Ⅴ-0963本願寺作法之次第 ssz3-0893古へ東山殿野村殿にての事或承及見及申事等思出次第不同注置條々目錄 (一)一 御堂衆之事 (二)一 綽如上人御時御戸役之事 (三)一 聲明は小原流事 (四)一 念珠くるべき事 (五)一 堂衆心得行儀事 (六)一 佛前の花事[如何] (七)一 座に付べき樣事[内陣] (八)一 佛をおがむ事 (九)一 早おがみ果したるは惡也 (一○)一 勤つくべき事 (一一)一 燒香事 (一二)一 やらひの事 (一三)一 阿彌陀堂・御影堂參錢事 (一四)一 勤終に人々立さはぐ事 (一五)一 皮たびはく事[如何] (一六)一 したうづはかせられべき事候歟 (一七)一 番屋掟條々事[幷鐘數之事] (一八)一 寺々の開山の日末寺に各齋以下有之事 (一九)一 蓮如上人御建立の寺の事 (二○)一 客人もてなし遊山時事 (二一)一 他所へ御出時も道中は精進事 ssz3-0894(二二)一 客人に精進の儀破候事 (二三)一 同精進たるべき日の事 Ⅴ-0964(二四)一 精進日町中も魚物不通事 (二五)一 前住御正忌日W非御年忌時R之時前日夕は御精進事 (二六)一 一家衆有所へや事 (二七)一 敎行信證請候事[條々有之事也] (二八)一 霜月廿八日に明日之御精進ほどき進上事[廿九日可參] (二九)一 唐帽子御かけ候事 (三○)一 末々一家衆袴著せられ候事 (三一)一 古へ東山御坊ちいさく候事 (三二)一 蓮【(如)】―御時佛法の一儀計常被仰殊冥加儀堅被仰事 (三三)一 武者少路殿御上にて人すくなに小殿原は只二人事 (三四)一 同御うへにて御相伴時事 (三五)一 一家衆息女物よまれ候事、下間衆若時經論等常よまれたる事 (三六)一 人志被申點心計被申事 (三七)一 代々御前燈明事 (三八)一 二月十五日に勤行なき事他宗に難じ申事 (三九)一 正月廿五日事[蓮【(如)】―御時は每月御齋ありと申人有之] (四○)一 廿五日御齋前に蓮【(如)】―上人は名號三百幅遊されたる事 (四一)一 二月十五日事 (四二)一 佛前疊まはり敷の所事 (四三)一 東山野村殿御亭たゝみに上檀を下らるゝ子細事 ssz3-0895(四四)一 御うへにて一家衆・女房衆相伴時事 (四五)一 廿五日朝、知恩講式實如上人あそばされぬ事 (四六)【二ケ所あり】一 代々御影二幅にかゝせられ候事、證如の御往生の比御時より也W祐誓申ありたる事也R (四七)一 内陣まはり敷中比聖人のきはに一通しかれ下輩衆つかれ候はかいさまなる由人々被申事 (四八)(一 代々の御影二幅に成申候事) (四九)一 代々御明日勤事 一 廿五日勤の事 (五○)一 帷七月七日・五月五日各へ實如上人御時は被下事 Ⅴ-0965(五一)一 御本寺御指合時勤の調聲人事 (五二)一 同勤ぜゞの事 (五三)一 每月廿五日の私記事 (五四)一 廿二日勤儀被仰事 (五五)一 廿七日勤事 (五六)一 野村殿南殿持佛堂儀念佛行道堂の御建立あり度候由仰の御物語事 一 同持佛堂勤事 (五七)一 蓮【(如)】―上人より代々御年忌亭勤事 (五八)一 昔の報恩講樣體事 (五九)一 報恩講中の間事 (六○)一 勤之儀蓮如の仰實如御物語事[二ケ條] (六一)一 每朝勤終百返念佛事 (六二)一 歸命二字の申樣の事 (六三)一 本堂漢音經事、同百返念佛事 (六四)一 御影堂後百返念佛事 (六五)一 古へは一家衆讚を不出衆勤いづれもssz3-0896助音候き、當時は一向無音也 (六六)一 私記のよみ樣の事 (六七)一 日沒八時に成たる事 (六八)一 普請あがりの鐘をそく打せられんとて太夜の早く成事 (六九)(一 每月の代々御明日の朝勤) (七○)一 勤の調子たかゝらぬ事 (七一)一 唐帽子のかけ樣事[實如御かけ候樣] (七二)一 勤の讚の出樣儀事 (七三)一 正月七日御鏡卓とらるゝ事 (七四)(一 代々の御前燈明は) Ⅴ-0966(七五)一 死人小袖等打敷に俄にさせられたる事[蓮【(如)】―上人御時也] (七六)一 賀州三ケ寺内者蓮【如】―御佛事には被召出配膳申事 (七七)一 如秀禪尼A本泉寺蓮乘B女中C如宗A松岡寺蓮綱B女C如專A山田光敎寺B蓮誓女中C往生時弔に御堂衆御下御香典有たる事 (七八)一 賀州三ケ寺依御免誰人にも法名出申事、幷依仰拙者出申事 (七九)一 末々若衆一家衆實名を可出之由依仰拙者出申事 (八○)一 齋時膳をくむ事 (八一・八二)一 野村殿にて時兩所に打事 (八三)一 實如御時布施を御前にてひかせらるゝに如何と被思食事、ひかせられず主々の宿へひかせられたる事あり、近年は又御前にて有事 (八四)一 野村殿御亭の前の持佛堂事 (八五)一 聖敎外題御免事 ssz3-0897(八六)一 敎行信證御免時之事 (八七)一 聖人御戸事 (八八)一 勤に扇事、齋之時つかひ候事 (八九)一 霜月上洛衆小袖被下事 (九○)一 上洛一家御上御亭にて供御被下候つる事[實如御代] (九一)一 御堂邊にて老少正敎よみ申たる事 (九二)一 御堂衆燈明以下役にて跡へかへられ候事 (九三)一 日沒短念佛上られ候事 (九四)一 私記よみ歸候時の事 (九五)一 衣の色くろき事 (九六)一 遠國人被遣肴等事 (九七)一 御本寺之御住持をばあがむる事[これは不可書申歟也] (九八)一 御堂の打置をばのけられ卓計をかせられたる事 (九九)一 御簾のかけ樣こまるの事 (一〇○)一 實如の御時本尊名號の事[幷經文事] (一〇一)一 座上にをかるゝ人々の事 (一〇二)一 法儀心に入る人を御奔走事 Ⅴ-0967(一〇三)一 一家衆袴之儀筑前被申事 (一〇四)一 一家衆の椀の事 (一〇五)一 六要抄の事 (一〇六)一 淨土具書よみ可申由くはだて候へ共、師匠なく斷絶事 (一〇七)一 六要抄はよみ申べきも伺申本を可仕立得實如御意候事 (一〇八)一 うつぼ字の名號事 (一〇九)一 萬の外題の事 ssz3-0898(一一○)一 田舍より上洛衆御相伴事 (一一一)一 御相伴させらる禪衣衆の事 (一一二)一 代々の御明日之時の勤座事 (一一三)一 勤の後南の座敷ある時事 (一一四)一 蓮【(如)】―御代御内衆家を被建候に物被下たる事 (一一五)一 蓮【(如)】―御時一家衆被申儀何ぞ物を被下たる事 一 同實如御代御心ばせの事 (一一六)(一 實如前住の御時は、過分に物を進上し) (一一七)一 上洛【年頭】一家衆御禮等被定事 (一一八)一 德度一家衆御禮等事 (一一九)一 外人W殊公家衆R四日十五日御相伴御精進事 (一二○)一 慈鎭和尙御壽像事 (一二一)一 遠國人上洛儀堅兩御代仰事 (一二二)一 遠國俗人等同御調事 (一二三)一 勤はて時分の事[相働歟] (一二四)一 廿七日の掃除之時下間衆も被出候し事 (一二五)一 實如御時御堂衆へ可有讚嘆樣、御文よむべき樣被仰出事 (一二六)一 鐘の前に本堂に實如仰事に蓮【(如)】―仰を御物語事 Ⅴ-0968(一二七)一 阿彌陀經始樣等の事 (一二八)一 每月廿五日の事 (一二九)一 實如御時五日・廿五日・廿八日等齋日中以下の事 (一三○)一 布施の引手等事 (一三一)一 實如御時常御菜三に御申候時深御ssz3-0899斟酌冥伽被思食事 (一三二)一 霜月勤稽古事 (一三三)一 冥加之儀第一可存事 (一三四)一 讚嘆申所に相違之段いかにもいかにも能々可心得被仰事 (一三五)一 蓮如上人御手水の儀水かなしく存候へ共冥加を被思食事 (一三六)一 實如上人勤行單皮めさぬ事 (一三七)一 蓮如上人朝勤に御はだより物めしかへたる事 (一三八)一 野村殿にて霜月廿八日を女房衆取越申儀無之事 (一三九)一 坊主衆法儀之人被懸御目候事 (一四○)一 親不孝の仁孝々仁事 (一四一)一 賀州三ケ寺壽像[證如御時也]事 (一四二)一 本尊開山裏書事 (一四三)一 霜月椽廊下いなばき事 (一四四)一 將軍御通之時葬所之屋つゝむ事 (一四五)一 野村殿に正月十五日間椽廊莚敷事 (一四六)一 報恩講前進上物事 (一四七)一 精進ちかきに精進入と申事 (一四八)一 精進ほどきの事 (一四九)(一 女中がたには) (一五○)一 一家衆有所事 (一五一)一 每月風呂事 (一五二)一 十二月すゝはき事 (一五三)一 御亭の座上佛法世間に用らるゝ方事 (一五四)一 凡僧方諸僧方用子細條々事 (一五五)一 志可引之事 Ⅴ-0969(一五六)一 燈心二筋を被用事 ssz3-0900(一五七)一 二月十五日法事の事 (一五八)一 六時禮讚は存如上人御代迄也、幷四反返之事 (一五九)一 御齋御相伴等案内之事 (一六○)一 男女たれも御他言申に女房衆方に一切無御知子細事 (一六一)一 讚の出樣の事 (一六二)(一 實如上人御往生之砌條々被仰置候) (一六三)(一 同時一ケ條に所領方之儀) (一六四)(一 今一ケ條は) (一六五)(一 廿八日以下の祖師の御明日に) (一六六)(一 御住持樣勤行に御出仕之時) (一六七)(一 蓮如上人御内衆へ度々堅被仰付事) (一六八)(一 邪法を申仁體を) (一六九)(一 後生の御免と申事近代被申人候) (一七〇)(一 蓮如上人の御時には第一冥加のかたを本と) (一七一)(一 何よりも親に不孝なる人) (一七二)(一 蓮如上人は御膳と被申より) (一七三)(一 あたら敷御衣裳を蓮如上人はめし候ては) Ⅴ-0970本願寺作法之次第 ssz3-0901昔人物語又見及申事等書注申條々 (一) 一 古は御堂衆は六人候つると申、六人供僧とて、是は平生精進にて候き。妻子もなく、不斷經論聖敎にたづさはり、法文の是非・邪正の沙汰計にて候つる由候。 (二) 一 綽如上人の御時より、御堂衆に下間名字の人をなされ、鎰取と申て、開山聖人の御廚子の役人にて候つる由候。御戸は御住持御役なれば如此由候。 (三) 一 當流の聲明は小原流也。總而諸宗共に聲明は、小原・千本兩流を本とする也。然者圓如の仰事には、下間名字の幼少の人を一人、小原の聲明師の弟子になして置、よく稽古の功ゆき候はゞ、こなたへ取てをきて、聲明の譜をよくならはせ置て、當流によく可覺悟事也と仰候き。 (四) 一 實如上人被仰しは、珠數はたゞもたぬ物也、くるべし、蓮如上人も御持候ては御くり候しぞかしと、勤座敷にても仰事候し。霜月廿六日に日中の間に仰きかせられし。御そばちかく侍し實圓の下に北につき申候時事也。 ssz3-0902(五) 一 御堂衆こんがうもはかで、内陣をあるかれ候事、事の外曲言と被仰候し。總而【御堂】上檀の間をあなたこなた少事之儀にあるかれ候事、不可然と被仰。内陣開山聖人の御座所なれば、可有其心得也。誰やらん承たるとて語申されしは、堂のうしろへ堂衆用事ありて行べき路をば別にしたき事と實如に被仰たると、申されたるⅤ-0971人候し。 (六) 一 實如被仰しは、蓮如前住仰事候しは、何時をいはず、佛前の花のしほれしは、そればかりたてかへても可然と被仰しと、實如被仰候し也。 (七) 一 座に付べき時は、へりに衣のすそもかゝらぬやうに、へりより二寸ばかりのきて付べし。扇をもへりにかゝらぬやうに、是も二寸ものけて置べし。 (八) 一 佛をおがむも、手をあまりあげたるもわろし、又あまりさがりたるも惡也。けさのむすみめの上に手ををきたるよし。 (九) 一 おがむに早くはてたるは、麤相に敬なくて見苦しき也。心に別なる心もちは有べからざれ共、しとしととおがみ、しづかにしづかにおがみたるはよし。[實如仰也] (一○) 一 ねぶるは第一わろし、見苦て不可然。内陣の衆は老若共に先よく勤を付べし、助音なきは、不可然とて、實如はつけうつけうと、御堂にて勤の間に御さいそく候。前住證如も付られう付られうと、仰事侍し。 ssz3-0903(一一) 一 燒香は、蓮如の御時はわろき沈を燒香とてたかせられ候。よき沈はかうばしき匂候へば、憂狂なる心出き不可然とて、かうばしからぬをたかせられけると、各物語候。當時よき沈たかせられ候歟。先代は如此候Ⅴ-0972事也。 (一二) 一 御堂の上檀と下檀との間の  は、證如前住の御時より出來候。實如の御代まではなき事候、御用心とてさせられ候。尤之儀候。他宗の人聞候て難じ申候事御入候き。 (一三) 一 阿彌陀堂・御影堂の參錢は、昔より丹後給はる事にて候を、蓮應丹後代に寄進被申候W明應、五、六也R、奇特の志にて候との御沙汰にて候き。先阿彌陀堂計のを寄進被申候て、又一兩年後に御影堂の參錢をも寄進被申上候。殊勝の志候よし、其比の沙汰のみにて候き。[永正初比事也] (一四) 一 御堂勤行のをはりに戸障子はづし、各たちさはがれ候事、實如御時はみまいらせ候事なく候き。 (一五) 一 皮足袋をば、他宗に佛檀の内陣には入ず候が、尤之事候。當流にも御用候べき事候や。 (一六) 一 勤行の時したうづは、はかせらる物候や。板こんがうの緖の付やうも二筋にて、ssz3-0904中へ足をさし入候やうに仕候。したうづの時の緖の付やうにて候。ことに開山の三百年忌の時は、はかせられ侍りき。 (一七) 一 寺内町の掟を番屋にをさせられ候し、定て今も所持せられたる人あるべく候歟。其内に吹物音曲停止の日、御佛事七日之間、每月廿八日廿五日、盆・彼岸等停止の事也。魚賣買なき日、御遊山などの日、御迎人之儀等、或鐘數など被注候し。 (一八) 一 末寺にも、一寺開山の日勤行ありて、齋なども昔Ⅴ-0973よりある事候。然ば其住持は精進にて候き。 (一九) 一 蓮【如】―上人は野村殿・大坂殿・堺御坊・【越州】吉崎・【播州】英河・【參川】土呂・【同】鷲塚・【大和】飯貝・【紀州】黑江W文神別所Rなどは開山にて御入候。但鷲塚は實如にて御入候歟。 (二〇) 一 昔は客人[公家]幷武家衆も精進にてA汁B菜等C御もてなし也、魚物は不被出也。但不斷出入之輩、それはさもなく魚物也。或御遊山の時、野山にて樽もたせらるゝも、皆精進なり。然ば末々の愚老ごときの者の野山へ出申候も、何ぞ御樽類歟、又は小漬などもたせらるゝも、皆精進也。 (二一) 一 實如之御時、山科殿より大坂殿へ御下之時、W山科にてR一日のうちに晝御伏とて、七ケ所御小供御參らせける事ありき。七ケ所ながら精進にこしらへ進上候。前々如此候。 ssz3-0905(二二) 一 面向之御客人の事、精進にて候をやぶれ候事は、細河右京大夫政元W號大心院Rのやぶられたる事候。其初細々野村殿へ政元被參候に、始精進にて候つるが、或時政元深草瑞林院に被申事は、本願寺に行てなぐさみ活計せんとおもへば精進也、魚物を被食候と聞に、精進にて何共わろしと物語せられ候を、瑞林野村殿にて【蓮【(如)】―】前住へ被申候へば、さらば魚物にて細々來臨の事にて候へば、内者之心にて候とて、其後魚物に成候てより破たる儀式候。其比政元以外之威勢にて、將軍も不及之體候つる時節なれば、如此候。され共實如の御代も、Ⅴ-0974野山そとにてのまかなひは精進の事にて、昔よりの法儀やぶれず候。是後代までも、か樣に御座候はゞ、他宗出家人御供申さるゝ時は、可然樣體にて御入候。 (二三) 一 祖師御命日、又御佛事中、盆三ケ日、彼岸一七日の御客人、昔よりのごとく精進の御あひしらひにて候。今も如此御入候はゞ、外聞はよく御入候べき歟。出家の人の御相伴の時魚物など參事、且以なき御事にて候。 (二四) 一 町中も御精進日は、樽のさかなにても御入候へ、御坊中又町をも持とおる事停止候き。 (二五) 一 實如之御時は、每年三月廿四日夕供御精進也、仍田舍末寺も同前に候。蓮【如】―御時ssz3-0906も、六月十七日如此也と承候き。當時も八月十二日夕、さ樣に可有御入事候也。 (二六) 一 一家衆之物ぬぎかへなど仕候座敷御入候はでは、いかゞにて候。野村殿にては、御堂北南に兩所にへや候き。小便所・手水桶兩所に候き。是又今も御入候はゞ、尤一家衆辱可存候。有所なくて各一段迷惑候。 (二七) 一 敎行信證は、蓮如上人の仰には、廿歲より内にはよますべからず候。若時は何としても聊爾に存ずる間、廿より以後よますべしとの仰候間、愚老も廿五にてよみ申候。兄弟中悉慶聞坊被敎事候由被申候て、我等よみ果候て宿へ罷越候時、前住樣へ請習申候て、今拙者兄弟中にも皆々敎候とて、落淚候つる事にて候き。慶聞は大涯空に一部は被覺たると見え申候き。第一始一丁御住持へ請申事とて、各請申候。拙者も少實如へ請申候。御目かすみ候とて、始少請申、次を圓如へ一丁計の末を請申候き。實從[順興寺]同前候き。近年人々御Ⅴ-0975堂にて請申事に被申候。拙者などは南殿御亭にて請申候き。南殿と申は野村殿にて蓮【如】―御陰居方也。北殿と申は實如當御住持御座方にて候き。 (二八) 一 霜月廿八日御齋もいまだ過ざるに、近年は御精進ほどきのためとて、魚物を各進上候。あまりにはやく見え申候。野村殿などにて見及申さゞる御事に候。倂廿八日ssz3-0907の晩は、魚物もまいり候樣にうち見まいらせ候體、見苦存候。古も一向なき體の樣申人も候き。これは御停止候ても見よく御入候べき歟。 (二九) 一 唐帽子は、四十五、六歲より代々かけられ侍るとみゆ。必々其比より各へも御免候し。蓮乘[本泉寺]五十三歲の時御免、蓮綱[松岡寺]四十七歲より被懸候。蓮證W報恩寺坊主衆R御免候て、於御堂も勤行中被懸候、同袴も御免にて白衣也。竹一檢校にも袴を御免候て、白衣にて絹袈裟をも御免にて勤行に出候間、蓮如前住の御出立に同じく、蓮證と竹一と兩人も、蓮如のごとく同じ出立にて侍しと、各語申し侍りき。 (三○) 一 末々の一家衆袴を著候事、古はなき事候。越前の吉崎立候て明る年、蓮如御越年候しW文明二歟R正月二日、照護寺玄永、年始の御禮に參候時、著袴候て、其後供御にめし候にも、年始なれば著袴御相伴申候て、其まゝぬぎかねて著し候事にて候と、玄永W後には岡崎と申所陰居候てより岡崎と申R主の雜談被申も、聞申たる事にて候。さらに上より著し候へと、被仰たる事もなくて、いまに加樣に著し候とかたり被申候き。然間永正十年比、野村殿へ實顯[超Ⅴ-0976勝寺]・賢心[瑞泉寺]上洛申候。報恩講あひ申され候時、袴を一七日の間ぬがせられ侍し。兩人外あまた末の一家衆候つる由候。みなみな袴をぬがせられ、白衣にて侍りき。實如上人の仰にて侍りき。一七日間齋非時も如勤行、一家衆をのをの加樣に候き。一七日すぎて北國ssz3-0908へ下られ候時、近年著せられたる事にて候程にとて、又著せられき。北國賀州にても著仕べきかと被申候しに、それはかさねて可有御思案候、まづ此間のごとく末寺の間にては白衣たるべしと被仰候て、北國にては白衣にて候つるが、袴を著せられたる方もありげに候。これは勤行などに被著候事みぐるしく、他宗人も難じ申事にて候。 (三一) 一 昔東山大谷殿などにては、御坊中にいづくに女房衆御入候共見えず候きと被申候。大谷殿は本堂[阿彌陀堂]三間四面、御影堂は五間四面也。ちいさく御入候つる事候。慶聞坊さし圖をせられ候つる。御亭と御堂の間、竹の亭とて其間も二間ばかり也けるを、蓮淳と拙者と持申候き。 (三二) 一 蓮如御時は、晝夜不斷佛法の事より外之儀被仰候はぬ樣に候しと、各被申候。第一冥加のかた事外に被仰候しと、各被申候事にて候。當時は佛法方の事さへ被申出候人さへ、且以候はず候、冥加と申事は、かりそめにも被申出人承候はず候。勿體なき事候也。 (三三) 一 野村殿にて、武者少路殿には女房衆十人計、比丘尼衆四人歟、若殿原衆は二人、下間源五・同名源十郎W刑部卿祖父R兩人計にて候き。いづれも若年の時は、御うへに奉公候し、廿ssz3-0909年ばかりより後は、いづれもおもてへ出られ、御亭に祗候候き。 Ⅴ-0977(三四) 一 御うへにて供御などの各一家衆・女房衆御相伴之時は雙方へわけられて、一方は法師衆、一方は女房衆にて候つる事候。 (三五) 一 一家衆のむすめ共も、むかしは和讚・正信偈をも經をもよみ申、御堂などにて連經の時は、御簾の内に本をもちて付られ候つる事候。男子は沙汰に及ず、をのをのよみ申候き。當時はさも候はぬ事は如何。殿原衆、殊更下間名字若年の衆は、脇の座にて經をもち、よみ付られ候し也。先年廿七日迨夜に、實如の御時、あまりに正信偈ながく御入候時、助音衆ことごと次の句を忘候て切たる事候し。源五郎A源左衞門はB下間C只一人付られてつゞき申事御入候き。又其後も、次の句を忘れたる事候つる、其時は上檀にたゞ一人【敎行寺】蓮藝候て、つゞけられ候事も御入候つる。 (三六) 一 人の志申され候事つゞきて、すきのなき事候つるに、點心ばかりむし、むぎ・うどむ計被申たる事候き。一家衆直綴に扇持て、袈裟はかけず候つる。當時は見及申さず候間、書付申候。 (三七) 一 代々の御影御前は燈明計、燈明四日・十九日・廿日・廿九日・廿四日・十四日・十八日に計參、末香も參候。其時は、廿五日は前住にて御入候間、申にをよばず候。證如御代よりssz3-0910每朝燈明の參候は、尤の御事と申あひ候。同正月の修正七ケ日、彼岸七ケ日、本尊の御前の蠟燭のとぼされ事、證如の御代より始候。是又Ⅴ-0978尤御事と申候。 (三八) 一 永祿三年二月十五日に、御代に一度御入候松ばやし御入候つるは、他宗の人々事外に難じ申候御事候。一日御延引候て、十六日に御入候へば、珍重に御入候事にて候。釋尊御明日に法事の御入候はぬ事をこそ難じ申事にて候、松ばやしは如何御事候やと申事に候。 (三九) 一 正月廿五日には、蓮如の御時は每年三ケ日御佛事御入候と、申にも御入候、覺不申候と、申にも御入候。每月廿五日には、御齋は御入候つるときこえ申候。實如の御時は、前住にてましまし候間、其わけを不存候き。五、六月に廿五日御齋御入候事は、注置候物みえ申候。 (四○) 一 蓮如の御時は、廿五日御齋前に名號を三百幅まであそばされ候と、注たる物に御入候き。然ば廿八日十八日御齋前にも、百幅二百幅名號を被遊たる事に候間、實如の御時又同前に御入候き。 (四一) 一 二月十五日に勤行齋など御入なき儀、他宗の聞及候て、事の外に不審をなして難じ申事にて候が、如何の御事候や。蓮如の御時は、勤御入候と、申人も候。圓如には他ssz3-0911宗難じ申事御聞候、一段と勝事に思食、實如の御時可有御申との御事にて候き。旣盆も彼岸も就佛說御入候うへは、涅槃はそと御入候はでは、不可叶御事とて候つる。諸宗一同涅槃儀ある事にて候由申候。 (四二) 一 堂の内陣に疊まはり敷の事。越中瑞泉寺は、綽如の御時御建立にて候間、疊まはり敷也。然而一亂に燒候て後、草屋に坊中立候時、常の押板に仕候てより、近年如此。此寺を引て立候間、本泉寺又まはり敷に候Ⅴ-0979つると申候。三河國土呂、播磨國の英賀兩所共に蓮如上人御建立、疊まはり敷の内陳にて候。坊主衆の所も、ふるき所は疊はまはり敷の内陳多候へ共、一亂以後は草屋に立候とて、皆々常の押板にて候。二俣本泉寺、始は内陳疊まはり敷にて候つる。一段としげく燒、五、六度火事に及候て後には、草屋により、常の押板候。 (四三) 一 昔は東山に御座候時より、御亭は上段御入候と、各物語候。蓮如上人御時、上段をさげられ、下段と同物に平座にさせられ候。其故は、佛法を御ひろめ御勸化につきては、上臘ぶるまひにては成べからず、下主ちかく萬民を御誘引あるべきゆへは、いかにもいかにも下主ちかく諸人をちかく召て、御すゝめ有べきとての御事にて候と被仰候て、平座に御沙汰候。ありがたき御事と諸人申たるとて候。各宿老衆かたり申され候、ssz3-0912實如上人も御物語を承候事にて候。定て今も存知の人候べく候也。 (四四) 一 女中方にて一家衆、同女中衆、ひとつに供御など御入候時は、女中衆は内方、一家衆は庭の方、左右にわけて座山科にて御入候き。當時は女中方は上に御入候て、男方衆は下に御入候やうに、昔はさは御入候はで對座の心候き。 (四五) 一 蓮【(如)】―上人御往生の砌は、御堂にて廿五日早引御入候き。其後兔角候て、一周忌第三年の比、其内の比より阿彌陀堂に、法然上人の御影は懸本堂申候事候。實如上人の御代より、廿五日朝の知恩講私記はあそばⅤ-0980されぬ事候。永正初比【山田】光敎寺蓮誓、實如上人へ被申入候は、何とて知恩講私記は、前住はあそばされたる事にて候に、あそばされ候はぬぞと尋申され候へば、御返事には、何共ふしが成かね候と、被仰たる事に候き。其趣人の被語候間、蓮誓へ尋申候へば、さ樣に仰事候つると物語、慥承候事候。 (四六) 一 代々御影を二幅にさせられ候事、證如前住御往生已後、祐誓[慶壽院殿]させられたる事候。前には一幅に七代の御影御入候き。八代に御成候間とて、二幅にさせられたる御事にて候歟。他流などには七代の外、別に書事候由申。但如何事候哉。 (四七) 一 御堂内陣、開山上人三百年忌比、昔内陣三間の座のとおりに疊しかせられ候つれ共、下座の心にて一家衆・下輩の衆つかせられ侍り、烏丸殿の意見にて、御入候つるssz3-0913歟、かいさまなる由、各申事候き。他宗には、いく通も押板きはよりうしろの方へ下座の方へ敷候ては、佛のきはが上座にて、外の方ほど下輩之由申事候。今面五間にて御入候間、昔のごとく三間のとおり疊しかせられ、一家衆著申ても可然御事候やらむ、然ば則上首著候ても可然御入候はん哉。然ば後の方は下輩の著座勿論たるべし。 (四八) 一 代々の御影二幅に成申候事は、證如御往生候てより、慶壽院殿[鎭永]の御料簡候。前は一幅に六代御入候つる事候。其後二代御影のせ被申て、八代御入候事にて候。天文廿三年以來事候。 (四九) 一 代々御命日に正信偈くり引になり、讚之終ゆりのなく成候事は、證如の御時よりの事也。實如之御時までは、正信偈くり引にあらず、少早く御申候し、讚之Ⅴ-0982終にもゆり御入候事にて候き。廿五日に蓮如の御命日ながら、法然上人御命日候間、何とぞ可有御座事候哉。蓮如は山科殿・大坂殿の開山也、法然聖人の御命日也。蓮如之御時までは、太夜・日中齋御入候つると、各被申候。實如の御時には前住にて御入候間、太夜・日中眞御入候間、法然聖人の御命日儀式まぎれ申候て、此比は無分別候。蓮如上人御時には、法然聖人御命日儀式御入候し由、各申され候間、此比も其儀可有御入候歟との各申事候。 ssz3-0914(五〇) 一 實如上人御時は、每年色々の帷を下間上野介やどにて五百させられ、ぬいたてられ候。同名兵庫助宿にて二百以上、七百の分させられ、五月五日と七月七日、不斷祗候の座頭三人、猿樂四、五人、北國より上られ候一家衆、遠國より上洛候坊衆、又不斷御とぎ被申候出家十人計、以下衆被下たる事にて候。 (五一) 一 宿老衆物語申されしは、御本寺にはつとめの調聲人、御本寺には御堂衆・御同宿衆などにははじめさせられず、必ず御留守などの時は、一家衆にはじめさせられ候事にて候よし申されし。虛言申さぬ衆の物語にて候つる事。 (五二) 一 御本寺にむかしは朝勤の正信偈のぜゞに御申候は、正月朔日と七月十五日の朝と二度ならでは、昔はぜゞに御申なく候由候き。其外は正信偈ぜゞにはあらず、はかせに御申候事にて候と物語候き。上古にか樣に御入候事に候。定子細御入候べく候。 Ⅴ-0982(五三) 一 蓮如上人の御代には、每月廿五日の勤の後に、知恩講私記をあそばされ候き。實如上人御時よりあそばさず候。蓮如の御時も、何事ぞ御さし合の時は私記はあそばされ候はで、早引にて御入候由候。 (五四) 一 廿二日は早引ばかり御入候つると被申候。蓮如上人仰に、今日は太子講の私ssz3-0915記をあそばされ度候と度々仰事候つると、各宿老衆物語に被申候。實如の仰をも承候き。 (五五) 一 廿七日も每月兩師講式を如廿五日、常の勤の座敷にて、さはりにても、廿五日廿七日の式はあそばされ候由候。御堂に七高僧の御影かゝり申たる時も候つる。蓮如御往生五、六年後は、御堂にかゝり申候。七高僧にては御入なくて、法然上人をのけて六高僧にて、野村殿に本堂にかゝり申たる事にて候。 (五六) 一 野村殿南殿に念佛行道堂を御たて候て、念佛を行道をおりて御申あり度候と、蓮如上人度々仰事候つると、宿老衆も物語被申候。實如上人も蓮如の仰とて御物語候つるを、數度うけ給候き。さ候時分、永正十三年夏、南殿御亭の庭に水をたゝへられ候を半分程うめられて、持佛堂を立られ候き。やねはこけらぶき、本尊は興正寺門徒の人、本尊の木佛を寄進申たるをすへられ候き。其時是は行道堂にて侍らんと各申候き。然共さ候はで、たゞの持佛堂にて、兩脇三尺餘押板に、一方は蓮如の御影に三具足燈臺以下如常、一方には蓮祐禪尼の御影かゝり、三具足以下あり。五日の朝と廿五日の朝と、每月勤行御出候て、實如上人御調聲あり。廿五日正信偈又念佛正信偈の時もあり、讚三首。五日は正信偈ぜゞ也、讚三首也。正つきの時は太夜・日中、Ⅴ-0983花足もssz3-0916打敷もあり、助音何時も同、御堂衆二人・一家衆・内陣衆計參、助音申也。 (五七) 一 蓮如上人御年忌三年七年以下の一七日の御佛事の時は、南殿昔の亭にて一七日每日三ケ度勤亭にて御堂の後勤あり。調聲は一家、内陣の衆、老若共に一遍かはりて申也。助音衆每月五日廿五日ごとし。亭の佛前、蓮如御影、花束・打敷ありき。初・中・後の日中には、實如上人御出にて御調聲ありき。實如の御時、御中陰同前たりき。證如の御時より無此儀也。 (五八) 一 報恩講の事、御文にもあそばしをかれ候ごとく、太夜過候へば、人をことごとく出され、御影堂に一人も人なきやうに成候て、のぞみの人五人三人殘り候やうに見え候。人多き時は御堂衆・坊主衆、手蠟燭・しそくをともし持て人を出され候て、門をばたて候。御影堂には五十人卅人候て、第一坊主衆改悔候て、次に其外人一人づゝ前へ出られ、坊主衆の中をわけられをかれて、前にすゝみ、諸人改悔候間、一人づゝの覺悟申され、聽聞申候に、殊勝に候し。縁などより申候は不可然候。一大事之後生の一儀を縁の端などより被申候は不可然とて、一人宛前へ出て改悔名をなのり高らかに被申候て、一人一人の覺悟も聞え殊勝候き。當時の樣に五十人百人一度安心とて被申候へども、わけもきこえず、悤々しきばかりにて、何たる事のたうときも義理の相ssz3-0917違も何もきこえず候事は、前代なき事にて候。 Ⅴ-0984(五九) 一 一七日の間は佛法ばかりにて、世間の物語の一言もなきやふに候つる、蓮如の御時の事をば皆々被申候。又は實如も報恩講中には、蓮【如】―御代の事を御物語候。御身は不信に御入候と申、無辨に候て、物語をも不申候と被仰候き。齋非時の上には、大概御法談候き。勤行の上にも時々御法談候きと、蓮如之御時之事被申候き。實如の御時も初・中・後の齋の上、御法談候き。一家衆齋非時前には寄合、法儀談合候き。當時は且以無其儀候。 (六〇) 一 勤に蓮如常に仰事、實如御物語事數々御入候き、忘申候。正信偈を付候に、初に「法藏菩薩」と云を、「ほざう」と付るはわろし、「ほうざう」とすべし。又廻向の末「往生安樂國」のはじめ、「わう」と口をひろげ申は聞にくし、「をう生」と云心に申べしと。これをば常に細々被仰しと御物語候き。其外仰無限事候。 (六一) 一 念佛をかろく申べし、讚をもかろく出すべしと、條々仰事侍き。每朝勤の上の百遍は、代々の報謝の心と候。百返よりたらぬもわろし、あまるもわろしと仰事也。 (六二) 一 淨土和讚の終に「歸命せよ」の「命」の字、「う」のかなをはりて申はわろし、「うせよ」ときこゆ、聞わろし。「う」のかな、そとかろく云べしと仰也。加樣事あまたありき。 ssz3-0918(六三) 一 本堂の阿彌陀經は、嵯峨本とて彌陀經のすり本候、漢音を付たる本にて候。綽如上人あそばされたる彌陀經本披見申候つるにも、嵯峨本のごとく御付候て、如此嵯峨本のごとく每朝すべし、奧書にあそばしをかれⅤ-0985候き。此本は漢音ばかりにあらず、吳音も少まじり、唐音もあり、くだらよみとて、聖德太子の百濟國より取よせられたるよみにて候間、くだらよみと申にて候。當時はちとかはり申候歟。古圓如の御稽古候つる、件のさが本にて御稽古候き。當時は吳音おほくまじりたるやうに候。阿彌陀經念佛百返よりあまり候へば、實如上人は物を御ならし候て御成敗候し。たゞ百返よく申べしと被仰き。 (六四) 一 御影堂の每朝の短念佛は、古はながく御入候き。「陀佛」とはきこえず「阿佛」と御申候やうに、「陀」の字あたらで御申候き。子細あるべし。 (六五) 一 昔上檀の人數、一家衆は阿彌陀經以下、何をも助音申され候き。當時は一向音出されず無言なる事、いはれなき御事候や。但如何。 (六六) 一 私記あそばし候時、三らい一向きこえ申候はぬ事、如何御事候哉。實如のあそばしたる時は、あきらかに諸人耳にきこえ申候、少はかすかにも成やうの時も御入候し。圓如はうち上てあきらかに候き。ひくからぬ物にて有べき事と仰候き。他宗は何ssz3-0919宗も私記の調子に出候。昔は何も高く出され候き。 (六七) 一 日沒も昔は七時打ありし事本式也、日の沒する時の聲命也。然を永正七、八年の時分より八時になりたる。さ候間、則末寺にも八時に成たる事也。大坂殿にも永正十八年邊に八時に有之。 Ⅴ-0986(六八) 一 太夜と申も、昔は七時過半時也、大略六時以後有たる事也。實如御時も、大略六時打廿七日廿四日の太夜ありつる事候。普請の時をそく七時打鐘候へば、普請衆あがり候とて、太夜を早くさせられ、八時になり申候き。普請のあがりの鐘を七時過につかせられ候て、八時に有つる事也。太夜はよる本とみえ候也。善導和尙の行事の時分候也。 (六九) 一 每月の代々御明日の朝勤正信偈の終くり引は、證如之御時より如此、讚のをはりゆりのなき事同御代より被定也。實如之御時は、すこし眞に御入候き。平生の勤も少眞に實如の御時は御入候き。但不同御事候き。 (七〇) 一 實如上人御時は、つよくてうしさがり申候間、たかく被出候つる事候故、中山黃門[宣親卿]小原の聲名師、名仁語候つるとて物語候つるは、聲名はさのみ高からぬ事にて候と申たると物語申されてより、たかくはさのみ御沙汰なく候つる。 ssz3-0920(七一) 一 實如上人唐帽子かけられて佛前へ御出仕の體は、かけられながら御出候て、座に御付候て、御おがみ候はんとて帽子を御取候て、御おがみ候て勤を御初候て、さて帽子をかけられて、又廻向終に御取、勤はたされ御おがみ候て、たゝれざまに御かけ候て、御立候つる事にて候。 (七二) 一 實如の御時、蓮藝を御使にて、一家衆讚出候衆に可申とて被仰候しは、實如御出しあるべきは、念佛を申はてゝ、しづかに御出しあるべし、各は申はてはに「南無阿」といふ時、かろく出され候へと被仰出候し。あまりはやきもわろしと、仰事候しを覺申候。其後又Ⅴ-0987如覺を御使に、同前に被仰出候と、如覺物語も候き。 (七三) 一 正月初一七日の修正の時、代々の御影ことごとく懸候時、御鏡參にみなみな御前に卓をかれず、かんなかけに御鏡すはるに、前住の御まへも同樣に候を、此近年前住の御まへには卓ををかれ候事、古へ見及申さず候。注置候物にも、ことごとくの御前と同前に卓なしと注置申候。 (七四) 一 代々の御前燈明は、實如の御代までは御明日にばかり、四日・十九日・廿日・廿九日・廿四日・十四日・十八日計ともされ候つる。證如の御時より不斷ともされ候。是は尤の御事と存候。末香も同前候歟。 ssz3-0921(七五) 一 人々下々の衆にても候へかし、死人の遺物などに小袖の類ひ遺物に進上候をば、蓮【如】―上人は其志に齋申され候。日中との間に、面織物・板物などにて候へば、俄に打敷にさせられ、上人の御前にしかせられたる由候。それも打敷成候樣の物に取ての事候、染物の紋ある物の事にては候はず候事候。 (七六) 一 蓮【(如)】―上人の御中陰中、又周忌・第三年・七年・廿五年比まで、賀州【若松】本泉寺蓮乘W幷蓮悟内者R下間大進・井堰六郎左衞門・松岡寺【波左谷】蓮綱内下間上總・【同源十郎】井堞藤左衞門・【山田】光敎寺蓮誓内下間下野W于時式部R、此等をばめし出され、齋非時之配膳を山科殿にてはさせられ侍りき。是者何も若時被召仕たる者にて候との事にて候。其後も周忌・Ⅴ-0988第三・七年まで如此候き。 (七七) 一 大永元年二月五日に如秀禪尼A本泉寺蓮乘B女中C往生之時、二月下旬比、實如上人より御弔とて、御堂衆淨頓を若松へ下され、御香典五百疋下され候き。波左谷の如宗禪尼W蓮綱女中R永正十一年夏往生候時も、御堂衆を御弔にさし下され、御香典實如上人より被下侍りき。同年十月に光敎寺如專W蓮誓女中R往生の時、同御堂衆御弔に御香典被下候き。同年十二月富田へ事愚老が妻了忍往生し候にも、御堂衆可被下之由被仰出侍しを、本泉寺蓮悟野村殿に有合て留申、御香典を三百疋被下侍りき。古は如此御入候き、當時はあるべかssz3-0922らざる御事にて候へ共、古の事を申候計候。同年二月七日富田敎行寺W蓮藝女中R御弔に御堂衆被下候つる、同前事候き。 (七八) 一 波佐谷蓮綱・山田蓮誓・若松蓮悟三人は、自門徒之事は不及申候、他門徒直參の人にても候へ、俄事などに入候事候へば、法名を出し可申由、蓮如上人の仰にて出し被申事存知候間、實如上人へ拙者伺申候て、俄人の所望候事候間、出し可申歟と申入候へば、三人と同前に出し申候へと被仰候間、拙者も出申候事候。 (七九) 一 興行寺蓮惠W實名兼英R松尾玄喜W實名兼泰R兩人實名可申入候由、賴被申候時、外記に文字反音相尋注申入候時、敎恩院殿、末々の一家衆には名字を出し申せと被仰候てより、少々五人三人へは實名愚老が俊の字すへて出し遣候き。 (八〇) 一 齋非時に膳をくむ事、昔なき事也。諸宗共當時はくみ候程に、これにも如此膳をくむ事に候と、實如上人齋の上に御物語候し事を覺申候。信證院殿七年は永正二年にて候。其御佛事前より膳くむ事出來候。永正Ⅴ-0989四、五年の年より、是の齋非時にもくませられたる事候。 (八一) 一 時大鼓、野村殿にて二處大鼓あり、永正十年比也。曉七時、晝日沒八時をよくそろへ打べき被仰付。一所には香なくて、一所を聞てうつ也。 ssz3-0923(八二) 一 日沒昔より七時打也、八時を打て有事は近年の事也。永正十年比より也。 (八三) 一 齋非時の上に茶子あくべき前に、人の志の布施は引也。永正十一年の比、人齋の上に布施ひかれしに、上への御布施ひかれて、一家衆・坊主衆までひかれて、俗人の人々にはもとよりなし。然而不同なる事の又見苦き事も候つるとて、人の不審の儀候つる間、御前にては無用とて、其比より停止候て、各々別々其人の處へ引べき由敎恩院殿の仰にて、其人々座敷宿所へひかせられたる事也。近年はひかせらるゝ事候歟。 (八四) 一 持佛堂は野村殿にも昔より御入候へ共、永正十三年四月に結構に立らるゝ。南殿御ていの庭中の池をなからはうめられ、橫二間長三間半に疊つめしき、まはり敷にあらず、九重座の上木像本尊は、興正寺門徒寄進申候。御豆子のせらるべきにて候つるが、結構にみ事にて候つる間とて、御づしながらすゑ、かな戸びら半金子なるにて候き。本尊脇には、南に蓮如上人御影、北には蓮祐禪尼聊ちいさく新敷をかけられ、廿五日と五日とに朝ばかり讚三首每月在之。やねはこけら葺、Ⅴ-0990あつさ四寸五分、板敷は南殿御ていのなげしの上一尺計に候つる。此立られ候つる間、御亭に愚老候つる事候。持佛堂たちては、本尊すゑをかれば、供養がましき事何事もなし。予廿五才時事也。 ssz3-0924(八五) 一 聖敎等の外題は、我本には我らかき候由候。さも候事候や。申入候て御免候てかく事と、宿老衆物語候間、敎恩院殿へ敎行信證外題、其外聖人の御作抄等之外題申入候時、人所望候に可書遣歟之由申入候へば、可書遣之由、直に被仰候。申入時は以筑前法橋申入候し。御免之由被仰間、以惡筆所望人に書遣事候。 (八六) 一 敎行信證をば、昔は若年の人にもよませられ候きなれど、信證院殿仰には、若時は何として聊爾に取扱之儀あるべく候間、廿歲以後よますべき由被仰定たる事にて候由、各宿老衆物語候き。仍よむべき以奏者申入可有御免之由被仰出候。一家衆は第一の初一丁計從御住持請申事大法也。然ばよみ果て御禮志次第に申上候。 (八七) 一 昔は聖人御戸はたと立つめらるゝ事無之候。明らるゝ事而已繁候處、御門徒中之間申事候つる問答にまけ候仁口惜との兩人まで、開山聖人御前卓のきはにて腹をきる事有之。實如御代永正之初比事に候。其砌より御戸はたてつめられ候事候。本來上人の御戸は御住持之御役にて候へ共、事繁候間、御代官に一家衆・下間丹後等明られ候。綽如上人の御時は、鎰取の役人下間名字一人被定侍りき。 (八八) 一 勤行之時、内陣にて夏扇つかはれぬ事は近年事候。前住蓮【如】―第三回忌七年の時、各扇自要を勤行中老若共につかひ候き。其後永正六、七年比より、實如上人冥Ⅴ-0991加のかたssz3-0925思食候御事にや、勤行に扇御つかひなきまゝ、各家中衆もつかひ候はず候に、其後永正十年の夏炎天に、實如上人顯證寺蓮淳に、炎天比あつく候べきに、扇つかはれ候へと被仰、實如上人も扇つかはせられ、各も扇つかひ候つるが、又其後實如上人御つかひなく候まゝ、各もつかはず候て、此比もつかはぬ事候。齋の時は、各もつかひ候事にて候。 (八九) 一 報恩講に上洛し會申候一家衆、霜月廿日比、白小袖一被下候き。愚老兄弟中愚老なども被下候。さのみ末々の衆には被下たるとも覺不申候き。 (九〇) 一 何時にても候へ、兄弟中又は上洛の一家衆御禮申候明る朝、御上にて御相伴に供御被下候。御汁二、菜四、五にて、茶子ふちだかにて三、五色御入候き。又二、三日のうちに御亭にて御相伴供御被下W汁二 菓子二、三 菜三又は五Rにて御入候き。 (九一) 一 野村殿の御堂にては、いかなる朝も五、六十人、百人ばかり、坊主衆子共、又は其外人の子ども、又は老者・入道のやうなる人ならびゐて、かしましき程に和讚・正信偈、經論正敎をよむ人おほく候しが、當時は一向なき事候。これいかがの儀候や。 (九二) 一 御堂衆の勤前に燒香・末香等を本尊・上人へまいらせて跡へかへられ候事、古はさもなかりしと申人も候、愚老なども覺申さず候。其まゝ上人の御前へ出て、下檀へssz3-0926かへられ候つるが、上人の御前をとおらじとてⅤ-0992返られ候て、南の方へ出られば、上人の御前をばとおらではかなふまじく候や、如何。 (九三) 一 每日日沒の短念佛は上られずと各覺たると申人候。愚老もさ候つる歟と覺申候。總じて短念佛はあげぬ事と申ならひ候。 (九四) 一 私記よみに上人の御前へ御まいり候は、北より御參候て、よみ果られては、南へ御かへり候也。蓮如も若御入候時は、南へ御まいり候て、本座へ御歸候也と申候。實如は五十餘年の時分よりは、南へ御まいり候はで、北の本座へ御歸候し事也。左へ御まいり候はぬは、御位上の心歟。 (九五) 一 直綴などの墨染の色くろき不可然候とて、ふかく曲言之由、蓮如上人は仰事候き。されど世間の人外人にはくろきを著し、一家衆は被出候事候時、著したるを御覽ぜられ、近比近比殊勝に候と被仰て、いや殊勝にも候はず候、をれは彌陀の本願こそたふとふ候へ、更にたうとくもなきぞと常々被仰侍しと、各宿老衆かたり被申候き。いかにもいかにも當流の儀は、うす墨なるが肝要候と被仰、敎信沙彌の作法たるべきと常に被仰し也。 (九六) 一 遠國より坊主衆・御門徒衆上洛候時、御見參之肴などに餠煮させられ候に、鹽かssz3-0927らく味わろく仕候を、一段かたく曲言と仰也。遠所よりはるばると上洛の人など、麤相に仕候事曲言と仰也。或時遠國衆御見參之時、煮餠をこしらへ申候由申を、取よせられきこしめして御覽らるゝに、鹽からき事言語道斷と被仰、こしらへたる人をも御折檻候て、曲言との仰也と、蓮如上人被仰付候と、實如に御物語を承候也。 Ⅴ-0993(九七) 一 實如御物語次でに被仰事には、愚老が耳を引よせられて仰には、本寺の住持もつ者は、はしに目鼻を付たるやうなる者なり共、皆門徒以下の人は賞翫すべしと意得あがむべし。上人の御代官を申身にて候間、敬しむべきが肝要也。加樣の事はこと人には云まじを、主なればこそいへ、弟にて候間いふぞと仰侍る也W御言ばを其まゝしるし申也R。かたじけなくありがたく存侍る事也。この段三度歟、愚老わかく侍比仰事候也。 (九八) 一 野村殿にて御堂の卓に、打置をば悉のけられて、卓になされき、永正七年事也。相阿彌申事に、押板の上に打置はをかず候。疊の上に花立の類などを置候時、打置をばをき候、押板にはをかず候と申により、悉く卓になされ候。打置は下すかず、中程には文に穴をもほりたるにて候。 (九九) 一 御簾は二間三間共つゞけ懸候には、柱のみゆる物也。柱をかくさずかくるはわろし。佛神の前には外にこまる鎌をさげ、常の座敷には内鎌をかくる也。御簾をあげssz3-0928候には、兩人左右にならびあげ候と申。 (一〇〇) 一 實如の御時は、本尊・御影の御禮、名號・御文の御禮申候代物をば別にをかせられ、不辨疲勞の人を御扶助候し事也。難有事にて候。又よくほどこすべしよくほどこすべし、よくたもつべしよくたもつべしとは經文也、常に蓮如の仰ありし文也。ほどこすべしとは、人をあはれみ人に出すべき也。よくたもてとは、志にⅤ-0994人のまいらするをば難有と思ひて取べき也と、常に仰事也。よくよく人を哀みほどこし給へとしるべしとの儀也、仰事也。 (一〇一) 一 昔は法義心に入、信心の人をば座上させられたる事にて候きと、各物語候。其證據には法敬坊にて候。前には御下部にて、御輿かきたる人にて候へ共、めし上られ座上させられ、坊主衆座上にて候き。近年は遠國次第に座上させられ候とて候。 (一〇二) 一 坊主衆にも、佛法を心に入嗜人々をば、袴御免候て、白衣になさせられ候人候き。近代もあり。 (一〇三) 一 吉崎殿にて或人、下間筑前法眼[玄永]にたづね申候には、坊主衆をさへ袴御免候て、白衣の人御入候が、何とて御一家衆には御免の御方も御入候はぬぞと尋候へば、玄永の返事に、御一家衆には袴をめさせられ候はぬ事にて候き。御一家衆のわれわれにめし候事にて候間、御存知なき事にて候まゝ、ゆるしまいらせられ候はぬ事にてssz3-0929候歟と存候。御一家衆御袴勤行などにめし候事は、他宗の人もみぐるしき事と申され候。諸宗になき事にて候と申され候き。 (一〇四) 一 御一門の椀とて、昔より椀各別、聊も下輩の人にもつかはれざる椀御入候事にて候。當時も御入候由候。この椀を興正寺の蓮秀の前へすゑ候て、蓮秀たべられたる事候き。これを御覽ぜられ、蓮如上人大に曲言の由被仰、其椀をめしよせられ、御前にて火ふき竹にて、御てづから悉く打くだかれさせ給ひ候き。聊の事も御用の物とて、あだにもさせられざる事にて候つるが、此椀事をば一段と堅被仰たる事にて候と、各宿老物語にて候き。今も存知のかたがた有之事にて候。一家衆Ⅴ-0996の椀とて、他家の人には一向つかはせられぬ事にて候。當時は聊未斷にも御入候歟。蓮如御時、此椀の事かたく被仰たる事にて候。佛法儀につゐて、一家衆をも不肖の人をも、かくのごとく執しましましける御事にて御入候間、末代もかはらず可被仰付候事候也。 (一〇五) 一 六要抄をば當時よむ人なく笑止との仰事。蓮【如】―上人御七回の御佛事後、俄實如上人被仰出候て、顯證寺蓮淳・本泉寺蓮悟・常樂寺如覺、三人によませられ侍し。其後も各御免候し。當時是も兔角し候はゞ、よむ人斷絶候べき也。 (一〇六) 一 永正十五年の夏、淨土の本書四帖疏をば各よみ申候へ共、具書W善導御作R分はよむ人ssz3-0930なく候間、よむべく候て、愚老興行せしめ、弟にて候本善寺[實孝]・順興寺[實從]、同心によみ候はんと興行仕候へ共、師匠なく候し、よみ樣存知の人なくて候。旣に斷絶事候、勝事之儀候哉。 (一〇七) 一 六要抄は、本こしらへ候事も、よみ申事も申入て仕候。敎行信證の注なるによりて同前に仕候。愚老は、實如上人御往生の十日ばかり前によみ申べき事も、本を仕立べき事まで申入候き。 (一〇八) 一 うつぼ字の名號はW泥にて書候名號R繪師が所に本御入候。以上四幅の分歟。大幅三、六字名號少きなる共に、四ふく御入候。野村殿にて御影堂に南の押板の中に不斷かゝり申候は、蓮【(如)】―上人御筆泥がき无㝵光名號、讚はⅤ-0996前一行蓮【(如)】―上人あそばし、二行めより光敎寺蓮誓にかゝせられたる事に候。蓮誓面目の事にて候。 (一〇九) 一 三部經外題は、上卷は无量壽經上、下卷は同下とあり、觀經は觀无量壽經、小經は四紙彌陀經と也。又正敎之外題も本を、蓮如上人大涯正敎之外題本をあそばして、實如へまいらせられ侍りき。 (一一〇) 一 田舍・遠國より上洛一家衆は、實如の御時は、初は御上にて供御下され候。其後も細々御亭にて實如御相伴に五、三日あひ候て、被下侍し事也。同遠國より上洛候大坊ssz3-0931主衆も、同前に於御亭御相伴にて飯を下されし事也。 (一一一) 一 蓮【(如)】―・順如の御時は、御相伴申され候人多候つる事にて候。諸門跡の出世坊官衆、或諸大夫の入道したる樣の人、侍の入道したるなど御入候つる。實如の御時も禪衣著したる人々十人も不斷御相伴申候人にて候き。 (一一二) 一 御代々太夜・日中は、御影前は脇二間押板間にて候へば、御住持御一人勤は御役候。一家衆五人十人押合次に付申候に、北方に付申候人計押板のかたへ少向申候。聖人を後へ成がたくて如此候。實如上人も北の方の上に御付候て、御おがみ候時、先向の御影を御おがみ、次に聖人の御方をそと御おがみ候き。是も蓮【如】―の御仕付にても御入候覽と申事候。同時南方に付候衆は脇へ向候き。當時如北座人候事、昔は覺不申候。當時御聲とゞかず候とて、各へ巡讚にさせられ候。疊まはり敷にあらず候へ共、次第如何御入候べき。御兩所計させられても尤候べき歟とみえ申候。 Ⅴ-0997(一一三) 一 勤など過候て、脇の座へ一家衆出候時、縁に疊しかれ候所有事如何之由、光應寺蓮淳など常申候て、うへに各あがり居候き。縁の座は坊主衆の座候間、不可有候由、宿老衆御申候き。尤候歟。 (一一四) 一 蓮【(如)】―御時は、御内衆家を被建候を被御覽候ては、大小に隨て大儀をしたるよなssz3-0932と被仰、代物を餘の傍輩にかくされて、拾貫・貳拾貫、馬のふるき手綱の樣なる物つゝませられ、入夜被下候由候。難有御事候き。 (一一五) 一 同蓮【如】―御時、兄弟衆同一家衆、供御又は一獻をも被申候時、後日に入目の程らひを御分別候て、これも代を入夜候て被下候。殊兄にて候五、六人の衆には、今日雜掌はいか程入べきぞと、程らひ則御分別、大儀をしたるよと被仰、千疋可入よ、又は二千疋可入よと仰事候。後日の夜に入て、代物をつゝませられ被下候間、各爲冥加候間、代を被下候を斟酌申候へば、親なればこそやれ、やる物をばたふときと思ひて取べき也と、何と斟酌申候をも取候へと被仰、下され候つると、各物語候つる事候。然ば實如前住の御時も、蓮【(如)】―のさせられたる樣には候はね共、其御心ばせの如にて候き。 (一一六) 一 實如前住の御時は、過分に物を進上し候へ共、何とぞ必被遣事候き。心に入申候と思召され、何物をそも必々其志を御感の心のみにて候き。 (一一七) 一 上洛之一家衆、年頭之御禮皆心々に申され候。過Ⅴ-0998分儀如何之沙汰に及候し時、各以談合【圓如】大納言殿へ申候處、可有御定之由候。以大納言御筆にて日記出され候、于今所持之旁可有之候。過分に被申事、不可然事の由候て被定候。御住持[百疋]、大納言殿W五十疋圓如R、武者少路殿[五十疋]、此御兩所へ卅疋と被仰候しを、それは餘に左道之由申候て、如此候ssz3-0933き。丹後法橋W卅疋蓮應R、左衞門大夫W廿疋賴慶R、其外は可爲停止之由御定たりき。又御明之儀は志次第たるべし。されど五十疋・卅疋・百疋之外は無用と被定侍りき。 (一一八) 一 同一家衆子ども德度之時御禮之儀、同時過分之儀不可然との儀也。是も被定て大納言殿御手にてあそばし被出候。各所持候き、我等も持申候き。御明[百疋]、御住持樣[百疋]、御堂衆[五十疋]、頭の剃人何ぞつかはし候きW是も日記になき事也R、武者少路殿[五十疋]、大納言殿[五十疋]、丹後法眼[卅疋]、左衞門大夫[廿疋]。是は左衞門大夫へは無用之由被仰候間、強而申入候へ共、努無益と堅被仰候き。兩條共に永正十年也。 (一一九) 一 實如御時に客人御入候に、四日十五日には精進にて御入候つる。子細は四日靑蓮院殿尊應の御命日、師匠の御心ねにて候間、公家衆其外の外人には、精進にて御入候き。公家衆へは魚物の事にて候、人により精進人も御入候き。十五日は日野殿唯稱院殿の命日なれば、外人には精進にて候き。然ば順如の御時、十五日にも精進にて御入候。是順如・實如共に御兩所御養父にて候。山科の御坊に兩御代の御養父とて、唯稱院殿御影二幅御入候き。二幅ながら立えぼし・式しやうの出立の御影候き。 (一二〇) 一 山科殿にては、慈鎭和尙御壽像御入候き。親鸞上人御祕像、讚も慈鎭の御自讚にて候。一段結講の表襃Ⅴ-0999衣にて御入候き。是も御師匠とて御申ありたると存候。御命日ssz3-0934は九月廿五日なれば、法然上人と同日の御事にて候つれば、不及御精進之沙汰候と存候。[實如御時事] (一二一) 一 遠國より上洛の大坊主衆、上洛の時は必御對面の時もさかな・雜煮などにて、麤相には御入なく候。末々衆遠國より上洛御門徒衆にも、雜煮のやうなる物にて、御さかな蓮如上人の御時よりさせ候。聊も惡こしらへ候ては、可爲曲言之由度々被仰たるとて、此儀實如上人御物語候つるは、前住蓮如の御時、雜煮を被仰付たるをめしよせられ、先きこしめしたるに、散々に鹽をからく味ひわろくこしらへたるを、誰かしたると御尋候て、其中居衆御折勘候つる。遠國よりもはるばると上候聖人の御門徒の人に、加樣にわろく肴をこしらへたる曲者之由被仰出、御折檻の由を實如御物語候て、前住はか樣に御門徒衆大切に思食候つれ共、われは左樣にも不謂候、不信之至候、あさましく候と、實如上人御亭にて御物語候しを承候。御内衆も承られ候し事にて候。 (一二二) 一 遠國より上洛候大坊主衆は不及申候、長男の樣俗人にも、在寺中に御亭にて御相伴にて魚物のめし被下たる事にて候。 (一二三) 一 野村殿にては、御堂の勤のはて時分に、障子はづされてさうとうしたる事もなssz3-0935く候。はて時分、少男女共に末座の衆立さばく樣の事は候つる。さのみ今の樣にはなく候。 Ⅴ-1000(一二四) 一 廿七日ごとの掃除、御佛事前のさうぢには、丹州兄弟、又慶聞坊・【下間】駿河[蓮秀]など被出候つる。當時は下間衆みえられ候はぬ事は如何候や。 (一二五) 一 實如上人御時、下間駿河入道をめして、御使として御堂衆被仰出候し、勤後には御文よみても讚嘆すべし、先讚嘆しても御文よむべし、讚嘆の中にも御文よむべし、御文よまずして讚嘆ばかりもすべし、一樣にはすべからずと被仰出候て、每朝の樣體かはりて候つる。其比は慶聞坊・法敬房・勝尊・祐信、端坊などにて候し時の事也。 (一二六) 一 實如上人被仰候しは、阿彌陀堂へ鐘より前に御參候て、しばらく御座候し時、御法談候て、前住蓮如は本堂へ加樣に鐘より前に御參候て、法談共仰候て、堂衆の不法なるは淺間敷ぞ、如來・聖人にみやづかひながら、冥加をおもはず不信なる、第一の曲言候由、細々仰事候しか共、今は御身も不信なるにより候て、仰事もなく、細々勤のふしをも稽古させられ候しか共、御身は御無器用により、被仰聞儀もなき由御物語候て後、しばし候て、鐘つかすべき由仰候しを、度々承候し也。 (一二七) 一 本堂にて鐘より前に御參の時、鐘のはつるとおなじ樣に御堂衆經を始られ候ssz3-0936しを、曲言と仰事候し也。鐘のりうりうと末のひゞきある内に鈴をうたれ候は早く候と、鐘のひゞきもはてゝ後に始べしと仰候し也。 (一二八) 一 蓮如上人の御時は、廿五日には御精心にて候とみえ候。法然聖人の御命日にて候間、廿四日に太夜、廿Ⅴ-1001五日に日中も御入候歟。御齋まへと被注候事共候。廿五日の御齋前に必名號を各申されしを、一度に三百幅あそばされたると、被註候事候。 (一二九) 一 實如上人御時、野村殿にては、廿五日御齋はW汁二菜五茶子五R、年始には菜六、三月御正忌日には御汁三W菜八菓子七R。五日每月W汁二菜三R、年始菜四、御正忌十二月五日W汁三菜八菓七R。廿八日は每月はW汁二菜六菓子五R、年始W汁二菜六菓子七R、十一月W汁三菜十三菓子七九歟R。近年は結構に成申候歟。 (一三〇) 一 布施被申時は、齋茶子あがらぬ前に披露也。一家衆への布施は下間衆使也。坊主衆へは殿原衆誰にても。末の俗人などへは布施はなし。布施の後、茶子あげられ候。近年實如の布施を御停止にて候き。さ候へば齋日中過て各々に志を被申候き。W是は子細有事候R (一三一) 一 實如御時は、【常住】平生の供御以外に麤相に御入候き。各存知旁候べく候。御汁もいかにも麤相にて、御菜は二、一向にみぐるしく候。これは冥加を思召れ候故にて候。蓮如御時よりのごとくにて候とて候。永正の比、圓如の御談合にて、各一家衆と同ssz3-0937樣に御入候へば如何にて候との御事にて、御まはり三と御申にて候き。事外御斟酌にて、前住蓮如御代より此分二にて候、中々とかたく被仰候しを、強再三以上野方御申候て、三に成申候き。事外に無用之事にて候由被仰候き。其時有合御申旨御返事候樣、具承候き。冥加を深被思食儀候。 (一三二) 一 霜月朔日二日比よりは、入夜て一家衆W内陣衆R・御Ⅴ-1002堂衆、每夜勤稽古御入候事、自前々有事候。近年一向無其沙汰候、如何候哉。廿八日之私記あひの讚・念佛稽古は、廿五六日之間に入夜有之事候。 (一三三) 一 冥加のかた專可存の由、前住蓮如上人仰とて實如上人も仰事候き。深く時々剋々萬の儀に付て深く可存子細、兄弟中存候て、今おさな者共に成仁候はゞ、堅固可申聞之由、被仰置候由、皆々も被申事に候き。 (一三四) 一 各讚嘆被申儀に付て、諸淨土宗法文も當宗も面向同樣事多候へ供、内證各別之儀候。他力と被勸候へ共、諸淨土宗は皆自力候。大各別の事にて候に、他流の勸化相似たる樣事、又まぎれたる段分別候て、法文讚嘆可申事候哉之事、蓮如上人常々仰處、細々我人可申合事候歟。 (一三五) 一 蓮如はいかなる極寒にも、御手水には水を御つかひ候。湯をまいらせ候も、無冥ssz3-0938加之由被仰候き。あまり極寒の折節、湯を少御手水の中へ、各かなしがり候て、入られたると候。 (一三六) 一 實如は御往生の前の年夏比より痲病の御煩候し間、秋末比より御足冷候ては不可然の由申候て、勤行に御參之時、單彼をめさるべき由各申して、申入候しかども、冥加を思食候て、終御堂へはめし候はず候き。定て蓮如上人もさ樣にぞ御入候つる覽。 (一三七) 一 蓮如上人は、夜めしたる物はきたなきとて、いかなる極寒にも佛前へ御參之時は、御はだより別の物めしかへ御參候。各さむき時には、かなしがりまいらせ候て、夜中よりこたつの上にめし物ををき、あたゝめⅤ-1003候てまいらせ候へ共、召候時は、打はらひ候てめしたるとて候。冥加をふかく被思食候て、如此候つる由、各宿老衆物語候。是は中々不可成事候。 (一三八) 一 野村殿にては、女中衆御座候方には、持佛堂の樣なる事御入なく候。霜月廿八日前にも、廿八日之御志とても、女中方に且以下々衆迄も、御佛事取越て被申人たれも無御入候き。當時は女中方其御志候やうにみえ申候事ありがたき御事にて候。但如何。 ssz3-0939(一三九) 一 蓮【如】―上人御時は、法儀に心をかけられ候一家衆・坊主衆などをば細々御前へめされ、別而御目をかけられ候事にて候き。多く聖敎などまであそばし被下たる事候き。實如御時も同前事候き。 (一四〇) 一 親に不孝の人は一段曲言之由被仰、折々御折檻の事候。二親に孝々なる人をば一段と御崇敬の事にて候。蓮如上人以來、如此候。 (一四一) 一 波佐谷松岡寺蓮綱・山田光敎寺蓮誓・若松本泉寺蓮悟、三人往生の時、影を申入候、何も壽像に御免候し。殊に蓮綱と蓮誓は、現存之時於野村殿かゝせられたる事候き。 (一四二) 一 順如上人[願成就院殿]御時、御病氣によりて不斷御酒ばかりにて御煩候し間、本尊・開山の御うら書もあそばさず、慶聞坊[龍玄]・越中正珍御堂衆にかゝせられ、御判ばかりあそばしたるとて候。さ候間、實如上人のⅤ-1004御時みなあそばし直され候、聊爾なるとてあそばし被直候。然ば本尊・御影うら書を、末寺の人書たるは有べからず候。 (一四三) 一 野村殿にては、報恩講七日の間、廿一日の晩景より、縁廊可、御堂の縁、御堂へ參候道すがら、ことごとくいなばきをしかれし事也。御堂の大庭には、いなばきを繩にてつなぎて、總の庭にしかれ候。雨ふり候へば、まきて内へとられたる事にて候。聽聞衆庭に各いなばきの上に堪忍、ありがたき事也と每年各被申事にて候。 ssz3-0940(一四四) 一 野村殿實如上人御座候時W年記忘R、江州山家へ將軍義稙御沒落之時、都へ御歸洛之時、伊勢貞宗江州へ御迎に參候之時、山科葬所通候とて、御坊へ被申入事は、此葬所を御所御通候べき由申て、葬所如何候間、無常堂の跡前ぞとつゝませられば可然由、貞宗被申入しかば、安き事、報恩講大庭にしかるゝいなばきをもたせ、打かけ打かけつゝませられ、卽時に一圓に堂もみえぬ樣につゝませられ候へば、勢州きもをつぶし、此大なる堂つゝまれたる事は何方にも不可有候とて、貞宗感じ候けると、其比沙汰にて候つる事候。 (一四五) 一 又正月十五日の間も、山科殿にて御堂縁、南殿・北殿道すがら、皆いなばきをつなぎしかれたる事にて候。當時も覺たる人も御入候べく候。 (一四六) 一 報恩講前には、諸國一家衆堪忍もよく候ほどの人、おなじく坊主分、又御門徒の衆長男のたぐひ、白御少袖のためにとて、上品の絹を上せ申され候。今は御入候まじき歟。賀州三ケ寺以下の人々、御素絹の爲にとても絹を上まいらせし。御講中に内陳衆上洛候しには、Ⅴ-1005白小袖の一は被下たると、各物語候き。 (一四七) 一 報恩講前ちかく成候て、御精進入と號して、上下各の間魚物・御汁・菜など令進上、脇々にも其儀候よし申人侍し。愚老などは承も及ばず候。御佛事精進ちかく候て、魚ssz3-0941物各用られ候風聞は不可然、祖師の仰にもなし、惠心院の御掟W四十二ケ條R等にも相違とて不可然之由、各仰られしなどは承及候し。不可然沙汰候歟事。 (一四八) 一 一七日の御佛事の以後、又二七日・三七日も精進儀候旁々へ、長々精進候とて、魚物のもてなしなど互に音信候事も候き。精進ほどきとて、魚物・汁・菜にて、一家衆十二月朔日以後まで祗候候つる一家衆は御前にて、遠國坊主衆五人三人御亭にて、被下たると承及候。野村殿にて候事也。 (一四九) 一 女中がたには、小殿原一兩人いにしへ御入候し。それも年たけ候へば、御亭へ出られし也。公武の家々にも、女中方には、十五歲までは女中かたに奉公候。十六歲より侍方へ出され、女中がたへは影ざしもなき事にて候。畠山方にも如此候由申候。其外諸家にも如此候方々候由候。 (一五〇) 一 一家衆不斷は大勢參候事も候はね共、此近年は依錯亂一所にあつまり申候。御佛事などには、又各まいりつどひ候事候へば、有所を被仰付候てある樣に御入候はゞ、各畏入可存候。野村殿にての程に御入候はゞ、よく御入候はん。六間の座敷、小者中間の有所二間三Ⅴ-1006間にて、大小便所二所、手水桶二所に候て、よく御入候。それさへ大勢參つどひ候時は、せばくて難儀に御入候つる事候。 ssz3-0942(一五一) 一 野村殿にては、每月風呂立申候に、風呂の入口は二御入候。御住持の御出入の口は脇に御入候。總出入の口は如常。是も昔は只一にて御入候を、五山などの長老の出入の口は、わきに別に候段きこしめし、圓如御申候て如此候。一家衆、其禪衣の人々、御内衆、同前に入申候。一家衆は召仕候者一人宛つれて入申候。垢かく者候はではとて如此候。古より此分候。廿五日と廿八日とに立申候へ共、あひだ近く候段にて、前月に廿五日にたち候へば、後月は廿八日、每月に一度の心、御客人候へば、臨時に幾度も立られ候き。 (一五二) 一 すゝはきは十二月廿日、古よりかはらず御入候。七時に朝勤御入候て、無讚嘆も、宵に佛前道具大概取をき、當座入候物ばかりをかれ、脇なる物はみな取のけられて、朝勤も御入候て、過候へば、則すゝはき候。夜明候はでほこり不見候間、夜の明ると同在之。一家衆も各袴ばかりにて出申候。上段もいづくもげゞをはき申、御住持御出候時、一家衆上段の左右竝ゐ、そとすゝを、御住持、上人の上をはかせられ御歸候へば、各上段をば、一家衆・御堂衆同前、殿井より下はき申候。げゞも一家衆分は、御堂衆被申付候き。御堂衆・坊主衆の分は自身自身こしらへはきて被出候。御祝とて、御堂にて五時の比、御住持北の局にてきこしめし、坊主衆・御堂衆御相伴のやうにたべられて、白御ssz3-0943酒一返ありと承候。一家衆などは御相伴も不申候間、不存候事にて候。白酒にて候歟。 (一五三) 一 齋非時の時、御亭座敷は、むかしは御住持の右方Ⅴ-1007をあがりとせられて、右座上には【波佐谷】松岡寺蓮綱、左の座上には【山田】光敎寺蓮誓にて候。これは佛法のかたには、右をあがりとせらるゝ事にて候間、如此候き。蓮如上人の一周忌・第三年・七年等は、か樣に慥に覺申事にて候。當寺にて近年さも御入候はぬは如何存候。世間者の參られ候時、左の方あがりとさせられ候事勿論候。これは何事も佛法の外の王法世上の事は如此候間、左座を座上と、蓮【(如)】―上人の御時も、實如上人の御時も、如此候。敎行信證六卷目に釋迦如來誕生、老子誕生を被引、世間・佛法方可用法をあそばし被置によりたると承及事候。近年無其儀候。如何。 (一五四) 一 壻取嫂取の事、蓮【(如)】―上人被仰たるとて物語候は、凡僧なれども、先おもては出家也、佛法を本として凡僧かたを面にすべからず、いかにもいかにも壻どり嫂どりの方奔走すべからず。他宗へ姫をつかはす事本意とすべからず、他宗の人こなたへとることくるしからずと、仰事有しと也。 (一五五) 一 永正十三年之夏比、實如上人或人齋の上に一家衆【志】香典被申たる事候に、次第相違之事候て、御意にあはざる事ありしかば、其後より齋の上に志ありとも、齋の上にssz3-0944一家衆のをば不可引之由、御停止の事にて候き。尤の御事にて候由にて、各の齋すぎて座敷座敷へ被歸候所にて、布施をば被出候き。次第相違けぢめみせられしが爲歟、尤被仰事の沙汰にて候き。其後又此仰もやぶられて、齋上茶子のあがらぬに被引候は、近年の事にて候。 Ⅴ-1008(一五六) 一 蓮【如】―御時は、每夜座敷中のともし火、燈心を二すぢならではかきたてられず、あかりの御用の時はいく筋もかきたてらる。長者は三筋かきたつるぞと仰候て、二筋より多はたてられず。佛前のも當時のやうにふとくは御入なく候つると、皆々申候。冥加をおぼしめされたるによりたる事也。佛前にはあかく御入候はではにて候、卅すぢ四十筋たてられ候間、あかく御入候。そのけぶりのふすぼりにより、上檀はやく黑く成侯事にて候。 (一五七) 一 二月十五日は佛入滅日にて候。諸宗に法事ある事にて候、當流に計何事も御入候はぬ事、諸宗難じ申事にて候。蓮如上人の御時はいかゞ御入候つる事候や、宿老衆に尋申べき事にて候を、由斷にて候。何と案じ申候へ共、法事のなきは他宗の人は難じ申事にて候。殊更遊事などは、不可有之候事にて候。朝之魚物いかゞにて候、せめて可爲精進事候。 ssz3-0945(一五八) 一 當流の朝暮の勤行、念佛に和讚六首加へて御申候事は近代の事にて候。昔も加樣には御申ありつる事有げに候へ共、朝暮になく候つるときこえ申候。存如上人御代まで、六時禮讚にて候つるとの事に候。越中國瑞泉寺は綽如上人の御建立にて、彼寺にしばらく御座候つると申傳候。其後住持なくて、御留守の御堂衆ばかり三、四人侍りし也。文明の初比まで、朝暮の勤行には、六時禮讚を申て侍りし也。然に蓮如上人越前之吉崎へ御下向候ては、念佛に六種御沙汰候しを承候てより以來、六時禮讚をばやめ、當時の六種和讚を致稽古、瑞泉寺の御堂衆も申侍し事也。然ば存如上人の御代より、六種の和讚勤に成申たる事に候。實如上人の御時、四反がへしと申勤、いまの六反がへしより、Ⅴ-1009二返みじかくはかせ御入候つると申候。慶聞坊へ覺たる歟と御尋ね候て、末々御門徒衆には申させられ度との仰にて候へ共、慶聞坊わすれ申たるとの御返事申されて、四返がへしの沙汰もなくて果申候き。 (一五九) 一 昔は人の志に御齋可申之由被申候に、一家衆へ其御相伴に參候へと、案内をば丹州[蓮應]來儀候。指合事候へば、子息歟、不然は傍輩衆、おとな敷衆、來儀候て案内候き。慥承候て、可然候つる。今此比は一向に末々の衆案内候間、一定參候へとの儀候やも、たしかならぬやうに御入候。各も一定を不存候やうに候とて、迷惑がりにて候。これはssz3-0946御推量も候へ、迷惑心まよひ計にて候。幷每月の御齋にも、御殿原衆などのたしかに案内候へばまいりよく候。 (一六〇) 一 實如上人の御時、女房衆御折檻かうぶりたる人、御わびごと被申にも、女房衆へ付て被申事なし。一切人他言男女共に總じて男衆へ付て奏者へ申されたり。且以女房方には取次もなし、每事女房衆方より被申事なし。大法の樣に各存知候事。 (一六一) 一 和讚の讚を出され候に、讚一行を二息、或は三息に被出候事なし、一行の分一息なりし。當時二息などに被申儀、承及ざる事。 (一六二) 一 實如上人御往生之砌、條々被仰置候に、第一諸國の武士を敵にせらるゝ儀不可然。何之國守護等にも入魂せられ和與ありて、諸國の佛法を開山聖人御本意のⅤ-1010ごとく立られべく候之由被仰、三ケ條專可申付之由御遺言にて、一家中其外坊主衆・御門徒中へ御遺言候間、御往生年諸國方々へ被申調事。 (一六三) 一 同時一ケ條に、所領方之儀可停止之由被仰定たる事候間、御内方一家中召仕候者などに、所勞儀不可預候段申合事。 (一六四) 一 今一ケ條は王法を守、佛法方如聖人御時と被仰定たる事。此三ケ條、近年皆破候事無勿體、如先規開山聖人之仰可有之由事。 ssz3-0947(一六五) 一 廿八日以下の祖師の御明日に、白小袖のしたにもえりをしろく著し候事、むかしはなき事にて候。蓮如上人・實如上人の御時は、白小袖のしたには色なる何をも著し、紋のあるをさへ、一家衆も坊主衆もきられ候つる事にて候。近代結講にはだより白く著し候事、各迷惑がりの事にて候。如何御入候はんや。此四十年以來の事候。 (一六六) 一 御住持樣勤行に御出仕之時、御堂へ御供衆の多きは不可然之由、實如上人の仰事候。御堂へ參ならば表へ參、本尊・聖人をおがみ候べき、御供とて大勢御堂のうしろに參るは不可然とて、おい返させられたる事にて候。ことに御佛事の間には、面へ各被參候へと被仰付候。又一家衆も勤より立申にも、御供衆おほきは迷惑にて候。 (一六七) 一 蓮【(如)】―上人御内衆へ度々堅被仰付事には、可懸御目之由令案内申候つる人を、またせ申事をば曲言と細々被仰候つる由、各物語候。世上の人も同前候。一切人の事をもかるがると可有御見參之由、常々御意候Ⅴ-1011つる由、各被申候き。尤御事候。 (一六八) 一 邪法を申仁體を、曲言は勿論に候へ共、生涯させられ候は不可然とて、蓮【如】―上人御時諸國に候へ共、御成敗之事はなき事にて候。先法然上人・親鸞上人の御時もあまた御入候つれ共、何れか御成敗候つるぞ、蓮如上人あそばしをかれたるも可有之候、いまだ存知の人も候べく候。邪法を申は、聊後生を大事と思ふ心とてはなき事候へssz3-0948共、邪儀の人にちか付候て、わろく成行事候をわろしとて、生涯させ候事、不可然候。堅令折檻置候へば、心中をひるがへし正法に歸する事にて候を、ほかと打殺事大に不可然と、蓮【(如)】―上人はあそばしをかれ候。又御在世比は、か樣に被仰付たる事にて候を、たれ人被申入候や。證如前住の御時より當御代にいたる迄、生涯させられ候事、勿體事候哉。 (一六九) 一 後生の御免と申事、近代被申人候。いづれの經論に御入候事候哉、正敎にも御入候歟、未承及之由各申事候。これも實如上人の御時までは無其沙汰事にて候。近年天文年中以來いでき申候。ことに死去したる人の上にも、被申人ある事にて候。いづれの祖師の仰にて候や、各の不審候。 (一七〇) 一 蓮【(如)】―上人の御時には、第一冥加のかたを本と被仰事にて候由、各宿老衆申され候き。何事にもかたく冥加を存ずべきにて候。一向近年は、其沙汰御坊中にて申出され候人もなく候。每日每夜仰出されたる事にて候に、今はかりそめにも出言候人もなく候。か樣に候Ⅴ-1012ては、いかゞ御入候べき事にて候や。 (一七一) 一 何よりも親に不孝なる人、蓮【(如)】―上人第一御きらひにて候。又は不信の人には、蓮【(如)】―上人は御見參あるまじきと、明應三、四年の比より被仰出されたる事に候。 ssz3-0949(一七二) 一 蓮【(如)】―上人は、御膳と被申より、はや如來・聖人の御用にて物をくうべきよと被思食てよりは、御膳まいりはつるまで御忘はてられたる事なしと御物語候つると、各宿老衆被申候。兄弟中へ則か樣に存候へとおぼしめされて、御物語ありたる事にて候由候つる也。聊の物をきこしめし候時は、如來・上人の御用にて、又くうべき歟と思食されては、更に御忘もなく候つる事にて候と、則兄弟中へ被仰聞候つるは、各如此存ぜよとの御意にて候つると、宿老衆物語候つる事候。 (一七三) 一 あたら敷御衣裳を蓮【(如)】―上人はめし候ては、御堂へ聖人の御前へ御まいり候て、めし物を被引出、御用にて御著候と御申候體にて候つると、宿老衆物語候。これも兄弟中各に被仰聞候。如此存知候へと被思食れたる事にて候と見え申候との被仰聞儀候と、各物語候し。 右此條々者、實如上人御時、城州山科郷野村里御坊之時、細々令上洛、行事以下諸事奉相候之間、不忘申次第連々書付之。但不同雖無正體、自然古之儀者、有御存知度事共侍覽と書付申候也。落字以下如何憚之者也。愚存分雖有恐一言虛說等不書付申者也。仍御局迄進置之條々也。以御分別御目一不可有他見儀、奉憑者也。 天正八年三月二日 實悟(花押) 八十九歲書之 御局參