Ⅵ-1091實如上人闍維中陰錄 大永五年[乙酉]二月二日、實如上人御往生。同御葬禮[幷]御中陰之次第、略而記之。 一 去年初冬之比より御淋病御煩候へ共、殊に霜月下旬より御痛候ける。十二月六日よりは朝の御勤にも御出仕なく候。但十二月十四、五日の日中・迨夜、廿四日、五日の日中・迨夜、廿七日、八日の日中・迨夜、又大晦日の迨夜に御出候。又正月一日の朝の御勤に御出候。是ぞ御勤之終、以後に申合候き。廿日比より彌御不食の事候也。 一 正月三ケ日の御祝ばかりに御うへえ御出候。又四日の朝は御脈も殊御疲候。又九日にも大事に御座候つる。又とり御なをし候。 一 同十八日曉[六時]、御大事候。旣之樣に存候。御脈も絶候つる。其時、若子へ御法名あそばし被參、敎行信證の四の字の内をと被仰候て、證如とつけ被申候。同若子へ御剃刀あて御申。又土呂殿若子へも實勝と法名つけ被申。同時御剃刀御あて候。人數の事。武者小路殿、【近松殿】御東向、【土呂殿】若子、【丹後】東、【上野介】奧中、【源左衞門後家】上野介、【新殿】新宰相此衆也。辰之剋程より又ちとよく御座候間、愚拙未だ御壽像不申候間、望申候處御免候。難有存候き。其後皆々被申人數多候。御裏書は一々にあそばしがたく候之間、御法名・御判計一つあそばし候て板木に開き、所々より被申候開山の御影・御壽像等に押させられ候。 一 御藥は去年初冬より竹田法印調進候。正月七日迄進候へ共、無御驗候之間、八日より上池院被參候。然Ⅵ-1092共、堅斟酌候之條、十五日より竹田・上池院兩人談合候而、御藥調進候事候。猶無御驗候間、廿四日より飛彈御藥參候、御往生のきわ迄彼御藥にて候。御病體後は、御おこりなどのやうに時々御ふるひ候て、又御熱氣さし候事候。 一 同十八日辰の剋程、ちとよく見ゑさせ給候時仰に、人間は不久、廿年・三十年の内には皆死すべし。信心決定候はゞ、皆往生を遂べしと仰候き。各難有感淚をながし申候し。 一 二月一日、ちと御驗と申合ひ候へば、二日の曉七時より御いきざしあらく御入候て、六の時分、御目を舞し候間、各肝をつぶし申候。其時、臨終佛を懸被申候へばW蓮能より參せられ候。代々の臨終佛のうつし也。印金表補繪也。圓如の御時はかゝるゝ也R、是は代々の臨終佛にあらず、印金の表補繪なりと、御主仰候き。代々の臨終佛は御土藏にあるべき由御意候間、則代々の臨終佛と[金紗表補繪也]外題に候を取出し、上の長柱にかけ被申候。御座敷は端の御亭さまのそと也。さて兔角して御心付[若子]光養殿よび參せられ、物をもよくあそばし候へなど色々御申候。又皆々も男は男、女房衆は女房衆とよりあひ佛法談合候て、信をとるべきよし仰事候。各ありがたく淚をながし申候し。さてしばしありて、御おもゆきこしめし候て、程もなく御往生候也。辰剋也。御年六十八歲也。しばしありて腰障子をはづし、各奉拜落淚周章の體、無申計候て、餘群集候之間、又障子を入、人を被出候。然共、御門弟拜見之懇望候之間、是又理りなりと、重而御堂にて拜せらるべきとの儀也。 一 本尊[臨終佛]、御亭九間の西三間の中にかけ被申候。此間御寢所也。本尊の御前とをりざま、障子のきわより間中計をきて、橫に頭北面東にふとんをしき、そのまゝ置被申候。八の時分、本尊の御前に打置ををきWもくめにぬりたる御堂の南の座敷にある打置也R、三具足をおかるW鍮石の龜鶴也R。花は樒、Ⅵ-1093赤蠟燭を燈され御勤あり。「正信偈」[ぜゞ]、短念佛、廻向也。土呂殿調聲也。白小袖・絹袈裟・木念珠、扇をば不持也。 一 八半時程に御沐浴あり。御亭奧の南の御椽也。御堂衆、白袴計にて白小袖にたすきをかけ、御ぐしをもめさせ申さる。 一 其後、白き御小袖・白御帷に御直綴、布【緖しろし】袈裟かけさせ申され、桑の木の御念珠もたせ申され、助老をつかせ申さる。手輿にめさせ[赤うるし也]、御堂へ御出候也。後堂より入申され候。 一 御堂内陣御影のとをり、のごひ板の正面に、東向に手輿ながらをき申候。御うしろより御つぶりを筑前實英かゝえ申され、右の御肩には丹後蓮應つき、御左には上野介つき申さる。其時、近松殿・土呂殿・左衞門督・予・其【内陣】外之衆、のごひ板に祗候。白小袖・直綴也。又兩の御脇に、尊顏みゑ候樣に蠟燭立らる[水の臺也]。又一家衆は南の座敷に伺候。外陣に、際より二間に橫に竹をゆひ、柱のあひに又そへ柱を立てゝ繩をあひにひき、其内には坊主衆南の脇に祗候。かの竹のそとにて皆々拜し申也。南より北の方へ人をとをされ候也。 一 其時は開山の御戸をひらかれ蠟燭を燈さる。面のさま障子もはづさるゝ也。一時計ほど諸人拜申、愁歎落淚之聲おびたゞし。 一 さて御亭へ又入申さる。本尊の御左の方[北の方也]、頭西面南にをき申さる。疊をもあげず、御莚へりのなき也。しかし石枕をさせ申、御屛風を廻にたてらるゝ也。繪を内へ本々に立る、是不審也。其時は白き御小袖をぬがせ申、御帷ばかりなり。 Ⅵ-1094一 御うへゝと、新殿へと、土呂殿へと、御訪の心に參候也。是いかゞ有べき事哉らん。 一 御影を寫せらる、土呂殿御望也。とくら寫申候。 一 同夕六時に、御亭にて迨夜あり。白小袖・絹袈裟・木念珠、扇をば不持候。近松殿御初候。「正信偈」ぜゞ、短念佛百反、廻向。 一 御往生の間の御番は、一家衆替々に申さる。 一 御堂にて三日の朝の勤之樣、如常住。但し白小袖・絹【是不審也と云々】袈裟也。扇をば不持。其後に御亭に勤あり。土呂殿調聲、「正信偈」[ぜゞ]、和讚三首の終にて打切、短念佛五十反、廻向。三日の夕の御亭にての迨夜は、「正信偈」ぜゞ、和贊三首にて廻向也。短念佛はなし。近松殿調聲。[御亭に]燈臺ををきともさるWぬりかなごの燈臺也R。 一 四日の朝、御亭にての勤は、予調聲、迨夜は若松殿。又今夜は「正信偈」[はかせ]、和贊三首打切、念佛百反、廻向。又御堂にて每月蓮祐の迨夜あり。無替事「正信偈」[はかせ]、和贊六首、念佛にて廻向也。但御亭の勤已前にある間、白小袖・絹袈裟にてまいる也。 一 今日[四日]八時より御亭の本尊の御前に、花足六行をかる。餠・山のいも・素麵也。華足に連子三方にあり。連子あかぬ方を本尊の方へはむけ候はで、實如御座候方へ向け申候。此置樣連々承及候。今度如此候。 一 五日の朝勤[御堂]、同前。持佛堂にて蓮祐の御勤あり。其後御亭にて勤あり。左衞門督調聲、「正信偈」ぜゞ、和贊三首、廻向也。 一 五日の四の時分に、御亭の奧の三間の御座敷の押板のきわ、北の脇へ、頭西面南に寫し入申さる。疊一帖うへに又かさねてA以上B二帖也C擧置也。御屛風を引廻W御病中より立らるゝ扇づくしの紺地の御屛風なりR。向の押板に本尊一幅、臨終佛也。前のそのまゝかけ申さる。卓のW前のもく目にぬりたる也R上に打敷をしかるWにしきなりR。如前花足六行、三具足、いづれも前のをそのまゝうつしをかるゝなり。又その北の御座敷Ⅵ-1095とのあひ二間に御簾をかけらるゝ也。勤の時、女房衆御參候也。 一 五日七時に、武者小路殿御垂髮あり。皆々白き小袖[上下白し]・絹袈裟、水精念珠・扇をも持て出候。勝尊剃申さる。御剃刀は、まへに上樣あて被申候間如此[云々]。開山御前に蠟燭立也。又武者小路殿は、白ねりの御小袖上にめされ候也。 一 五日の迨夜W御亭にての事也R、近松殿調聲、「正信偈」はかせ、和贊六首、念佛にて廻向。 一 六日朝御亭にての勤、波佐谷、「正信偈」ぜゞ、和贊六首、廻向也。夕迨夜、若松殿、「正信偈」[はかせ]、和贊六首終打切、念佛百反、廻向。 一 如此此間之勤之樣、度々かはり候。諸人不審をなし候。不定候事、難心得者也。 一 七日朝御亭にての勤、山田。樣體昨朝に同。 一 【七日】今日四時入棺以後に[御亭にて]勤あり。白小袖・絹袈裟、扇をば不持。土呂殿調聲、「正信偈」ぜゞ、短念佛百反、廻向也。 一 棺蓋名號は若子の御手を取れ、土呂殿あそばさせられ候也。草字に三反。 一 棺の蓋のなりなかたかに、連子のやうにこしらへ候也。白き布をたゝみ、橫に二どをり、竪に一どをりいふ也。 御葬禮之次第 一 御葬送は七日未の剋也。御棺をば、御影堂内陣の拭板正面の際きわにをかる。七帖の袈裟をかけらる。 一 開山御前に蠟燭立候。各外陣に竝居候。南の方にⅥ-1096はすこしひき分て、丹後・筑前・御堂衆など居られ候て勤あり。鈴二丁打、「正信偈」[ぜゞ]、短念佛百反、廻向。調聲端坊、同鈴をも打て初らる。 一 御輿は勤のあひだは、まづ御堂の内、北の四間に西向におかるW殿原衆居られ候所也R。さて勤過て後、上壇の正面のしきゐきわより二間計下の外陣にて、御棺を御輿にのせ申さるゝなり。御輿はつねの板輿にさゝせらるゝなり。金物ははくがみ也。 一 御輿を御影堂正面よりかき出し、一門衆皆々北の縁より藁沓をはく也W此儀、圓如・蓮能などの御時も正面よりはく也。今度如此不審の事なりR。さて御輿を阿彌陀堂御縁[ひろゑんへ]かき入申候時、すだれの方を正面へなし申さるゝ事、第一の越度也。橫にすだれを南へなしをき可被申事也。其時、若子樣も御縁へ御出候。又内陣の衆・調聲[端坊]、同藁沓をぬぎ御縁へあがり、御輿の兩方に祗候。鈴二丁打て、「十四行偈」、短念佛五十反、回向。其時は阿彌陀堂、面の障子はづされ、蠟燭立候也。 一 阿彌陀堂前にて輿に肩を入るゝ也。その相手人數次第之事。【さき】飯貝殿・【あと】若子樣、【さき】左衞門督殿・【後】土呂殿、【前】波佐谷殿・【後】近松殿、【前】山田殿・【後】若松殿、【前】富田殿・【後】少將[進]、【前】出口殿・【後】兵衞督[伊勢]、【前】大藏卿殿[出口]・【後 今少】中將A今少路殿B如覺御煩にてBこしにてさきへC、此人數計也。一家衆は人多候之間被略候。 一 時念佛は、阿彌陀堂の前の門[むねかど]より内の大番屋までありWはまきわの内の番屋之事也R。又町蠟燭のきわより火屋のきわまであり。いづれもさゝうにて初まる。時念佛一反づゝにて、鈴一丁づゝ打也[四反四打也。是一准也]。 さゝうの打樣、二反打て三反目に二つ打也。たとへば、 [初]●●●●・・・・・・・・・●● ●●●●・・・・・・・・・●●●●[終]如此。 一 葬所の勤、調聲は端坊[明誓]、鈴は勝尊[水谷]。さゝうにて初まる。「正信偈」[ぜゞ]W廿八日の朝などのごとくなりR、初重、二重、三重に如常『和贊』(正像末*和讚)三首也W[初]「无始流轉の苦をすてゝ」、[二]「南无阿彌陀佛の廻向の」、[三]「如來大悲の恩德は」、此三首なりR。三重の『和贊』の終にて打切、短念佛五Ⅵ-1097十反、廻向。 一 葬所にて燒香の次第。若子樣、端坊W燒香して勤はじまるR、土呂殿、近松殿、若松殿、今少路殿、飯貝、左衞門督、波佐谷、山田、少將、兵衞督、富田、出口、[今少]中將、大藏卿、其外一家衆、次第に燒香あり。此順如此。若子樣、先づ燒香御沙汰候へば、調聲人之事に候へば、まづ端坊せらるべき事歟と皆々申候畢。 一 町蠟燭四十八丁也。火屋の四方の角卓の兩の脇まで也。 一 提燈は四なり。御輿の前に二行に竝也。持人は、鶴壽W兵庫子息R、松壽[源次息也]、龜千代W源左衞門猶子也R、虎福W源十郎子息也R。 一 葬所の華足十二合、三具足[鈷銅也]、作り花を立らるW絹にてつくる也。奔走候之時は如此ありと云々R。 一 同打敷はあさぎの金鑭、水引は白きすゝしの絹なり。香合は堆朱ふちのみ也。 一 火屋は惣の火屋也。上の板白かへ黑ぬり新まる。扉をも新くさせらる。穴をも二つ穴を一つ大きにほり、白土にてぬるゝなり。 一 たい松は若子・土呂殿御さし候也。 一 白扇をば、火屋より五、六間かへりてすつるなり。藁沓をも同所にてぬぐなり。こんがうをはきて歸也。 一 阿彌陀堂の前の門より出でゝ、やがて同門よりかへる也。 一 葬歸りの勤、近松殿調聲、「正信偈」[はかせ]、和贊六首、念佛にて回向。草履をはき、後堂より參る。 一 太刀・打刀をも持せざるなり。持すべきかなと申候處に、みな御持せあるまじきの由候之間不持也。但一家衆、又殿原衆などは持らる。若子樣、御太刀は袋Ⅵ-1098に入て持せらる。左衞門大夫光賴持るゝ也。 一 衰衣は下間名字の衆、皆衰衣大口也。其外の殿原衆も皆々衰衣也。近松殿・若松殿・予なども召遣候。下間名字の衆は、みな衰衣大口也。其外召遣候殿原共も、小者・中間までも衰衣也。 一 女房衆之輿につく衆は、白小袖に烏帽子上下也。殿原二人・中間二人づゝ、みな御つけ候。 一 同女房衆之輿、廿一丁あり。火屋の東の方と南の方と二つ也。東の方を上に、南を末座にたてらるゝなり。 一 御輿舁人數之事。以上十人なり。 【目くすし】敎正、【よすみ】正善、【藤内二郎入道】法西、【はくさ】正空、【五郎右衞門入道】了空、【をほのき】善正、【なら】了專、【北郡】順光寺、【なかの】淨顯、【在京人】敎祐。 一 御葬送御供之次第。一番に棒の衆十人W二行にならぶR、次に調聲・鈴の役人、次に御一門衆、次に坊主衆、次に提燈[四人也]、次に御輿、次に若子、衰衣の衆、悉御供なり。次に烏帽子上下衆、次に御一門の小者・中間、次惣の中間・小者也。又取骨の時は相違候也。奧に記。 一 七日、葬過て御亭の押板の臨終佛をのけ、御壽像を[香の御袈裟衣也]眞中にかけ申さる。只一幅なり。 一 七日晩景、御堂にて俄に迨夜あり。鐘もならず、かざりもなし。「正信偈」[眞に]、『【淨土和贊初也】和贊』六首、念佛にて廻向。近松殿調聲。是は明日より御中陰にて日中あるべき間、今夜迨夜ありと云々。御亭にてもあり。予調聲。是は中陰の處に書べく候へ共、何共不見體候之間、先づ爰にしるすなり。此勤尤不審也。 一 若子樣は白き絹の衰衣めさる。ひぼは紙より也。人の肩にめし御供候也。 御灰寄之次第 一 八日卯剋也。雖然、時うつりて夜あけ候也。御堂などにて勤もなし。すぐに北の縁より出る也。 一 町蠟燭もなし、時念佛もなし、扇も常の扇なりⅥ-1099[きみかきつけすゑひろがり也]。 一 野の勤、荼毗におなじ。『和贊』三首W「本願力にあひぬれば」(高僧和讚)「五濁惡世のわれらこそ」(高僧和讚)「安樂淨土にいたるひと」(淨土和讚)R打切、念佛五十反計、回向。同荼毗。 一 燒香之人數之次第。荼毗におなじ。 一 三具足の花は樒、花足もなし。打敷昨日の分也。 一 卓の兩の脇に蠟燭立候。是は失念して立らるゝ歟。荼毗の時の如く立らるゝ事、大に其心相違せり。後人可知之。 一 拾骨は若子・土呂殿御ひろひ候。桶をきぬにつゝみ卓の上におきて後、勤はじまるなり。筑前もちてかへらる。筑前も裳付衣也。 一 藁沓、荼毗のごとくぬぐ也。こんがうをはきて歸る也。 一 灰寄の烈、行葬にかはる事は、棒之衆の次に若子御出候W衰衣衆御供也R。此相違計也。又御歸には、筑前御拾骨を持て、若子の御跡、御一門之衆のさきにかへらる。同調聲人・鈴[役人]も、御一門之衆の跡にゆかる。是計かはる也。 一 女房輿も七丁也。武者小路殿、[新殿]御北向、[土呂殿]御西向、[波佐谷]御東向、[山田]南向、御料人、[杉江]藤向計也。 一 拾骨之時、野の勤にさゝうを打ち初らるゝ事、以之外之越度也。前々無其例、只鈴二丁打て可被初事也。但蓮能之時、さゝうを被打[云々]。 一 拾骨歸りのつとめ、荼毗歸りの勤の如く後堂より參候。土呂殿調聲、「正信偈」[はかせ]、和贊六首、念佛にて廻向。拾骨は卓に直にをかる、靑磁の香爐の在所Ⅵ-1100也。靑磁の香爐は、香臺の上におかるゝ也。此時、若子を内陣へ入申さる。北の方みずのきわ、土呂殿の上に御座候也。 一 同勤已後、御亭にて勤あり。拾骨を御亭へうつし申され、土呂殿調聲、「正信偈」[はかせ]、和贊六首、念佛にて廻向。 一 女房輿は、葬之時も灰寄の時も、しばしさきに御出候て輿をたてらるゝなり。歸も一のあとなり。 一 八町の衆は、片衣・小袴に取太刀にて、家々の前をかため申候也。 中陰之次第[三七日也] 一 七日晩景、御堂にて迨夜あり。鐘もならず、莊嚴もなし。明日より中陰にて日中あるべき間、如此今夜迨夜ありと、旣先段に記し畢。 一 八日朝の勤、[ぜゞ]眞也。阿彌陀堂にも『阿彌陀經』すこし眞也。中陰中如此也。 一 八日御齋以前、御堂こしらへらる。御影前三具足、花足二合、餠ばかり也。杉成也。香立、あかし、もゑぎの段金の打敷也。水引はうすあさぎの紋紗也。御堂の障子はづさる。如廿五日、八日。 一 御戸はあけらる。御往生より五十日の間あき畢。 一 阿彌陀堂にも花足二合[杉成]、香立、あかし。 一 八日朝より御齋あり。御齋・非時の事、別に奧にしるす。御時・非時に鐘なり候也。 一 御堂日中[八日]、近松殿調聲、「正信偈」[眞也はかせ]、和贊六首、念佛にて廻向。 一 日中・迨夜に鐘なり候也。 一 衣裝は、日中も迨夜も直綴也。念珠は、日中は水精、迨夜は木。但不定。 一 御亭の押板には、あさぎの金鑭の打敷をW葬所の卓にしかれ候打敷也R直にしかる。花足十二合、鍮石の三具足、花はⅥ-1101樒也。御壽像のうわに拾骨の桶ををかるW香臺のたかさに、あつさ一寸五分計に臺をかりにしてすへらる。足もなしR。その前に、香臺に土器にて御影供あり。又前に香爐ありW鍮石三具足の也R。又前に靑磁の香爐をもをかるなり。燈臺一【左】右にをかる[蠟燭の方也]。 一 御亭に阿彌陀堂の經のをかれ候。黑き卓ををき、朝勤・迨夜には和贊をすへ、日中には經ばかりをかるゝ也。さはりは、ねこさはりなり。 一 御影供は、御堂も御亭にも朝まいりて又まいる。朝までをかるなり。如報恩講。 一 燒香は、日中と迨夜とにあり。御堂・御亭同じ。 一 御亭にては、朝勤は「正信偈」[ぜゞ]、迨夜ははかせ。和贊はいづれも六首也。 一 八日御亭にての日中、土呂殿調聲。經一卷、念佛、回向ばかりなり。伽陀もなし、後につとめもなし。中陰中如此。御亭にて三度の勤は、何も御堂以後也。 一 御時には、若子、色をめし御相伴候。非時には、只一度御出候也。左衞門大夫光賴、御そばに祗候也。 一 七日七日に花足あたらしくかへらる。 一 廿五日晩景御亭にての迨夜、若子樣御調聲、初て御沙汰候。『和贊』(正像末*和讚)六首W「彌陀大悲の誓願を」より「如來大悲の恩德は」まで也R、『和讚』の終金一丁、短念佛五十反、回向也。 一 廿六日、御爲上なり。朝點心[むしむぎ]、日中土呂殿御初候。日中勤の樣、如此間。『贊』(高僧*和讚)はW「佛法力の不思議には」より六首也R。御亭にても、土呂殿御調聲。上卷一卷、念佛如常、中程にて三重の念佛をあげられW打もきらずR、『和贊』(高僧*和讚)を御引候。「弘誓のちからをかぶらずは」に「【よせ贊】淨土無爲を期すること」(高僧*和讚)をそへらる。『和贊』にて回向。此儀、順如之御時如此ありと[云々]。仍被引Ⅵ-1102先例。 一 此間之御勤、御堂にては近松殿・若松殿調聲。又御亭にては此御兩人に、【飯貝殿】予、左衞門督、波佐谷、山田等かはりて調聲候[經も勤も]。是は土呂殿雜熱被煩候之間如此候。今度御遺言に、若子御幼少之間、土呂殿に調聲めされ候へと仰置候と承及候。 一 廿六日御齋以後、御堂取をかる。但依爲彼岸、打敷ばかり取かへらる。同御亭にもとりをかれ、御壽像御前に打置三具足計なりW花しきみたてらるR。此樒不審。花足以下なき時は、花も常の花たるべき處に、樒其例なし。同白蠟燭たてらる。是も不審也。土器に佛供入る。是も不審也。可爲佛器事也。拾骨は其まゝ如前にて、五十日の間をかる。又燈臺一同前。 一 同夕より、朝夕御亭にて勤あり。「正信偈」[ぜゞ]、短念佛百反、回向。衣裳は黑小袖・布袈裟なり。五十日の間如此。 一 他宗の衆參諷經之時は、御壽像の御前に白き蠟燭を立、靑磁の香爐をのけ「三部經」卓にすゑ、さはりをのけ鈴ををかる。 一 所々より參、經木をば諷經の時は、打敷のうへにをかる也。又臺にすはりたる經をば押板にをかるゝ也。 一 經諷經以後は、中陰の間W三間の所なりR兩の脇向の内なげし三方に棚をつり上げをかる。他衆之人見せらるべきためか。同札をつけをかる。是條如何候。 一 他衆之衆、五山の僧衆など參候へば、調經之後、酒殿にて麥にてW打敷、取足つけ、前に三づゝくむ也。そへざかなありR土呂殿御相伴候て、御歸候也。 一 三月二日、月忌初也。迨夜・日中、此間之廿五日の如し。鐘もなり、人をも入らる。此時は御齋は是よりさせらる。菜八・汁三・菓子七種、以後は廿五日の頭人、二日御時可被申候[云々]。御亭にも迨夜・日中あり。「正信偈」[はかせ]、和贊六首、念佛にて廻向。朝Ⅵ-1103勤もあり。「正信偈」[ぜゞ]、和贊六首、念佛にて回向。土呂殿調聲也。 一 御亭御壽像え、五十日之間御影供可參處、無其儀。不審第一也。 一 三月八日より、御亭の樒・白蠟燭をのけられ、赤蠟燭・常の花になり候。前の不審散也。 一 卅五日には何事もなし。 一 三月廿日、四十九日也。仍廿日圓如の迨夜・御齋をも取越さる。十九日に御時候也。 一 同十九日迨夜、七時鐘なり候WかざりなしR。白小袖・絹袈裟・水精念珠也。勤の樣眞也。其後【【御亭にもかざりなし】】御亭にもあり。「正信偈」[はかせ]、和贊六首、念佛、回向也。 一 三月廿日朝勤、白小袖・絹袈裟也。御時W汁三・菜十一R、御堂日中は如廿五日日中、直綴也。其後御亭にも日中あり。經一卷、念佛、回向。近松殿調聲。[經後]軈而勤あり。若子御調聲、「正信偈」[はかせ]、和贊三首にて廻向。 一 廿日、風呂あり。土呂殿より御燒候。又寺内七卿の風呂をも悉御燒候也。 一 同日七時、御亭御前取をかる。御拾骨つゝみたる絹をのけ、小足うちにすへ、御堂の佛壇を上一枚のけをさめらる。後に勤あり。土呂殿調聲、「正信偈」Wはかせ草なりR、和贊六首、念佛にて回向。其時、御壽像をW實如御袈裟計香也R北の押板の眞中に懸らる。蓮如の御影をば、脇の押板に懸申さるゝ也。南の脇也。 一 拾骨は五十日之間、御亭御壽像の前にあり。 【同】御中陰御齋・非時之次第 Ⅵ-1104八日。御齋、丹後。夕非時、越中五ケ山。 九日。御齋、若松殿[御一類]。夕非時、總坊主衆。 十日。御齋、【中山】御西向・爲波殿・今少路殿・飯貝・左衞門督・富田・久寶寺・出口・【同】大藏卿・【今】中將・【同】刑部卿・【飯貝】南向・富田女中・【出口】西向。夕非時、大坂殿講中。以上十五人也。 十一日。波佐谷[一類衆]。夕、殿原衆・中爲衆・土呂殿之衆・綱所之衆あり。 十二日。一家衆[南向]。夕、大坂殿寺内衆。 十三日。山田・同安養寺・竪田・【土呂】御西向・瑞泉寺・藤向。夕、總坊主衆。 十四日[初七日]。武者小路殿W此時菜八・汁三・菓子七種也R。夕、筑前・源七郎・源七・源三郎・源八・源五郎・左衞門大夫・源六・源二郎。 十五日。上野介。夕、大坂殿坊主衆四人W明祐・定專坊・乘順・惠光寺R。 十六日[二七日]。御北向。夕、駿河・藏人・兵庫・勘解由左衞門尉・和泉・龜千代・虎福・右京亮・筑後・松壽。 十七日。專光寺[汁二・菜五]。夕、正崇寺。 十八日[三七日]。近松殿・御東向・少將・【同】西向・兵衞督・【同】藤向・【安養寺】北向・【超勝寺】杉向。夕、堺寺内衆・黑江衆。 十九日。【今度】御壽像御免衆。夕、本光寺。 廿日[四七日]。【波佐谷】東向。夕、北國下間同名衆。 廿一日。總坊主衆[汁二・菜五]。夕、端坊。 廿二日[五七日]。土呂殿W汁三・菜八・菓子五種R。夕、興正寺。 廿三日。本覺寺。夕、【北郡】小直參衆。 廿四日[六七日]。南向[山田]。夕、寺内衆。 廿五日。每年頭人W誓願寺也。是に加諸坊主衆R。夕、大坂殿[北]御講衆。 廿六日[七々日]。若子樣點心W朝むし麥・菓子七種R。御齋W汁三・菜十三、再進飯也。菓子七種也R。 一 此御中陰に、御齋は菜五・汁二[菓子五種]、非時は菜三・汁二[菓子三種]に定られ候。雖然、依人所望、六菜も有べき由候へば、大概六菜にて候つる也。然間Ⅵ-1105其内五菜之衆をば、前に記候也。 一 今度御中陰五旬之おりやう、難心得也。三七日を七々日にをり合すべき處に、端の七日をそのまゝをき、如此をらるゝ事、一向理もきこへぬ事也。無先例と[云々]。仍爲末代後學記之。披見之輩可得其意者也。 一 きやうけん院崇西堂、ふぎんに參る。人數十人計あり。 一 【二月十一日】東福寺僧衆參る、四十一人[ふぎん]。知恩院之衆三十人、法然寺W知恩院に加R。稱名寺之衆十人W河内皆ふぎん、淨土宗也R。 十三日。南禪寺之衆五十七人まいる。漸者[鳥目千疋參]、等持寺衆十人[ふぎん]、法勝寺衆三十人[ふぎん]、園城寺より十合十荷參る。公文使也。 【十五日】靈山之衆參る[ふぎんあり]。百萬反之衆參[知恩院と云]。相國寺の勝定院、建仁寺の月舟、等持院の衆參。地下の僧衆も參[みなふぎんあり]。Aいまだ方々のあり。B少々記之C 一 御往生を歎申て、腹を切て死する人十人計あり。猶以後にも十人計もある由後に承。 一 五十日之中にも、一日節供御禮にありき候、御うへにて精進飯あり。これ不審也。 右一冊者、從御病中令祗候之間、當于時如此記置者也。更不可有相違。是非爲他見之條、懇加筆訖。 大永五年卯月中旬如此之加奧書者也 右筆實孝[判] 此一卷本善寺實孝被記之也、仍寫留之者也。 兼智