Ⅵ-0735法然上人傳法繪[下卷] 七箇條起請文 (一) 一 あまねく予が門人念佛上人等に告はく。 いまだ一句の文をうかゞはず眞言・止觀を破し、餘佛・菩薩を謗じたてまつる事を停止すべき事。 右、道を立破するにいたては、學生のふるところ也、愚人の境界にあらず。しかのみならず、誹謗正法は彌陀の願に免除せられたり。その報まさに那落に墮すべし。豈癡闇のいたりにあらずや。 (二) 一 无智の身をもて有智の人にむかひ、別行のともがらにあふてこのみて諍論を致ことを停止すべき事。 右、論義は、智者の有なり、さらに愚人の分にあらず。又諍論のところにはもろもろの煩惱起る。智者これを遠離すること百由旬なり。いはむや一向念佛の行人においておや。 Ⅵ-0736(三) 一 別解・別行の人にむかふて、愚癡偏執の心をもてまさに本業を棄置し、しゐてこれを嫌喧すべしといふことを停止すべき事。 右、修道のならひ、おのおのつとむるに、あえて餘行を遮せず。『西方要決』(意)にいはく、「別解・別行のものには、すべて敬心をおこせ。もし輕慢を生ぜば、つみをえむこときわまりなし」と[云々]。何ぞこの制をそむかむや。 (四) 一 念佛門において、戒行なしと號して專婬酒食肉をすゝめ、たまたま律儀をまもるものを雜行となづく、彌陀の本願をたのむもの、說て造惡をおそるゝことなかれといふ事を停止すべき事。 右、戒はこれ佛法の大地なり、衆行まちまちなりといゑども、おなじくこれをもはらにす。これをもて善導和尙、めをあげて女人をみず。この行狀のおもむき、本律の制、淨業のたぐひにすぎたり。これに順ぜずは、すべて如來の遺敎をわすれたり、別しては祖師の舊跡にそむく。かたがた據なきもの歟。 (五) 一 是非をわきまへざる癡人、聖敎をはなれ師說にあらず、おそらくはわたくしの義を述し、みだりに諍論をくわだて、智者にわらはれ、愚人を迷亂する事を停止すべき事。 Ⅵ-0737右、無智の大天魔、この朝に再誕して、みだりがはしく邪義を述す。すでに九十五種の異道に同じ、もともこれをかなしむべし。 (六) 一 癡鈍のみをもて、ことに唱道をこのみ、正法をしらずして種種の邪法をとき、無智の道俗を敎化することを停止すべき事。 右、さとりなくして師となるは、これ『梵網』の制戒なり。黑闇のたぐひ、おのれが才をあらはさむとおもふて、淨土の敎をもて藝能として、名利を貪じ檀越をのぞむ。おそらくは自由の妄說をなして、世間の人を誑惑せむ。誑法のとが、ことにおもし。このともがらは國賊にあらずや。 (七) 一 みづから佛敎にあらざる邪法をときて正法とし、師範の說と號する事を停止すべき事。 右、おのおの一人なりといゑども、つめるところ予一身のためなりととく。衆惡をして彌陀の敎文をけがし、師匠の惡名をあぐ、不善のはなはだしきこと、これにすぎたる事なきもの也。 以前七箇條甄錄かくのごとし。一分も敎文をまなばむ弟子等は、すこぶる旨趣を知て年來のあひだ念佛を修すといゑども、聖敎に隨順して、あえて人心にたⅥ-0738がはず、世聽をおどろかすことなかれ。これによて、いまに三十箇年无爲なり。日月をわたりて近王にいたるまで、この十箇年より以後、無智不善のともがら時々到來す。たゞ彌陀の淨業を失するのみにあらず、又釋迦の遺法を汚穢す。何炯誡をくわへざらむや。この七箇條のうち、不當のあひだ巨細の事等おほし。註述しがたし。すべてかくのごときらの無方、つゝしんでおかすべからず。このうへなほ制法をそむくともがらは、これ予門人にあらず、魔の眷屬なり。さらに草庵にきたるべからず。自今以後、おのおのきゝおよばむにしたがふて、かならずこれをふれらるべし。餘人あひともなうことなかれ。もししからずは、これ同意の人なり。かのとがなすごときのものは、同法をいかり師匠をうらむることあたはず。自業自得のことはり、たゞおのれが身にありならくのみ。このゆへに、今日四方の行人をもよおして、一室にあつめて告命すらく、風聞ありといゑども、たしかにたれの人のとがとしらず、沙汰によて愁歎す。年序をおくる、とゞめもだすべきにあらず。先ちからのおよぶにしたがて、禁遏のはかりごとをめぐらすところ也。よてそのおもむきを錄して門葉等にしめす狀、如件。 元久元年十一月七日 沙門源空 Ⅵ-0739見佛 聖蓮 行西 源智 證空 尊西 感聖 善信 導亘 導西 寂西 西縁 幸西 西意 源蓮 行空 宗慶 親西 信蓮 佛心 蓮生 元久二年四月五日、九條殿にまいりて退出の時、頭光を現じ、蓮華をふみて、はるかに地をはなれてあゆみ給ければ、入道殿下、にわにおりて拜奉給けり。さて人々にかゝる事ありつ、おのおのおがみつるかと仰ありければ、隆信入道戒心房・中納言阿闍梨尋玄、おがまざるよし申けり。これよりいよいよ御歸依はなはだしかりけり。 元久三年正月四日、三尊大身を現じ給ふ。又五日、おなじく現じ給ふと[云々]。 元久三年七月に、吉水をいでゝ小松殿におはしましける時、 こまつとは たれかいひけむ おぼつかな くもをさゝふる たかまつのきを 權律師隆寛、こまつどのへまいられたりけるに、御堂のうしろどにて、上人一卷の書を持て、隆寛のふところにおし入給ふ。月輪殿の仰によりてつくり給へる『選擇集』これなり。 上西門の女院にて、上人七日說戒ありけるに、からがきのうゑに一の蛇あり。Ⅵ-0740夏の事なれば目おどろかずといゑども、日ごとにかくる事なくして、わだかまりてすこぶる聽聞の氣色みへければ、人々目もあやにみけり。第七日の結願にあたりて、このくちなわ、からがきのうへにて死にけるほどに、そのかしら二にわれて、中より蝶のやうなるものいづとみる人もあり。又かしらばかりわれたりとみる人もありけり。又天人ののぼるとみる人もありけり。昔遠行するひじり、その日くれにければ、野中につかあなのありけるにとゞまりて、よもすがら『無量義經』をそらに誦しけるほどに、かのつかあなの中に五百の蝙蝠ありけり。この『經』聽聞しつる功德によりて、このかはほり、五百の天人となりて忉利天にむまれぬといへり。いまひとすぢのくちなはあり、七日の說戒の功力にこたへて、雲をわけてのぼりぬるにやと、人々隨喜をなす。かれは上代なるうへに大國なり、これは末代にして又小國なり。希代の勝事なり、凡人の所爲にあらずとぞ、ときの人々申ける。 「わざわい三女よりおこる」といふ本文あり。隱岐の法皇の御熊野まうでのひまに、小御所女房達、つれづれをなぐさめむために、上人の御弟子藏人入道安樂房は、日本第一の美僧なりければ、これをめしよせて禮讚せさせて、そのまぎれに燈Ⅵ-0741明をけしてこれをとらへて、種々不思議の事どもありけり。法皇御下向ののち、これをきこしめして、逆鱗のあまりに住蓮・安樂二人おば、やがて死罪におこなはれにけり。その餘失、なほやまずして上人のうゑにおよびて、建永二年二月廿七日、御年七十九、おぼしめしもよらぬ遠流の事あり。權者の凡夫に同ずる時、かくのごとくの事さだまれるならひなり。唐には一行阿闍梨・白樂天、わが朝には役の行者・北野の天神、おどろくべからずといゑども、おろかなるわれらがごときは、時にあたりては、しのびがたきなげきなるべし。 同日、大納言の律師公金、のちには嵯峨の正信上人と申き。ことにたふとき人にて、慈覺大師の御袈裟ならびに天台大乘戒等、上人の一の御弟子信空にこれをつたへ給へり。おなじく西國へながされ給とて、御ふねにのりうつりて、なごりをおしみ給けり。いとあはれにぞおぼゆる。 攝津國經のしまにとまらせ給ければ、村里の男女・大小・老若、まいりあつまりけり。その時、念佛の御すゝめいよいよひろく、上下結縁かずをしらず。この島は、六波羅の大相國、一千部の『法華經』を石のおもてにかきて、おほくののぼりぶねをたすけ、人のなげきをやすめむために、つきはじめられけり。いまにⅥ-0742いたるまで、くだるふねには、かならず石をひろいておくならひなり。利益まことにかぎりなきところなり。 播摩のむろにつき給ければ、君だちまいりけり。昔小松の天皇、八人の姫宮を七道につかはして、君の名をとゞめ給中に、天王寺の別當僧正行尊、拜堂のためにくだられける日、江口神崎の君だち、御ふねちかくふねをよせける時、僧のふねにみぐるしくやと申ければ、神歌をうたい出し侍けり。 うろぢより むろぢへかよふ しやかだにも らごらがはゝは ありとこそきけ とうちいだし侍ければ、さまざまの纏頭し給けり。又おなじき宿の長者、老病にせまりて、最後のいまやうに、「なにしにわがみのおいぬらむ、思へばいとこそかなしけれ。いまは西方極樂の、みだのちかひをたのむべし」と、うたひて往生しけるところなり。よて上人をおがみたてまつりて、縁をむすばむとて、くもかすみのごとく、まいりあつまりける中に、げにげにしげなる修行者とひ奉る。至誠心等の三心を具し候べきやうおば、いかゞ思ひさだめ候べき。上人答ての給はく、三心を具する事は、たゞ別のやうなし。阿彌陀佛の本願に、わが名號を稱念せば、かならず來迎せむとおほせられたれば、決定して引接せられまいらⅥ-0743すべしとふかく信じて、こゝろに念じ口に稱するにものうからず。すでに往生したる心地して、最後の一念にいたるまでおこたらざれば、自然に三心具足するなり。又在家のものどもは、さほどに思はねども、念佛申すものは極樂にむまるゝなればとて、つねに念佛をだに申せば、三心は具足するなり。さればこそ、いふかひなきものどもの中にも、神妙の往生はする事にてあれ。たゞうらうらと本願をたのみて、南无阿彌陀佛とおこたらずとなふべき也。 同三月廿六日、讚岐國しほあきの地頭、駿河權守高階の時遠入道西仁がたちにつき給ふ。さまざまのきらめきにて美膳を奉り、湯ひかせなどして、こゝろざしいとあはれなりけり。これを御覽じて、上人の御歌、 ごくらくも かくやあるらむ あらたのし とくまいらばや 南無阿彌陀佛 あみだぶと いふよりほかは つのくにの なにはの事も あしかりぬべし 又云、「名利は生死のきづな、三途の鐵網にかゝる。稱名は往生のつばさ、九品の蓮臺にのぼる」。 時遠入道西仁、問奉て云く、自力・他力の事は、いかゞこゝろえ候べき。答て云く、源空は殿上へまいるべききりやうにてはなけれども、上よりめせば二度Ⅵ-0744までまいりたりき。これはわがまいるべきしきにてはなけれども、上の御力なり。まして阿彌陀佛の御力にて稱名の願にこたへて來迎せさせ給はむ事おば、なにの不審かあらむ。自身のつみおもくして無智なれば、佛もいかにしてすくひ給はむなど思はむは、つやつや佛の願をしらざる人なり。かゝる罪人を、やすやすとたすけむれうに、おこし給へる本願の名號をとなへながら、ちりばかりもうたがふ心あるまじきなり。十方衆生の願の中には、有智・無智、有罪・無罪、善人・惡人、持戒・破戒、男子・女人、三寶滅盡ののちの百歲までの衆生、みなこもれり。かの三寶滅盡の時の念佛者と、當時のわ入道殿などは佛のごとし。かの時は人壽十歲とて、戒定惠の三學の名をだにもきかず、いふばかりもなきものどもの來迎にあづかるべき道理をしりながら、わが身のすてられまいらすべきやうおば、いかゞ案じいだすべき。たゞ極樂のねがはしくもなく、念佛の申されざらむ事のみこそ、往生のさわりにてはあるべけれ。かるがゆへに他力の本願とも、超世の悲願とも申也。時遠入道、いまこそこゝろえ候ぬれとて、てをあはせてよろこびけり。 讚岐國小松の庄は、弘法大師の建立、觀音の靈驗のところ、生福寺につき給ふ。 Ⅵ-0745そもそも當國に、同じき大師の父のために名をかりて、善通寺といふ伽藍おはします。記文にいはく、「これにまいらむ人は、かならず一佛淨土のともたるべきよし侍ければ、このたびのよろこび、これにあり」とて、すなわちまいり給けり。 同行たち、名にきこへたるところ也。いざや、さぬきの松山みむといひければ、われもゆかむとて上人もわたり給たりけるに、人々おもしろさにたえずして、一首づゝあるべきよしいひければ、上人、 いかにして われごくらくに まいるべき みだのちかひの なきよなりせば 人々、この御歌落題に候、松山遠流のけしき候はずとなんじ申ければ、さりとては、ところのおもしろくて、こゝろのすめば、かくいはるゝなりとおほせられければ、みななみだおとしてけり。 建曆元年八月、かへりのぼり給べきよし、中納言光親の卿のうけたまはりにてありけるに、しばらく勝尾の勝如上人の往生の地、いみじくおぼへて御逗留ありけるに、道俗男女まいりあつまりけり。 かくて恆例の引聲念佛、聽聞のおはりに、僧の衣裳ことやうなりければ、信空Ⅵ-0746上人のもとへこのやうをおほせられて、裝束勸進のありければ、ほどなく法服十五具すゝめ出してもちてまいり給けり。感にたへて住僧等、臨時の念佛七日七夜勤修する也。 當山に一切經ましまさゞりければ、上人所持の經論をくだし給けるに、寺僧七十人ばかり、蓋をさし、香をたき、花をちらし、おのおの歡喜して迎へ奉り、あまさへ聖覺法印を唱道として開題・讚嘆し奉ける。その言にいはく、「夫以れば、智慧は諸佛の萬行の根本なり。これをもて、六度の中には般若を第一とす。すでに往生をねがひ、佛身をねがふ。佛といふは卽是智慧究竟せる名なり。尤さとりを起して、たえむにしたがひて、彌陀の功德・極樂の莊嚴おも觀ずべし。何ぞたゞ無智の稱名をすゝむるや。是大きに佛法の通道理にそむけり。何ぞいはく、佛法において智慧をもて最勝とする事勿論なり。いま一代を分別するに二種あり。一には聖道、二には淨土なり。かの聖道門といふは、智慧をきわめて生死をはなる。いま淨土門といふは、愚癡にかへりて極樂にむまる。二門ともに一佛の所說なりといゑども、廢立參差し天地懸隔なり、これすなわち大聖の善巧利生方便なり。常途の敎義をもて、みだりがはしく難ずべからず。Ⅵ-0747それ愚癡にかへるといふは、法藏比丘の昔の時、成就衆生の願をたて給しおり、すべて罪障深重のたぐひ、濁世末代の愚鈍のやから、生死の盡期なからむ事をふかく悲て、五劫思惟の室のうちに觀念・坐禪・布施・持戒等のわづらはしき諸の行をさしおきて、易行易修の稱名をもて本願として、普く一切の下機に應じ給へり。一念なほ得生の業也、況や多念おや。五逆むねと正機なり、況や輕罪の人おや。これによりて超世の誓願となづけ、又は不共の利生と稱す。ふかくその願を信じて名號を稱念すれば、愚癡を論ぜず、持戒・破戒を簡ず、十は十ながらむまれ、百は百ながらむまる。しかのみならず、釋迦慇懃の付屬、諸佛一味の證誠は、たゞ名號にかぎりて觀佛に通ぜず。指方立相して、あへてふかきことはりをあかさず、無智の義文ことわり必然なり。たゞ信じて行ずるよりほかには義なきをもては義とす。但もとより智慧ありて彌陀の内證外用の功德、極樂の地下・地上の莊嚴等を、是を觀ぜむおば、必ずしも遮せず。いま論ずるところは、義理觀念をもて宗として、但信稱名の行者をかたくなはしくこれを非するを解する也。かの聖道門の先德・明哲、淨土門に入て宗意をあきらめて、其心をうれば、本願の奧旨、往生の正業、倂ら口稱念Ⅵ-0748佛也と見ひらきぬる上は、淨土經の所說の觀佛三昧すらなほもて廢す、いかにいはむや他宗のふかき觀においてをや。只稱名のほかにはその他事をわする。かるがゆへに淨土の機は、愚癡にかえるとはいふ也。夫八萬の法藏は八萬の衆類をみちびき、一實眞如は一向專稱をあらはすところなり。用明天王のまうけのきみ、御誕生に南无佛と唱へ給ふ。その名をあらはさずといゑども、心は彌陀の名號なり。慈覺大師の傳燈は經文を引て寶池のなみに和し、空也上人の念佛常行はこゑをたてゝ德をあらはし、永觀律師の往生の式は七門をひらいて一偏につかず、良忍上人の融通念佛は神祇冥道にはすゝめ給へども、凡夫ののぞみはうとうとし。こゝにわが大師法主上人、行年四十三より念佛門に入て、あまねくひろめ給に、天子のいつくしみ玉冠をにしに傾け、月卿の賢き金劍をにしにたゞしくす。皇后のこひたるは韋提希のあとをおひ、傾城のことんなき五百の侍女をまなぶ。而間、とめるはおごりてもてあそび、まづしきものはなげきてともとす。農夫は鋤をもてかずをしり、驛路は念佛をもて馬に擬し、舷をたゝく海上には念佛をもて魚をつり、鹿をまつ木本には念佛をもてひづめをとる。雪月花をみる人は西樓に目をかけ、琴詩酒に耽輩はにしのえだのⅥ-0749梨をおる。彌陀をあがめざる人をば瑕瑾とし、ずゞをくらざるときおばはぢとす。花族英才なりといゑども、念佛せざるおばおとしめ、乞丐非人なりといゑども、念佛するおばもてなす。かるがゆへに八功德水の上には念佛の蓮す池に滿、三尊來迎のいとなみには紫臺をさしおくひまなし。しかのみならず、われらが念佛せざるはかの池の荒廢なり、われらが欣求せざるはその國の愁訴也。くにのにぎわひ、佛のたのしみ、稱名をもてさきとす。人のねがひ、わがねがひ、念佛をもてもとゝす。よて當座の愚昧、公請につかへてかへるよは念佛を唱て枕とし、私宅をいでゝわしる日は極樂を念じて車をはす。これみな上人の敎誡、過去の宿善にあらずや。たづねみれば、彌陀はすなわち應聲來現の如來、受用智慧の眞身也。名號は又五劫思惟の肝心、願行所成の總體也。かるがゆへにこれを信じて稱念すれば、念々に八十億劫の生死の罪𠍴を滅し、こゑごゑに無上の大利を獲得す。このゆへに念佛の衆生は、一世に卽ち相好の業因をうへ、現身にあくまで福智の資糧をたくわへて、愚癡暗鈍の凡夫なれども、うちには六度の萬行を修する菩薩とおなじ。もししからば、いかで有漏の穢土をいでゝ無爲の報國にまいりて、凡夫の性をすてゝ直に法性の身を證せむや。定てⅥ-0750しりぬ、彌陀の本願といふは、萬機を名號の一願におさめ、千品を口稱の十念にむかへ、同じく寶池の蓮に託生せしめ、ともに無生の益を證得す。五逆をもきらはず、謗法おもすてず。しりぬべし」とて、はなをかみとゞこほりなくの給ければ、寺僧結衆、戒成王子の『大般若』供養には草木ことごとくなびきけり。いま上人、念佛の勸進には道俗みな淨土をねがひけり。ほどなく歸京のよしきこへければ、一山みなおくり奉る。 昔釋迦佛、忉利の雲よりくだり給ければ、人天大會よろこびしがごとく、いま上人、南海よりのぼり給へば、人々面々に供養し奉る。一夜のうちに一千餘人と云。あけゝれば、上下くもかすみのごとくあつまりて、御物語ありけるに仰られけるは、決定往生の人に二人のしなあるべし。一には、威儀をそなへ、口には念佛を相續し、心には本誓をあおぎて四威儀のふるまひにつけて遁世の相をあらはし、三業の所作出要にそなへたり。ほかに賢善精進の相あれども、うちに愚癡・懈怠の心なく、行儀おもかゝず、渡世おもうかゞはず、心かだましくして利養をへつらふ事もなく、名聞の思もなく、貪瞋・邪僞もなく、奸詐百端もなく、雜毒のけがれもなく、不可の失もなく、まことに外儀も精進にⅥ-0751内心も賢善に、内外相應して一向に往生をねがふ人もあり。これ決定往生の人なり。かゝる上根の後世者は末代にまれなるべし。二には、ほかにたふとくいみじき相おもほどこさず、うちに名利の心もなく、三界をふかくうとみていとふ心肝にそみ、淨土をこひねがふ心髓にとほり、本願を信知してむねのうちに歡喜し、往生をねがひて念佛をおこたらず。ほかには世間にまじはりて世路をわしり、在家にともなひて利養にかたどり、妻子に隨逐して行儀更に遁世のふるまひならず。しかりといゑども、心中には往生の心ざし片時もわすれがたく、身口の二業を意業にゆづり、世路のいとなみを往生の資糧とあてがひ、妻子眷屬を知識同行とたのみて、よはひの日々にかたぶくおば往生のやうやくちかづくぞとよろこび、命の夜々におとろふるおば穢土のやうやくとおざかるぞと心え、命のおはらむ時を生死のおはりとあてがひ、かたちをすてむ時を苦惱のおはりと期し、佛はこの時に現前せむとちかひて影向を柴のとぼそにたれ、行者はこの時ゆかむと期して、結跏を觀音の蓮臺の上にまつ。このゆへに、いそがしきかな往生、とくこの命のはてねかし。こひしきかな極樂、はやくこの命のたへねかし。くやしきかなわが心、生死の人やをすみかとして惡業のためにつかはるゝ事。うⅥ-0752れしきかなわが心、無爲のみやこにかへりゆきて四生のあるじとあおがれむ事。かやうに心のうちにすまして廢忘する事なく、たとひ縁にあへばよろこびもあり、うれへもあり、おしき事もあり、うとましき事もあり、はづかしき事もあり、いとおしき事もあり、ねたき事もあり。かやうの事あれども、これは一旦のゆめのあひだの穢土のならひぐせと心えて、これがためにまぎらはかされず、いよいよいとはしく、たびのみちにあれたるやどにとゞまりてあかしかねたる心地して、よそめはとりわき後世者ともしられず、よの中にまぎれて、たゞ彌陀の本願にのりて、ひそかに往生する人あり。これはまことの後世者なるべし。時機相應したる決定往生の人なり。この二人の心だてを彌陀は「至心」(大經*卷上)とおしへ、釋迦は「至誠心」(觀經)と說、善導は「眞實心」(散善義)と釋し給へり。 つぎのとし、上人滿八十、正月二日より老病の上に不食ことに增して、おほよそ兩三年、耳もきゝ給はず、心も毫じ給へり。しかるをいまさらに昔のごとく明々として、念佛つねよりも熾盛なり。仁和寺に侍けるあま、御往生をゆめにみてまいり侍けり。 ある時つげての給はく、この十餘年念佛功つもりて、佛・菩薩・極樂の莊嚴をⅥ-0753おがむ事これつねなり。末座の僧とひ奉ていはく、このたびの御往生は決定なりや。答の給はく、極樂にありし身なれば、かへりゆくべし。觀音・勢至等の聖衆、まなこのまへにましますよしをたびたびの給ふ。紫雲の現ずるをきゝ給て、卽ちかたりての給はく、わが往生は、もろもろの衆生のため也。又その期にのぞみて、三日三夜、或は一時、或半時、高聲の念佛きくものみなおどろく。廿四日とりの剋より以去、稱名體をせめて無間なり、無餘也。助音の人々は窮崛におよぶといゑども、暮齡病惱の身、勇猛にしてこゑをたゝざる事、未曾有の事なり。明日往生のよしを、夢想のつげによておどろききたりて終焉にあふもの、五六許輩なり。かねて往生の告をかぶる人々、前權右大辨藤原兼隆朝臣・權律師隆寛・白河准后宮女房・別當入道なをしらず・尼念阿彌陀佛・坂東尼・侍從信賢・祇陀林經師・一切經谷住侶大進公・薄師眞淸・水尾山樵夫、紫雲をみたるものどもあり。彌陀の三尊、紫雲に乘じて來迎し給をみる人々、信空上人・隆寛律師・證空上人・空阿彌陀佛・定生房・勢觀房。 廿五日の最後には、慈覺大師の袈裟をかけて、四句の文を唱ふ。「光明遍照、Ⅵ-0754十方世界、念佛衆生、攝取不捨」(觀經)これなり。頭北面西にしておはり給ぬ。音聲とゞまりてのち、なほ脣舌をうごかす事十餘反ばかりなり。面色ことにあざやかにして、形容ゑめるににたり。時に建曆二年正月廿五日午正中なり。春秋八十にみつ。釋尊の在世におなじ。ひとりの雲客ありて七、八年のさきにゆめにみて、上人の臨終に「光明遍照」(觀經)の文を誦し給べしと。往日のゆめいまに符合す、たれか歸信せざらむや。命つき、魂さりぬれば、むなしく名字をとゞめて、自のため、他のため、なんの益かあるや。しかるに淨土の宗義につきて、凡夫直往の徑路をしめし、選擇本願をあらはして、念佛の行者の龜鏡にそなふ。餘恩沒後にあたりていよいよさかりに、遺德在世にひとしくして變ずる事なし。朝野遠近、おなじく寶刹の月をのぞみ、貴賤男女、ともに檀林のくせをねがふ。このゆへに、あるいは紫雲に乘じ、あるいは蓮臺に坐し、あるいは異香をかぎ、或は光明をみ、或は化佛を拜し、或は聖衆にまじはりてながく娑婆をいでゝ、たちまちに淨土にうつる事、親聽にふるゝところ、目にみち、耳にみてり。ながれをくみて、みなもとをたづぬるに、先師の恩德なり。すゑのよのわれらが大師、この人にあり。恩やまよりもたかく、德うみよりもふかし。Ⅵ-0755萬劫・億劫にも謝しがたく、報じがたし。しかしつねに名號をとなえて、かの本懷に順ぜむにはしかじ[云々]。 御中陰御佛事の事。 初七日 不動尊 御導師 信蓮房 二七日 普賢菩薩 御導師 求佛房 三七日 彌勒菩薩 御導師 住信房 四七日 正觀音 御導師 法蓮房 五七日 地藏菩薩 御導師 權律師隆寛 六七日 釋迦如來 御導師 法印大僧都聖覺 七七日 兩界曼陀羅・阿彌陀如來 御導師 三井僧正公胤 法地房の法印在世のあひだは、若大衆たびたびおこるといゑども、證眞法印、上人の德に歸して奏狀をかゝざるあひだ、ちからおよばずしてすぐるほどに、後高倉院御宇に、僧正圓基持山の時、嘉祿三年W丁亥R六月廿一日、山の所司・專當くだりて、上人の墓所をほりすつべきよしきこゆ。こゝに京師守護修理の亮平の時氏、内藤五郎兵衞入道盛政法師をさしつかはして、子細をたづⅥ-0756ねらるゝあひだ、問答往復して晩陰におよぶによりて、使等かへりおはりぬ。よりて信空上人・弟子幷に念佛に心ざしある道俗等、棺をになひて嵯峨の二尊院にかくしおきて、つぎのとし火葬しておのおの御骨をえ、くびにかけて、如來の舍利をうやまうがごとし。こゝにしりぬ、これ聖人の大悲の方便なり、またく邪魔・外道の障難にあらざる也。 入道隨蓮といふものありけり、四條までのこうぢはいゑなり。出家ののち、つねに上人にまいりて念佛の事をうけ給けり。上人仰せられて云、念佛はやうなきをやうとす。たゞつねに念佛すれば、臨終にはかならず佛きたりてむかへて、極樂にはまいるなりとの給、ひごろこの御ことばを信じて餘念なきところに、ある人の云く、念佛申て往生するには、かならず三心といふ事あり、これをしらでは往生かなはずといふ。隨蓮申すやう、上人の御房はたゞやうなしとこそ候しかと申すところに、かの御房いはく、それは心うまじきものゝためには、さおほせられけるなりと申けり。まことにさる事もあるらむと思て、この事おぼつかなくて心みだれておぼへけるに、ある時ゆめにみるやう。法勝寺の阿彌陀堂に、人々あまた法門さたあるとおぼへてまいりてみれば、上人みなみむきにきたの座におはⅥ-0757します。ちかくまいりて候へば、隨蓮を御覽じて仰られての給はく、汝このほど心におぼつかなく思ひつる事あり、それはおぼつかなく思ふべからず。たとへばこの池に蓮花あり。この蓮華をひが事いふ人ありて、これは蓮華にはあらず、むめなり、さくらなりといはむおば、汝はいかゞ思べき。答申ていはく、現に蓮花にて候はむおば、いかに人むめ・さくらと申候とも、いかゞむめ・さくらとは思ひ候べき。その時上人の給はく、いかに人いふとも、それは蓮華をむめ・さくらといはむがごとし、信ずべからず。わがやうなきをやうとす、たゞ念佛すれば往生すといひしを信じて、念佛申すべしとの給へり。そのゝち不審ことごとくはれて、心あきらかになりぬといへり。されば、たれたれもこの定に心えて、やうもなき念佛して、往生すべき也。 建永二年の春、上人配所におもむき給ふ時、信空ひそかに申ていはく、御年たかくなりて、とおきさかひにおもむき給事、いたはしく、かなしくこそと申されければ、上人無實にてとおきさかひにおもむく事、そのたぐひおほし。われこれをなげきとせず。たゞしおそらくは天衆地類知見あらば、もし天下のため大事やいできたらむずらむとの給へり。又もし因縁つきずは、又あひあふ事もなどかⅥ-0758なからむとの給ふ。信空のの給はく、先師のことばたがはず、承久三年に君はおきの國にとしをへて御なげき、臣は東土のみちに命をうしなふ。又おほかた念佛沙汰ある事に、必ず世間おだしからず、因果の道理むなしからず。たれかこれをおそれざるべきといへり。 南无阿彌陀佛[十反] [草本云 永仁四年十一月十六日云々] 永仁四年W丙申R十二月下旬W第六R書寫之