Ⅴ-0201御俗姓 それ祖師聖人之俗姓をいへば、藤氏として後長岡丞相W内麿公R末孫、皇太后宮大進有範之子也。又本地を尋れば、彌陀如來の化身と號し、或は曇鸞大師の再誕ともいへり。然則、生年九歲の春比、慈鎭和尙の門人につらなり、出家得度して其名を範宴少納言公と號す。それよりこのかた楞嚴橫川の末流をつたへ、天台宗の碩學となりたまひぬ。其後廿九歲にして、はじめて源空聖人の禪室にまひり、上足の弟子となり、眞宗一流をくみ、專修專念の義をたて、すみやかに凡夫直入の眞心をあらはし、在家止住の愚人をおしへて報土往生をすゝめましましけり。抑今月廿八日者、祖師聖人遷化の御正忌として、每年をいはず親疎をきらはず、古今の行者、此御正忌を存知せざる輩あるべからず。因茲當流にその名をかけ、其信心を獲得したらん行者、此御正忌をもて報謝の志をはこばざらん行者においては、誠以木石にひとしからんものなり。しかるあひだ、かの御恩德のふかきことは、迷慮八萬の頂、蒼溟三千の底にこえすぎたり。不可報、不可謝者歟。此故每Ⅴ-0202年の例時として、一七ケ日之間、如形報恩謝德のために无二の勤行をいたすところなり。此七ケ日報恩講の砌にあたりて、門葉のたぐひ國郡より來集、於于今其退轉なし。雖然未安心の行者にいたりては、爭報恩謝德の儀在之哉。如然之輩は、此砌において佛法の信不信をあひたづねてこれを聽聞してまことの信心を決定すべくんば、眞實眞實、聖人報謝の懇志に可相叶者也。哀哉、夫聖人之御往生は年忌とをくへだゝりて、すでに一百餘歲の星霜を送るといへども、御遺訓ますますさかんにして、敎行信證の名義、于今眼前にさえぎり人口にのこれり。可貴可信。付之當時、眞宗の行者の中において、眞實信心を獲得せしむる人、これすくなし。たゞ人目・仁義ばかりに名聞のこゝろをもて報謝と號せば、いかなる志をいたすといふとも、一念歸命の眞實の信心を決定せざらん人々は、其所詮あるべからず。誠に「水入て垢おちず」といへるたぐひなるべき歟。依之此一七ケ日報恩講中において、他力本願のことはりをねんごろにきゝひらきて、專修一向の念佛行者にならんにいたりては、誠に今月、聖人の御正日の素意に可相叶。これしかしながら、眞實眞實、報恩謝德の御佛事となりぬべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。 Ⅴ-0203于時文明九 十一月初比、俄爲報恩謝德染翰記之者也。