Ⅵ-1151順興寺實從葬禮 永祿七年[甲子]六月朔日[壬申]曉寅剋[天晴]。 實從往生A順興寺B六十七歲CA於枚方村敎善寺坊兼智B河内州茨田郡C。 五月廿二日より痢□を煩出され、同晦日曉到于寅剋往生也。則如此の旨、大坂殿へ注進申也。 一 臨終の念佛は、夜あけて「正信偈」A早BぜゞC、短念佛[百返]、廻向如常。調聲は本善寺證珍也。本尊は往生の前より枕もとに懸らる。香□…□香して、燈明ともして、鈴にて申也。 一 沐浴の時、同日一□□頭をそり白帷に白帶なり。はたの帶も白布□□綴に布袈裟かけさせ申、木殊數をもたせ申。大□をかみよりにて結也。左右の手をくまⅥ-1151せ申也。石の枕を□□申。疊一帖をあげて、うへにむしろ[ゐむしろ也]一枚しき、はしの枕にかけてさせ申。頭北面西に置申也。 一 沐浴の念佛の時より押板に本尊かけ、三具足、燈臺以下置之。沐□の念佛あり。勤のやう、臨終念佛のごとし。調聲人同、出立又同。布袈裟にきすゝ也。 一 入棺の事、しづかにあるべきなれど、炎天の比、溫氣に早く損ずべきの由にて、同日晩夜に入てあり。棺は桶なりW物がたるべきとて如此。何も病によりて也R。桶如常Wたけは人によりはからふ也R、うへを白く厚紙にて底にてはる也。綱は藁の上を白紙にてつゝみ、二つくりにないて、十文字にからくる。又布にて其間をも十文字にからくる也。棺なれば、橫に二所ゆいて、布にて又たてよこ十文字にからくる也。同處にをく。頭北面西の心にをく也。蓋にはうへに名Ⅵ-1152號を三反かく。中一行は眞に、脇は一字ほどづゝさげて、草の名號也。願得寺□悟書之。入棺のつとめ、又同前。調聲人願得寺實□也。出立同。蠟燭ともし、抹香也。 一 葬禮なき間、□堂の勤行も常住體也。莊もなき也。往生之座敷の勤は、朝は御堂勤行、「正信偈」A早BぜゞC、短念佛[百反]、回向如常。夕も六時に又如朝也。各出立も同常住體也。 一 葬送日の事、御本□え御意をえ候へば、何方にても左樣の日取、人に可尋之由仰之間、此近所に名譽の人ある間、相尋て、葬送日は【丙子】五日巳午の剋、可用之由取出也。拾骨も同日晩未酉時分しかるべき由申間、則相定て、中陰は六日より【乙酉の】十四日迄に撰日て書出之間、此條々御本寺え注進申。炎天之時分之間、二七日雖可有之如此。爲衆儀相定之畢。又則調聲人可申請之由申入也。法專坊賢勝被上也W四日事也R。調聲人之儀は以殿原Ⅵ-1152申入、彼迎には乘物に中間を遣也。 二日[癸酉 天晴] 一 勤行如常。 一 自身弔來臨之衆は、出口光善寺[實玄]・富田敎行寺[證誓]・興正寺[慶□]・願得寺[實悟]幷中將也。其外は、以使者或書狀にて御往生之儀、言語道斷と被申也。 一 從 門主樣爲御使、松井藤左衞門尉方被上、御弔之儀也。仰之旨とて被申。慶壽院殿同前之仰也。御所勞之儀さへ、しかしかと不被聞召之處、御往生之條、沙汰之限、御力落被察候。倂御力落迄之由被仰由、被申也。則本善寺[證珍]・少將[顯從]令對顏仰之旨承忝之由申。非時、相伴W汁二・菜五・菓子三R。以後被歸也。 三日[甲戌] 一 昨夕太夜、今日日中、齋以下如每月有之。 有往生より則用意之物條々。A日記如此して出來B物に令合點也C 一 棺は桶に調之。綱は藁、上を白紙にてつゝむ、二Ⅵ-1153つくり也。又布にて十文字にからくる綱W布一はゞにて少ふとき白き布也。二枚ばかり也R。 一 はり輿は、しゝくい板にてさす。上をわきへ引て棺を入る也。なかへの上に板の上に棺をすゑ置て、上を引かくる樣にする也。簾は如常、竹也。へりは白紙にてとり、中に三とをり如縁紙を付る。竪そくいゝにて付る也。金具は、きはくにて紙にをし、同五つかな物にをす也。そくいゝにて付る、如常W箔かず廿二枚にてあり。切やうにより、又はをしやうにより、多少はある也R。へりの白紙にすみにてもつかうを書也。前々不及見總なき事也。向後無用歟。たゞ白くすべき事、從昔之儀也。 一 町蠟燭は四十八挺。前々卅餘挺の儀もあり、他宗の中也。地下人葬にさへ四十八挺此間ともす由申間、以談合、此度も如此也。燭の在所は、前机の左右一挺づゝ[二也]、火屋の四方の角柱のきは、一尺ばかり竝て一挺づゝ[四也]、臺は何も同。七尺計のにが竹にさきに蠟だまりを三、四寸のよほうの板を四方のすみを上へ折かへして、らうそくさす所は又別に竹にても木にても如箸して、竹の中へさし入て右まきに蠟だまりより下を白紙にてあらあらと卷也。そくいゝにて可付。W町らうそくは、火屋より一町も一町半もの間にあひはからひ、一杖ばかりも又其内にもたてゝともすべき也R 一 打敷は、御堂に二つ[本【(尊)】—・開山]御前に敷に可入也。五日朝[五時]より敷也W花足もをかるゝ也R。赤色も不苦也。亭の中陰の間の一W靑色歟、除赤也R。野へ持、前机にしく。是も赤色を可除也。以上四也。W但なくは、野へ持たるをはてゝ後、中陰間に敷べし。總じては赤色も香なる時は不苦也R 一 前机は高さ三尺三寸。此外に土へ入分、四方ばかりあるべし。板のはゞ一尺六寸五分、長さ四尺八寸、Ⅵ-1154又四の足土へ入る分三寸餘Wほりすへて。猶その内の方に、まわり三、四寸の竹を六、七寸に切て、机の足の内の方にくいに打て、なわにてゆい付也R。 一 三具足はことう也。唐の香合をそへ、前机にをく。中陰の間に則野へ持せたるをも置べし。又別にも用意す、殊に吉也。花は作り花也。木にても竹にてもほそくけづり、二尺ばかりにして白紙を二分ばかりに、長さ二寸ばかりの紙を卷て可付。是柳の花を表したる也、四本也、近年六本也。何程にても可用。 一 十二合の花足は如常。野へ持も六色をつむ。一は餠W如常少也R、一は串柿、一は牛芳、一山いも、一は枇杷、一は菱麵也。何にても色えてつむ也。又十二合は中陰間に置べき也。六合置て又六合をかげにをき、他宗の人來る時可置之由定む。前々も此分也。但今度は、以談合十二合、中陰間に置也。もり物同前、紙立は白紙也。重ね如常。葬所にては窓の方を火屋の方へ向て置也。中陰間のかざりは葬すぎてもすべし。葬前にすれば、是も窓を佛の方へむけて置。葬すぎては、窓を人の方へ向ひ如常置也。 一 御堂の花足は如常。本尊へ二合、開山へ二合、餠ばかりを、紙立も白く杉成に如常つむ。葬の日よりかざる打敷もしくべし。赤を除くべし。但赤も不苦也。 一 續松はながさ二尺ばかりに木をほそくけづり、かみよりにて四所ばかり結ふべし。さきにけづりかけして、火のよく付やうにこゑ松などまじへけづり加へてさすべし。本四、五寸ばかり紙にてつゝみたる也。又上をかみよりにて二所むすぶ。是を前机の上に端に置也。はり輿かき入て、火屋の内へ、法師、ちやうちんの火にても又机脇の火にても付て、火をさす人にわたすべしW調聲人火を付出す事は無用之由、圓如の仰也。近年此儀令停止了R。火は顯從W少將跡R、證珍W本善寺□…□R、たい松を取、火を付、取ちがへてさはる也。 一 提燈は四、新くはり□□らへ候に、持手は若男也。かみ、茶せん或三束の衆は、一つ結てさくべしⅥ-1155W若文なくは若男えぼしにても吉R。衰衣を著すべし。二ははり輿の前、二ははり輿の跡也。近年四ながらさきに持、如何。 一 太刀を持事も、昔は無之、近年の事也。火をさす程の跡の子は、一人もたする也。常に持太刀みじかき吉也。すゝしの絹の袋に入る。ぬい樣は、一はゞを二つに底とわきをぬいふさぎて、口をば物さしの一尺餘にしてわきをも六、七寸もぬわぬ也。甲金の方、たゞ絹を引むすび置也。大略、諸家此方也。一說に緖を付W如莚袋等Rゆふと申說也。今度は紙よりにてしかとむすび餘を切也。 一 前机の花足の下、打敷の下に敷水引の事、新くすべし。絹一はゞを、たけは曲尺の三尺五寸五分ばかりにして九の也。十のにても可然、引合ちがへて可然也。すその方は、衣の如くすそぬいをすべし。是はぬい出しての寸也。曲尺の三尺五寸程なるは、二寸餘机の上に折かけてぬいからみ置べし。前机三尺三寸に土きわまてある吉也。□…□なるほどならば、机のうしろ火屋の方へ重ねをすべし。今度は机□…□袋の如くぬいて上よりおとし入て上に折めを付、ぬのをほそくたちて、ぬい付からむ樣にしける也。 一 扇はさきひろがり、麤相に白くすべし。近年、銀箔をうらおもてにおさるゝ也。一家衆悉同前。十五本調聲人、鈴打までW以上十七本R。其外はたゞ白扇の末ひろがり也。坊主衆分[十本]計也。 一 鈴は大きにねのよきを用。 一 わらんづは女房わらんづ也。紙を付也。W七十足、今度あまりに麤相にして緖を切也。よくすべき也R 一 町蠟燭は白、前机の上のも白、火屋の四方、机のⅥ-1156脇のも同。奉行人二、三人ありて走まわりてともすべし。 一 花足、打敷、三具足等の奉行人二人可有之。 一 はり輿のかきて四人、又道とをくは六人も可然。衣に玉たすきかけ、白袴にくゝり入て吉。直裰なくは、道服衣にても吉。 一 棒持て成敗人十人W先へまづ二人やるべし。上下にもゝたち取。又はかたぎぬ、はかまにてもR。 一 稽固衆百餘人、近所之門徒衆、武家者もあるべし。肩衣・袴、出立也。もゝたちをとる。 一 葬所へ聖不入也。坂者來り候へ共、無別儀。但、花束前机、火屋のかこひの道具等、少々取之[云々]。 一 葬時、素絹を著□る事、永祿六年富田敎行寺實誓葬送之時、宮□□證誓、素絹を著せらるゝ間、今度も申入て、本善寺證珍・少將顯從著せらるゝ也。然者、他家・他宗人、弔誦經之衆來時、如葬時、素絹に織物袈裟にて對顏せらるゝ也。[去年於富田如此之條、今度も又如此也] 一 衰衣の人數事。枚方順興寺内衆・飯貝本善寺内衆・堅田慈敬寺内衆・淸澤願得寺内衆等也。其外者、衣冒子上下也。又町衆には長男衆二、三人、又實從被付名衆等五、六人、衣冒子、衰衣也。依望如此也。總の一家衆供衆等、えぼし上下也。 四日[乙亥 天晴] 一 光敎寺[顯誓]・大貳[祐宗]・惠光寺[慶超]來臨、座敷なきによりて、坊より申付宿に居住、朝夕之儀は於坊有之。顯證寺[證淳]・常樂寺[證賢]・毫攝寺[善秀]□…□近所迄來臨。依無案内、宿事不申付也。五日朝、來臨也。仍宿申付訖。 一 炎天之比、亡者不匂藥とて各申、棺内へは抹香を下にしき、脇上へ入、小菱をまぜて入也。又近所に杉の靑葉を燒て灰にして、あたりに置也。米酢をもあたりに物に入置也。棺の内に鹽少入也。又、酒を□…□るⅥ-1157と[云云]。 一 七帖袈裟は敎行□□あり、借用して置也。但今度は棺の上にも不被置。葬の前に御堂へかき出て、佛前に置時、上にひろげて置也。輿に入時、やがて取也。古は往生の座敷に棺の上に置る□。但如何あるべき事ぞ。W蓮如上人の御時は、御往生の御座敷、御棺の上にをかれし也。爲時宜之條、向後も如此たるべき歟也R 五日[丙子 天晴] 一 御堂も中陰間も、勤行如昨日。五時御堂莊嚴、花足參也。 一 巳午剋、葬禮也。四時打て各集り、少々用意也。調聲人出立、裳付衣に片織袈裟・水精念珠・銀箔扇也、法專坊[賢勝]。鈴役西光寺W裳付衣・白袈裟・念珠・扇同R。棺は、上檀のきは下檀に一疊あげて筵一【下すのこたる間、如此。板のまゝたるべき事也】枚しきWたゝみの面也Rをかるゝ。其時、七帖袈裟をひろげをかるゝ。佛前に御兩所に蠟燭ともす。各一家衆以下次に出也。賢勝調聲としてまん中に被居、さはりにて「十四行」、次念佛五十返上らる、廻向はなし。たゞ念佛にて被收也[尤也。爲「十四行」之間也]。 一 棺は、つとめはてゝ輿にかき入る時、【【七帖也】】鬱多羅僧をば則取也。則各庭に出る時、わらうづはく。小者・中間持て出てはかする也。御堂庭にて各肩を入る。人數の次第。一番、【前】本善寺[證珍]・【後】少將[顯從]。【前】二番、【前】光敎寺[顯誓]・【後】慈敬寺[實誓]。三番、【前】光善寺[實玄]・【後】願□寺[實悟]。四番、【前】侍從W證智□田R・【後】中將[淸澤]。五番、【前】兵部卿W□□出口R・【□】大□[□□]。六番、【□】治部卿[空誓]。 一 女房衆の輿は、御堂勤始てよりかき出し、さきへゆき、火屋の左右にたて置也。五丁也。[次第如此]右方A西也B東頭也C、女中A輿人二人B衣冒子、衰衣C、飯貝阿加々Aこしぞへ同B出立同C左方Ⅵ-1158W東也西頭R、【富田】南向AこしぞへB衣冒子上下C、出口殿W同同R、【出口】西向W同同R。歸時は勤の三重の讚出るときよりこしらへ、しづしづとたつ也。 一 時念佛の調聲人[同]法專坊。火屋ちかく町蠟燭ちかき所より、さゝう打て、又二つ打て始む。初ばかり一度調聲の役。其後は皆地に同音也。四返宛の頭ごと、鈴一つ打也。さゝう打時、すこし立やすらいで打て初る也。時念佛の間はしづかにあゆむ、火屋のきわまで也。早く止たるは惡し。 一 前机の前に各そろひて、さて本善寺・少將出らるべきを、此度遲々して惡き也。兩人火屋の内へ入る時、やがて戸をたつる内にて、兩人火をさゝる。跡は少將、前は本善寺。火ともし取ちがへてW是を火あはせと云也R、今度は火を不付してまねばかり也。如何、未聞事也。さて後の戸をあけて兩人出る時、供衆も跡につき、右方へまわりて各とひとつになる。左へは、はり輿の供の衆はかきすへて、後へ出る也。さて二、三人にて□□の内へ入て火を付てさす時、前の戸をば立て、輿の脇に火少□…□煙を少づゝ立る。火をさす人の後へ出る時、はり輿の供衆もひとつに右へ出る也。さて調聲人燒香す。退きて、さゝう如前打て、「正信偈」ぜゞ、ちと長く出す。さて上て後、各燒香する也。W今度は少早くて如何R事也。「正信」も高からは上べからず。短念佛五十返ばかりにて鈴一つ打て、三重の念佛出さる。『讚』(淨土*和讚)は「眞實信心うるひとは」、寄讚は「恩德廣大釋迦如來」也。回向如常。鈴打をさむ。 一 「正信偈」の中程よりも各燒香す。次第、少將、顯證寺、慈敬寺、常樂寺、光敎寺、願得寺、光善寺、本善寺、中將、侍從、大貳、惠光寺、【出】兵部卿、【堅】治部卿、毫攝寺也。 一 勤すぐれば、其まゝ各歸。一町ばかりにてわらんぢぬぐべきを、やがてぬぐ。早くて惡き也。扇はすつべからずと被定を、すつる人もあり、不捨人もあり、Ⅵ-1159如何。歸路はをぶとをはく也。 一 葬よりかへりては、つとめも無之。W宮内卿證誓は宿まで來臨、依所勞不被出也R 拾骨は同日晩、七つ打と定之。 一 首骨桶、まわり一尺□□高さ四寸ばかり、そとを白紙にてはる上を、絹一はゞよほうにして、ひつ□…□六寸ばかりのひつぺぎにすへて、さきへ遣、火屋内置也。 一 葬所は、四方蠟燭も前机の脇の蠟燭も無W□ケ所に火ともすべき也R。前机には打敷、三具足計也。花は樒也。香合あり。各出立、如今朝。扇は末ひろがり扇持也W葬の時の白扇を可持也。然に捨た□衆ある間、如此也R。前机には、香爐に火をよく大なるおきを入置也。各佛前より出る時、前机の燭もともす也。 一 各、前机前にそろひて後、本善寺・少將兩人、火屋の内へ入時、同宿以下少々供衆も太刀も信濃守持せらるゝなり。仍彼箸にて、兩人、首骨をひろひて桶に入、下間肥前さきに持、後より出て前机の香爐【【火屋の方也】】のさきにすゑをく也。其時臺を取也。 一 箸は、竹と木と一尺五寸ばかりにけづりこしらへて、持ところ紙にてつゝむW不包、不苦也R。火屋のかまの中にたてゝ置也W以是拾骨を取也R。 一 火屋へ入たる衆、後より出て、各とひとつに成也。其後、調聲人燒香す。さて、さゝう打て、勤は如今朝也。 一 燒香も如今朝也。勤は如今朝也。さゝう打、『讚』(高僧*和讚)は「本願力にあひぬれば」、寄『讚』(高僧*和讚)は「无上涅槃を證してぞ」、回向也。 一 歸時も出る時も、をぶとをはく。坊主衆以下、わⅥ-1160らこんがう足中をはく。歸り□…□。 一 歸て、そと足に□…□縁のはしにて也。其まゝ出立を不改して、御堂にて如常に座して勤あり、眞也。則明日より始中陰の間、此つとめを太夜に用也。「正信偈」[長]、讚六首、回向也。調聲は少將也。例式は「正信偈」[ぜゞ]、三首也。拾骨、佛前に香爐の奧にをく、勤すぎて取て中陰間の佛前に置。則中陰の間に勤、「正信」Wはかせ少早R、三首、回向也W「御文」無之R。調聲人願得寺。御堂も同無「御文」也。 一 今日葬禮以後、一家中衆、香典有之、志次第也。予者卅疋[少將へ]、廿疋[女中]、廿疋[本善寺へ]、中將は廿疋[女中へ]、廿疋宛W本善寺・少將兩人へR。 一 灰寄には一家衆も少々不會間、燒香の人數も少也。 六日[丁丑 天晴] 一 朝勤[眞也]。法專坊被讀「御文」、可有讚嘆之由申。太夜と朝勤の上には、可所望之處、今日及晩、被歸。有契約之儀之間無是非被歸也。中陰間は於御堂同。宿衆かはるがはる令讚嘆、「御文」をよむ也。日中には一向兩所共なし。 一 齋[汁二・菜五・茶子五]。日中は、御堂常勤[眞也]。中陰間W於亭經一卷、念佛五十返計R。□…□時W汁二・茶子三□…□R。相伴人、依時多少あり。太夜□□堂如例W「御文」有、讚嘆也R。中陰間太夜は、古は「念佛正信偈」、讚三首、短念佛[百返]、「世尊我一心」(淨土論)の廻向也。近年、「念佛正信偈」も短念佛も無之。調聲人はかはるがはる也。「御文」一返よむ、調聲人役也。宵間五時前迄於御堂、改悔あり。終て日沒申立也。於亭之中陰間は、そと各寄合、有談合、「御文」あり。かはるがはると也。 一 中陰の間の日中・太夜、鐘鳴也。W中陰は雖定二七日、炎天之比也。日がら次第に二七日の内被縮事也R 七日[戊寅 天晴] 一 齋・非時、汁・菜數は如昨日定之。今日齋、近親Ⅵ-1161類勤之也。慈敬寺[實誓]・【同息】侍從・【同弟】治部卿・願得寺[實悟]・【息】中將・光善寺[實玄]・同女中[西向]・願行寺[勝心]・同女中[あねゝ]・同妹[あちやちや]、以上。 一 聖ども二、三人來。雖然、卅疋遣歸了、去年富田實誓の時は卅四、五人來間、二百疋遣了[云々]。何事もいろはせぬ事なれ共、近所に彼等ある間、來也。 八日[己卯] 一 齋[汁・菜同]。飯貝本善寺[證珍]・同女中[阿加々]より被調也。中酒二返。 一 實從拾骨・灰共桶に入。今日塚につき入、葬所のあたりの小山のあるに深うづみう□…□を□置也。他宗の中なれば、加樣の撰日、人之任意見、今日□…□付る也。同宿殿原等兩三人出て、申付侍る也。 九日[庚辰 天晴] 一 齋[汁・菜同]。地下大文字屋の四郎左衞門尉調之。母當年當年忌間幸之儀として、爲實從旁申入候由[云々]。 十日[辛巳 天晴] 一 齋、汁・菜同。【枚方之】殿原衆・同宿衆、各同心調之。 十一日[壬午 天晴] 一 齋、汁・菜同。地下與左衞門尉調之。菓子後出苽W中酒何も一反R。 十二日[癸未 天晴] 一 齋・非時、同。但坊より調之。 十三日[甲申 天晴 晩立] 一 齋、汁・菜同。今日は講也。如常。 十四日[乙酉 天晴] 一 點心・粥如常。菓子七。少將顯從被調之。日中はⅥ-1162『觀經』・『彌陀經』也。御堂日中[願得寺調聲]、中陰間少將。經の次に「正信偈」[くり引]、讚三首、回向也。齋[汁三・菜八・茶子□]□…□兩所莊嚴悉取拂也。 一 實從影をば令夕□…□御堂にかけ、三具足、燈臺置也。亭[中陰間也]には本尊ばかりにて、五旬の間、拾骨も其まゝ置て、朝は御堂の後、「正信偈」[ぜゞ]、短念佛[百反]、回向也。證珍・顯從、兄弟の志としてつとめ被申也。夕は六時、勤同。色物著して布袈裟・木珠數にて申さる。調聲人はかはるがはる也。兄弟外、願得寺幷中將等、逗留の間は令調聲畢。 一 實從影の事は、往生三、四日めより以使者御門主へ申入、かゝせ度之由申入也。可書之由有御返事、早々かゝせ、表保衣等出來ありて、御禮百疋申。丹後に卅疋遣。未出裏書押て出來て御禮被申。到來之時、十一日に本尊は中なれば、本尊の左也。人の奉向右方に影をかけ、本尊には卓ををき、打敷、花足二合如常。後影には卓はなし、十二合打敷也。三具足、靑磁の香爐をく。又燈臺あり、如本尊也、新く白くこしらへたり。他宗の人弔來人あれば、蠟燭ともし、燈明もともし、香爐の火よく取て、蓋をば脇に取て置。靑磁の香爐も取のけて、さはりを押板より三尺ばかりのけてをく也。つとめすぐれば、燭をけすべし。誦經□人之依人出合□…□歸す人もあり。點心の類、心閑に□伴して歸すもあり。□□□ても不苦。但常の時の如くはす□からずと云說あり、如何。 一 實從の弔來、他家・他宗の人には、少將は素絹に片織の袈裟・水精のずゞ・末ひろがりの扇、被出合事也。一家衆・門徒衆・内儀の人には如常。直綴にて見參也。 一 月忌初には花束、打敷も無之。太夜・日中、不鳴鐘也。齋[汁二・菜五・菓子五]、日中同。太夜、白物絹袈裟、木念數・扇持也。日中同可成眞也。 Ⅵ-1163一 四十九日、同月忌初。中陰間、朝勤有之。「正信」AはかせB早C、讚三首、回向也。 四十九日の日中以後、亭の本尊は卷、嚴取拂也。 中陰の間の勤の□□事 拾骨は五日晩。其つとめを中陰の始、太夜用W御堂は少□、中陰間願□□R。 六日 朝勤A御堂 願得寺B中陰間 光善寺C、日中A御堂 慈敬寺B中陰間 願得寺C、太夜A御堂 本善寺B中陰間 敎行寺C。 七日 朝勤A御 慈敬寺B中 少將C、日中A御 少將B中 本善寺C、太夜A御 願得寺B中 中將C。 八日 朝勤A御 少將B中 慈敬□C、日中A御 本善寺B中 少將C、太夜A御 慈敬寺B中 本善寺C。 九日 朝勤A御堂 本善寺B中陰間 願□寺C、日中A御 願得寺B中 慈敬寺C、太夜A御 慈敬寺B中 少將C。 十日 朝勤A御 願得寺B中 本善寺C、日中A御 慈敬寺B中 願得寺C、太夜A御 本善寺B中 少將C。 十一日 朝勤A御 少將B中 中將C、日中A御 願得寺B中 本善寺C、太夜A御 慈敬寺B中 少將C。 十二日 朝勤A御 願得寺B中 本善寺C、日中A御 本善寺B中 少將C、太夜A御 願得寺B中 慈敬寺C。 十三日 朝勤A御 本善寺B中 願得寺C、日中A御 少將B中 慈敬寺C、太A御 光善□B中 本善□C。 十四日 朝勤A□□ 慈敬寺B中陰間 本善寺C、日□A□ 本善寺B中 少將C。 百ケ日、九月十二日、御堂計勤行也。三ケ所[本【(尊)】—・開【(山)】—・實從]花足、打敷參也。太夜・日中も眞也。鐘鳴。Ⅵ-1164齋[汁二・菜五・菓子【五歟】七]。出立、白物絹袈裟・水精念數・扇也。 ささうの打樣。 【初】●●●●●●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ●●●●●●・・・・・・・・・・・・ 【【終】】●●●・・・・・・・・・・・・・・・ [此二つめに つとめ出也。] 永祿七年六月廿二日 書之 兼俊(花押) 御中陰之次第 初七日 七日  【縮】七日 二七日 十四日 八日 三七日 廿一日 九日 四七日 廿八日 十日 五七日 六日  十一日 六七日 十三日 十二日 七七日 廿日  十四日 百箇日 九月十二日 永祿七年六月朔日御往生 如此紙一枚にかきて、中陰の間の傍に押置也。 □ 四十九日之以後、兩人□□參大坂殿。七月廿九日、齋被申入也。從兼日被申也。齋前有日中、各木念數。[汁三・菜十一・菓子七]。御相伴衆十人計也。一家衆、顯證寺・光敎寺・願得寺・本善寺・中將・少將・大貳・惠光寺也。布施は門主樣、參貫文。顯證寺・光敎寺、三百文。總は二百文宛。坊主衆W百文宛R。 一 日中の前に拾骨進也。丹後被收。又は御堂衆役也。竹の筒などに入、上を悉白くはりて書付。 Ⅵ-1165釋實從 永祿七年[甲子]六月朔日往生 行年六十九歲 拾骨收に百疋 一 齋・日中以後、遺物進上也。 門主樣へは、開山上人御筆之「一枚起精文」幷香合一。慶壽院殿、唐食籠一。北方へ、靑磁香爐一、被進入也。丹後に、懸字A靑蓮院B准后尊應筆C一幅。W是實從弟子にて、經以下學問之間、丹後一人遣之R