慕奉ざらんや。如來と太子との今の御贈答、共に法門の深義を演られたり。如來の御歌は、衆生愚癡にして淨土のねがふべきをねがはず、凡夫懈怠にして念佛の行ずべきを行ぜず、このゆへに如來の慈悲は、有情の速に生死をはなれて極樂に往生せんことをおぼしめすに依て、群類の得脫を待かねたまふ心なり。『大經』の下卷に「何不棄衆事、各遇強健時。努力勤精進修善願度世。可得極長生。如何不求道、安所須待。欲何樂哉」と云る文の意にかなへり。太子の御歌は、阿彌陀如來、生死海の大船師として人を度し、念佛往生の利益さかんなる世にむまれあひながら、今度虛くすぐべからずとなり。是則彌陀の弘誓をば船Ⅳ-0817に喩て願船といひ、淨土の修行をば海路の乘船に比する義なり。されば如來は衆生の急て往生の行を勤ざることをあはれみ給ゆへに、疾淨土に生ぜよと告命し給べき旨を太子に命じ、太子は如來の敕を承て、彌陀の願船に乘おくれずして生死の苦海を渡べしと、衆生に示したまふ旨を如來に申し給けり。 善導和尙の釋にも處々に師僧の恩を擧られたり。いはゆる『禮讚』の懺悔にも每時に「師僧・父母及善知識、法界衆生、斷除三障、同得往生」と願じ、又『法事讚』の七禮敬にも同くこの詞を載られたり。加之「序分義」に佛弟子の聲聞等の世尊に隨逐し奉ることを釋する文に云く、「迦葉等意、自唯曠劫久流生死循還六道。苦不可言。愚癡・惡見封執邪風、不値明師永流於苦海。但以宿縁有適得會慈尊、法澤无私、我曹蒙潤。尋思佛之恩德、碎身之極惘然。致使親事靈儀、无由暫替」といへり。在世の賢聖も佛恩の深重なることを思ひ、滅後の大權も師德の廣大なることを顯す。凡夫また恩をしり德を報ずべきこと、是に准じてしるべきなり。心あらん人いるかせにすべからず。然れば、生前には隨分の給仕供養をいたし、沒後には慇懃の報恩追善を修すべきこと、その義、父母に同かるべし。かの增進佛道のため、わが報恩謝德のため、必ずその追善をⅣ-0818いとなむべきなり。 凡そ畜類なを恩をしるためしあり、人倫として爭か德を報ずる心なからんや。昔漢の武帝と申す明王ましましき。昆明池といふ池の邊に遊給しに、一の鯉魚、鉤を呑て旣に死せんとするあり。帝、是を叡覽有て震襟をいたましめ、憐の御心を發て、人に敕してはかりごとをめぐらさしめて、かの針をぬかしめ給けり。その魚、希有にして命をたすかりき。その夜御夢の中に、鯉魚、皇居に近奉て恩憐の忝ことを畏申すと見たまふ。不思議の思をなしたまふ處に、次の日又帝かの池に幸し給とき、鯉魚、明月珠といふ殊勝の珠を含て池の邊に置て去ぬ。鱗をいたゞきたるいやしき畜趣なれども恩をしることを感じて、それより後永くかの池の釣漁をやめられき。魚の皇恩を知て珠を獻ずる心もありがたく、帝又魚の報を致す志を感じてその池殺生を禁斷せられしこと、賢き政也と申し傳たり。又隋侯と云し人、背破たる蛇を見て慈愍の心を起し、藥を付て是を愈す。後に寶珠を含て是を與へき。隋侯、初は貧けるが、この珠を得て後には、その家大に富けり。畜生なをかくの如し、況や人に於てをや。畜生は愚なる心也、人は貴き生なるが故なり。 Ⅳ-0819今生の患難を救ふ、尙その報酬をいたす。況や文字を習んに於てをや。今世は一旦の果報なり、つゐには持べき身命にあらず。文字は法身の假名也、智解を生ずる源なるが故也。たゞ文字を學せる、その恩なを重とす。況や佛敎を習る德に於てをや。文字はたゞ智を發する源なり、佛敎は未來の了因のたねとなるが故なり。たゞ總じて今生の名利のために佛法習學せん、なを了因の佛性となるべし。況や後生菩提のために彌陀の法を授られて、永く生死を超斷して永生の樂果を期せんに於てをや。誠に恆沙の身命をすてゝも報ずべし。 生前にも最も尊重頂戴の志をぬきいで、沒後にも殊に追善のつとめを致べきなり。其追善のつとめには念佛第一なり。『隨願往生經』(灌頂經*卷一一意)の說に、「若有臨終及死墮地獄、家内眷屬爲其亡者念佛及轉誦齋福、亡者則出地獄往生淨土」といへり。さればいまだ生死をはなれざる人のためには速得解脫の勝縁となり、旣に往生を得たる人のためには增進佛道の良因となるべきなり。釋迦一代の說敎に彌陀を讚ずる文はなはだ多く、諸佛同心の證誠に利益虛からざること是明なるものなり。現世の祈禱、亡者の追善、念佛の功力に超たるはなく、彌陀の利益に勝たるはなし。『法事讚』(卷下)の釋に、「存亡利益難思議」といへる、此の意なⅣ-0820り。『般舟經』(一卷本*擁護品意)に「若人專行此念彌陀佛三昧者、常得一切諸天及四天大王・龍神八部隨逐影護愛樂相見、永无諸惡鬼神、衆障厄難、橫加惱亂」といひ、『觀經』に觀音・勢至等の護念をとけるは現世の益也。『觀佛經』に念佛三昧は失道の指南、黑暗の燈燭なることをとき、『大經』に三途勤苦の處に有ても、解脫をうることをときたるは、得生の益を明すなり。つとめてもつとむべし、信じても信ずべし。 報恩記