Ⅵ-0889了智六箇條 定 門徒の中に存知して念佛を勤行すべき事。 念佛を申し宗につらなりながら、私邪義をたてん輩におきては、つたうるところの聖敎・本尊を悔還して、早衆中を停廢すべし。ゆへはいかんとなれば、愚癡の輩はよきことをば學ずして、わるきことをばこのみまなぶ。一人わるきとがゆへに、萬人を損ずるのみにあらず、すでに門徒の惡名をなす。しかるあひだ、かたくいましむべきなり。 一 善惡をもわきまえざる愚癡の輩、はじめて師匠をたのみ佛法を聽聞してのち、さかしくなりて同行をもおほくすゝめともなふによて、ひとへにわがちからとおもふて、師の御德をわすれて、師のとがを、もとめてあひはなるゝこと、ことにとゞむべし。かくのごときの輩は、師をそむくによりて、いかに念佛はまふすとも、順次に往生すべからず。師を謗じて佛にならざるむね、當流にかぎらⅥ-0890ず、諸宗の聖敎にその證據あきらかなり。いたりて現世・後生のあだとなりて、身も損じ、人をも損じつべからむとがはちからおよばず、その以下の少々の事をばなげすてゝ、ひとへに後生の事をいひ談じて、あえて現世の少事を目にも心にもかくべからず。 一 わたくしに弟子同行をかんだうすべからず。とがあらむにおきては、門徒の僉議をへて、そのおもむきにしたがふて、罪科現在たらばかんだうすべし。しかりといふとも、先非を懺悔せば、ゆるしつべくはゆるすべし。 一 佛法の莊嚴のために總門徒の僉議あて配分せらるゝ談義各米、難澁すべからず。もし懈怠せむ輩は、門徒の儀あるべからず。 一 念佛勤行のともがらは、在所の禮儀をそむくべからず。ゆえいかんとなれば、安堵さだまらざるは、佛法の滅亡のもとゐなるゆへなり。 一 每月廿八日には、いかなる大事ありといふとも、みな集會して、佛法の修理莊嚴をいひあはすべし。これすなはち行者の信不信を糾明せんがためなり。 右いましめおくところかくのごとし。かたくこのはうをまもりて念佛を勤行すべし。もしこのおきぶみをそむかんともがらにおきては、はやく衆中を停Ⅵ-0890廢せむに、同行・善知識をうらむるにあたはず。自業自得の道理によるがゆへなり。仍置文の狀、如件。 七月 日   了智