Ⅳ-0291本願鈔 『大无量壽經』(卷下)言、 「諸有衆生聞其名號、信心歡喜、乃至一念至心回向、願生彼國、卽得往生、住不退轉。」 又(大經*卷下)言、 「其佛本願力、聞名欲往生、皆悉到彼國、自致不退轉。」 同『經』流通(大經*卷下)言、 「佛語彌勒、其有得聞彼佛名號、歡喜踊躍乃至一念、當知、此人爲得大利、則是具足无上功德。」 又同『經』(大經*卷下)言、 「設滿世界火、必過要聞法、會當成佛道、廣濟生死流。」 光明寺和尙(禮讚)曰、 「設滿大千火、直過聞佛名、聞名歡喜讚、皆當得生彼。」 Ⅳ-0292同御釋(禮讚)曰、 「彌陀智願海、深廣无涯底、聞名欲往生、皆悉到彼國。」 わたくしにいはく、この經釋の文にまかするに、黑谷の聖人W源空Rより本願寺の聖人W親鸞R相承しましますところの、報土往生の他力不思議の信心を、善知識ありて、つたへときてさづくるを、行者きゝうるによりて、文のごとく一念歡喜のおもひをこるにつきて、往生たちどころにさだまるを、正定聚のくらゐに住すともいひ、かならず滅度にいたるともいひ、攝取不捨の益にあづかるともいふなり。このときを、すなはち凡夫自力の心のつくるときなれば、こゝろのをはりともいふべし。しかれば、ふたゝび臨終をまつべきにあらず、來迎をたのむべきにあらず。信心のさだまるとき往生またさだまるゆへなり。おほよす來迎は諸行往生にあるべし、彌陀の本願にあらず。しかれば、來迎あるべしと行者これをまつとも不定なるべし。しかれば、本願の生起本末をきくところにて、ときをへだてず日をへだてずして、たちどころに往生さだまるなり。しかれば、きくところにて往生さだまるべきによりて、經釋ともに、きゝて一念せよとすゝめたまへり。しかれば黑谷・本願寺の兩聖人の御化導、經釋符合せる條、文にありてあきらかなるものをや、Ⅳ-0293しるべし。 黑谷聖人(選擇集)のたまはく、 「當知、生死之家以疑爲所止、涅槃之城以信爲能入。」 本願寺聖人(行卷)のたまはく、 「憶念彌陀佛本願、自然卽時入必定、唯能常稱如來號、應報大悲弘誓恩。」 わたくしにいはく、この御釋のこゝろは、彌陀佛の本願を善知識よりきくにつきて、憶念すればすなはちのとき往生さだまるとなり。「唯能常稱」とは、往生すでにさだまりぬとしりてのちは、御名をとなへて如來の恩德をむくひたてまつるべしとなり、しるべし。 「顯淨土眞實信文類」三曰W本願寺聖人御製作R、 「眞實信心必具名號、名號必不具願力信心也。」 わたくしにいはく、この文のこゝろは、「眞實の信心にはかならず名號を具す」といふは、本願のをこりを善知識のくちよりきゝうるとき、彌陀の心光に攝取せられたてまつりぬれば、攝取のちからにて、名號をのづからとなへらるゝなり。これすなはち佛恩報謝のつとめなり。「名號必不具願力信心也」といふは、名號をとⅣ-0294なへて、この名號の功力をもて淨土に往生せんとおもふは、名號をもてわが善根とおもひ、名號をもてわがつくる功德とたのむゆへに、如來の他力をあふがざるとがによりて、まことの報土にむまれざれば、名號にはかならずしも願力の信心を具せざるなりと釋したまへり、しるべし。 本願抄一帖 應安四年W辛亥R後三月晦日書寫信州善敎房書與也 先考御作也 存覺