Ⅵ-1109蓮淳葬送中陰記 天文十九年八月十七日夜半の御往生。十五日より御歡樂也。十八日參る、光應寺蓮淳[八十七歲]。 一 十八日に參候。常に御座候座敷に本尊をかけ、御前に打敷をしき、花足六合、三具足、白蠟燭、樒也。本尊は東向、本尊の南の方に頭北面東也。石の枕を直にさせ申され候也、此儀如何。前々は花足二合、打敷なし。今度初て見申候、不審。 一 葬送、廿三日申剋也。御堂は本尊・開山の御前、花足、打敷。 一 棺はをけ也、桶のうへをはる。御堂の參錢を置所に置被申候、此儀越度也。下陣にをかるべき事也。はや旣に置れ候間、置直すに及ばず候。上に七帖の袈裟を覆はる。たゝみ一帖あけ、むしろをしかる。調聲は淨照坊[明春也]、鈴は光德寺[乘賢也]。りん二打て、「十四行偈」はじまる。念佛百返、廻向。其後棺を正面へかき出しのせ申候。 一 御堂の庭にて肩を入候人數。【あと】三位・惠光寺、【あと】本善寺・光善寺、【あと】左衞門督・式部卿、【あと】敎行寺・【左の】宮内卿、【あと】治部卿・【かたゝ】少將、【あか下市】刑部卿・【あと】超勝寺。 一 御堂の門出て時念佛、さゝうにてはじまる。番屋の門の前まであり。又町蠟燭のきわより時念佛あり。 一 火屋は惣の也。火屋の四方に蠟燭を立つ。又扉のまへに二丁事、ふしん。 一 提燈は四丁也。御輿のさき二丁、あと二丁也。衰衣也。おさなき人也。 Ⅵ-1110一 葬所の卓の上にひわの打敷をしき、三具足[鍮鉐]、花足十二合、香合あり。花はかみにてつくる、六本立。 一 葬所の勤、さゝうにて初る。「正信偈」[ぜゞ]、念佛五十返、りんにて打きる。三重をあげ、『和贊』(高僧*和讚)は「信心すなはち一心なり」、そへ『贊』(高僧*和讚)「无上涅槃を證してぞ」也。『和贊』にて廻向。 一 歸る時わらんづをぬぎ、白扇をもすつる也。こんがうをはきてかへる。 一 輿は大方殿、御南向、【かたゝ】御東向、【左】御西向、【はりま】御西向、【久】西向、【出口】西向、【出口】茶ち、【久】ちやち、【久】やゝ、【惠光寺】あか、杉向[超勝寺]、丹後東、駿河内、【左近大夫母】すみ、中と也、【西】御南向、【左】西向、【出口】西向、【出口】ちやち、惠光寺】あか。 【東】大方殿、【かたゝ】御東向、【あか】西向、【久】西向、【久】やゝ、【久今】ちやち、【超】杉向WすこしあひありR、【丹後】東、中、【すわうの】内、【するがの】内。 一 衰衣は大方殿・御供衆・久寶寺の御衆計也。其外はなし。皆烏帽子上下也。中間まで同、小者は上下ばかり也。 一 女房衆の御こしは、さきへ御出候て、葬所の勤はて候は、又前より御たち候。わらんづをぬぐ時、さきへ輿をとをも候へば、こしの數おほく候て、時剋うつりてわろし。 一 をり物のけさの衆。本善寺・順興寺・敎行寺・三位・【かたゝ】治部卿。此衆用意候て持候間、此葬よりかけはじめ候。 一 燒香の次第。調聲人、三位、本善寺、順興寺、敎行寺、【堅田】治部卿、【名塩】式部卿、【出】大藏卿、【左】宮内卿、【はりま】少將、惠光寺、【出】兵部卿、勝林坊、【もろゑ】卿、毫攝寺、【下市】刑部卿、興正寺、【同】刑部卿。 一 たいまつは、三位と惠光寺也。 一 白きたづなのわりたるを、かゝせ申候とて候。 一 沐浴のつとめは、「正信偈」[ぜゞ]、和贊三首にて廻向也。 Ⅵ-1111一 入棺のつとめは、「正信偈」[ぜゞ]、念佛百返、廻向也。 一 町蠟燭は四十八丁也。 取骨之次第 一 廿四日卯時、時念佛なし。わらうづははかず、わらこんがうをはく。 一 燒香の次第、葬の時におなじ。 一 勤、さゝうにて始まる。此義不審、前々なき事也。『贊』(高僧*和讚)は「五濁惡世のわれらこそ」、そへ『贊』(高僧*和讚)は「さだまるときをまちえてぞ」。 一 蠟燭は机の兩のわきに二丁たつ、花足なし、三具足。葬に同前。 一 首骨は、三位・惠光寺兩人ひろう。 一 首骨はひろひ、卓の香爐のさきにをかる。 一 灰寄には、出口の西向・ちやち兩人の輿なし。 中陰之次第 一 廿四日、灰寄すぎ、御ときあり。菜八・汁三・菓子七種。 大方殿よりさせらる。先一七日の間は御時・非時、大方殿よりさせらる。御堂日中、本善寺殿御初候。中陰の間の經も同御初候。中陰の間は御客殿十五間の所也。上座にをし板あり。中に本尊をかけ、花足二合、打敷をしく。三具足、花は樒也。白蠟燭也。佛供、土器に入、香臺にすえらる。靑磁の香爐あり、燈臺あり。本尊の右に蓮淳御影かけ申さる。三具足、白蠟燭、花樒也。花足十二合、白き燈臺をおく。佛供、土器・香臺Ⅵ-1112にすへらる。靑磁の香爐あり。日中には、經一卷、念佛にて廻向。迨夜「正信偈」[はかせ]、和贊三首にて廻向。朝は「正信偈」[ぜゞ]、和贊三首、廻向。非時は、菜三・汁二・菓子三種。 廿五日御齋は、菜六・汁三・菓子五種。非時は同前。 一 御堂のつとめは、本善寺・左衞門督・三位、三人して初候。 一 中陰のまの勤は、此三人に富田・長嶋・堅田、此三人くはゝり初る也。八月廿六日に土呂殿御出候て、御堂の勤かはりめされ候。廿六日・廿七日の御ときは、菜八・汁三也。菓子七種。廿八日御時は、菜八・汁三。廿九日御時、菜六・汁三。八月朔日御齋、菜十・汁三・菓子七種。非時は、菜三・汁二・菓子三種。 一 御堂佛供は、ひるあがる也。中陰間の佛供は、又參るまで置也。 一 御時ありて後やがてかへる。 右一卷實孝之記也。仍寫之者也。 天文廿三年五月四日 兼智