Ⅴ-1027蓮如上人御往生之奇瑞條々 明應八年三月廿五日 (一) 一 御往生の日より四月二日まで七日、紫雲たち申こと、數萬人これを拜み申こと、ありがたき御事なり。 (二) 一 同日より七日まで、山科御堂の上には、いちやうの葉のごとくなる花ふること、諸人みなこれを拜みたてまつる。 (三) 一 大坂殿に同七日紫雲たち、大さ二尺ばかりなりる花ふりくだる。自他宗ともにこれを拜申こと。 (四) 一 泉涌寺之長老申さるゝ事。この蓮如上人の御事は、一年越後のもの上洛して物語しけるは、本願寺之聖人は開山の反化にて御坐候ことは一定なり。夢想に新たに奉見のよし申けるが、其夢想今に相違せずとて、いよいよ奇特のよし人々に語り申されけり。 (五) 一 ある人二月一日之夜夢に見るやう、この上人は法然上人の化身にて御坐候あひだ、必ず廿五日御往生あるべきと見申候て、同九月に上洛申てこのよしを人々に語りけるが、たがはず三月廿五日午時に御往生あることは故なし後身にて御坐候をや、ありがたき御ことなり。 Ⅴ-1028(六) 一 御往生の前の曉に大地鳴動しけり。これは權者の御往生の瑞相なり。聖德太子・傳敎・弘法入定のきざみには大地鳴動したるよし申つたへり。 (七) 一 明應七年の冬比より、度々明年三月には一定御往生なり、御前の人々にも今幾ほどもそひ申間敷に、勿體なきのよし仰出され候き。御掟にはあひかはらず三月廿五日に御往生候こと、誠にありがたくも貴も存知たてまつるばかりにて、冥見いよいよ恐く存たてまつり候。 (八) 一 御病中に於て種々の事ども仰られ候事、金言ならざる御事一つもなし。御往生の御跡のことまで御慇に仰出され候。「乞食の沙門は鵝珠を死期に顯し、賊縛比丘は王遊に草繫を脫る」といふ戒文まで仰出され候て、御往生已後いよいよ佛法不思議の奇特ども顯し申べきこと、かねて仰出され候御事にてまします。 (九) 一 「功なり名とげて身しりぞくは天の道なり」(老子)といふことも、御身の上にひきあてられて、其時同仰出され候こと、まことに珠勝不思議の御事なり。 (一〇) 一 みなみな上下萬人佛法の御用を以て過分の振舞申こと、言語道斷の次第なり。相構相構今より堅く御掟の旨を心中にしかと相持候て、よろづ佛法世間誤り仕らず斟酌申べきこと數度に及て仰置れ候こと、權化の善巧ありがたし、と申も中々おろかなること也。可貴可信。 (一一) 一 天公武ともこの上人奇特珠勝のことなりと、この沙汰のみなり。上下萬民結縁を望み申こと。 Ⅴ-1029(一二) 一 吉野川つら飯がいと申在所に、與次良と申男御往生のよし承りて、三月廿七日に山科殿まで罷上り、御影堂へ參り、あくる廿八日の朝御勸の庭より、すぐに御荼毗所へまひり愁歎申、立處に害自し畢。兼て覺悟申けるが、人々に妻子のことを申置て如此はて候こと、前代未聞の事なり。哀とも申、貴とも申、旁无限次第なり。 (一三) 一 あるふる入道上洛申て、御荼毗の火中へ飛いらんとするを、御番衆再三とりとゞめけり、是も不思議の振舞あり。ありがたき事どもなり。 (一四) 一 御闍維の煙の火に白鷺ども充滿して、ひさしく舞遊なり。白蛇も現じてしばらく不去、これ倂ら御葬送を愁歎申と、人々申相けり。 右已上拾四ケ條、加州河北大田受德寺榮玄より恩借候て令書寫畢。