Ⅳ-0525諸神本懷集[本] それ、佛陀は神明の本地、神明は佛陀の垂迹なり。本にあらざれば迹をたるゝことなく、迹にあらざれば本をあらはすことなし。神明といひ佛陀といひ、おもてとなりうらとなりてたがひに利益をほどこし、垂迹といひ本地といひ、權となり實となりてともに濟度をいたす。たゞしふかく本地をあがむるものは、かならず垂迹に歸することはりあり。本よりたるゝ迹なるがゆへなり。ひとへに垂迹をたうとむものは、いまだかならずしも本地に歸するいひなし。迹より本をたれざるがゆへなり。このゆへに、垂迹の神明に歸せんとおもはゞ、たゞ本地の佛陀に歸すべきなり。いまそのおもむきをのべんとするに、みつの門をもて分別すべし。 第一には權社の靈神をあかして本地の利生をたうとむべきことををしへ、第二には實社の邪神をあかして承事のおもひをやむべきむねをすゝめ、第三には諸神の本懷をあかして佛法を行じ、念佛を修すべきおもむきをしらしめんとおもふ。 Ⅳ-0526第一に權社の靈神をあかして本地の利生をたうとむべきことををしふといふは、和光同塵は結縁のはじめ、八相成道は利物のをはり。これすなはち權社といふは、往古の如來、深位の菩薩、衆生を利益せんがために、かりに神明のかたちを現じたまへるなり。本地つきあきらかにしてひかりを无垢地のそらにあらはし、玄門くもはれてこゝろを性眞如のみやこにすまず。しかるあひだ、同體の慈悲しばらくもやむことなく、隨類の利益ときとしてわすれざるがゆへに、有縁の衆生をたづねてわが朝にあとをたれ、可度の機根をかゞみてこのくにゝあまくだりたまへり。たのみを叢祠のつゆにかくれば、たちどころに利生にあづかる。たとへばみづのうつはものにしたがふがごとし。あゆみを社壇のつぎにはこべば、すなはち所願をみつ。あたかもかげのかたちにそふににたり。こゝをもて運命をいのるともがら、神明をうやまふをもてことゝし、福祐をのぞむやから、靈社をあがむるをもてむねとす。なかんづくにこの大日本國は、もとより神國として靈驗いまにあらたなり。天照大神の御子孫はかたじけなくくにのあるじとなり、天兒屋根尊の苗裔はながく朝のまつりごとをたすけたまふ。垂仁天皇の御代よりことに神明をあがめ、欽明天皇の御とき佛法はじめてひろまりしよりこのかた、Ⅳ-0527神をうやまふをもてくにのまつりごとゝし、佛に歸するをもて世のいとなみとす。これによりて、くにの感應も他國にすぐれ、朝の威勢も異朝にこへたり。これしかしながら、佛陀の擁護また神明の威力なり。こゝをもて日本六十六箇國のあひだに神社をあがむること一萬三千七百餘社なり。『延喜』の神明帳にのするところ三千一百三十二社なり。そもそも日本わが朝は、天神七代、地神五代、人王百代なり。そのうち天神の第七代をば伊奘諾・伊奘冉とまうしき。伊奘諾の尊はおとこがみなり、いまの鹿嶋の大明神なり。伊奘冉尊はきさきがみなり、いまの香取の大明神なり。かのふたりのみこと、あまのうきはしのうへにて、めがみ・をがみとなりたまひて、ともにあひはかりていはく、このしたにあにくになからんやとて、あまのさかほこをさしおろしてさぐりたまふに、ほこのしたゝりこりかたまりてひとつのしまとなれり。この日本國これなり。そのゝち、くにのうちにぬしなからんやとて、御子をまふけたまへり。日神・月神これなり。日神といふは天照大神、月神といふは素盞烏尊なり。兄弟たがひに日本國をとらんとあらそひたまひけるに、伊奘諾・伊奘冉、これをしづめんがために天よりくだりたまふとき、天照大神は、おやにあひたてまつらじとて、あまのいわⅣ-0528とをひきたてゝこもらせたまひければ、にはかにこのくにくらきやみとなれり。そのとき伊奘諾・伊奘冉、天照大神をいだしたてまつらんがために、内侍所といふかゞみをかけて、かみがみあつまりて七日の御神樂をはじめたまふに、天照大神、これをみたまはんがためにいわとをほそめにあけられしとき、そのみかげ、内侍所にうつり世のひかりくもりなかりければ、伊奘諾・伊奘冉ちからをえていわとををしひらき、大神をいだしたてまつりたまひけり。さて兄弟のなかをやわらげて、天照大神をば日本國のぬしとなしたてまつりたまふ。いまの伊勢大神宮これなり。素盞烏尊をば日本國のかみのおやとなしたてまつりたまふ。いまの出雲のおほやしろこれなり。これ神明のわがくにゝあとをたれたまひしはじめなり。鹿嶋の大明神は本地十一面觀音なり。和光利物のかげあまねく一天をてらし、利生濟度のめぐみとをく四海にかうぶらしめたり。このゆへに、たのみをかくるひとは現當の悉地を成じ、こゝろをいたすともがらは心中の所願をみつ。奧の御前は本地不空羂索なり、左右の八龍神は不動・毗沙門なり。利生をのをのたのみあり、濟度みなむなしからず。この明神は、奈良の京にしては春日の大明神と現じ、難波の京にしては住吉の大明神とあらはれ、平の京にしてはⅣ-0529あるひは大原野の大明神とあがめられ、あるひは吉田の大明神としめしたまふ。處々に利益をたれ、一々に靈驗をほどこしたまふ。本社・末社、利生みなめでたく、洛中・洛外、濟度ことにすぐれたまへり。小守の御前は、鹿嶋にては奧の御前とあらはれ、春日にては五所の宮としめしたまふ。天照大神は日天子、觀音の垂迹、素盞烏尊は月天子、勢至の垂迹なり。この二菩薩は彌陀如來の悲智の二門なれば、この兩社もはら彌陀如來の分身なり。この兩社すでにしかなり、以下の諸社また彌陀の善巧方便にあらずといふことあるべからず。熊野の權現といふは、もとは西天摩訶陀國の大王、慈悲大賢王なり。しかるに本國をうらみたまふことありて、崇神天皇卽位元年八月に、はるかに西天より五の劍をひんがしになげて、わが有縁の地にとゞまるべしとちかひたまひしに、一は紀伊國室のこほりにとゞまり、一は下野國日光山にとゞまり、一は出羽國石城のこほりにとゞまり、一は淡路國踰鶴羽のみねにとゞまり、一は豐後國彥の山にとゞまる。かのひこのやまにあまくだりたまひしときは、そのかたち八角の水精なり、そのたけ三尺六寸なり。靈驗九州にあまねく、萬人あゆみをはこばずといふことなし。いままさしく熊野の權現とあらはれたまふことは、紀伊國岩Ⅳ-0530田河のほとりにひとりの獵師あり、その名を阿刀の千世といふ。やまにいりてかりしけるに、ひとつの熊をいたりけり。血をたづねあとをとめてゆくほどに、ひとつの楠の木のもとにいたれり。そのとき具したりける犬、こずえをみあげてしきりにほへければ、千世、木のうえをみるに、かの木のえだにみつの月輪あり。千世あやしみをなして問ていふやう、月なにのゆへにか、そらをはなれてこずえにかゝれるや、月またなんぞみつあるや。天變か、ひかりものか、はなはだおぼつかなしといふ。そのとき權現、託宣してのたまひけるは、われは天變にあらず、ひかりものにあらず。東土の衆生をすくはんがために西天佛生國よりはるかにこの朝にきたれり。すなはち熊野三所權現とあらはれんとおもふ。なんぢすみやかに社檀をつくりてわれをあがむべしとしめしたまひければ、千世たちまちに渴仰のおもひをなし、ことに歸依のこゝろをいたして、すなはち假殿をつくりて勸請したてまつりけり。それよりこのかた、たかきもいやしきもこれをあがめざるはなく、現世のため後生のためこれにまふでざるひとなし。まづ證誠殿は阿彌陀如來の垂迹なり。超世の悲願は五濁の衆生をすくひ、攝取の光明は專念の行者をてらす。兩所權現といふは、西の御前は千手觀音なり。一心稱名のかぜⅣ-0531のそこには生老病死の垢塵をはらひ、一時禮拜のつきのまへには百千萬億の願望をみつ。中の御前は藥師如來なり。十二无上の誓願をおこして流轉の群萌をたすけ、出離解脫の良藥をあたへて无明の重病をいやす。かくのごとく三尊ひかりをならべちぎりをむすびてあとをたれたまふ。化度の方便、あにおろそかなることあらんや。つぎに五所の王子といふは、若王子は十一面觀音なり。普賢三昧のちからをもて六道の衆生を化し、彌陀の大悲をつかさどりて三有の衆類をすくひたまふ。禪師の宮は地藏菩薩なり。大慈大悲の利生ことにたのもしく、今世・後世の引道もともたうとし。聖の宮は龍樹菩薩なり。千部の論藏をつくりて有无の邪見を破し、无上の大乘をのべて安樂の往生をすゝめたまへり。兒の宮は如意輪觀音、小守の宮は聖觀音なり。そのかたちいさゝかことなれども、ともに觀音の一體なり。その名しばらくかわれども、ならびに彌陀の分身なり。濟度ならびなく、利益もともあまねし。つぎに一萬の宮は大聖文殊師利菩薩なり。三世の諸佛の覺母、釋尊九代の祖師なり。もとは金色世界にましますといへども、つねに淸涼山に住し、竹林の精舍を辭してこの片州に顯現したまへり。十萬の宮は普賢菩薩なり。十種の勝願をおこしては安養の往生をすゝめ、懺悔Ⅳ-0532の方法ををしへては滅罪の巨益をしめす。勸請十五所は一代敎主釋迦如來なり。娑婆撥遣の敎主として衆生を西方にをくり、佛語名號の要法を阿難に付屬して凡夫の往生ををしへたまふ。飛行夜叉は不動明王なり。智慧の利劍をふるひて生死の魔軍を摧破す。米持金剛童子は毗沙門天王なり。金剛の甲冑を帶して煩惱の怨敵を降伏す。おほよそこの權現は極位の如來、地上の菩薩なり。なかんづくに證誠殿はたゞちに彌陀の垂迹にてましますがゆへに、ことに日本第一の靈社とあがめられたまふ。娑婆界の利益、无量劫ををくりたゆむことなく、わが朝の化縁、すでに數千年にをよびてますますさかんなり。二所・三嶋の大明神といふは、大箱根は三所權現なり。法體は三世覺母の文殊師利、俗體は當來導師の彌勒慈尊、女體は施无畏者、觀音薩埵なり。三嶋の大明神は十二願王、醫王善逝なり。八幡三所は、中は八幡大菩薩、阿彌陀如來、左はおほたらちめ、本地觀音なり、右はひめ大神、大勢至菩薩なり。若宮四所といふは、本地十一面觀音なり、若姫は勢至菩薩なり、宇禮は文殊、必禮は普賢なり。これみな應神天皇の御子なり。つぎに武内の大臣は本地阿彌陀如來、これおなじき天皇の臣下なり。へついどのは普賢菩薩、おなじき天皇の姨母なり。日吉は三如來の垂迹、四菩Ⅳ-0533薩の應作なり。いはゆる大宮は釋迦如來、地主權現は藥師如來、聖眞子は阿彌陀如來、八王子は千手觀音、客人は十一面觀音、十禪師は地藏菩薩、三の宮は普賢菩薩なり。このほか祇園は淨瑠璃世界藥師如來の垂迹、稻荷は聖如意輪觀自在尊の應現なり。白山は妙理權現これ十一面觀音の化現、熱田は八劍大菩薩これ不動明王の應迹なり。これみなその本地をたづぬれば極果の如來、深位の大士なり。興隆佛法の本誓にもよほされ利益衆生の悲願に住して、かりに神明のかたちを現じたまへり。寂光のあきのつき、ひかりを秋津嶋のなみにやどし、報身のはるのはな、にほひを豐葦原のかぜにほどこす。内證はみな自性の法身、本地はことごとく報身の全體なり。その本地さまざまにことなれども、みな彌陀一佛の智惠におさまらずといふことなし。かるがゆへに彌陀に歸したてまつれば、もろもろの佛・菩薩に歸したてまつることはりあり。このことはりあるがゆへに、その垂迹たる神明には別してつかふまつらねども、をのづからこれに歸する道理あるなり。 第二に實社の邪神をあかして承事のおもひをやむべきむねをすゝむといふは、生靈・死靈等の神なり、これは如來の垂迹にもあらず。もしは人類にてもあれ、Ⅳ-0534もしは畜類にてもあれ、たゝりをなしなやますことあれば、これをなだめんがために神とあがめたるたぐひあり。『文集』(白氏文*集意)のなかに一のためしあり。「唐の江南といふところに黑潭といふふちあり。みづのそこに龍ありといひて、やしろをたてゝあがむ。これによりて、くにのうちにやまひあればこのたゝりといひ、こほりのあひだにわろきことあればそのとがといひて、としごとにこれをまつりけり。まつるときにはゐのこをころしてそなへ、さけをしたみてたむく。そこにかみのすむらんをばしらず。ひとの目にみゆるははやしのねずみ、やまのきつねのみきたりて、さけをのみゐのこをくらふ。さればきつねなにのさひはひかある、ゐのこなにのつみかある。としどしにゐのこをころして、きつねにかふことはなはだいはれなし。龍ありといひてまつることしかるべからず」と、白樂天はおほきにそしれり。しかれば、佛法よりこれをいましむるのみにあらず、世間にもかくのごときの邪神をたうとむは正義にあらずときこへたり。世にあがむるかみのなかに、このたぐひまたおほし。たとひひとにたゝりをなすことなけれども、わがおや・おほぢ等の先祖をばみなかみといはひて、そのはかをやしろとさだむること、またこれあり。これらのたぐひはみな實社の神なり。もとよりまよひの凡Ⅳ-0535夫なれば、内心に貪欲ふかきゆへに少分のものをもたむけねばたゝりをなす。これを信ずればともに生死にめぐり、これに歸すれば未來永劫まで惡道にしづむ。これにつかへてなにの用かあらん。されば『優婆夷經』には「一瞻一禮諸神祇、正受蛇身五百度、現世福報更不來、後生必墮三惡道」といへり。この文のこゝろは、もろもろの神をひとたびもみ、ひとたびも禮すれば、まさしく蛇身をうくること五百度、現世の福報はさらにきたらず、後生にはかならず三惡道におつとなり。しかのみならず、善導和尙の『法事讚』(卷下)にくわしくこれを判ぜられたり。「妄想求恩謂有福、災障禍橫轉彌多、連年臥病於床枕、聾盲脚折手攣撅、承事神明得此報、如何不捨念彌陀」といへり。こゝろは、凡夫のまよへるこゝろをもて神恩をもとめて、福あらんとおもへば、さひはひはきたらずしてわざわひはうたゝおほし。としをつらねてやまひのゆかにふし、みゝしゐめしゐ、こしをれ、手くじく。神明にうけつかふるものこの報をうく。いかんがすてゝ彌陀を念じたてまつらざらんとなり。まことに現世の福報はきたらずして、かえりて災難をあたえん。實社のかみにつかへて一分もその要あるべからず。ひとへに彌陀一佛に歸したてまつりて淨土をねがはゞ、もろもろの神明は晝夜につきそひてまもりたⅣ-0536まふべきがゆへに、もろもろの災禍ものぞこり、一々のねがひもみつべきなり。權社の神はよろこびて擁護したまふべし、本地の悲願にかなふがゆへなり。實社の神はおそれてなやまさず、もろもろの惡鬼神をしてたよりをえしめざるがゆへなり。 諸神本懷集[本] 永享十年W戊午R十月十五日書寫之畢 大谷本願寺住持存如(花押) Ⅳ-0537諸神本懷集[末] 第三に諸神の本懷をあかして佛道にいり、念佛を勤修すべきおもむきをしらしむといふは、一切の神明、ほかには佛法に違するすがたをしめし、内には佛道をすゝむるをもてこゝろざしとす。これすなはち和光同塵の本意をたづぬるに、しかしながら八相成道の來縁をむすばんがためなり。このゆへに、ふかく生死のけがれをいむは、生死の輪廻をいとふいましめなり。つねにあゆみをはこばしむるは、勤行精進をすゝむるこゝろなり。しかれば、外には生死をいむをもてその儀とすれども、内には生死をいとふをもて本懷とす。うへには潔齋を精進とすれども、したには佛法を行ずるをもて精進とす。鼕々たるつゞみのひゞきは、生死の夢をおどろかすたよりなり。颯々たるすゞのこえは、長夜のねぶりをさますなかだちたり。おほよそ諸佛・菩薩の利生方便に二種の門あり。一には折伏門、二には攝受門なり。攝受門といふは、諸佛・菩薩の本地化道なり。ひと利根にして因果にあきらかなるものには、すぐに經法をもて濟度したまふ。Ⅳ-0538折伏門といふは、聖敎にくらくして因果にまどへるひとのためには、賞罰をあらはして縁をむすばしめたまふ。後世をしらざるともがらには、富貴をいのらしめんがためにあゆみをはこばせ、因果をわきまへざるやからには、そのたゝりをなして信心をとらしむ。これすなはち蘋蘩・鼓笛のいさゝかなる縁をもて、八相成道のおほきなるもとゐとせんとなり。かるがゆへに、今生の壽福をいのるは結縁のはじめなるべけれども、本懷の至極にあらざれば神慮にかなひがたし。後生菩提をねがふは利物のをはりなるべけれども、ちりにまじはる本意なれば實のちかひにかなふべし。和光のおこり他のことにあらず、垂迹のこゝろざすところひとへにこれにあり。さきのよのたねなきものはねがへどもかなはざれば、いのらんによりて壽命・福祿をえんこともかたし。たとひまたおもひのごとくかなひたりとも、さかんなるものはかならずおとろふるならひなれば、ひさしくたもちがたく、ゆめまぼろしの世なれば、いつまでかたのしまん。はかなき世間にのみ著して後世をねがはずは、神明かなしみをふくみたまはんこといくそばくぞや。たゞ一向に念佛を修して菩提をもとめば、あゆみをはこび、ぬさをたむけずとも、神明えみをふくみよろこびをなしたまふべし。しかれば、天平勝寶Ⅳ-0539元年に八幡宮の御託宣にいはく、「たとひ銅柱・鐵床にはふすとも、邪幣をばうくべからず、汚穢不淨の身をばきらはず、たゞ諂曲・不實のこゝろをいむ。たとひ千日のしめをかくとも、邪見のかどにはのぞむべからず。たとひ重服なりといふとも、慈悲の家にははなるべからず」とのたまへり。餘社の神明、またこれになぞらへてしりぬべし。されば淸淨の身なりといふとも、そのこゝろ邪見ならば神はうけたまふべからず。たとひ不淨のひとなりとも、こゝろに慈悲あらば神はこれをまもりたまふべしとみへたり。佛法を行ぜざれば、すなはち邪見のきはまりなり。惡をつくりて惡道にいり、善を修して菩提をうといふことを信ぜざるがゆへなり。念佛を信ずるは、すなはち慈悲のこゝろなり。わが往生をうるのみにあらず、かへりて一切衆生をみちびきて、苦をぬき樂をあたふべきがゆへなり。されば佛道にいりて念佛を修せんひと、もはら神慮にかなふべし。神慮にかなふならば、えんといのらずとも現世の冥加あり、とりわきつかへずともその利生にはあづかるべし。おほよそ神明は、信心ありて淨土をねがふひとをよろこび、道念ありて後世をもとむるものをまもりたまふなり。かの新羅の明神ときこゆるは園城寺の鎭守なり。萬里の蒼海をしのぎて、このてらの佛法を守護Ⅳ-0540したまふ。しかるに鳥羽院の御宇、保安三年閏五月三日、延曆・園城のあらそひありて三井寺やけにけり。これよりさきにも一條の院の御宇、正曆四年八月廿四日、このてらに炎上あり。また白河の院の御宇、永保元年六月九日、山門よりやかれしかども、そのときはひとおほく滅亡にをよばざりけるにや。このたびはそのたゝかひ、いたりて強盛なりしかば、顯密の僧侶おほくいのちをうしない、安置の佛經ことごとくほのほをまぬかれず。聖跡まのあたりけぶりに化し、靈場たちまちに血に變じき。伽藍はいしずえのみのこりて、しかしながら虎狼のすみかとなり、ふるきあとはくさのみふかくして、むなしく麋鹿のそのとなれり。まことに目もあてられざりけるありさまなり。そのころある寺法師のゆめにみるやう、褐冠・しろばかまきたるひと、伽藍のあとに徘徊す。たれぞととへば、こたへていふやう、われはこれ新羅の大明神の眷屬なり、この寺を守護せんがために經廻するなりといひけり。この僧ゆめのうちにあざけりていはく、佛像・經卷・堂舍・僧坊ことごとく灰燼となりぬ。无益の守護かなといひければ、かのひとこたふるむねなくしてうせぬ。そののち直衣きたる老翁のまゆの毛ながくたれてくちまでにをよび、かみ・ひげしろくして、そのかたちつねⅣ-0541にあらず。あやしげなるひといできたりて僧につげていはく、汝がいふところはなはだ子細をしらず。われはるかに新羅の本國をすてゝこの寺にきたり住することは、堂舍・僧坊を守護せんとにはあらず。たゞ出離生死のこゝろあらんものをまもらんがためなり。しかるに、このたびの炎上によりて法滅の菩提心をおこしたる僧徒あまたあり、一定生死をはなれなんとす。わがよろこびたゞこの一事なり。このゆへに、みづからもこれをまもり、眷屬をつかはしてもこのひとを守護するなり。佛像・經卷・堂舍・僧坊はいくたびもやくべし、いくたびもつくるべし。出離生死のこゝろあるものはまことにまれなりといひて、かきけつやうにうせたまひけり。かの炎上のとき、菩提心をおこしたりけんひとは、いづれの法をか行じけん。おぼつかなしといへども、諸敎にほむるところおほく彌陀にあり、さだめて西方をねがふともがらおほかりけん。したがひて東山雲居寺の本願瞻西上人はそのとき發心のひとなり、かれすでに但信念佛の行者なり。かるがゆへに、おほくは西方の行人かとおぼゆ。さればかの明神の、發心のものを守護したまひける本懷をおもふに、いまの世にも出離のこゝろあらんひとは、時機相應の法、決定往生の行なるがゆへに、ひとへに彌陀に歸してもはらⅣ-0542名號をとなへば、これすなはち發心のひとなり。神明の御こゝろにかなひたてまつらんこと、いづれのつとめかこれにまさらん。よくよくこゝろをおもふべし。就中に、聖德太子二十七歲の御とき、黑駒に乘じて三日三夜のあひだに日本國を巡見したまひけるに、熊野にまふでゝ一夜通夜したまひけるとき、權現と太子とことばをまじへて、たがひに種々のことゞもをかたりたまひけるなかに、權現、太子にむかひたてまつりてのたまひけるむねをつたへきくに、ことに佛法に歸して後世をねがはゞ神の御こゝろにかなふべしとはしらるゝなり。そのおもむきは、われ四十八願莊嚴の淨刹をいでゝ五濁濫漫穢惡の國土に現ずることは、衆生に縁をむすびてつゐに西方の淨土に往生せしめんがためなり。しかるに、漫々たる西海にふなばたをたゝきてまふづるもの、迢々たる東陸に馬にむちうちてきたるともがら、あるひは子孫の繁昌をいのり、あるひは現世の壽福をなげきてさらに菩提をねがはず、出離をことゝせず。たゞ世間のことをいとなみ、いのり、ひとへに一旦の名利に貪著す。壽福は今生の祈請によらず、たゞ過去の宿善にむくふ。修因感果の道理必然にして、神明・佛陀の冥助もかなひがたし。たまたま萬里の波濤をしのぎてはるかに參詣をいたし、ひさしく數日の冰水をあⅣ-0543みて行步につかれ、をのをの法味をすゝむといへども、衆生の内心と和光の本懷と、みなことごとく相違のゆへに、かの法施、われさらに一分もうけず。かるがゆへに、三熱の苦をうけて本覺の理をわすれたり。しかるにいま太子にあひたてまつりて无上の法味をあぢはひ、最勝の法樂をうけて三熱の苦をたちまちにやみて、身すゞしくこゝろあきらかなりとのたまひけるなり。またおなじき權現、堀河院の御宇、寛治三年正月十五日に御託宣のむねありけるは、「われ佛界をいでゝ娑婆にきたりしよりのち无量劫をへたり。そのあひだ、つねは大國にむまれてみな王身たりき。いま難化のさかひをたづねて我朝にわたりしよりこのかた、あとをたるゝことすでに三千五百餘載にをよべり。これすなはち本誓願を十方にひろめ、一切衆生を佛道にいらしめんがためなり」としめしたまひけり。かれをきゝこれをおもふに、生死をいとひて淨土をねがひ、彌陀に歸して名號をとなへんひと、垂迹の素意にもしたがひ、本地の誓約にもかなふべしといふこと、その道理はなはだあきらけし。されば念佛の行者には、諸天・善神かげのごとくにしたがひて、よろこびまもりたまふといへるはこのゆへなり。そもそも我朝の神明の本地をたづぬれば、おほくは釋迦・彌陀・藥師・彌勒・觀Ⅳ-0544音・勢至・普賢・文殊・地藏・龍樹等なり。この諸佛・菩薩、ことに彌陀を念ぜよとをしへ、ひとへに西方の往生をすゝめたまふ。垂迹の本意、またひとしかるべければ、いづれの神明かこれをそむきたまはんや。まづ釋迦如來は、娑婆の敎主、衆生の慈父なり。總じては一代の諸敎にもはら彌陀を念じて西方にゆけとすゝめ、別しては三部の妙典にたゞ名號をとなへて往生をとげよとをしへたまへり。『大經』には彌陀の利生をもて眞實の利ととき、『觀經』には名號の一門をえらびて阿難に付屬し、『小經』には凡地の本行なるがゆへに一切世間のためにこの法をとくとみえたり。彌陀の敎門をもて釋尊の本懷とす。釋尊に歸せんとおもはゞ彌陀をたのみたてまつるべきなり。阿彌陀如來は、歸するところの敎主なれば、中々まふすにをよばず、彌陀の垂迹にてましまさん神明、本地を信ぜんにその御こゝろにかなはんこと勿論なるべし。藥師如來は、東方淨瑠璃世界の敎主なり。西方極樂に生ぜんとおもはんもの、そのこゝろいまださだまらざらんに、藥師をたのみたてまつらば、いのちをはらんとき、八菩薩をつかはしそのみちをしめして、西方の淨土にをくらんとちかひたまへり。されば、まことの信心をえてすぐに極樂にむまれんひとは、八菩薩のみちしるべにもをよぶまじⅣ-0545ければ、藥師如來もさだめてこゝろやすくおぼしめすべし。藥師のちかひをきかんにつけても、いよいよ彌陀を念ずべきなり。彌勒は、當來の導師、補處の菩薩なり。胎生・化生のありさまを釋尊にとひたてまつりては、念佛・諸行の得失をさだめ、佛智无上の一念をきゝては、遐代流通の付屬をうく。釋迦一代の敎にもはら彌陀をほめたまへり。彌勒成道のとき、また西方をすゝめたまふべし。諸佛道同の化儀、さらにかはるべからざるがゆへなり。觀音・勢至は、彌陀如來悲智の二門なり。彌陀の慈悲を觀音となづく、彌陀の智慧を勢至と號す。されば『觀經』には「この二菩薩は阿彌陀佛をたすけてあまねく一切を化す」といへり。また「念佛の行者には觀音・勢至つねにその勝友となりたまふ」(觀經意)ともとけり。彌陀を念ぜんひと、もとも二菩薩の本誓にかなふべきなり。普賢菩薩は、これまた彌陀をほめたまへり。「ねがはくは、われいのちをわらんとき、もろもろのつみをのぞき彌陀如來をみたてまつりて、安樂國に往生せん」(般若譯華嚴經卷*四〇行願品意)とちかひたまへり。等覺无垢の大士、なをみづからのために安樂の往生をねがひたまふ、いはんや凡夫の往生をもとめん。もともかの本意にかなふべし。これによりて、大行禪師に對しては、まさしく彌陀の名號をすゝめたまへり。なんぞⅣ-0546かのをしへを信ぜざらんや。文殊は、極樂の一聖として如來の化儀をたすけ、『彌陀經』の同聞衆につらなりては一會の上首たり。就中に法照禪師、淸涼山の大聖竹林寺にまふでゝ、未來の衆生はいづれの行によりてか生死をはなるべきとまふされければ、彌陀の名號をとなへてやむことなかれとこたえたまひけり。一心に歸依せんひと、もはらかのをしへにかなふべきものなり。地藏菩薩は、地藏・法藏同體異名なり。地藏と彌陀と、もとより同體なるがゆへに、彌陀の名號をとなへば、かの御こゝろにかなはんことうたがひなし。龍樹菩薩は、往生の授記をかうぶりて、われもねがひひとをもをしへたまふ。總じて『智度論』・『十住毗婆沙論』等のなかに處々に西方をすゝめ、ことに『十二禮』をつくりてひとへに彌陀を頂禮したまふ。これによりて、淨土の高祖につらなり、念佛の祖師とあがめられたまへり。いまはまたまさしく極樂の聖衆なり。彌陀を念ぜば隨喜さだめてはなはだしかるべし。このほかの佛・菩薩、いづれか彌陀をそむきたるや、西方をすゝめざる。いかにいはんや、『般舟經』(一卷本*勸助品意)には「三世の諸佛みな念彌陀三昧によりて正覺をなる」とときたれば、彌陀は諸佛の本師なりとみへたり。本師を念じたてまつらば諸佛の御こゝろにかなふべし。また『楞伽經』Ⅳ-0547(魏譯卷九總品意*唐譯卷六偈頌品意)には「十方の國土のあらゆる佛・菩薩はみな无量壽の極樂界よりいでたり」とゝけり。これは諸佛みな彌陀の分身なりときこへたり。しかれば、本佛の彌陀に歸せんひと、分身の諸佛に歸することはり、いはざるに顯然なり。このゆへに、垂迹の御こゝろにかなはんとおもはゞ本地の佛・菩薩を信ずべし。本地の佛・菩薩の御こゝろにかなはんとおもはゞ本佛の彌陀に歸したてまつるべし。彌陀に歸すれば三世の諸佛もよろこびをなしてこれをまもり、十方の菩薩もえみをふくみてつねにたちそひたまふ。本地の諸佛・菩薩、擁護したまへば、垂迹の諸佛、また納受をたれたまふなり。このゆへに、處々の神明等、念佛のひとを護念し念佛の功德を愛樂したまふこと、そのためしおほくきこゆ。八幡大菩薩御託宣の文にいはく、「我昔出家名法藏、卽成報身住淨土、今來娑婆世界中、卽爲護念念佛人」といへり。文のこゝろは、われむかし出家のときは法藏となづけき。すなはち報身となりて淨土に住す。いま娑婆世界のうちにきたることは、すなはち念佛のひとを護念せんがためなりと。ことに和光垂迹の本意、念佛の行者を擁護したまふべきこと、聖敎のこゝろに符合せり。されば賀茂の大明神は、神祇の伯顯重の王の母儀に敕して念佛の法味をあぢはひ、聖眞子の宮は、Ⅳ-0548當社の不斷念佛をよみして一首の和歌をしめしたまひけり。かの御うたにいはく、「ちはやぶるたまのすだれをまきあげて 念佛のこえをきくぞうれしき」(玉葉集)。當宮はまさしく彌陀の垂迹にてましませば、名號の功德を愛樂したまへること、まことにいはれあることなり。しかのみならず、良忍聖人のすゝめられし融通念佛には、鞍馬寺の毗沙門みづから名帳をかきて念佛を修し、梵天・帝釋よりはじめて日本國中の一切の神祇・冥道、ことごとくその念佛をうけき。現證これあらたなるものなり。就中に念佛を行ずるひとは、日月・星辰のめぐみにもあづかるべし。そのゆへは、道綽禪師の『安樂集』(卷下)に『須彌四域經』をひきていはく、「天地はじめてひらけしとき、いまだ日月・星辰ましまさず。たとひ天人來下することあれども、項のひかりをもて照用す。そのときに人民おほく苦惱を生ず。こゝに阿彌陀佛、二菩薩をつかはす。一をば寶應聲菩薩となづく、二をば寶吉祥菩薩となづく。すなはち伏義・女媧これなり。この二菩薩ともにあひはかりて第七の梵天にむかひ、その七寶をとりてこの界に來至し、日月・星辰二十八宿をつくりて、天下をてらし春秋冬夏をさだむ。ときにふたりの菩薩あひかたりていはく、日月・星辰二十八宿の西へゆくゆへは、一切の諸天人民こⅣ-0549とごとくともに阿彌陀佛を稽首したてまつるなり。こゝをもて日月・星辰みなことごとくこゝろをかたぶけてかしこにむかふ。ゆへに、にしにながるゝなり」といへり。このなかに「寶應聲菩薩」といふは觀音すなはち日天子、「寶吉祥菩薩」といふは勢至すなはち月天子なり。またもろもろの星宿は虛空藏菩薩なり、これまた淨土の二十五の菩薩のひとつなり。彌陀を念ぜば三光天子の加護にあづからんこと、うたがふべからず。いかにいはんや、人間にをいて現證あらたなること、日月・星辰にすぎたるはなし。いまこの界にむまれて黑白をわきまふることは、しかしながら日月の恩なり。かれすでに觀音・勢至の化現なれば、彌陀如來分身の智惠にあらずといふことなし。このゆへに、念佛を行ずるひとは、別していのらざれどもかならず日月のめぐみにあづかる。ゆへに、今生には福樂をえ、後生には淨土に生ず。念佛を信ぜざるひとは、別していのれどもつゐに日月のめぐみをかうぶらず。かるがゆへに、現世には冥加なく後生には惡道におもむく。しかれば、神明・權現の利益にあづかり、日月・星辰の擁護をかうぶらんとおもはゞ、垂迹の利生にとゞまらずして本地の素意をあふぐべし。本地をあふぐとならば、たゞもはら彌陀に歸したてまつるべし。彌陀を念じたてまⅣ-0550つれば、をのづから十方三世の諸佛・菩薩、乃至一切の神祇・冥道、日月・星辰を念ずることはりあり。さればかへすがへすも神明の本意をたづぬれば、まよひの衆生に縁をむすびてやうやく佛法に歸せしめて、つゐに西方の淨土にをくりとづけんとなり。釋迦・彌陀二尊よりはじめて十方一切の諸佛・菩薩、こゝろをひとつにし、はかりごとをめぐらしてかたがたにひかりをやはらげ、ところどころにあとをたれて衆生を利益したまふなり。されば一切衆生のひとりなりとも娑婆にあらんかぎりは、われもとの淨土えかへらじ。衆生ことごとく佛道にいりなんのち、われも本覺にかへらんとちかひたまへり。こゝにしりぬ、あゆみをはこばず別してつかへずとも、淨土をねがひ彌陀を念ぜば、大明神のためには忠あるひとなり。衆生、菩提にをもむかば、神もかへりて不退のたのしみをえたまふべきゆへなり。たとひこゝろざしをぬきいで社檀にまふづとも、後世をしらず彌陀を念ぜざらんひとは、大明神のためあだとなるひとなり。衆生、生死をはなれずは、かみもひさしく娑婆にとゞまりて三熱の苦をうけたまふべきがゆへなり。しかるにとき末法にいたり、衆生、邪見にして惡を修するものは十方の大地よりもおほく、善を修するものはつめのうへのつちよりもすくなし。たⅣ-0551またま佛道をもとむるひとも、たゞ諸善の利益にこゝろをそめて、まことに彌陀の利生をばあふがざるゆへに、機と敎と相違して、まことに生死をいづるひとはまれなるべし。このゆへに、應化の神明等も濟度のむねをこがし、利生のたもとをしぼりたまふものなり。諸行をさしをきて念佛に歸するは、難行道をすてゝ易行道にうつるなり。末代相應の法なるによりて決定往生の益をうべきがゆへなり。垂迹にとゞまらずして本地をあふぐは、神明の本懷をたづね權現の本意を信ずるなり。神明のまことの御こゝろは垂迹をあがめられんとにはあらず、衆生をして佛道にいれしめんとおぼしめすがゆへなり。本地の佛・菩薩はことごとく彌陀一佛の智惠なれば、彌陀の名號を稱するに十方三世の諸佛をのづから念ぜられたまふ。諸佛・菩薩、念ぜらるゝいはれあれば、その垂迹たる諸神、みなまた信ぜらるゝこと、その理必然なり。されば念佛の行者には諸天・善神かげのごとくにしたがひてこれをまもりたまふゆへに、一切の災障自然に消滅し、もろもろの福祐もとめざるにをのづからきたる。現世安穩にして、後生にはかならず淨土にいたり、長時永劫に无爲の法樂をうく。究竟してかならず菩提をうるなり。まことにこれ无明のくさりをきる利劍、煩惱のやまひを治する良Ⅳ-0552藥なり。釋尊はこれがためにことばをはきて讚嘆し、諸佛はこのゆへにしたをのべて證誠したまへり。佛陀の擁護にあづかり、神明の御こゝろにかなはんとおもはんにも、たゞねんごろに後生菩提をねがひて、一向に彌陀の名號を稱すべきものなり。 諸神本懷集[末] 永享十年W戊午R十月廿五日書寫之畢 大谷本願寺住持存如(花押)