Ⅴ-1043昔物語記 (一) 一 いまのひとはいにしへをたづぬべし。またふるきひとはいにしへをよくつたふべし。物語はうするものなり。しるしたるものはうせず候。 (二) 一 【(赤尾)】あかをの道宗まふされさふらふ。一日のたしなみには、あさつとめにかゝさじとたしなめ。一月のたしなみにはちかきところ御開山樣の御座候ところへまいるべしとたしなむべし、一年のたしなみには御本寺へまいるべしとたしなむべしと[云云]。これを圓如樣きこしめしをよばれ、よくまふしたるとおほせられさふらふ。 (三) 一 わがこゝろにまかせずしてこゝろをせめよ。佛法はこゝろのつまるものかとおもへば、信心に御なぐさみ候とおほせられさふらふ。 (四) 一 法敬坊九十まで存命さふらふ。このとしまで聽聞まふしさふらへども、これまでと存知たることなし、あきたりもなきことなりとまふされさふらふ。 (五) 一 山科にて御法嘆の御座候とき、あまりにありがたき御掟どもなりとて、これをわすれまふしてはと存じ、御座敷をたち御堂へ六人よりて談合さふらへば、面々にきゝかへられさふらふ。そのうちに四人はちがひさⅤ-1044ふらふ。大事のことにて候とまふすことなり。きゝまどひあるものなり。 (六) 一 蓮如上人の御とき、こゝろざしの衆も御前におほく候とき、このうちに信をえたるものいくたりあるべきぞ、ひとりかふたりかあるべきか、など御掟候とき、をのをのきもをつぶしまふしさふらふとまふされさふらふよしに候。 (七) 一 法慶まふされさふらふ。讚嘆のときなにもおなじやうにきかで、聽ばかどをきけとまふされさふらふ。詮あるところをきけとなり。 (八) 一 「憶念稱名いさみありて」(報恩講*私記)とは、稱名はいさみの念佛なり。信のうへはうれしくいさみてまふす念佛なり。 (九) 一 「御文」のこと、聖敎はよみちがへもあり、こゝろえもゆかぬところもあり。「御文」はよみちがへもあるまじきとおほせられさふらふ。御慈悲のきはまりなり。これをきゝながらこゝろえゆかぬは无宿善の機なり。 (一〇) 一 御流の御こと、このとしまで聽聞まふしさふらひて、御ことばをうけたまはりさふらへども、たゞこゝろが御ことばのごとくならぬと、法慶まふされ候。 (一一) 一 實如上人、さいさい仰られ候。佛法のこと、わがこゝろにまかせずたしなめと御掟なり。こゝろにまかせては、さてなり。すなはちこゝろにまかせずたしなむ心は他力なり。 (一二) 一 御一流の義をうけたまはりわけたるひとはあれどⅤ-1045も、きゝうるひとまれなりといへり。信をうる機まれなりといへるこゝろなり。 (一三) 一 蓮如上人の御掟に、佛法のことをいふに、世間のことにとりなすひとのみなり。それをたいくつせずして、また佛法のことにとりなせとおほせられ候なり。 (一四) 一 聖敎をすきこしらへもちたるひとの子孫には、佛法者いでくるなり。ひとたび佛法をたしなみさふらふひとは、大樣になれどもおどろきやすきなり。 (一五) 一 たれのともがらも、われはわろきとおもふもの、ひとりとしてもあるべからず。これしかしながら、聖人の御罰をかうぶりたるすがたなり。これによりて一人づつも心中をひるがへさずは、ながき世泥梨にふかくしづむべきものなり。これといふもなにごとぞなれば、眞實に佛法のそこをしらざるゆへなり。 (一六) 一 「みなひとのまことの信はさらになし ものしりがほのふぜいにてこそ」。近松殿の堺へ御下向のとき、なげしにをしてをかせられ候。あとにてこのこゝろをおもひいだしさふらへと御掟なり。光應寺殿の御不審なり。「ものしりがほ」とは、われはこゝろえたりとおもふがこのこゝろなり。 (一七) 一 法敬坊、安心のとをりばかり讚嘆するひとなり。「言南无者」(玄義分)の釋をば、いつもはづさずひくひとなり。それさへ、さしよせてまふせと、蓮如上人御掟Ⅴ-1046候なり。ことばすくなに安心のとをりまふせと御掟なり。 (一八) 一 善宗まふされ候。こゝろざしまふし候とき、わがものがほにもちてまいるははづかしきよしまふされ候。なにとしたることにて候やとまふしさふらへば、これはみな御用のものにてあるを、わがもののやうにもちてまいるとまふされさふらふ。たゞ上樣のもの、とりつぎ候ことにてさふらふを、わがものがほに存ずるかとまふされさふらふ。 (一九) 一 津國ぐんけの主計とまふすひとあり。ひまなく念佛まふすあひだ、ひげをそるとききらぬことなし。わすれて念佛まふすなり。ひとのくちはたらかねば念佛もすこしのあひだもまふされぬかと、こゝろもとなきよしにさふらふ。 (二〇) 一 佛法者まふされ候。わかきとき佛法はたしなめと候。としよれば行步もかなはず、ねむたくもあるなり。たゞわかきときたしなめと候。 (二一) 一 衆生をしつらひたまふ。しつらふといふは、衆生のこゝろをそのまゝをきて、よきこゝろを御くはへさふらひて、よくめされなし候。衆生のこゝろをみなとりかへて、佛智ばかりにて、別に御したて候ことにてはなくさふらふ。 (二二) 一 わが妻子ほど不便なることなし。それを勸化せぬはあさましきことなり。宿善なくはちからなし。わが身をひとつ勸化せぬものがあるべきか。 (二三) 一 慶聞坊のいはれ候。信はなくてまぎれまはると、Ⅴ-1047日に日に地獄がちかくなる。まぎれまはるあらはれば地獄がちかくなるなり。うちみは信不信みえずさふらふ。とをくいのちをもたずして、今日ばかりとおもへと、ふるきこゝろざしのひとまふされさふらふ。 (二四) 一 一度のちがひが一期のちがひなり。一度のたしなみが一期のたしなみなり。そのゆへはそのまゝいのちをはれば、一期のちがひになるによりてなり。 (二五) 一 「今日ばかりおもふこゝろをわするなよ さなきはいとゞのぞみおほきに」[覺如樣御歌]