Ⅴ-0837蓮如上人御一期記 目錄 (一)一 御誕生事 (二)一 御母儀御方事 (三)一 六歲時御壽像事 (四)一 石山寺觀世音菩薩事 (五)一 考亭若公御所存事 一 御出家事 (六)一 六歲御壽像被書事 (七)一 東山御坊事 (八)一 前住存如上人御往生事 (九)一 金森道西事 (十)一 御弟子等事 (十一)一 何事も不叶御意事 (十二)一 御一期は人に被取信度被思食事 (十三)一 佛法をば指寄可語事 一 第十八願意肝要事 (十四)一 佛恩の稱名事 (十五)一 佛法をば人に能可問との事 (十六)一 常に謹て不斷可敬事 (十七)一 如來と一つ佛心と成との事 (十八)一 善人の敵とは成共惡人の友とは不可成との事 (十九)一 聞ほど法は可成貴法事 (廿)一 淨土へ參安堵の思事 (廿一)一 「御文」よませ聞召事 (廿二)一 「御文」如來金言と可存事 Ⅴ-0838(廿三)一 能聞法可談合事 (廿四)一 信心は我身成德事 (廿五)一 まき立と云事 (廿六)一 時剋到來と云事 (廿七)一 由斷にて後生仕損ずる事 (廿八)一 信なきを御かなしみの事 (廿九)一 佛法に無我の事 (卅)一 彌陀をたのむ【御誓言も】計事 (卅一)一 信の人をたのもしく可思事 (卅二)一 空おそろしく可存事 (卅三)一 獨居て可悅事 (同)一 獨居てとたしなむべき事 (卅四)一 涯分とたしなむべき事 (卅五)一 得てに法をきゝ成事 (卅六)一 名聞げに不可有事 (卅七)一 法には近づくべき事 (卅八)一 常【度々】聞法を珍【云】可聞事 (卅九)一 老の御しはのべ給事 (卌)一 心得のなをるを御悅事 (卌一)一 かむとは知とも呑とは不知事 (卌二)一 人のわろきと信事 (一 同行の寄合の時は) (一 一向に不信の由申す人は) (卌三)一 世間儀わろき事 (四の四)一 虛言は每事わろき事 (四五)一 人にをとるまじきと思事 (四の六)一 木の皮をきる共の事 (四の七)一 冥加の方事 (四の八)一 順如上人御代事 一 實如御代の事 (四の九)一 人中にて正敎事 (五十)一 當流は本願心は無窮事 Ⅴ-0839(五一)一 凡夫の方より名號となへざる事 (五の二)一 正五九月事 (五十三)一 安心の事 (五十四)一 聖人の御【物食】用事 (五十五)一 冥加の方に就て木のきりくづ事 (五十六)一 領解の心事 (五の七)一 四家の淨土門事 (五の八)一 當流正敎よみの事 (五の九)一 衆生の往生成就事 (六十)一 神にも佛にも事 (六十一)一 一流儀すゝめ大果報事 (六の二)一 正敎御許なき正敎事 (六三)一 身を捨も聖人法儀本寺御難事 (六四)一 无㝵光本不燒事 (六の五)一 末學不學本寺御難事 (六の六)一 神は佛也事 (六の七)一 聖人愚禿事 (六十八)一 延德二報恩講事 (六九)(一 又或時の仰に我は若年より) (七十)一 延德三巧如・存如御代事 (七十一)一 聖人人師・戒師事 (七十二)一 仰を能々可心得事 (七十三)一 大仁・小仁事 (七の四)一 所々御作御文事 (七五)一 御門人勤あしき事[諸宗人] (七の六)一 先師名號事 (七の七)一 文明十九御夢想事 (七の八)一 御母儀御方事 Ⅴ-0840(七の九)一 荊丹國人事 一 安藝法眼事 (八十)一 高田專修寺より申事[卽得卽便事] (八の一)一 聖人草びら御よいの事 (八の二)一 因願・成就事 (八三)一 諸行自力又他力事 (八の四)一 誰か始たる所へゆくべき事 (八五)一 三恆河沙諸佛出世事 (八六)一 自力念佛事 (八七)一 遇獲信心文事 (八の八)一 黑谷聖人仰に菩提所造べからず事 (八九)一 御堂衆信心決定事 (九十)一 尾張巧念事 (九十一)一 信なき人は病心ちする事 (九十二)一 信をば次にし御恩事 (九十三)一 衣の色の事 (九十四)一 信なき者不可有御見參事 (九の五)一 十八日御佛事後能に狂言事 (九六)一 光闡坊上洛事 (九の七)一 人に信取すべきと奧州御下事 (九の八)一 善鸞御坊跡御覽なき事 (九の九)一 此宗在家にて立らるゝ事 (百)一 「御文」てにはの事 (百一)一 あかぬは君の仰事 (百二)一 信えたる人我弟の事 (百三)一 聖人御流後生たすけ給事 (百四)一 行さき見ざる事 (百五)一 仰ならば可成との事 (百六)一 【信心のこゝろえ事】信心に成てはの事 (百七)一 人の惡は早く見事 (百八)一 談合時物いはざる事 (百九)一 人法を悅は猶悅事 Ⅴ-0841(百十)一 正敎をよみ信かたる報謝たる事 一 信心人見猶貴き事 (百十一)一 人に物を被下て信を取せられ度事 (百十二)一 法を心得たと思は不心得事 (百十三)一 信の上さのみ惡事はあるまじき事 (百十四)一 佛法者信心人違を見可意得事 (百十五)一 珍物調て不食心得事 (百十六)一 法にはあく事なき事 (百十七)一 法には輕く御恩は重可存事 (百十八)一 法の威力といふ事 (百十九)一 名號の主に成事 (百廿)一 『安心決定抄』久御覽事 (百廿一)一 食する物の御恩事 (百廿二)一 法を好ぬは嫌の事 (百廿三)一 世上事程法を思は惡事 (百廿四)一 法に心を懸事 (一 信を得ば) (百廿五)一 人の物を進上事 一 衣下御おがみにて事 (百廿六)一 法者に近きて無損事 一 法の上歎はみなす事 (百廿八)一 本泉寺へ物つかはされし事 一 信をえずして悅云事 (百廿九)一 本寺は聖人御座所事 (百三十)一 辛勞せず物とる事 一 我はよきに成事 (百卅一)一 宿善事 一 宿縁事 Ⅴ-0842(百卅二)一 一流法を惡云成事 (百卅三)一 愚者三人智者一人事 (百卅四)一 『安心決定抄』肝要事 (百卅五)一 家を作は頭だにぬれずはの事 (百卅六)一 道宗「御文」申事 (百卅七)一 信のなき人大事の正敎無用の事 (百卅八)一 從善懸字申さるゝ事 (百卅九)一 御内仁ありがたき事 (百四十)一 專修寺[高田]舟事 (百四十一)一 開山聖人客人事 (百四十二)一 御門徒人【上洛の】あひしらぶべき事 (百四三)一 先師上人御わらふんづ跡事 (百四の四)一 存覺上人事 (百四の五)一 陽氣陰氣事 (百四六)一 敎化する人は信を取べき事 (百四七)一 一念信相續事 (百四八)一 人の不審堂衆可被心得事 (百四九)一 御堂にて御法談事 (百五十)一 佛智より信決定他力事 (百五の一)一 冥加方衣裝事 (百五の二)一 聖人代々御修行事 (百五の三)(一 蓮祐禪尼往生の砌) 一 先師上人三ケ度御修行事 (百五四)一 一念の信如來佛智事 (百五の五)一 南無といふは歸命なり事 (百五の六)一 願正・覺善仰事 (百五七)一 順讚を御忘事 (百五八)一 念聲是一といふ事 (百五九)一 五不思議事 (百六十)一 三河敎賢仰事 (百六一)一 他力願行久身たもつ事 (百六二)一 彌陀大悲の事 Ⅴ-0843(百六三)一 「和讚正信偈」ある事 (百六四)一 正敎おぼえたりともの事 一 信をえたる上報謝事 (百六五)一 蓮淳に仰信心事 (百六六)一 十二月六日歲暮七日仰事 (百六八)一 時々懈怠事 (一六九)一 御たすけあるとあらふずるとの事 (百七十)一 南无の无之字事 (百七十一)一 十方无量の讚事 (百七十二)一 聖人御詠歌事 (百七三)一 瑞林庵對仰事 (百七四)一 佛恩がの字の事 一 諸佛三業莊嚴の讚事 (百七五)(一 朝夕「「正信偈和讚」にて) (百七六)一 【南無阿彌陀佛】名號の功德六字事 (百七七)一 參川淺井後家へ仰事 (百七八)一 信心の稱名の讚 (百七九)一 无生の生事 (百八十)一 廻向といふ事 (百八一)一 一念發起の儀事 (百八二)一 御身を捨て平座事 (百八三)一 門徒にもたるゝ事 (百八四)一 愛欲の廣海事 (百八の五)一 人多參慶聞坊歸んとある時事 (百八六)一 明應元御上洛日大雨事 (一八七)一 えき病事 (一八八)一 道德まいる事 (一八九)(一 同四年十一月) Ⅴ-0844(一九〇)一 信取ては用なき事云 (一九一)一 信なき人御見參 (一九二)一 五年報恩講『御傳』 (一九三)一 同六年四月開山御影以下拜見事 (一九四)一 同七年御不例事 (一九五)一 同年五月御堂御參事 (一九六)一 同比姉少路殿 (一九七)一 御堂田輿にて御出仕事 (一九八)一 同「御文」御法談事 (一九九)一 大坊御建立事 一 信のなき人御見參不可有 一 明應元御上洛 一 えきれいの事 一 同二道德事 一 同四年十一月 一 明應五 一 四月九日 一 同五十一月 一 同六年 一 同七年四月 一 同五月 (二〇〇)一 安藝法眼御免事 (二〇一)一 明應八人不夢想事 (二〇二)(一 明應七年の夏比よりの仰) (二〇三)一 同二月大坂十八日御出事 (二〇四)(一 先師上人近年は御病氣の條) (二〇五)一 同廿一日聖人の御參事 (二〇六)一 廿五日四方土居御覽事W同廿七日同R (二〇七)一 三月一日北殿御出 (二〇八)(一 三日には芳野より) (二〇九)(一 七日の曉) (二一〇)一 同七日御堂 Ⅴ-0845(二一一)(一 聖人へ御申ありけるは) (二一二)一 九日御亭へ御出 (二一三)一 空善進上鶯事 (二一四)一 「御文」慶聞坊 (二一五)一 同日御影被懸事 一 栗毛御馬 (二一六)一 御病中度々仰乞食 (二一七)一 十七日時念佛 (二一八)一 十八日兄弟中へ (二一九)一 十九日おも湯 (二二〇)一 廿二日御相好 (二二一)一 廿三日御脈事 (二二二)一 廿五日御入滅 (二二三)一 廿六日朝御堂へ御出 一 同日御葬禮 一 諸萬人禮 (二二四)一 泉涌寺衆見物事 (二二五)一 御拾骨 一 御中陰[三七日]結願但御往生間【朝夕勤】には五旬間在之 Ⅴ-0846蓮如上人御一期記 この上人文明の比、坂東を御修行第二番の時は、賀州河北郡橫根村に乘光寺と云所、三ケ日御逗留の中に、夕暮に佛法僧來三聲鳴、奇妙不可思議の事と各申あへり、いよいよ權者の瑞相是等なり。 それ【先師】蓮如上人は、開山親鸞聖人より法流御相續は八代、一天四海すみやかに一流のひろまれる事は、此上人の御遺訓にあり。然ば中興上人とぞ申しける。凡六十餘州に當流の義あまねくひろまり、日本國中に比類なく槃昌せしむること歷然なり。剩一年荊膽國人も、觀世音菩薩の示現によりて我朝へわたり、蓮如上人の御勸化をうけて本國へ歸りにき。又はえぞ嶋までも御敎化のあまねき事はありがたき事也。彌陀他力の本願の比類なき超世の悲願のことはりあらたなる事也、いよいよ末世相應の弘敎なれば繁榮の尤とありがたくぞ覺侍るものなり。 (一) 一 抑この上人は、去ぬる稱光院御宇應永廿二年の春の比誕生したまふ。 (二) 一 所は城州愛【宕歟】谷郡東山の大谷なり。御母儀御方は、何方よりわたらせ給ふ人ともしらず、何の比よりすませ給御方とも更に人しらずして、男子一人誕生ありて養育しましませり。 (三) 一 すでに若公も成仁なり給ひて六歲とまうす時、布袋若公の壽像をかゝせて表襃衣までさせられて取たまひて、我はこゝにあるべき身にあらずとて、  御宇應永廿七年十二月廿八日の景の暮がたに、我は西國のⅤ-0847豐後國の者なりと言て、つれさせ給人もなくて、只ひとり座敷のうしろの妻戸をひらき出給とみえ侍りしが、行方しらずなり給ふ。不思議なりし事どもなり。 (四) 一 さて其後或人、近江國の石山の觀音堂へまいりたりしに、内陳をのぞきければ、布袋若公の壽像かゝり給ひて侍りしを見たてまつり、おどろき不思議におもひ、寺家の僧に近づき、ひそかに尋侍りしに、かの御母儀の東山にましましし程は、石山には觀世音菩薩もおはしまさずとみたてまつるとの支證を色々み侍ける由を、寺家の僧のかたりけるとぞ申しける。まことにかの御母儀の御方は、うたがひなく觀世音菩薩にてわたらせ給けることを、各かたりあひけるに、人々たしかにしれる事なりけり。彌奇特深妙のことゝ申しける。さて蓮如上人年へだゝりて後、西國の豐後國に人を下給ひて御たづねありしかども、さらに左樣の人のゆかりとてもなき由を申し侍りし。かの國の人々もかたり申されけり。其後豐後の國へ御下向あるべきとて、度々尋給ひしかども、彼御ゆかりとてはなかりし事共なり。さて布袋若公は御成仁ましましければ、御名をあらためて童名考亭とぞ申しける。いまだ三五の比よりも、敎學のみに御心をかけたまひ、是非ともに親鸞聖人の御一流を人々にも仰きかせられ、信心も各決定し御勸化の繁昌ある樣にと、思食たゝれけるはこそ不思議とぞ人々申あへりき。まことに黑谷聖人も、十五歲より有爲無常生滅の、 (空白) 彼聖人の後身にてまします歟と、各申あへりける。 Ⅴ-0848(五) 一 さて考亭若公は  御宇永享三年に十七歲にて御出家、恆例にまかせ靑蓮院の門跡にて事ありて、兼壽中納言とぞならせ給ける。やがて法號蓮如とぞ付かせ給ける。 (六) 一 又四十餘年の後、六歲の時の壽像をかきたりし繪師が所をたづねさせたまひけるに、其壽像もあまた書たりしとみえて、其繪あまた殘りたりしを、その中にひとつ似たりとて其壽像をかゝせらる。其時我母に別れ侍りし時は、【鹿】かの子の紋の小袖を著したりと仰せ給ひて、【鹿】かの子小袖にかゝせらる。その上に讚を書載られけるに云、 こゝに六歲御壽像の上の讚をかくべき也。 山科に御居住の比は、つねづねに取出されて懸られける。御往生の後には、三月廿五日の正忌日には、南殿の亭に色裳の御影の脇には、六歲御壽像をも懸たまひけり。 (七) 一 よろづ存如上人の御時は、御不辨にて本堂の阿彌陀堂はたゞ三間四面、御影堂は五間四面にてぞ侍りける。遠國より上洛の人もまれなりければ、出入の人々もおほからず、寺内寺外とてもひろからざりけり。 【兼壽大德はつねに】其後はつねに奈良の兩門跡に學文等ありけれど、大乘院には不斷ましまして、經【(覚)】―僧正の御師資の御契約たりき。則彼宗門をもうかゞひ、世俗の學義に心をつねにつけ給ひき。利性總明にて何れの道をもふかく不習して、利をさとり得給ひて侍りける。たゞ不斷敎學に心をふかく懸給ふとぞ承る。 (八) 一 然に存如上人は、長祿元年六月十八日御入滅なり。則御相續の儀、蓮【(如)】―上人へ慥に是ありといへども、御Ⅴ-0849繼母如圓御方は知せ給はざるによりて、御舍弟圓光院[應玄]とて、靑蓮院におはしますに御相續の樣にて、しばしばとゞこほる儀ありて、御中陰の間は應玄の御はからひたりき。雖然伯父靑光院宣祐、北國より上洛ありて、前住より御相續之儀、不可有相違之旨堅固に馳走ありてより、中納言兼壽は、御相續御一筆の旨申立てあらはれり、御住持の儀たりと[云云]。條々文不可思議共の出來せりと。されば相續の儀もあらはれけり。東山の大谷の御坊も、古より替事はなけれ共、よろづ御不辨たりき。 (九) 一 然に近江國の金森といへる所に、道西と云人ありけり。常に大谷の御坊へまいり、御勸化をうけ給り、ありがたく存ずるとて、細々金森より參り聽聞申ける。御若年の比より、開山親鸞聖人の御一流の殊勝なる理りを申立る人なし。哀々、仰立られ候はではと思食たつこと、十五歲の比より晝夜不斷、他事なく思食さるゝ所を、この道西ありがたく忝侍るとて、細々參入し仰をかうぶり、又金杜へも申入、仰を承り、常に近付奉る事に成候て、いよいよたふとく忝も思こゝろつきければ、聽聞にのみ心をとゞめ、ありがたき事になれり。道西馳走し、自然御身をもくつろげおはしましけり。又同行の人數を引もほし參りつゝ、其より御門弟の旁も出入ありて、大谷の御坊へ參ずる人數もおほかりき。 (十) 一 夫先師蓮如上人の朝夕の仰をかうぶり、常隨給仕の御弟子といふべき人はおほからず、報恩寺[蓮宗]・Ⅴ-0850慶聞坊[龍玄]・法敬坊[順誓]・法專坊[空善]・手原の幸子坊・金杜の從善等の人々に對して、晝夜不斷に仰を請申され、又仰の旨をたゞちに注しをかれ、しかも數度の錯亂にみなうせて、且てのこらず、いさゝか人の書置れし御詞の端々のこりありけるなどを、愚老書集注し侍り。相違の事もあるべき歟。後人披見旁等あらば、直をかるべきもの歟。 (十一) 一 先師蓮如上人仰られて云、何たる事を人の申も御心には叶ざる間、聞召てもゆめゆめ御心にはとゞまらずとぞおほせられける。 (十二) 一 人は本の心のまゝなれども、信を取たると、聞ばうれしきなりとぞ仰らる。御一期は、一人なりとも信をとらせられ度思食るゝばかりなり。 (十三) 一 又仰に、佛法をばさし寄て語るべし。法敬坊に對して仰に、信心・安心といへば、愚癡なる人はまたくしらず。別の【樣】やうに思へり。たゞ凡夫のほとけになる事とかたるべし。後生たすけ給と彌陀をたのめば、いかなる愚癡の衆生も、きゝて信を取べし。凡夫のほとけになることとおもへ。當流には、これより外の法門はなきなりとぞおほせらる。 (同) 一 『安心決定鈔』(卷本)に「淨土の法門は第十八の念佛往生の願をよくよく心うるほかにはなきなり」と仰られ候。しかれば「御文」(五帖*一)にも「一心一向に佛たすけたまへと申さん衆生をば、たとひ罪業は深重なりとも、必彌陀如來はすくひましますべし。これすなはち第十八の誓願のこゝろなり」と仰られ候。 Ⅴ-0851(十四) 一 信のうへは、たふとく思て申す念佛は、佛恩にそなはるなり。他宗には、親のため又なになにのためなど云て念佛をつかふなり。當流聖人の御一流には、彌陀をたのむが念佛なり。其上の稱名は、なにと樣にもあれ、まうす念佛は佛恩になるなり。佛恩の稱名は退轉あるまじきことなり。又心よりたふとく思て申す念佛は佛恩となり、たゞ何となくて申す念佛は、佛恩報謝にはなるべからずと申す人侍りき。大きなるあやまりなり。をのづから念佛の申され候こそ、佛智の御もよほし、佛恩の稱名なれと仰られき。 (十五) 一 折々の仰に、たゞ佛法の義をば能々人に問べしと仰ごとなり。されば誰に問申べきと伺申ければ、佛法だにもあらば、上下をいはず問べしと、佛法は知さふもなき者が知ぞと被仰候。 (十六) 一 人はあがりあがりて落場をしらぬ也。たゞつゝしみて不斷に空おそろしき事と、每事に心をつけてもつべき由仰られき。 (十七) 一 一心とは、彌陀をたのめば如來の佛心とひとつになし給ふがゆへに、一心なりとのたまふ也。 (一八) 一 同行・善知識には能々近づくべし。「親近せざれば雜修の失なり」と『禮讚』(意)にあらはせり。惡きものに近付ては、それにはならじと思へども惡き事時々にあり。たゞ佛法者にはなれ近付べしと仰られ候。俗傳Ⅴ-0852にいはく、「其人の心を知んと思はゞ其友をみよ」といへり。「善人のかたきとは成とも惡人の友とは成ことなかれ」といへり。 (十九) 一 「【聞】聞けばいよいよ【堅】かたく、【仰】あふげばいよいよ【高】たかし」(論語意)といふ事あり。物をきゝて見てかたきとしる也。本願を信じて、殊勝なる程もしるなり。信心をこりぬれば、たふとくありがたく、思悅ぶもいやましになる也。 (廿) 一 「蓮花の上に座せぬあひだは、安堵のおもひあるべからず」(和語燈*卷五意)と、黑谷聖人の御詞にもあり。水鳥もうへはたのしむ樣になれども、足をば由斷なくはたらかすなり。信のうへにはいよいよ讚嘆し談合すべきが佛法の惠命なりと思べしと仰ありき。 (廿一) 一 御朦氣の中に、慶聞坊に、仰られ候しは、物をよめと御意候ところに、「御文」をよみ申すべき歟と申上られ候て、三通を二返づゝよませられ候て、我つくりたる物なれども、殊勝なる事よと仰られき。 (廿二) 一 「御文」をば如來の直說と存ずべきの由候。古はかたちを見ば法然聖人、詞をきけば彌陀の直說なりといへり。 (廿三) 一 御法談の以後は、四、五人の衆兄弟中寄合候て常に談合すべし。尤興隆たるべき由仰られき。 (廿四) 一 人々佛法を信じてわれに悅ばせんと思へり。それはわろし。信をとれば其身の德となる也。さりながら信をまことに取べきならば、恩にも御うけ有べき由をⅤ-0853仰られき。誠に一人なりとも信を取べきならば、身命を捨よ。それは身命もすたらぬぞと仰られしなり。 (廿五) 一 法敬坊に對し、まきたてと云物しりたる歟と仰らるゝ處に、法敬坊申さる。まきたてと申して一度種をまきて後手をさゝぬ事を申し候と申され候へば、それよ、まきたてがわろき也。人になをされ候はでは、まきたてのごとく心中をば申出て人になをされ候はでは、心得のなをると云こと有べからず。まきたては信を取こと有べからずと仰られ候。なにともして人になをされ候樣に心中を同行の中へ打出して置べし。【物歟】人しれる人のいふことをば必ず腹立するなり。淺間敷ことなり。たゞ人にいはるゝ樣に心中をば持べき由の儀に候なり。 (廿六) 一 時節到來といふことは、用心をもしての其上にことの出來候こそ、時節到來とはいふべけれ。不斷用心をもせずして事の出來候は、時節到來といふはいはれぬ事也。聽聞を心にかけてのうへの宿善・无宿善とも云也。たゞ信心はきくにきはまる由仰られし也。 (廿七) 一 老若上下によらず、後生は由斷にて仕損ずべき旨常に仰事ありけり。 (廿八) 一 御口内を御煩の折節、御目をふさがれ、あゝ、と仰られ候へば、定御煩ゆへと皆人存知候へば、やゝありての仰られ事に、人の信のなき事を思へば、身をきりさく樣にかなしきぞと仰られき。 Ⅴ-0854(廿九) 一 佛法には无我と仰られ候。われはわろしと思人なし。我好とばかり思ふ心は是聖人の御罰なりと、御言には候。他力の御すゝめにて候。ゆめゆめわれと云ことは有まじく候。无我と云ことは、前住存如上人も度々仰られ候き。 (卅) 一 存如上人仰にも、前より御相續の儀は別儀なき也。たゞ彌陀をたのむ一念の義より外に別條なく候。この外に御存知なく候。如何樣の御誓言もあるべき由仰事候き。 (卅一) 一 世間にをひて、時宜しかるべき人也とも、信なくは心をくべき也。たよりにもならず。假令片目つぶれ腰を引候樣なる者なりとも、信心あらん人をばたのもしく思べき也と仰らるゝ也。 (卅二) 一 佛法の上には、每事につけ空おそろしき事と存知候べき由折々仰也。佛法の事はいそげいそげと、常に仰られ候。 (卅三) 一 同行の前にては信心を悅なり、これ名聞なり。信の上にては獨り居て悅ぶ法なり。佛法の方へは世間のひまをかきて法を聞べし。隙をあけて聞べき樣に思こと、あやまり也。佛法には非ずとなり。佛法にはあらずといふ事は有間敷なり。「たとひ大千世界に みてらん火をも過ゆきて 佛の御名をきく人は ながく不退に叶なり」と『和讚』(淨土*和讚)にもあらはされたり。 (卅四) 一 口と働とは【仕歟】し似する物なり。心ねは成がたきものなり。涯分、心のかたをたしなむべき由のおほせごとなりけり。 Ⅴ-0855(卅五) 一 一句一言を聽聞するにも、得かた【に】に法を聞なり。只よく心中を同行にあひて談合すべき事なり。 (卅六) 一 念佛申すも、人の名聞げに思はれ候と思て嗜が大義なる由、ある人申され候。常の人の心中にはかはり候との義に候也。 (卅七) 一 遠きは近く、近きは遠き道理あり。「燈臺もとくらし」とて、いつも佛法を不斷に聽聞する身は、御用を厚かうぶりて、いつもの事と思ふて、法儀にをろかなり。遠々の人は、佛法にうとく候て、聞たく大切にもとむる心より能きく物也。能々聞べし。 (卅八) 一 ひとつことをきゝて、いつもいつも珍らしく始てきく樣に、信ある上には聞なり。只ひとつ言を幾度も珍くきくは信ある心なり。いつも初て聞やうにあるべし。 (卅九) 一 御門徒の心得を直すべきと聞食て、老の皺をのべばやと、御よろこび仰られける。 (卌) 一 御門徒衆に御尋候き。そなたの坊主の心得のなをりたるはうれしく存ずる歟と御尋候へば、誠に心得をなをされ、法儀を心に懸られ候て、一段とありがたく存知候と申され候へば、我は猶うれしく思よとぞ仰られき。 Ⅴ-0856(卌一) 一 「かむとはしるとも、のむとはしらすな」と云ことあり。妻子を【對〈イ〉】帶し魚鳥を服し、罪障の身なりといひて、さのみ思のまゝには有まじき由仰られき。 (卌二) 一 萬事に信のなきによりて惡きなり。善知識のわろきと仰らるゝは、信のなき事を【曲言】くせ事と仰らるゝなり。 一 同行の寄合の時は、物をいへとの仰也。物をいへば心中もきこえ、又人にも直さるゝなり。たゞ物をいへいへと、常に仰られけり。 一 仰に、一向に不信の由申す人はよく候。詞にて安心のとおり申て、口には同ごとくにて、まぎれてむなしくなるべしとかなしく思食との仰なり。必ず後生むなしくあるべしとぞ。 (卌三) 一 當流には、總體、世間義わろし。佛法のうへより何事もあひはたらくべき事肝要なる由仰事ありき。 (卌四) 一 每事につけて虛言はおそろしき事と思べし。よろづにつけて冥加の方を折々に仰られし事也。佛法方の事をば急々と仰られし也。 (四の五) 一 總體、人にはをとるまじきと思心あり。此心にて世間には无我にて候うへは、人にはまけて信を取べき也。理をことはりて我をおるこそ、佛の御慈悲よと仰られ候へ。 (四の六) 一 蓮【(如)】―上人、蓮悟[本泉寺]に對せられて、たとひ木の皮を著るいろめ成とも、侘べからず。彌陀をたのむ一念をよろこぶべき由仰られ候き。 (四の七) 一 朝夕は如來・聖人の御用にて候あひだ、冥加の方Ⅴ-0857をふかく存ずべき由、堅く每度仰られ候き。 (四の八) 一 先師蓮如上人は、いまだ四十餘歲の比隱遁の御志しましませしによりて、順如上人へ御相續の儀侍り。應仁二年の時なりA蓮如五十四才B順如廿七才C。わづかに十餘年ばかり、文明十五年五月廿九日に四十二歲長病の御煩たまひて御往生あり。蓮如上人御愁歎かぎりなし。成仁の子に別たる程のかなしき事はなし。たよりなき物なりとぞ仰らる。其後は又蓮如上人御住持にてましまして、延德元年八月廿八日又御隱居あり。實如上人へ御相續A實如卅二歲B蓮如七十五歲Cにてましましける。其夜蓮如上人へ各參たりしに、仰られき。「劫成り名とげて身しりぞくはこれ天の道也」(老子)と云故人の詞も、今身に思知られて侍り。はや世をのがれて心やすし、彌よ佛法三昧たるべしとぞ仰られける。 (四の九) 一 蓮如上人の仰に、人の多中に聖敎なんどよまんは大事の儀なり、必ず謗ずる人あるべしと用心すべきなりと仰事ありき。 (五十) 一 佛恩のために名號を唱て佛にまいらするは、かへ物なり。餘の淨土宗の儀此段なり。ほとけに廻向申なり。當流の心は、名號を唱るは御たすけありがたやありがたや、たふとやたふとやと、申心は佛恩報謝の心也。本願の心は「願力无窮にましませば 罪業深重のものもをもからず」となり。『和讚』(正像末*和讚)の心なり。 (五十一) 一 凡夫の方より名號を唱て行じて往生はせざるなり。Ⅴ-0858されば須の文點、用の文といふ事あるなり。南无阿彌陀佛ははや凡夫の往生を成就せしめ給へる體なれば、兔角はからはずたのむ計なりと心得べきなり。 (五の二) 一 世上の人は、正、五、九月の十六日には善をなすをよしと思へり。是をもてしんぬ、かならずたすからざる也。十六日は炎魔王の縁日なれば、其日善をなして炎魔王にまいらせて、かへ物に苦みを優免あるやうにと思なり。皆世界の人の心はかくのごとしと心得べし。あさましき心ねなり。 (五十三) 一 安心とは、彌陀を一向一心にたのみ申せば、やがて御たすけある也。さればこそ安心とはやすきこゝろとはかけり。まことにやすき也。 (五十四) 一 或夜、老少・男女・上下共に參集の時、あら空おそろしや、世間には物も食ずして寒かる者も多きに、食たきまゝに食て著たきまゝに物を著る事は、聖人の御恩なり。この御恩ををろそかに思侍はあさましき事なりと仰らる。 (五十五) 一 番匠まいりて作事なんどさせられし時、聊なる木のきれ端をも取集られ侍りし也。加樣に大切にするは、これ佛物なりと思ゆへ也。又冥加を思なりと、時々折々に仰事也。 (五の六) 一 佛法領解の心、すなはち佛願の體にかへるすがた也、又發願廻向の心なり。又信心をうる資則佛恩を報ずる也。 後生をば彌陀をたのみ、今生をば諸神をたのむべき樣に思者あり。あさま敷事也。又内心に佛法を信じ、外相にその色をみする樣にすべき由をの給ひける人あり。Ⅴ-0859あさましあさまし。 (五の七) 一 淨土門は四家の流あれども、彌陀如來の御本意は聖人の一流ばかり也と見たり。故に彌繁昌すべきなり。 (五の八) 一 當時の人々は、聖敎の一卷をよみては、はや物しりがほに思へり。あさましき事也。聖人は内典・外典にわたり給ふて、殊に彌陀如來の化身にてましませども、名を碩才・道人の聞にてらはん事を痛み、ほかにたゞ至愚の相を現じて、御身を田夫・野叟の類にひとしくすとこそ仰られたることなり。能々心得べし。 (五十九) 一 一切衆生の往生は、彌陀如來の成就し給たれども、衆生がうたがひふかくして、信ぜずして今まで流轉しける也。されば日光は四天下にあまねけれ共、盲目の者はみず。日光の照さゞるにはあらず、をのが目しゐたるによりて也。その如くに、南无阿彌陀佛と正覺なり給たるうへは往生は決定なれども、信ぜずして我等凡夫は生死に流轉しけるなり。 (六十) 一 神にも佛にも馴ぬれば、信仰うすくなる也。されば熊野・伊勢の神主は神をばまことに信ぜず、たゞ參詣の人々に參錢まいらせよかしと思ばかり也。それがごとくに、是の内にある者共も、あまりになれなれ敷思て信仰の方はなし。されば始には手にて直したる物をも、次第に足にてなをす也。あらあら淺間しやと、くれぐれ仰ごとありけり。 Ⅴ-0860(六十一) 一 念佛の一流まちまちなれども、當流聖人の御勸化のごとくなるはなし。されば此御すゝめによりて、信を取事大果報の人なり。かゝる殊勝の流儀をそしる人は、あさましき事なり。然ば「菩提をうまじき人はみな 專修念佛にあだをなす」との給ひし『和讚』(正像末*和讚)の心をぞ仰られける。次の句の「生死の大海きはもなし」とのたまひて、あさましあさましとぞ。 (六の二) 一 聖敎は、澤山に何も書べき樣に思へり。然らざる也。機をまもりて許與るなり。世間・佛法ともに總じて許さぬ事あるべし。女の人に隱るゝは、よく人に思はれんとなり。聖敎をおしむは、能く傳へてひろめんがため也。 (六三) 一 佛法には、捨身の行をするが本儀なり。然ば誰人にも恩にきせては思給はねども、身を捨て聖人の御流をばすゝめましまさんと思入て、信ずる人なしと、御述懷のこゝろに仰ありしなり。先師蓮如上人ほど御身を捨て佛法をすゝめ給へる人もなき仰に侍りき。 (六四) 一 无㝵光の本尊をかけ給て、これは先年炎上の時、火の中にありし本尊也。まはり計燒て、十字の分一字も燒失せず、奇特なりけるぞと仰ありて、則その謂を裏書に載顯されて、慶聞坊[龍玄]に下され侍しなり。不思議殊勝の事に侍り。 (六五) 一 開山聖人の仰のごとく、信なくして末學の輩にあしき事の出來は、本寺の難になるなり。世間・佛法ともに能々つゝしむべし。然ば又信心あらば、自佛法も立べき也。 Ⅴ-0861(六の六) 一 神は濟度の胸をこがし、利生の袂をしぼるといふは、神はもとは佛にて、衆生をたすけたく思食せども、衆生のまよひにひかれて、神と成たまふによりて、三熱のくるしみを受給なり。利生の袂をしぼるといふは、たゞちに佛を信ぜずして、神を信ずるをかなしみ給て泣給ふとしめす心なり。 (六の七) 一 開山聖人は、彌陀如來の化身にてましませども、愚禿と名のらせ給ひき。されば天帝へ、「僧にあらず俗にあらず。禿の字をもて姓とす」(化身*土卷)と奏聞ありけり。 (六十八) 一 延德二年十一月の報恩講は、將軍家常德院贈相國W義尙公R江州へ進發の砌にて、京中諸宗共につゝしみありし時節なればとて、兼てよりの仰に用捨あるべき由にて、いかにもひそかに勤行等あるべきとの御巧也。然に廿一日夜、旣に群集せしめ、御堂の中に各まいり堪忍せり。時に法敬坊[順誓]を御使として仰出されていはく、兼てよりの仰にそむき、みなみな參集せられ候は然るべからず、と申ひろめられけれども、退散の人もなくて、各祗候の處に、かさねて慶聞坊[龍玄]を御使として仰出されしは、往古より已來、今に一年もかゝされざるこの報恩講の勤行なれど、旁面々の仰をやぶらるゝにぞ、勤行あるまじき也。各下向ありて、ひそかに勤行あるべき也。然ども仰なりとも祗候ありて、勤行かゝせ申さるべき歟、御返事申されよとありし時、皆ことごとく下向ありて、思食るゝまゝに勤行Ⅴ-0862ひそかに侍りしなり。然ども日々に次第に老少男女群集かぎりなくして、七晝夜の間無爲に結願成就し侍りけり。一七日の間の御法談ありしに、各感淚をもよほし侍る。仰共により、みなみな信心決定し、ありがたき事共に侍りき。 (六の九) 一 又或時の仰に、我は若年よりいかなる藝能なんどもたしなまば、さこそあらんずれ共、幼少よりいま八旬に及まで望には、只一切衆生、彌陀の他力をたのみ信をえて、報土往生あれかしとばかりの念願にて、今七十歲を送來りたり。其外はさらに別の望なしとの給ひしなり。聽聞の老少みなみな淚をながしける。然るに其後の夜、丹後法眼[蓮應]W于時法橋R宿所にて去夜の仰の忝旨を龍玄・順誓・空善等申出して、かゝる御懇志の旨を申出され、此御慈悲なればこそ、此上人の御代より九州・奧州・えぞ嶋までも御法流のひろまれる事なれと、御繁昌の程をも申出し、みなみなありがたき由申し、不思議の御敎化なりと、各よろこび申しき。 (七十) 一 延德三年の仰に、我は身を捨たり。其故は玄康法印W巧如上人R・圓兼法印W存如上人Rの時は、形議をも聲名等をも堅固にをしへましましき。又予は田舍の人々も常住出入の衆に對しても、上段のありしをのけて平座になして、そば近諸人ををき、一首の和讚の心なんどをも仰きかせられたり。加樣の事までも古はなき事を、我は加樣に心に入侍りしなりとぞ仰らる。或ひは玄冬の寒天にも、又は九夏三伏のあつき夜も、蚊の多きにせめられても、誰々に對しても閑談するは、佛法方の不審をも出言あれかしと、思ふ志ばかりにて、辛勞をもかへりみず、堪忍せしめ侍れども、さもと思入たる輩の一人もなし。剩寒天の比なれば、早く寢よかしなんどゝ、もよほす人はあれど、各座中にていねぶりばかⅤ-0863りにならび居たる體なり。されば宵より枕をかたぶくる事もなし。まして晝寢なんどゝいふ事もせずして、たゞ佛法方の事をたしなみ、後生の一大事と心に思事のみ也とぞ仰られ侍しなり。 (七十一) 一 親鸞聖人の仰には、われは人師・戒師といふ事すべからずと、法然聖人の御前にて御誓言ありけり。誠に殊勝なる事なりとて、其比の人々も感じ申されけると、仰出されて御感ありけり。又諸宗の義には、名聞なくて【は歟】ぞ佛法たゝずといひて、慢の字をかきて、まもりに懸られたりとなり。されば大きに各別なるうしろあはせの事也とぞ仰られける。 (七十二) 一 仰に、我往生したらん後は、誰人歟ありてねんごろに云べきぞ、今いふ所を何事も金言也。能々心得べしと、くれぐれ仰事ありけり。 (七の三) 一 大仁は小仁に身を持てば、その家を失ふ。小仁は大仁に身を持ば、其身を失ふといふ事ありとぞ、くれぐれ仰らる。 (七の四) 一 賀州所々より越前の吉崎の御坊にいたり、又河内國の出口より城州山科御坊にいたるまで、所々にての御作「文」を悉く慶聞坊によませられ、御聽聞ありて、仰には、我つくりあつめたる物なれども殊勝なりとぞ仰られける。誠に經論の肝文、祖師の金言を撰出せさせ給たれば、誠に末世の愚鈍の衆生、この御ことばに信心決定の人數出來して、此度各往生をとぐる事、このⅤ-0864御懇なる御勸化により、數萬人の往生をとげ候條、ことありがたく忝存ずる事なり。 (七の五) 一 諸宗の人は、諸堂神前にては禮拜し、參錢などまいらせ信仰せるに、當宗の門人は、雜行といひて禮拜もせず、そら目にて侍る事、さながら眞宗の姿を他宗の人に顯しみせしむること、掟にそむけり。あさましき事也。又當寺、本尊・御影前へまいりておがみ申樣も、いかにも麤相にして、信仰の體もなし。旣に經には、五體を地になげて拜せよとも、又頭面に禮し奉れ共あり。何も何もちがひたりとぞ仰られける。 (七六) 一 仰に、我ほど名號書たる者は、日本に有間敷ぞと仰られける時に、慶聞坊申されごとには、三國にも稀にましますべしと申されければ、誠に左もあるべしとぞ仰られければ、各もたぐひなき御事にましましけるとぞ申あはれける。 (七十七) 一 文明十九年正月廿日に、先師上人御夢想の告ましましき。延德二年に、御物語ありき。法然聖人竝に親鸞聖人行烈し給ひ、念佛行道ありける御跡に、蓮如上人も行道ありけり。其時然聖人、蓮如上人に對してのたまはく、當流こそ誠に繁昌にて候へ、さればそれの望のごとく予が衣を墨染になして候へば、今こそ「一心專念」(散善義)の文には、あひ叶候へとのたまひけりと、夢想の告たしかにましましけり。不思議と思食されて、明る日東山智恩院へ、法光A久寶寺のB慈願寺Cを御使として智恩院へ參て、何事かある、法然聖人の御衣は何色にて御座ぞ、見奉て來べしと遣されけり。法光やがて歸申しけるは、聖人の御衣は墨染にて御座候と申され、先師の仰に、根本墨染の御衣にてましますを、近年香衣に黃に彩色せらるゝ事いはれぬ事と思つるなり。今Ⅴ-0865墨染の御衣にて御本意たるべきとぞ仰せらる。其後、先師上人智恩院住持の長老に御對顏ありて、仰ごとには、聖人の御衣は、何比墨染にはなをし申させ給けるぞと、御尋ありければ、智恩院の返答にいはく、其事にて候。先年、光儀の時仰かうぶりしは、根本墨染の御衣にて御座候はんずるが、御本意たるべきの由を貴院仰られ候し間、かくのごとく直申候。仰のごとく本は墨染にて御座候しを、前任大譽の代に、香色になをされて候を、貴院以前の仰により墨染に直し申て候とぞ申されける。先師上人も、當寺繁昌の瑞相にて目出度存じ候とぞ仰ける。則聖人御衣の色の祝言とて、鳥目千疋智恩院へつかはさる。先師上人も、山科へ御歸寺まします。然處に、明る日に 禁裏よりもいかなる御告歟ましましけん、法然上人へとて黃金十枚つかはされけり。やがて智恩院の御影堂已下の造榮ありて繁昌のことなりけるに、又智恩院へ先師上人光臨ありて、住持も出合申されて御雜談ある處に、智恩院申されけるは、貴院先日の仰に、必ず當寺繁昌すべき由の仰候しが、其明る日に 禁中より御信仰にて過分の御奉加により當寺造榮仕り候と申されて、吳々仰の旨を奇特の仰とぞ申されける。 (七十八) 一 或時の仰に、我母は西國の人なりと聞候ほどに、空善をたのみ播磨までなりとも下り度なり。我母は、我六歲の時我を捨て、行方しらず成給しに、年はるかに隔りて後に、備後國にある由、四條の道場よりきかせぬ。是によりて播磨へ下度と云ければ、空善はしりめぐり造作などして、播磨の英賀の坊を立て候由の間、Ⅴ-0866命あらば一度下り度なりと仰られ侍りき。 (七九) 一 荊膽國の人、我朝にきたりて御勸化をうけし事あり。其昔彼國の人愛子を一人もちたりしを、うしなひなげきて、觀世音菩薩に後生菩提をいのり申侍しに、あらたに示現かうぶりてぞ侍りける。その告にいはく、日本日域にわたり、此比、念佛一門繁昌の宗體あり。かの勸化をうけて、後生の一大事の義をさだむべしと、示現をたしかにかうぶりて、この日域にわたり、和泉國堺の津に著岸し、縁をたづねて、本願寺の上人に後生の一義をうけ奉るべしとて、境の御坊へ參て蓮如上人にぞまいりける。すなはち御敎化をたびたびうけ申、ありがたき旨になりて、本國荊膽國へぞかへりける。不思議なりしことゝぞ申し侍りし。本國の言說も、たがはずや侍りけん。領解せしめけるぞ奇妙なりき。 一 安藝法眼蓮崇A越前人後にB御内祗候Cあやまりをも直べき旨を門徒の人に就て侘言せば直すべきを、細川玄蕃頭をもて、權【勢歟】家に付て申上らるゝ間、御免なき由仰らるゝなり。 (八十) 一 高田專修寺には、卽得と卽便とは同位なりと心うるに、本願寺には別に沙汰候ときくなり。然ば先師上人へ此事を尋申べきとの由沙汰侍りしを、人又内義を申事ありしを、空善ひそかに專修寺より申すべき由候と、先師上人へ申入たりければ、仰には、無益の問答なり、取愛べからずとぞ仰らる。彼門人一人宛も當流へ歸する輩の侍れば、尤然べし。高田門人の所には行べからず。かまへてかまへて問答無益とぞ仰らる。 (八十一) 一 仰に、開山聖人は、草びらを御用ありて、よばせ給へることのありしに、くさびらは食まじき物なりと仰候と也。其御詞をきかれて、高田の專修寺顯智は一Ⅴ-0867期のあひだ、くさびらは食せられずといへり。されば暫時も、仰をばちがへじと信じ奉るべき事也とぞ侍りし。今は物をなまぎゝにして、眞實に思入て仰を信ずる人なしとを御物語さふらひし事なり。 (八十二) 一 西山の淨德寺慶惠申されしは、因願には「十念」とちかひまします、成就の文には「一念」と成ぜられたるをば、なにと心得申すべきやと申されけるに、先師上人の仰には、されば「乃至」といづれにもあり。中を略するなり。しかれども聖人の流儀は、一念發起肝要也と仰らる。 (八の三) 一 諸行は、自力にてたのみてこそ他力もあらはせと立たり。此一流は、始終ひしと他力なり。一心に彌陀をたのむも、我賢てたのむにあらず。過去の宿善によりてたのむゆへに始終みな他力なり。 (八の四) 一 誰か始めたるところへ行べき、无始より以來生ぬ所もなく、受ぬ形もなきなり。此度、信心を決定して淨土へまいるべきは、始たる所也。三有をめぐりたてたる身なりと仰られけるに、老若參集の人々、皆々落淚かぎりなし。 (八五) 一 三恆河沙の諸佛の出世の御本にもあひたてまつる事、いか程の菩提心をもをこしたりしかども、自力かなはずして、无始よりこのかた流轉せり。いまも一心のとほり、聖人の御勸のごとく決定なくは、又流轉せん事あさましや、かなしやと仰られ候て、その座に竝Ⅴ-0868居たる人々に對して、其敷居のそなたに往生すべき人四人歟五人歟あるべき歟、五人までは有間敷歟と、仰事侍り。此儀は、明應元年十一月廿六日の非時の座敷にて仰事なり。然に若狹國の人、二郎三郎と申仁これを聽聞して、四人五人の人數にあらずは、いかゞすべきぞと打案じて、みなみな下向すれども立べき事を忘て、心うる所の安心を申上たくおもふ程に、十二月二日夜、【南殿にて】改悔を申上侍りき。仰には、改悔は何れもたがはず。さりながら各口には申せども、心得落付かぬ物也。ことばのごとくならば、往生すべき也とぞ仰らる。 (八六) 一 自力の念佛といふは、念佛おほく申て、彌陀にまいらせて罪をけしうしなはんとの心なり。一流の義は、彌陀をたのみ奉て、彌陀にたすけられまいらせてのち、御たすけのありがたさたふとさよと思心を、口に出て南无阿彌陀佛と申なり。たゞ我をたすけ給へる姿を、すなはち南无阿彌陀佛なりと、心得てよろこぶばかりと、返々仰られ候き。 (八七) 一 「遇獲信心遠慶宿縁」(文類*聚鈔)と聖人のあそばし置たるは、「たまたま」といふは、過去にあふと云心なり。又「とをく宿縁をよろこぶ」といふは、今始てうる信心にあらず。過去遠々の昔より以來の御哀にて、今うる信心なり。さればこそ、今うる事は申すに及ばず。とをく宿縁をよろこべといふ事は、まことに不思議の心なり。然ばとをくよろこべと云事は、心をとゞめて信仰すべきなり。又遇といふ字を、たまたまとよませらるゝこと肝要なりと、蓮誓W光敎寺R・蓮淳W顯證寺R・蓮悟[本泉寺]などにも仰られし事しげく承しと、常に物語候き。 Ⅴ-0869(八十八) 一 法然聖人の仰に、我は菩提所をば造まじきなり、我跡は稱名ある所がすなはち我跡なりと仰られけり。又跡を弔といひて位牌・率都婆をたつるは輪廻する者のする事也とぞ仰られけると、先師上人御物語也。 (八十九) 一 御堂にあるべき衆は、信心をいかにもよくとりて候覽と、田舍の人は生佛の樣に思なれば、心得べき事なり。然に无道心なるはあさましき事也とぞ仰られき。 (九十) 一 信をしかと取たる人すくなしと、山科南殿の縁にて仰ありしに、尾張の國の巧念と云人まいりたるを、やがて仰にいはく、あの巧念なんどこそ、よくよく末々の人なれども、信を取たるものなりしゆへに、河野九門徒をも取立なんどしければ、信心のあるによりて座敷をもあげたり、能々分別あるべしと、實如上人へ御申ありけり。 (九十一) 一 信のなき人をみれば、偏にかなしきなり。剩又佛法をわろくあつかひ振舞、佛法のあだをなす人を聞は、病こゝちせり、なを悲しきなりとぞ仰らる。 (九十二) 一 信心決定する段をば、次にして御恩しれとみな云けり。御恩をしれといはんよりは、信心決定しての上には、只あらたふとやたふとや、あらありがたやと思心をもちて念佛申すが、すなはちこれ佛恩なりと仰られ候き。 Ⅴ-0870(九十三) 一 衣は墨ぐろにする事、然るべからず、衣はねずみ色なり。凡夫にて在家の一宗興行なれば、いづく迄も上下共にたふとげせぬなり。衣の袖を長く、たけをもながくすべからずと仰られけるなり。 (九四) 一 信のなき者には會まじきといへば、我を二束三枚にして、押て我前へ信のなき者をつれて來よとの仰事なりき。 (九五) 一 六月十八日の御佛事以後、二、三日能を堺の衆仕ること、一日は北殿より、一日は坊主衆より、一日先師上人よりさせらるゝに、其日の能の狂言に、鶯にすける鳥指の人の何を云も知ず、太刀刀の落をもしらざる狂言を御覽ありて、面白と仰ありけり。世間の假なる事も念力を入ねばならず、されば佛法に如此に念てこそと仰ありて、面白思食て、明る日の能に此狂言を御所望あり。召し返しにさせられける。 (九六) 一 七月七日光闡坊のA蓮悟B光敎寺C上洛あり。御前へ參せ給けるに、先師上人の仰に、よくのぼりたり、必ず我は往生すべし、今一度生顏をみずしてはと仰られければ、各落淚あり。實如上人同ましまして御落淚あり。 (九の七) 一 それ信を取て人にも信を取せよと仰事ありし時に、古へ奧州へ御下向の時、聽聞してよろこびし人ありき。其仁いまだありやと御尋ありけるに、夫婦ともに信を得て悅ぶ由聞召て、二日路の間を御下向ありき。然ば彼仁御下向を忝く思、何を【歟】か供御にそなへ申さんと悲あひけるに、これを聞食て、汝なんどは何を【歟】か食するぞと御尋あれば、稗と申物ばかりを食する由を申時、汝なんどの食する物をこしらへてまいらすべしと仰有Ⅴ-0871て、稗の粥を調進したりけるをきこしめして、一夜御物語ありて聽聞させられける由御物語あり。されば加樣に御身を捨られ御苦勞ありても、御勸化ありつる忝なさよと思侍て、空善これを注殘すなり。 (九の八) 一 【先師上人】坂東御修行の時、鎌倉近き所に善鸞の御坊跡あり。柳茂りて、たしかならず。かゝる處を御通ありしに、善鸞は聖人御不孝ありしなればとて、御坊跡の柳の梢をも御覽あるまじとて、二、三里の間、御笠をかたぶけられ、ついに御覽ぜられざりしとぞ仰らる。聖人への御不孝をふかくかなしみ給し事なり。 (九の九) 一 此一流儀、在家にて建立あるによりて、平等に繁昌するなり、改悔すべしといへども、心中をありのまゝにいはざる者は、まことに无宿善なりとぞ仰らる。 (百) 一 「御文」の事、文言おかしく、てにをはもあしく侍れども、もし一人も信をえよかしと思ばかりにて書をき侍り、てにをはのわろきをば我【科】とがといふべしとぞ仰らる。 (百一) 一 或時、さま障子の内へ空善を召て仰に、あかぬは君の仰と云事があるぞとよと仰らるゝ處に、世上の人の云ことなれば也。如來・善知識の仰ふかくありがたきことを存ぜよとぞ仰らる。 (百二) 一 又仰に、信をえたる人は我身の弟なりと仰られき。これは曇鸞和尙の「四海みな兄弟なり」(論註*卷下)との給へるⅤ-0872心なりと、のたまへる心なるべし。ありがたき心なり。 (百三) 一 親鸞聖人の御流は一念のところ肝要なり。かるがゆへに、たのむと云ことは代々の祖師あそばしをかれたれども、はやくくはしく人々も領解なく候しに、先師上人「御文」(五帖*九意)と申物にあそばしをかるゝ仰に、「後生たすけ給へと一念に彌陀をたのめ」との仰にて、各あきらかに心を得たり。然ば先師蓮【(如)】―上人は、一流の中興上人にてましますと、申事此故也。 (百四) 一 先師上人の仰に、行さきの向ばかりを見て、足もとを見ねば、ふみかぶるなりといへり。人の上ばかり見て、我身のうへをたしなまずは、大事たるべきとぞ仰らる。 (百五) 一 善知識の仰成共、なるまじなんど思は、大きにあさましき事なり。何たる事成とも、仰ならば成べきと存ずべき也。凡夫の身が佛に成うへは、さて在まじきと、存ずる事在べきもの歟。然ば道崇W越中赤尾R申せしは、近江の湖を一人してうめよとの仰なり共、畏て候と申すべく候と申す。仰にて候はゞ、成ずと申事あるべからずと申されき。 (百六) 一 信心決定の人を見て、あの人の如に成ではと思へば成ぞと仰られき。あの人の如に成ではと思ふに、我身至らねば淺間敷と思捨る事は在まじ。佛法には身を捨て望み求る心より、信をば得なりと仰られき。 (百七) 一 人の惡事をばよく見なり。我身の惡事はおぼえざる物なり。されば我身にしられ覺て惡しと知らば、勝れて惡事と知べし。我身に覺て惡しと知らば、早く改べきなり。只人の云事をば信用すべしとぞ仰られき。 Ⅴ-0873(百八) 一 佛法の談合の時に、物をいはぬはわろし、信のなき故也。又は我心に巧み案じて云べき樣に思へり。又餘所なる物を尋出して、申すべき樣に心えたり。淺間敷なり。心に嬉き事は詞をたくまず軈嬉さを云也。寒ければさむしと云、濕ければあつしと云が如く也。佛法の座にて物云ぬは、不信の色也。由斷は不信の心也。細々同行に寄合ては讚嘆談合せば、由斷は在間敷也。 (百九) 一 人の佛法の事を申出し悅ばれば、我は其人よりも猶たふとみよろこぶ身と成べき也。佛智をつたへ申すによりて、加樣に人も思はるゝと思て、佛智の御方を、ありがたくもたふとくも存ずべき也。 (百十) 一 正敎又は「御文」等を讀て、人に聽聞させ申候とも、報謝と存ずべし。一句一言も信の上より申せば、人の信用もあり、我も又報謝となるべし。 一 信心決定の人は誰によらず、先見れば則たふとく成候なり。是は其人のたふときにあらず。佛智を得たるが故なり。彌々佛智の有がたき程を存ずべきなりと[云々]。 (百十一) 一 先師上人、常に人に何物をも下され、又酒なんど給はり、人を近付られて、佛法を仰きかせられんがため也。唯常に近付られ、佛法を仰きかせられ、信心を決定させられ度思食めさるゝは、是報謝と思食るゝが故也とぞ仰らる。 Ⅴ-0874(百十二) 一 佛法を心得たと思ふは心得ぬ也。心得ぬと思ふは心得たるなり。少も心得たりと思心は、衆生のうへには有まじき也と仰候也。心得たりと思ふは慢心なれば、大にあさましきなり。心得まじき事を心得は佛の御慈悲によりてなれば、心得は凡夫の心得ざる也。『口傳抄』(卷上)云、「さればこの機のうへにたもつところの彌陀の佛智をつのらせぬよりほかは、凡夫いかでか往生の得分あるべき」といへり。[『抄』を見べし] (百十三) 一 信をえたらん人の上には、さのみ惡き事有間敷也。或は人の兔云角云などゝて、惡ことなどは有間敷候。今度生死の結句を切て、安樂に生ぜんと思はん人、いかでかあしさまなる事をすべきやと仰せられき。されど凡夫たらん間は、惡き事もあるべし。信あらば、大なるあやまり有まじき歟。 (百十四) 一 佛法者の少の違を見ては、あの上さへ加樣に候と、我身の方をふかく嗜べき也。然にあの上さへ加樣に違候へば、まして我身は何たる違も候はではと思ふ我心ゆるす、大きなるあさましき事也。 (百十五) 一 重寶の珍物を調て經榮あり共、食せざればその詮なし。同行中寄合ても談合すれども、信を取人なければ、珍物を食せざると同事也とぞ仰らる。 (百十六) 一 物にあく事はあれ共、佛に成ことゝ彌陀の御恩を悅びあくことはなし。燒も失もせぬ重寶は、南无阿彌陀佛なり。然ば彌陀の廣大の御慈悲を殊に勝れなりと信ずる人を見さへたふとし。能々の御慈悲なりとぞ仰らる。 Ⅴ-0875(百十七) 一 信心決定の人は、佛法方へは身を輕く持べし。佛法の御恩をば重くうやまふべき由仰らる。 (百十八) 一 佛法者は法の威力にて何共成なり。威力にてなくは成べからず。されば佛法を學匠・物しりはいひ立ず。一文不知の身なれど、信ある人は佛智を【加】くはへらるゝがゆへに、佛力のなるがゆへに、人も信を取也。此故に正敎をよみ□…□我はと思人は、佛法を云建ず云立たる事なしと仰らる。唯何もしらねど、信心を定得の人は佛智よりいはせらるゝ間、人々信を取ぞと仰あり。 (百十九) 一 彌陀をたのめば南无阿彌陀佛の主に成也。南无阿彌陀佛の主になるといふは、信心をうる事也。當流の眞實の寶といふは南无阿彌陀佛、これ一念の信心なりと仰ありき。 (百廿) 一 『安心決定鈔』は四十餘年の間御拜見をなされ候へども、御覽じもあかれずとぞ仰らる。又金を堀出す樣なる正敎なりとぞ仰らる。 (百廿一) 一 供御の御膳を人のすゑ申すを御覽ぜられても、人の食せぬ飯を食べき事よと思食さるゝは、たゞ徒に御覽ぜられず、御恩によりて食すべきよと供御のまいり候間、御用のほどを御忘ある事なし。されば鹽のからきをも鹽のなきをも御覺なかりき。 (百廿二) 一 空善申上られしは、佛法を數奇申さゞるがゆへⅤ-0876に嗜候はずと申上候へば、それは、このまぬは嫌ふにてはなき歟とぞ仰られき。不法不信の者は、佛法を違例にするよと仰られき。佛法の讚嘆あれば、あら機づまりや、早く果よかしと思ひて、違例にするなり。 (百廿三) 一 或人申上候は、今生の事を心に入る程、佛法を心に悅たきと申上たれば、仰には、世間の事に對して思ふは大樣なり。佛法はふかく悅べき也。 (百廿四) 一 又人申上て云く、一日一日と佛法は嗜べき事に候と、一期と存ずれば、大樣なりと申。又或人云、大儀なりと思は不足なり。命は如何程もあれあかず悅べきなりと云。 一 信を得ば、同行にもあらく物を云まじき也。心和ぐべき也。觸光柔輭の願あり。信なければ、我に成、我慢の心なれば、詞もあらく、必いさかひも出來する。あさましとの仰なり。每日每日に「御文」の金言を聽聞させられ候事は、寶を領申ことゝ申されき。 (百廿五) 一 先師上人は、門徒の人の進上せらるゝ物をば、御衣の袖の下にて每度おがませらるゝ也。是は佛物と思食て、聖人より下さるゝと思食ゆへ也。又めし物も佛物なれば、御足にあたらぬ樣にせられき。御門徒の人の進上の物は、則聖人の御あたへと思食が故也。 (百廿六) 一 佛法には、萬かなしき事も、かなはぬにつけても、何就ても、後生のたすからん事を思へば、悅と成ことの多也。これ佛恩とぞ仰らる。又佛法者に馴近付ては、一つも損はなし。何たるをかしき狂言をもいへ、是非に佛法までと思ほどに、我方に德が多也。 (百廿八) 一 本泉寺蓮悟に物を給候とき、冥加なしと固辭申しⅤ-0877候しかば、つかはさるゝ物をば取べし。つかはされ候はでは誰か出すべきぞ、取て信を取べし。信なくは冥加なきとて佛物をうけぬ樣なれども、それは曲もなし。何事歟御用にもるゝ事の候ぞと仰候き。 一 信をばえずして只悅ばんと思は詮なき事也。譬ば物を絲にてぬうに、跡をむすびをかでぬうが如し。みなぬけて詮なき也。如來も悅ばゞたすけ給はんとの御誓にあらず。憑む衆生をたすけ給はんとの本願なり。「信心にはすなはち名號を具するなり」(信卷)と開山の御ことばにもある也。 (百廿九) 一 先師上人の仰には、本寺の坊は聖人御存生の時の樣に思食し候。御自身は、御留守を御沙汰候なり。然ば聊かも佛恩を御忘候事なしと、御齋の上の御法嘆に仰られき。 (百卅) 一 人の辛勞もせずして德とるは上品は、彌陀をたのみて佛に成にすぎたる事なしとぞ仰らる。 一 人の心のよき事を聞ても、又働を聞ても我物にし、眞俗ともにそれを、我よき者にはや成て、その心にて御恩の方をば忘れて、我心を本に成によりて、冥加につきて、世間・佛法ともに惡心に必ず成てあさましき也。一大事也とぞ仰られき。 (百卅一) 一 宿善目出度と云はわろし。一流には宿善ありがたしといふべし。 一 他宗には佛法に相たるを宿縁といふ。當流には信をうるを宿善と云。信心をうる事肝要なり。されば一Ⅴ-0878流には群機をもらさぬゆへに、彌陀の敎をば弘敎ともいふなり。 (一三二) 一 眞宗一流の内にて法をそしり、惡さまにいふ人あり。是を思ふに、他宗・他門の事は是非の義なし。一宗の中に加樣の人もあるに、我等宿善ありてこの法を信ずる身となる事、ありがたき宿善なり。如來の御慈悲のいたりと、有がたくふかく存ずべきなり。 (百卅三) 一 「愚者三人に智者一人」とて、何事も談合すれば面白事あるぞと、實如上人へ仰られき。これ又佛法の方にてはいよいよ肝要の仰事なり金言なりと、各も申されき。 (百卅四) 一 此間各へ對せられて仰られごとは、『安心決定鈔』の義なり。片はし御物語にて候。當流の儀は此抄の儀肝要に候と、くれぐれ仰事なりき。 (百卅五) 一 家を作らば、頭だにぬれずはと思ふべし。たとひ作るとも、過分なる事を御嫌ありし也。衣裳等にいたるまでも、好物を著んと思は淺間敷ことなり。冥加を思つゝ、如何樣の物を著しても、佛法に心をかけ信心を決定すべしと思べしとぞ仰らる。如何樣の人にて候とも、佛法の家に奉公し候はゞ、昨日までも何宗にて候とも、今日ははやく佛法の御用の程を忝思ひてある身と成ては、御用の程を思べき也。たとへばあきなひを仕候とも、佛法の御恩御用の程を思ひ心にかくべき也。 (百卅六) 一 越中の赤尾の彌七郎入道道宗、「御文」を申請度の由申入たるに、「文」は取おとす事もあるべし。たゞ心に信をだに取て下國候はゞ、肝要たるべき由仰られて、Ⅴ-0879明る年に「御文」を下され侍りける。 (百卅七) 一 信もなき人の大事の聖敎を所持せるは、小生に釰をもたせたるがごとし。その故は、釰は重寶なれど、小生はあやまちをすべし。持てよき人は重寶になるなりとの仰なり。 (百卅八) 一 從善の望申さるゝにつきて、懸字あそばされて、下され候し。其後その懸字はと御尋ありけるに、從善申されしは、表補衣を仕て、箱に入置候と申さる。仰には、それはわけもなき事ぞ。不斷をきて見てこそ、心ねをもなせといふ事にてこそあれ。詮なきことぞと仰ありし。 (百卅九) 一 是の内に居者、身はありがたき事なり。聽聞常にせば、取はづしても佛に成らん事よとぞ仰らる。誠にありがたき事なりとぞ。 (百四十) 一 開山聖人、御弟子【二代目歟專修寺】高田の顯智上洛の時、申されしは、今度は旣に御目にかゝるまじと存じ候ところに、不思議に御目にかゝり候と申されしかば、其は何事ぞと御尋あれば、船路に難風にあひ、迷惑仕候と申され候へば、聖人されば船にはのらるまじき物をと仰られき。其後は、御詞の末とて、一期の間、船にのられずと[云云]。 (百四の一) 一 開山聖人の一大事の客人と申は、御門徒の人々のⅤ-0880事也と仰られしと也。又御門徒の人をあしく申事、努々あるまじく候。開山聖人は御同行・御同朋とかしづきましましきと仰らるゝ也。 (百卌二) 一 門徒の人々上洛の時、先師上人は、寒天には能上洛と仰られ、酒の をあつくさせられて、路次のさむさを忘られ候樣にと仰られ候。又炎天の時分は、酒をひやせと仰付られし也。又御門徒衆御目にかゝるべきと申さるゝを、遲披露を申一段と曲言の由堅く度々仰付られき。人を待せ申事堅細々仰らるゝ也。 (百四の三) 一 先師上人、御足にわらんぢの跡のきはつき申を、兄弟中の衆へも細々見られ候て、若年の比、開山聖人一流の佛法を立べきと思へば、加樣に關東まで下、京・田舍と辛勞したるによりて、いま各兄弟共も心安く活計にある事ぞと常々仰られ、御足のわらんづの跡を度々各へ見せられき。誠ありがたく存ずべき事共也。 (百四の四) 一 存覺は大勢至の化身なりと[云云]。然ば『六要鈔』(第三意)には「三心の字訓その外勘德せず」とあそばし候。誠に聖意はかりがたき旨をあらはし、自力を捨て他力に歸する仰の本意にも叶ひ申候者をや。加樣の理は名譽の金言共在之[云云]。存覺の辭世に云、 今はゝや 一夜の夢と さめにけり 往來あまたの 雁のこゑごゑ 此言を先師の仰には、さては釋迦の化身なり、往來は娑婆の心なりと[云云]。我身にかけて心得ば、六道輪廻の心なり。今臨終の夕にさとりを開べしと云る心なりと仰られき。 (百四の五) 一 陽氣・陰氣とてあり。されば陽氣をうる花は旣に開く也、陰氣とて日影の花は遲くさく也。加樣に宿善Ⅴ-0881も遲疾あり。されば已今當の往生あり。彌陀の光明にあひて、早くひらくる人もあり、遲く開くる人もあり。兔に角に、信不信共に佛法に心を入て聽聞する上の事なりと[云云]。已今當は、昨日あらはす人もあり、今日あらはす人もあり、明日あらはす人もありとの仰られ事なりき。 (百四の六) 一 敎化する人は、まづ我信心をよく決定して、其上に正敎をもよみかたらば、聞人も信をうべき也。 安心を取て物をいはゞ、用なき事をば云まじき也。一心の所をよく人にも云べきなりと、空善に仰られき。 (百四の七) 一 一念の信心をえて後の相續といふは、更に別にあらず、はじめ發起する處の安心に相續せられてたふとくなる一念の心のとおるを、「憶念の心つねにして」(淨土*和讚)とも「佛恩報謝」とも云也。いよいよ歸命の一念、發起すること肝要なりと仰ごとありき。 (百四の八) 一 人の不審なる事を申入たる時は、堂の者に問と仰出さる。然ば御堂衆に尋ければ、分別なきの由申さるる時に、御前へ召て、不審を仰はらされきかせらるるなり。これは御堂衆に加樣に人の不審申事をはらし出す樣にと思食され、申し習はせらるべき御用意なりとみゆ。ありがたき事也。 (百四の九) 一 ある時御堂を御覽じめぐらされけるに、あまた御堂に男女あつまられけるを御覽ぜられ、聽聞の望にてぞ堪忍候覽と仰られ、御簾ぎはへ御出あり、さまざまⅤ-0882御法談ありき。其時三百人もありしに、此内に信心決定して往生すべきは一人あるべき歟二人在べき歟と仰られけるに、或人すゝみ出て安心の樣申さる。此中に往生を遂べき人一人か二人歟と仰らるゝを不審申されて、私は如此安心決定と覺悟仕候が、私より外に此内には五人も十人も決定心に成候人は有べきに、一人歟二人歟と仰らるるは不審に存知候旨申されしかば、仰られ事に、自餘の面々にかゝはりごと無用なり。一人歟二人歟といはゞ、汝其一人に成て往生を遂べき也とぞ仰られけるに、各有がたく存じおどろき申しき。 (百五十) 一 信心は佛智なり。佛智よりたのませらるゝ信心也と心得べし。たゞ彌陀如來のたのませられて御たすけあると心得べし。一向に他力也。その後佛恩報謝の稱名も信にもよほされて申せば、是も口にとなふれば、我等が申樣には候へども、信にもよほされて申時には、みな佛智にもよほされて、彌陀より申させらるゝ念佛なり。悉く他力にもよほされて申なれば、皆他力より申させらるゝ稱名と心得べきなり。 (百五十一) 一 晝夜不斷の仰には、第一冥加の方を上下共に心得べき由の仰のみ也。就其仰の品々あり。あたらしき物をめされし時は、必ず聖人の御前へ御參ありて、聖人へ向まいらせられ、御用にて是御著用也。ありがたく候と、御えりを引出されて、御前にて見せまいらせられけりと也。きこしめさるゝ物にも、御身にめさるゝ物にも、不斷御用の程を思食しける體是あり。もとより御詞にも出され、每日每夜冥加の段堅仰られし事なり。 (百五二) 一 開山親鸞聖人は四十餘歲の夏の比、坂東所々御徑徊の例とて、本願寺の御住持は、代々東國御修行なり。Ⅴ-0883先師蓮如上人は最初は三十餘歲、恆例にまかせ、御修行三ケ度までおぼしめし立ける事、當流の門人路次中に且以これなきにより、乘物まいらする人もなかりき。然ば道中は、御わらんづにて皆步行なれば、御辛勞かぎりなく、御足に藁津くい入たる跡ありけるを、御臨終の砌までも取いだされ、兄弟中に見せられけり。加樣に御苦勞ありて、諸國の御門弟も出來し、一宗繁昌ありて、今各心安く安穩にあること、ありがたき事也。正に程近く見及申存知することなれば、此御恩を存知わすれては淺間敷次第たるべし。よくよく誰々も分別ありて忝く思ひ奉て、其御恩をわすれず難有存ずべき事なり。當時一宗繁昌の體にてぞ、御恩を深く存ずべき也。 第二番の東國御修行は【文明には吉崎御逗留也】文明以前也W年記可勘R。其時には、はや御門人ひろまりて佛法繁昌ありければ、路次中馬などまいらする輩も出來せりとなり。 (百五三) 一 その初比、蓮祐禪尼往生の砌なりA實如上人御B母儀C。其比聽聞のかたがたはや多出來あり。近國路次中の人々も志ありて、所々御とおりにあまた所に御逗留の儀もあり。其比加賀國河北郡橫根村と云所に三ケ日、蓮如上人を留申侍けるに、橫禰の乘光寺と云坊に光臨あり。御法談たびたびあり。皆人歡喜きはまりなかりしに、二日といふ日、晩景日役の勤を申終に、佛法僧の鳥、夕日も未かゞやく空に來、三聲までこそ鳴たりける。奇代未曾有の事なりとぞ、各その比申ける。權者明師の德あきらかに顯れまします。此鳥と云は、常の處にはなかず、日本國中にては富士・白山・立山の深山、Ⅴ-0884又は高野・上醍醐などには鳴といへども、聞人希なる事といへり。今この在所に鳴べき所にあらざれども、先住蓮如上人名匠の威德をあらはせり。 (同百五三) 一 第三ケ度の御修行とは、又坂東邊へ御下向と催され、文明五年歟【年】吉崎の御坊より出給て、越中州利波郡井蟬庄之内、井波村瑞泉寺の坊迄御下向なりけるに、此國もはや當流門人ひろまりて、此時はや當宗繁昌の事にて、御下向とて、人々數おほく群集せること限なくして、每日に人多押して五人十人死せること侍れば、此村のはづれに野尻野と云所あるに借屋を打て、人々に御見參ありしかど、猶も人こぞり、國中の武士の輩迄まいり、ことごとしく人多くて、御修行の道中も成がたくて、瑞泉寺より夜中に御忍びにて、又吉崎の御坊へかへり給ひぬ。然ば第三ケ度めには、あまりに一宗繁榮により御修行もならざりし事也。 (百五四) 一 前師蓮如上人或時の仰に、一念に彌陀をたのみたてまつる機は、如來のよく知しめす也。知し召ところを思て心ろねをも持べし。冥加をいかにもいかにもおそろしく思べきなり。又口とはたらきとは信ずる心ねよりあり、涯分と心の方を嗜べき也。 (百五五) 一 又仰に、南无といふは歸命なり、歸命といふは彌陀を一念たのみまいらする心なり。又發願廻向といふは、たのむ機にやがて大善大功德をあたへたまふなり。その體すなはち南无阿彌陀佛なりと仰ごと候ひき。 (百五六) 一 賀州菅生の願正、深谷の覺善又四郎などに對して、信心といふは彌陀を一念御たすけ候へとたのむとき、やがて御たすけあるすがたを南无阿彌陀佛とまうすなり。總じて罪はいかほどありとも、一念の信力にて消Ⅴ-0885うしなひ給なり。されば「无始已來輪轉六道の忘業、一念南无阿彌陀佛と歸命する佛智无生の名願力にほろぼされて、涅槃畢竟の眞因はじめてきざすところをさすなり」(眞要鈔*卷本)といふ御釋をひき給て仰られ候き。さればこの心を懸字にあそばされて、願正に下されけり。 (百五七) 一 勤の時順讚を御【失念歟】忘ありて、南殿へ御歸ありて、仰に、聖人の和讚あまりにあまりに殊勝にて、出す所を忘たりと仰ごと候らひき、ありがたき御すゝめをきゝながら、をろそかに信じて往生する人すくなしと御述懷ありけり。 (百五八) 一 念聲是一といふこと存ぜずと申入たる人の候に、仰には、おもひうちにあれば色ほかにあらはるゝとあり。されば信をえたる體はすなはち南无阿彌陀佛なりと心うれば、口もこゝろもひとつなりとぞおほせらる。 (一五九) 一 朝勤の上に仰云、「いつゝの不思議をとくなかに」より「盡十方の无㝵光は」の『讚』(高僧*和讚)の心を仰の時、「光明遍照」(觀經)の文の心と、又「月影のいたらぬ里はなけれども」(續千*載集)の御歌を引よせ御讚嘆ありけり。ありがたさ中々申すばかりなし。前住上人座を御立候御跡にて、實如上人夜前の仰と今朝の仰とを引合仰らるゝに、ありがたさ是非なく候仰にて、實如上人も御落淚かぎりなく御座御立かねられき事候きと、蓮悟物語候き。十二月四日太夜の上に御法談のときなり。 (百六十) 一 參河の敎賢、伊勢の空賢とに對して、仰に、南无Ⅴ-0886といふは歸命、この心は御たすけ候へとたのむなり。この歸命の心やがて發願廻向の心に通ずるなりとの仰也。 (百六一) 一 「他力の願行をひさしく身にたもちながら、よしなき自力の執心にほだされて、むなしく流轉しけるなり」(安心決定*鈔卷末意)と候を、え存ぜず候と申上候ところに、仰に、聞わけてえ信ぜぬものゝ事也と仰候ひき。 (百六二) 一 「彌陀大悲の胸の内に、かの常沒の衆生みちみちたる」(安心決定*鈔卷本)といへる事不審に候と、福田寺申上られ候に、仰に、佛心の蓮花は胸にこそひらくべけれ、腹にあるべきや。「彌陀の身心の功德、法界衆生の身の内、心の底に入みつ」(安心決定*鈔卷本)ともあり。然ばたゞ領解の心中をさしての事なりと仰候ひき。皆々ありがたき由申し候しなり。 (百六三) 一 十月廿八日の太夜に仰云、「正信偈和讚」をよみて、佛にも聖人にもまいらせんと思ふ歟、あさましや。他宗には勤をして廻向するなり。當流には他力信心をよくしれとおぼしめして、聖人の和讚にその心をあそばしたり。ことに七高僧の御懇なる御釋の心を、和讚にきゝつくる樣にあそばして、その恩德をよくよく存知して、あらたふとやと念佛するは、御恩を聖人の御前にてよろこび申す心なりと、くれぐれ仰候き。 (百六十四) 一 聖敎をよくおぼえたりとも、他力の安心をしかと決定なくはいたづらごとなり。彌陀をたのむ所にて往生決定と信じて、ふた心なく臨終までとほり候は往生すべきなり。 一 彌陀をたのみて御たすけを決定して、ありがたさよとよろこぶ心あれば、そのうれしさに念佛申すばかⅤ-0887りなり。これすなはち佛恩報謝なり。 (百六五) 一 三位顯證寺蓮淳に對して仰られ候。信心をよく決定して、人にも信をとらせよと仰候き。 (百六六) 一 十二月六日富田へ御下向にて候間、七日の夜は大勢御前へまいり候に、仰に、今夜は何事に人多來りたるぞと仰あるに、順誓申さることに、此間の聽聞申し、ありがたさの御禮のため、明日は御下向にて候由候間、御目にかゝり申すべしとの間、歲末の御禮のためなんど申上られけり。其時の仰に、無益の歲末の禮かな、歲暮の禮には信心を取て禮にせらるべしとの仰候き。 (百六八) 一 又仰に、ときどきは懈怠することありとも、往生すまじき歟とうたがひ歎くもの有べし。然ども、はや彌陀如來を一度たのみまいらせて往生決定の後なれば、懈怠おほふ有ことのあさましや。かゝる懈怠多あるものなれども、御たすけは治定なり。ありがたやありがたやとよろこぶ心を、他力大行の催促なりとまうすと仰られ候なり。 (百六九) 一 御たすけありたる事の有がたさよと念佛申すべく候や、又御たすけあらふずる事のありがたさよと念佛申すべく候やと申上候ときに、仰に、何も好し。但し正定聚の方は、御たすけ有たるとよろこぶ心、滅度のさとりの方は、御たすけあらふずる事の有難さよと申す心なり。何も佛になる事を悅ぶ心、この心よしと仰られ候なり。 Ⅴ-0888(百七十) 一 南无の无の字は聖人の御流義に限てあそばしけり。南无阿彌陀佛を泥にてうつさせられて、座敷懸られて仰られけるは、不可思議光佛、无㝵光佛もこの南无阿彌陀佛をほめたまふ德號なり。しかれば南无阿彌陀佛を本とすべしと仰ごとありけり。 (百七十一) 一 「十方无量の諸佛の 證誠護念」の『讚』(正像末*和讚)の心を聽聞申たきと、順誓申上られしに、仰に、諸佛の彌陀に歸せらるゝ事よ、されば諸佛は彌陀に歸せらるゝを能としたまへり。 (百七二) 一 「世中にあまの心をすてよかし め牛の角はさもあらばあれ」。是は開山の御歌也。されば形はいらぬ事、一心を本とすべしとなり。世にも「首を剃といへども【となり】頭を如何と心を剃す」と云事があればと仰られ候也。「鳥部野を思やるこそ哀なれ ゆかりの人の跡と思へば」。是も聖人の御歌也。 (百七三) 一 深草の淨西寺瑞林庵に對せられて、仰にいはく、まもるによりて生もし死するにもあらず、たゞ因果のめぐる相なりと。時に瑞林庵も左樣にて候と申されけり。 (百七四) 一 佛恩がたふとく候などゝ申は聞にくゝ候。佛恩をと申すべし。正敎が「御文」がなど云、聊爾に こえ候。佛法方の事をば萬尊敬のことは聞よき由被仰候し也。 一 「諸佛三業莊嚴して」の『讚』(高僧*和讚)の心を仰出され候き。諸佛の彌陀に歸して衆生をたすけらるゝよと仰られき。 (一七五) 一 朝夕、「正信偈和讚」にて念佛申は、往生のたねにⅤ-0889なるべき歟、たねには成まじき歟と、各申けるに、仰には、いづれもわろし。「正信偈和讚」は、衆生の彌陀如來を一念にたのみまいらせて、後生たすかり申せとの理をあらはされたり。よくきゝ分て信の取ての上は、ありがたやありがたやと聖人の御前にて念佛申し悅ぶ事と、くれぐれ仰られき。 (一七六) 一 南无阿彌陀佛の六字を、他宗には大善大功德にてある間、唱てこの功德を諸佛・菩薩・諸天にまいらせて、其功德を我物がほにするなり。一流にはさ樣にはなし。此六字の名號我物にてあるにこそ、唱て佛・菩薩にまいらすべけれ。一念一心となへて後生たすけ給へとたのめば、やがて御たすけにあづかる事のありがたやありがたやと申ばかり也と仰られけり。 (百七七) 一 參河國淺井の後室、御假乞にとて參られしに、富田へ御下向に、御取亂にて候に、仰に、名號をたゞ唱て佛にまいらする心にて努力なし。彌陀佛をしかと御たすけ候へとたのみまいらすれば、やがて佛の御たすけにあづかる間、罪もあるべしと仰候を、「御文」と別にきこえ申候やと、申上候時、仰に、一念のところにて罪はみな消てとあるは、一念の信力にて往生さだまる時は、罪はさはりともならず。さればなき分なり。命の娑婆にあらん限は、罪はつくる也。順誓は、はやさとりて罪はなき【歟】かや、聖敎には「一念のところにて罪はきえて」とかけるなりと仰候。罪のありなしの沙汰をせんよりは、信心を取たる歟取ざる歟の沙汰いくたびもいくたびも好。罪きえて御たすけあらんとも、Ⅴ-0890罪きえずして御たすけあるべしとも、彌陀の御はからひ也、衆生の方にははからふべからず。たゞ信心肝要なりと、吳々仰なり。 (百七八) 一 「眞實信心の稱名は」の『讚』(正像末*和讚)の事、彌陀の御方より、たのむ心も、たふとやありがたやと念佛申す心も、皆あたへたまふゆへに、兔やせん角やせんとはからふて念佛申は、自力なればきらふ也と仰候なり。 (百七九) 一 无生の生とは、極樂の生は三界へめぐる心にあらざれば、極樂の生は无生の生といふなり。 (百八十) 一 廻向といふは、彌陀如來の衆生を御たすけを云なりと仰られ候なり。 (百八十一) 一 又一念發起の儀、往生は決定なり。罪けしてたすけたまはんとも、彌陀如來の御はからひなり。罪の沙汰无益なり。たゞたのむ衆生を本にたすけ給事なりと仰られ候なり。 (一八二) 一 身をすてゝ平座にて各と同座するは、聖人の仰に、四海の信心の人はみな兄弟ととられたれば、我もその御詞のごとくなり。又同座をもしてあらば、不審なる事をもとへかし、信をもよくとれかしとねがふ計也と仰られけり。 (百八三) 一 又仰に、われは門徒にもたれたりと、ひとへに門徒にやしなはるゝなり。聖人の仰にも、弟子一人ももたず、たゞ友同行なりと仰られたり。 (百八四) 一 「愛欲の廣海に沈沒し、名利の太山に迷惑して、定聚のかずに入ことをよろこばず、眞證の證のちかづⅤ-0891く事をたのしまざる事」(信卷意)を申沙汰し、不審のあつかひ共にて、往生せんずる歟、すまじき歟なんどと互に申合けるを、物ごしに聞召て、愛欲も名利もみな煩惱なり。されば機のあつかひをするは雜修也と仰られけり。たゞ信ずる外は別のことなしと仰らる。 (百八五) 一 夕に、案内をも申さず、人々多參たるを、美濃法橋まかり出られ候へと、あらゝかに申さるゝ所に、仰に、左樣にいはん詞にて、一念の事を云きかせて歸せかしと。東西をはしりまはれて云たきことなりと仰候とき、慶聞坊淚をながし、あやまり申候とて讚嘆あり。皆々落淚申こと限なかりけり。 (百八六) 一 明應元年[壬子]五月初比、河内國出口の坊より、俄に先師上人早天に御上洛させ給べきとて、光善寺を出給て京近くならせ給に、大雨しきりにて大水出で、出口村は水入ければ、水底に成にけり。淀河の洪水ことごとしくぞ、かゝる所に出口村人々は、舟に乘て所々へちりぢりに成ぬる程の事に侍れば、先師上人上都も俄事に、各も不思議とぞ申合にける。 (百八七) 一 同年に疫癘さかりにをこりて、人多死する事のありしに、これは人々にうつりて病死すると人々申侍けるに、先師上人の仰に、たゞ因果により病死する事とぞ仰ありて、當座に其ことはりを「御文」に作らせ給ひて、法敬坊にあそばしくださる。 (一八八) 一 明應二年正月朔日、蓮如上人の御前へ勸修寺村のⅤ-0892道德まいりたるに仰らる。道德はいくつに成ぞ。念佛まうすべし。自力の念佛といふは、おほく申て佛にまいらせ、此申たる功德にて佛のたすけ給はんずる樣におもひてとなふるなり。他力といふは、彌陀をたのむ一念のをこる時、やがて御たすけにあづかるなり。其後念佛まうすは、御たすけにあづかりたるありがたさよありがたさよと思心をよろこびて、南无阿彌陀佛南无阿彌陀佛とすゝめくはふる心なり。されば他力とは他のちからといふ心なり。この一念、臨終までとおりて往生するなりと仰さふらふなり。 (一八九) 一 同四年十一月十九日、富田より蓮【如】―上人御上洛ありて、仰に、當年よりひそかに御佛事をば取をこなはるべき由仰ありて、頭人は前日にのぼり、次の日下るべき由仰ありけり。御堂には常住衆と頭人ばかり參べしとなり。 (一九〇) 一 同四月九日に仰られき。信心をとりて物をいはゞよし。用なき事をば云まじき也。一心の所をよく人にもいへと、空善に仰出されけり。 (一九一) 一 明應五年正月廿三日、富田より御上洛ありて、仰に、當年よりいよいよ信心なき人には御見參あるまじきと、かたく仰られ候なり。安心のとほり彌仰きかせられて、又誓願寺に能をさせられけり。二月十七日にやがて富田へ御下向ありて、三月廿七日に堺の御坊より御上洛にて、廿八日に仰られ候。「自信敎人信」(禮讚)の心を仰きかせられんがために、上下辛勞なれども、御出ある所は、信をとり悅ぶ由申ほどに、うれしくて又のぼりたりと仰候ひき。 (一九二) 一 同五年十一月の報恩講の廿五日に御法談あり。Ⅴ-0893『御傳』を御前にてあそばされ、各ありがたき由申さる。限なく忝き由申さる。 (一九三) 一 同六年四月十六日御上洛にて、其日開山聖人の御影の正本、厚紙一枚に御自筆にて候とて、各に拜せられたまへり。この正本、まことに宿善にてなくは拜見申さぬ事也と仰られ候。又法然聖人御筆の名號と『慕歸繪』、同時におがみ申候き。 (一九四) 一 明應七年四月初比より、去年のごとく又御不例にて、慶通醫師にまいり、十七日よりは半井まいり、十九日には板坂左近將監まいる。服藥どもを奉りけれど御少驗もなく、御食事にはおも湯ばかりまいりける。 (一九五) 一 同五月廿五日には、御堂へ御參あり。同廿八日には堅各申留、御養生のためにとて、御出仕を申留けり。日晝計に御參ありて、私記一段あそばされて、次をば實如上人あそばす。其後六月七日よりは御出仕もなかりき。 (一九六) 一 同六月六日には、姉少路黃門[基綱卿]光臨あり。醫者上地院を召具せられ、數剋たがひに御物語共にて、醫療事ども調侍りき。 (一九七) 一 同比、先師上人田輿にて勤行へ御出仕ありて、御歸には門徒の面々に名殘おしき由仰にて、後さまにめされてかゝせられ、各を御覽ぜらるべきためと仰られⅤ-0894しかば、各も忝くありがたき由にて落淚申されき。 (一九八) 一 明應七年閏十月十六日の夜、御作の「御文」を十通ばかり慶聞坊によませられて聞召て、一念の信心をしかと取つめ候へと、返々仰られき。 (一九九) 一 又仰に、この大坂の坊を建立するは、もし信心の人も出來候へかしと思ひて建つる所なり。されば三井寺燒て再興して後、寺法師の夢に、これによりて生死をはなれん者多かりければ、寺建立よりも後生をたすかる樣に建立したき由、新羅大明神の本意也とぞ、夢の神託あれば、其ごとくに寺中繁昌するとも、たゞ信心とる人なくはなにの篇目もなき事ぞと仰ありき。 (二〇〇) 一 明應八 三月中旬、安藝法眼御侘言可申上とて山科の八町の町に上洛ありしか共、申次人もなし。誰取次人も更になかりし。先師上時々に、兄弟中安藝何方にか有べき尋て有所きかぬかなど仰ありて、不便に思食仰出されしか共、何方に在やらん向後もなき由兄弟中申入らる。まして其外の人詞にも出さず。賀州一國を破たる大惡人のことなれば、誰人も申し不出るに、細々先師上人は仰事ありて、安藝が何方に歟有べき尋て見よと、蓮綱[松岡寺]へ被仰也。けれど中々存ぜずと申さるる。何方にもなしと各も申せしに、三月廿日比御往生もやうやう近付侍ると存ずるに、尋見よとしきりに仰事在しに、實如上人安藝を召出しては外聞もいかゞと御申在ければ、仰云、いやいや當流の儀本願の規模には科ある者を許すと被仰し間、各落淚ありがたくて、安藝御侘言に御門前にある由申入たりしかば、則召出され侍りき。ためしなきたぐひなき難有事也。懸御目難事有候□□かぎりなかりけり。御往生時にも參り、御葬禮にも相たてまつり、やがて其廿八日に往Ⅴ-0895生す。奇特の仰により罷出、又か樣往生の本懷をとげき安藝也。ありがたさ類なきためし也。 (二〇一) 一 明應八年二月八日の夜、或人夢想をみる。蓮如上人は法然聖人の化身にてましませば、かならず廿五日に御往生あるべしと、人のつげしらせらるゝと見て、二月九日に上洛し侍けり。誠うたがひなき彼聖人變化とおぼえて、御勸化にたがはず、聽聞人々早く心中を改、御敎化をありがたく存知せられけり。夢にたがはず廿五日に御往生なれば、彌うたがひなき彼上人の御再誕とぞ申されき。 (二〇二) 一 明應七年の【冬】夏比よりの仰には、明年三月は御往生すべし。久敷いことならねば奉公する者どもゝ心得てつかはれよと、御前に【祗】致候の人々にも仰事ありけり。 (二〇三) 一 同年の二月には、大坂の御坊にて御往生有べき樣にて、御葬所までこしらへさせられけるが、俄に御思案ありて、城州山科へ御上洛あり。攝州をば二月十八日出させ給て、いかにも此度は道中をしづかにと仰られ、三日めに廿日と申に城州山科の御坊へつきましましける。やがて常の南殿の寢殿に御休息ありき。同日淨賢所にて、實如上人に對して仰にも、一流の安心の次第の肝要をば「御文」にあそばしあらはされ置れ候間、今は安心の方もさのみ申まぎらかさるゝ人も有まじと覺え候と、能々分別候て、門徒中へもつたへられ候べし。これ遺言ぞと仰られき。然ば實如上人も安心の一義「御文」のごとくとおぼしめさるゝ條、諸國門人も此Ⅴ-0896段同心あるべしとの支證のため、實如上人も御判をくはへをかゝるゝ也。 (二〇四) 一 先師上人、近年は御病氣の條、御往生ちかく成て候へば、今いふことは何事も金言なるべしとぞ仰らる。能々心をとゞめて聞べしと切々の仰なり。又御病中に慶聞坊を召て仰られ事には、われは不思議なる事かあるぞ、氣を取直して語べき也と。此仰何事等を注せる義。[尋しるすべし] (二〇五) 一 二月廿一日に、開山の御影堂へ御參あり。御前にて御目にかゝりがたく存じ候つるが、只今御目にかゝり申事、ありがたさ中々申ばかりなく候と、たからかに御申ありけり。其後は御往生あるべき所とて造作共させられけり。 (二〇六) 一 【二月】廿五日には、四方廻りの土居を御覽ぜられ、堀の上を田輿にめされ、あなたこなたへ御一見あり。伊勢の宿の土居に御輿を立て、湯を御用あり。新き茶垸等を空善用意し調進す。尤さはやか也とぞ御感ありける。廿七日には、又御影堂へ。御歸の時は、門徒の人々に名殘おしきぞと仰られ、田輿をうしろさまにかゝせ御歸あり。諸人の方を御覽ぜられて御歸也。廿九日にも土居へ御出なり。 (二〇七) 一 三月朔日には、北殿へ御出あり。實如上人以下兄弟中、同座敷にあり、數剋御物語あり。城菊撿挾參、種々申上たり。又御遺言にてあるぞと仰られ、一念の信心を能々取べしと、兄弟中へ【則歟】別しておほせられき。二日には、花を御覽ぜられ度由にて空善申付よと、下間五郎左衞門尉申さるゝ間、馳舞花を切て進上する、Ⅴ-897醫者には藤左衞門尉參る、又誓從等參けり。 (二〇八) 一 三日には芳野より櫻を切て參りけり。北の庭にほりすへて侍ければ、花もさきたるを御覽ぜられて、御詠歌三首遊ばさる。 さきつゞく 花みるたびに 猶も又 たゞねがはしき 西の彼岸 老樂の いつまでかくは 病ぬらん 迎へたまへや 彌陀の淨土へ 今までは 八十五に あまる身の 久くいきじと しれやみな人 其日御心もよく、御機嫌にてわたらせ給ぬれば、兄弟の若年の衆にしばらく詠はせられて、面の座敷に御出ありて御心をなぐさめられき。又懸させ給ける唐帽子をとらせられ、兵衞督、本泉寺蓮悟につかはされ、是を二俣にA本泉寺B蓮乘Cせよと云べしとぞ仰られき。むざむざと病てぞ在覽、不便や不便やとぞ仰らる。W蓮乘卅九R (二〇九) 一 七日の曉、御脈を御手自とられて、違所ありと仰られ、藤左衞門を召て取せられけるに、胃氣の御脈あしき由を申す。左と覺たりとぞ仰られける。 (二一〇) 一 同日聖人へ御暇乞に、御堂へ御まいり在べきとて、御行水ありて、御衣裝をあらためられ、田輿にて、まづ阿彌陀堂へ御參あり。本尊の御【前】參にしばらく御向ありて、何哉覽御身に御申あると覺て、しばしは佛前にましまして、さて東の縁へかき出すべき由仰ある。花の咲たる木末を御覽あり。あら面白しと仰ありて、暫Ⅴ-898く御覽ぜられ、庭の面より御影堂へかき入奉る、面より田輿ながら内陣へかき入まいらするに。 (二一一) 一 聖人へ御申ありけるは、極樂へまいる御暇乞にて候、必ず極樂にて御目にかゝり申すべく候と、たからかに御申ありければ、數萬人の人々も一同に淚をながし、隨喜貴敬かぎりなかりけり。田輿のかきては丹後法眼A于時法橋B蓮應C・同弟上野介A于時源四郎B賴慶C、其外傍輩かはるがはるかき申す。兄弟中老若ともに御供申侍べりける。則御歸りなり。 (二一二) 一 九日には、御亭の面へ出御【あ】なりて、法敬坊・空善、賀州小松の了珍等を召して、久しきなじみなれば、御資をも見まいらせたく存ぜんと仰られて、種々忝き仰共にて、暫く御法嘆ありき。又其後法敬坊・空善を召寄られ、何事をもかたるべしとの仰ありき。 (二一三) 一 又空善まいらせける鶯の聲になぐさみけりと仰あり。鶯は法きけと鳴なり。されば鳥類だにも法をきけと鳴に、まして人間となり、聖人の御弟子ながら法をきかぬは淺間敷ぞと仰られき。 (二一四) 一 慶聞坊に何ぞよみてきかせよと仰あれば、「御文」を取出し、御堂御建立の「御文」を三通よみ申されければ、あら殊勝や殊勝やと仰らる。しかれば法敬坊も空善も御そば近く、九日より二十四日まで祗候申す。 (二一五) 一 同日御臨終ちかく思食されける歟、御枕の方に押板に開山親鸞聖人の御影を掛申さる。すなはち頭北面西に御寢成にける。又近比御自愛なりし尉栗毛の馬を御覽ぜられたきと仰られければ、四間の内疊二帖あげて、御寢所のきはまで引寄られ、御覽ぜらる。この馬Ⅴ-0899前肢をすこしのばし、淚を流し、頭をさげ、尾を少もふらず。やゝ暫く御覽あるに、空善そばにつきそひ見に、畜類なれ共心ありける馬也。不思議なりし【振】ふる【舞】まい也。 (二一六) 一 御病中にをきて度々慶聞坊に召て仰られしは、「乞食の沙門は鵝珠を死期にあらはす。賊縛の比丘は王遊に草繫を脫」と云戒文あるぞと、度々仰出され侍り。これは御往生の後奇特不思議をあらはさるべきとの仰られ事なり。權者にてましませば、加樣の御詞を出されをかれ、御往生已後に忽に奇特を見らるべきとの支證の御金言どもなり。又は「功成名とげて身退くはこれ天の道也」(老子)と云古人の詞も、度々御身上に御滿足の御身退なりとあらはさるゝ心なり。 (二一七) 一 十七日の曉は、時念佛御申あるべきと仰出され、調聲は當住實如上人たるべしと仰事なり。しばらくありき。助音兄弟中なり、和讚三首廻向あり。 (二一八) 一 十八日の仰には、かまへて我なき跡に、兄弟中は思あひて中よくあるべし。信心だに一味ならば中もよく、聖人の一流も繫昌すべしと、くれぐれ仰をかれ侍りき。此義每度仰らるゝ儀也。能々この仰を守るべき一儀なり。今日より御脈又すこしなをり申由、醫者の面面申しけり。 (二一九) 一 十九日よりは、おも湯も良藥等もい【や】なと仰事にて、まいらざりき。只御念佛ばかりにて、早く御往生ありⅤ-0900たきとの御念願と仰られ侍りける。 (二二〇) 一 廿二日より、御相好すこしづゝかはる樣にみえ申し、開山聖人の御相好に相似させたまふ樣に、兄弟中も各も見まいらせけると、各も同じ心に見奉て侍る由申し侍る。 (二二一) 一 廿三日よりは、御脈もなく候間、はや御往生と皆々申合候つるに、又八時より御脈も出來、なをり申の由、醫者の衆申す。不思議と、各申侍りき。 廿四日の曉は御往生の時分なり。法敬坊も空善等も御そば近く參べきの由の仰によりて、右の御手を法敬坊かゝへ申、頂申さる。空善は兩の御足をかゝへ申、頂き奉るに、兩人共に心も【を】くれ目もくれ、常に申出し落淚申されき。 (二二二) 一 【三月】廿五日の午の正中に御往生、いかにも閑に御ねむりあるがごとくにて、無病無煩にして念佛の御息はとゞまり給侍りき。寺内・寺外の道俗男女まで參集して、歎申す事限りなし。各御近所の君達の御愁歎はことのはもなく、千々萬々の御歎は申もをろかなり。則その日より、種々の不思議の奇瑞ましましけり。廿五日の曉より、大地鳴働せることしきりなり。是を如何にと申せば、權者明匠の入滅の砌には、皆如此とぞ申す。先づ傳敎大師入滅の時もかくのごとし。弘法大師入定の時も同と申傳たり。みな傳記にしるせり。廿五日の午剋に成しかば、山科郷内野村の御居住の前後左右、ことに御堂の前後左右の草木の若葉の立たるも悉くしほれにけり、皆枝をたるしおれ伏たり、色も變ず。言語道斷奇代不思議の事ども【あ】なり。かくのごとくの體たらく、見も及ばずきゝも及ばず侍ることなり。Ⅴ-0901廿五日の朝と晝と夕とに三ケ度、日めぐることけしからず。日の廻りに紫雲は五色にたてわたる。空花は空よりも雪のふるがごとし。廿五日より四月二日まで七ケ日おなじ。御葬送は四月二日たるべき由を申ふれて、御往生の明る廿六日なり。俄の事なれど、大坂より道具は何も御用意ありてもたせらるゝ間、用意の造作と云事一事なく調へたり。 さる程に廿五日の夜更て、廿六日の曉に、御沐浴あて勤あり。實如上人の御調聲如常。早く御葬禮あるべきは、御名殘をおしみかなしむ奉輩の老若貴賤までもおほしといへ共、御遺言にまかすればちからなし。 (二二三) 一 廿六日朝御堂へ御遺言にて出し奉る。日比のよしみなれば、各に見えたくもあり、又各もおもふらんとの御遺言なり。常の御出立にて御衣・袈裟めされ、木念珠にて助老をつかせ給て曲祿にめさせて、丹後兄弟・慶聞坊以下かき出し奉て、開山上人の御右南の方に竝をき奉るに、兄弟中も各御供申て出にける。平生の御顏色は一向に大きに各別におはしますが、今日はたゞ開山聖人と同御顏形なり、不思議の事共也。倂親鸞上人の再誕にてましますと云事、いまあきらかにあらはさる事なり。諸萬人見たてまつり、各【開山聖人の御そばにかき寄奉るに彼聖人の後身と申事は必定とぞあらはれ給ふ】淚をながし、まろびたふれかさなりて、なきかなしめる有樣、見るに【(肝)】氣もゝつぶるゝ體也。 さて諸人この奇特を見奉て、彌御勸化の所ありがたく、聖人の御勸化と、ひとしく諸人申あはれ侍りき。其後やがて御かへりましまして、各こしらへ出て、御闍維の時剋は午時なり。供奉の僧衆、その外數萬人群集せり。Ⅴ-0902道中の時念佛常ならず殊勝にて、聲佛事をなせるよそほひ、諸萬人淚にむせびけり。かくて一片の煙となし奉る。煙の中に白鷺おほく充滿し、舞あそぶ。白蛇も煙にまじりとびめぐる。しかしながら煙にまじり、來生のたよりとせんとおもふ歟とみえたり。又は愁傷くの心なる歟と、皆人申あへり。空花は雪のふるがごとし。紫雲は日光のめぐりに五色なり。天より降蓮花の廻り大きさ一尺あまりと云。前代も未聞、奇代不思議のよそほひなり。又大坂の御堂の上へにも降下る蓮花は、なを大きに廻り二尺餘なりといふ。兩所ともに一七ケ日の間、空華も紫雲もやまず、奇代の妙義の御葬所の本なり。歸りては三七日までの御中陰なり。他門・他家の人々も見まいらせて、隨喜感歎かぎりなし。 (二二四) 一 又西の山へ泉涌寺の長老、其外僧衆十餘人あがりて、山科野村の體を見、紫雲のたち空花のふりたなびく體を拜見し、奇代の事なりと感じつゝ、本願寺上人はたゞ人にてはあらずとぞ甘勢せられける。權者明匠の入滅の時はいづれもかくこそ有つれと、同道の衆には申されけり。其時長老、衆僧にかたられけるは、今度越後國より上洛せし人の語けるは、この度本願寺の上人は彼の宗の開山親鸞聖人の化身なりと申されき。彼寺の長老はしかるべき仁にて、聞えありたる人にて候が、事外先師上人の事をば一段執し申されし人にて候ける。 (二二五) 一 御拾骨は廿七日【夕歟】朝、各兄弟中ひろい被申ける。常々不【精の】常の匂ある習なるに、さもなく、結句かふばしさ彌不思議なり。廿七日より御中陰始るW別紙注之R。四月十七日結願日、御堂勤行の後、御亭中陰間として經一卷後勤行あり。御往生の間の勤行まで三ケ度づゝの行事也。諸家より香典、諸宗の誦䛵・願文・諸經、御弔諸Ⅴ-0903萬人群集かぎりなき事也。 山科の御坊は文明九年御建立、享祿三【七月廿四日歟】年に炎上、只五十年の間繁昌あり。 大坂の御坊は明應五年に御建立、天正八年八月二日炎上、八十五年の間也。 天正八年九月中旬淸書之 苾蒭釋實悟W八十九歲R (花押)書之