Ⅴ-1015榮玄聞書 (一) 一 蓮如上人吉崎殿に御座の時、加州河北三番山すなごさか道乘と申ひとW是照護寺の門徒なりR本尊を望み申され候。本尊名號を以て、身を七重八重にまとひたりとも、信をえずは佛けにはなり候まじく候と、眞桂Wこれ照護寺なりRいはれ候と、蓮如上人直に仰られ候。 (二) 一 山科殿に御佛事候つるに、蓮如上人へ法敬坊申上られ候。佛法の繁昌とみえ申候。其故は戸障子まで、もてのほかそこね申ほど、諸人群集申され候と申上られ候へば、仰られ候。信心決定の人の、一人づゝもいでくるこそ佛法繁昌よと仰られ候と[云云]。 (三) 一 山科殿御建立候て以後、七、八年の時分までは、御流中絶のやうに候き。あるとき蓮如上人仰られ候。各法義はいかゞ意得られ候と、人々御尋なされ候へば、或は四、五年さきにわれらのかみをそりおとし候と、申上られ候人もあり。あるひは本尊名號を望申安置仕候と、こたへ申さるゝ人もあり。然にいまは、安心のひとゝほりをみなするするとこゝろえられ候事は、これひとへに「御文」聽聞のゆへに候と、京都に御取ざたにて候よし候。 (四) 一 蓮如上人仰られ候。一念の安心のことはりよりほかに、めづらしき事をきかうと思ふも、いはうと思ふⅤ-1016も、みな冥加につきたるしるしと仰られ候。 (五) 一 蓮如上人、山科御南殿Wこれは御てん也Rにて御法談に、佛けにならうと思ふものは佛けにはなるまじいぞと仰られ候ところに、御前に禪門の祗候つるが、この御掟を承りて肝をつぶし、御縁の上よりころびをち絶入と[云云]。聽聞衆も何事ぞとさわぎ相尋るところに、かの禪門の申されけるは、旦今の御掟に、佛けにならうと思ふものは、佛けにはなるまじいぞと仰られ候。しかれば、我等は今までは必ず佛にならうずると存候き、驚入存候と申され候。このよし蓮如上人聞召し、法義にはさやう驚くがほんぢやぞと仰られ候。我方たより佛けにならうと思ふは、凡夫のはからひ、あてがいにてはなきか、たゞ佛けにおなじやらうずることのたうとやとよろこべと仰られ候。 (六) 一 蓮如上人、つねづね仰られ候。三人まづ法義になしたきものがあると仰られ候。その三人とは、坊主と年老と長と、此三人さへ在所々にして佛法本付き候はゞ、餘のすえずえの人はみな法義になり、佛法繁昌であらうずるよと仰られ候。 (七) 一 吉崎殿にて蓮如上人の御前に坊主衆祗候折節、仰られ候。かねをたゝきかどかどを念佛を申てあるくものは、念佛を賣てあるくものぢやほどに、かまへて各よするなえと仰られ候。いづれも畏て候と、申上られ候處に、その念佛をうるものと云は各のが事よと仰られ候。眞實の信もなくてあらうずる坊主分は、かねをたゝき念佛を賣てあるくものとおなじ事なりと仰られ候。 Ⅴ-1017(八) 一 山科殿にて、蓮如上人奧の御座敷に御坐候き。次の間には法敬坊詞公ありしおりふし、御庭へ烏きたりてしばらくありしを、蓮如上人御覽ぜられ仰られ候は、鷺がきたよと御意候き。ときに法敬坊やがて誠に鷺がまいり候と申されしとなり。しかれば御感の御氣色のよし候。如此善知識の仰をば、烏を鷺とも御意のごとくに心得申候ことなるよし候。 (九) 一 蓮如上人、法敬坊に對し无我がよいぞと仰られ候。法敬坊、无我とはなにと心得申べきとうかゞひ申され候へば、無我とは我のなきことよと仰られ候。時にまた法敬坊、我のなき事とはなにと心得申べきと申上られ候へば、蓮如上人御感なされ、よう問た、佛法をばそのごとくねんごろにきく事よと仰られ候。しかれば我といふは、佛法の道理をわれはよく知り心得たりと思ひ、同行もまた佛法しるまじきともおもはれまじきほどに、參り下向をしても、別にきかうづる事もあらばこそと思ひて、法流邊へとをざかり不沙汰することを我といふなり。たゞ佛法には我のなきがよきぞと、かたく仰られ候。 (一○) 一 蓮如上人、山科殿にて仰られ候。御身はひとにくしと思召たることさらさらこれなく候。愚癡にして不信なるものを御覽じては、死せば必惡道に沈むべきこと一定と思召候へば、なを不敏に思召のよし仰られ候。但しこゝろににくき者が二人あるぞと仰られ候。其故は、親に不孝なるものと邪義を申ものと、此ふたりはにⅤ-1018くう思召候よし仰られ候[云云]。此由京都にも御取沙汰には、御本寺樣へ怨をなし申す武士侍よりも、邪義を申す御開山の御法流を申みだらかし候ひとは、以の外の法敵のよし候。武士は弓矢を引はもとより其家の習ひにて候。それさへ後には結句上樣を崇敬申され、仰に隨ひ申され候。久き聖人の御門徒とありながら、御意をそむき邪義をいひ、御一流を申みだらかし候こと、武士の法敵よりもなを重罪にて候よし、光應寺殿蓮淳御物語候よし、受德寺榮玄直に慥に承り候つるとなり。 (一一) 一 蓮如上人、山科殿にて實如上人へ御家督の義仰られ候ところに、實如上人再三御斟酌なされ候き。時に蓮如上人仰には、これほどに御家督の義仰られ候に、かたく御斟酌候こと、誠に世間にしては御親不孝にて候、佛法におひては師匠の命をそむかせられ候と御意候。實如上人御返事には、一向御身體も御文盲の義にて候あひだ、天下の御門徒のものをなにとして御勸化あらうずると、仰られ候ところに、蓮如上人仰には、御文盲についての御斟酌ならば、それをば御調法あらうずるほどに、御領掌なされ候へと仰られ候により、すでに御領掌の事に候。しかれば蓮如上人五帖の「御文」被遊候て、實如上人へまいられ、これに御判を居られて、天下の尼入へ御免あられ候へ、これにすぎて佛法の義とては別にはおりやるまじいぞと仰られ候。これによりて實如上人御代にて、京・田舍ともに「御文」いよいよ肝要と仰いだされ候。 (一二) 一 蓮如上人、明應七年の夏比より御煩にて、明應八年の三月廿五日に御往生にて候。しかれば廿五日三日まへに、法敬坊に「御文」よませ申され候て、御聽聞なされ候。一段御感じなされ候。おれがつくりたるものなれども、まづは殊勝なるよなと仰られ候。おれが聞Ⅴ-1019樣に門徒の者が聞くことならば、みな信をえられうづるぞと仰られ候。 (一三) 一 蓮如上人仰られ候。かやうにみなみな申言葉までも、みな彌陀のいはせらるゝ事ぢやぞと仰られ候。 (一四) 一 蓮如上人は關東に五年御在國と候。そのゆへは御開山の御下向ありて御心勞なされ候。その御跡を、御冥加のために御覽ぜらるべきとの御事とて、御下國なされ候。 (一五) 一 山科殿にて霜月廿六日の御非時のうへに、蓮如上人仰られ候。この敷居よりそなたのみなみなの中かに、五人三人ならでは往生はとげられまじきと仰られ候。若狹の次郎三郎仰には、いかに口ちに彌陀をばたのむと云とも、こゝろにまことにたのむ人がなきものぢやほどに、さてかやうに仰られ候。おのおの申ごとくに、まことに彌陀をたのみ申さば、往生は治定よと仰られ候。 (一六) 一 代々善知識は御開山の御名代にて御座候。蓮如上人大坂殿へ御隱居なされ、實如上人或時大坂殿へ御下向のとき、御親子樣の御あいだは御私ごとに候、開山の御來臨と思召候、蓮如樣仰られ、御杯の御しきだい久く御座候し、終に實如上人樣へまいらせられ候て、其後蓮如上人へまいり候つると、年寄衆御物語度々承り候間、今般御門跡樣御内證に背き申候ては、御罰を蒙るべきとぞんじ候。 Ⅴ-1020(一七) 一 蓮如上人は『安心決定鈔』七部あそばしやぶられ候と、これもたしかに承候。 (一八) 一 實如上人、大永七年七月五日御齋のうへの御法談に、一念の安心の通は、きくたびごとにめずらしからふずると仰られ候。 (一九) 一 實如上人、山科殿にて仰られ候。述懷といふことは、よくはよかれ、あしくはあしかれと、思あいだには述懷もなきものなり。いかにも大切に思あいだでなうては、【(述懷)】じゆくわい出來せず候。「御文」(四帖*一三)には、「こゝに愚老一身の述懷これあり。そのいわれは、我等居住の在所在所の門下のともがらにをいては、をよそ心中をみをよぶに、とりつめて信心決定のすがたこれなしとをもいはんべり。おほきになげきおもふところなり」と[云云]。又(四帖*一五)「あはれあはれ、存命のうちにみなみな信心決定あれかしと、朝夕おもひはんべり。まことに宿善任せとはいひながら、述懷の心しばらくもやむことなし」と[云云]。如是此天下の御門徒へ述懷に思召候とあそばされ候は、いかにも大切不敏に思召ゆへにて候。聖人の御勸化のごとく法義たしなむまじきならば、各他宗になれ。それならば、御述懷もあるまじく候と、實如上人仰られ候。 (二○) 一 實如上人御往生のみぎり、山科殿にて二月一日の御遺言に、信をとりて極樂へ參り候へ。極樂にてまたせらるべく候。あしきことを思ひとりても、なをる事はあれども、みながみなになをる事はなきものなり。たゞ聽聞をし候はでは、こゝろねのみながみななをると云事はなきものにて候ほどに、聽聞すべき事肝要にて候よし仰をかれ候。 Ⅴ-1021(二一) 一 山科殿へ御一家衆四、五人上洛候て御いとまの時、實如上人御對面の御座敷にて、直に御一家衆へ仰られ候。いかなる蓆かけたるようなるところまでも、家々門々へ御遣罷成候て、佛法の義を御勸化なされたく思召候へども、又さすがさようにもなりまいらせぬ御身體にて候ほどに、一家衆かまへてねんごろに法義すゝめられ候へ、賴入せられ候と、たしかに仰られ候と[云云]。誠に御慈悲のほど忝きことなり。 (二二) 一 實如上人御亭にての御法談に、山科殿へあるひと三人づれにて參詣候き。あるときかのひと二人は御堂よりさきに旅宿へかへりて、法儀の談合せられ候し。いま一人はおそく宿へかへりて、二人の佛法談合をきゝて云く、上樣にて聽聞のうへに私に佛法談合はこゝろへがたく候、そのゆへは御堂にての「御文」(二帖*六)にも、「路次・大道われわれの在所なんどにても、あらはに人をもはゞからずこれを讚歎すべからず」と御座候。もとより聖人の御掟にも、佛法者氣色、後世者氣色みえぬやうにふるまへとこそ仰置れ候へ。おのおの御分別は御意に御ちがい候と勿體なく候。たゞ私のとりざたは御無用と申をさへられ候と[云云]。如此佛法をばわがえてにきゝなすものなり。これ聽聞のとゞかぬゆへなり。相構てよくよく聽聞申べきこと肝要の由仰られ候。 (二三) 一 實如上人仰られ候。皆「御文」を聽聞申に感じ申さぬは、うかうかと聽聞申かと、御不審に思召候。またⅤ-1022御免なされ候「御文」の料紙も表紙もやぶれ候を上まいらせて、又あたらしく望み申人もをりなければ、細々「御文」を聽聞申こともなきかと、これも御こゝろもとなく思召候と仰られ候き。 (二四) 一 實如上人御代に、御馬五十疋仙飼候。其中にもちゞみ栗毛と申御馬、御祕藏の名馬にて候。然ば幡摩の國赤松W是は備前・はりま・みまさか三ケ國の守護也Rこのちゞみ栗毛の事を承り及び、上野W蓮秀と云云Rまで度々所望の由申入られ候へども、蓮秀御耳にもたてられず候。其故は、御祕藏の御馬にて候あひだ、中々くだされまじきと存ぜられ、申あげられず候。赤松方へ上野御返事には、御馬の事は叶がたきのよし申こされ候。赤松此よし承祗候申べく候あいだ、御馬くださるゝやうに御取成し賴入のよし、かさねて申入候き。上野御返事には、以の外御祕藏にて御座候間、なりがたくのよし申こされ候。しかれば赤松上洛のおりふし、彼の御馬所望ゆへ山科殿へ祗候ありと[云云]。實如上人、赤松參りたるよしきこしめされ、御一宗へ怨をなし申ものゝ、唯今祗候申すこと不思議なる事と思召、別て御しきだいなされ御本走あり。夜とともの御酒盃なり。赤松は上樣の御機嫌もよく御座候間、御酒のあいだに、かの御馬をくださるべきと内存候ところに、上樣にかねて御存知なき事にて候ほどに、かの御馬をばくだされず候き。赤松御座敷すぎ中宿へ罷立、これほど御馬の義望み申に、くだされず候事、曲なく存知候とて、腹立せしめ京へ罷歸られ候き。このうへは上野も、私しの分別にても叶ひがたきとて、此時に御耳にたてられ候。實如上人御意には、上野が不器用とはそのことよと仰られ、やがて御馬をひかせらるべきにて御座候き。W已上Rおとらぬ御馬數十二疋御用意にて候。其時ちゞみ栗毛ばかりを御主殿の御庭へ引出させられ、また一度御覽ぜられて、Ⅴ-1023つかはさるべきよし仰られ候。この由を圓如樣きこしめされて、上人へ御使をもて仰られ候は、おとらぬ名馬どもあまた御座候に、いづれなりともつかはされて、ちゞみ毛をば仙飼し、御慰に御覽ぜられ候へかしと御申なされ候處に、實如上人樣御返事には、御年もよられ候へば、よろづ御たのもしく思召候に、かやうのこと仰られ候義、曲もなく思召候。總じて赤松と申ものは、御一宗に怨をなし、幡摩一國の門徒の者に、念佛をさへこゝろやすく申させぬ者にて候。幡摩一國の尼入に、こゝろやすく念佛をも申させ、佛法をも聽聞させ候はゞ、たとへば御身をうらるゝともおしからずと、思召候と御意候。この仰せを御前の人々承り、數剋落淚のよし候。さて御馬をば京へ引こさせられ、赤松へくだされ候。赤松悅喜申され候事、是非なく候。すなはちこれより、幡摩一國の佛法こゝろやすくひろまり申候なり。 (二五) 一 實如上人御法談に、信を得事は宿善による、御門徒となり候ては冥加を知れと、仰られ候のよし、たしかに玄喜かきをかれ候と[云云]。 (二六) 一 聖敎拜見申さば、聖人の御作[幷に]覺如・存覺の御作の聖敎本に候。法然上人の御作には、『選擇集』本・末よりほかは依用申べきは有間敷のよし、圓如樣仰られ候つると、たしかに承り候。 (二七) 一 證如上人仰られ候。細々上洛するものよりも、事かなはず、また行步もかなはぬものゝなかに、哀れまⅤ-1024ひらでまひらでとおもひ、こゝろざしのふかきものがあらふずるよなと仰られ候。まことに權者の御推量尤ともに候。 (二八) 一 證如上人より御一家衆へ御書なされ候に、法義の事あまりあそばされ候はこれなく候。其故は、御開山の御ちのみちを續ぎ、御本寺樣の一家と候て、法義のあるまじき人にてはなく候ほどに、さてわざと法義の事あそばされず候。御億意のよし、京都にてひとの御物語候。まことにかくのごとく御一家と候御身體は、法義なく候ては、いよいよ一大事にて候。涯分御たしなみあるべきこと肝要にて候。又すえずえ御書なされ候は、法義のことあそばさるはこれなく候。兔角に善知識の御調法と御慈悲の至りありがたく候。W此條まで受德寺榮玄御物語の趣を記置者也R (二九) 一 憶念の心とは彌陀をたのむことゝ、蓮如上人仰られ候つるとうけたまはり候。W此條は興行寺蓮惠きゝ書にありR (三○) 一 開山聖人の御恩は、あらぬところにあるものにて候ぞと、蓮悟へ蓮如上人御掟のよし候。W此條、照臺寺正勝聞書のものにありR (三一) 一 法敬坊霜月廿七日の夜、御堂におひて申され候は、加州の坊主衆の名聞は、とくに加州へ下てあるべきと申され候。蓮如上人、御感なされ候のよし候。W同書にありR (三二) 一 堺衆にをひて、ある人蓮如上人へ申上られ候おもむきは、彌陀をばたのみ申候へば、念佛申されぬと申され候へば、御掟には、一切の草木は根から出來するか、枝葉から出來するかと御掟候へば、それは根が御座候はでは、枝葉も御座有間敷か。それがごとくに一Ⅴ-1025念の安心だに治定候はゞ、念佛はおのずから申されうづると仰られ候なり。W是も照臺寺聞書にありR (三三) 一 蓮如上人の仰云く、佛法の恩をしること、阿彌陀如來の御恩德は、つもりてもつもりてもつくしがたし。故聖人の御恩德は、迷慮八萬のいたゞき、蒼溟三千の底にすぐれたり。其外の知識の恩は、凡夫の心としてはばかるべからず。同行の恩は、須彌山の頂きにこへたり。況や手次坊主の恩は、申すに及ず。千兩の金をば求るとも、佛になる恩は報じがたし。いかに佛法を信ずる人を、いたづらものなかありといゝさまたぐるとも、遍執すべからず。そのゆへは、をなじく地獄の同心たるべし。たゞうちかたぶきて佛法をばきくべし。きけばいよいよかたく、わうげばいよいよかたし。佛法をすかざる機は、よろづ機がひがむべし。しらざるていにもてなして、佛法をばかたるべし。いたづらものは、きうにをしへてはかなはぬなり。とにかくに佛法には思案肝要なり。つとむべし、つとむべし。 于時元祿第二曆[卯]彌生下旬候寫之書也