Ⅴ-0773蓮如上人仰條々連々聞書 條々目錄 (一)一 本尊正敎之事 (二)一 他流當流繪像・木像依用事 (三)一 蓮【如】―上人御勸化萬被略之事 (四)一 蓮悟に小名號被遊與時之仰事 (五)一 御勸化は別儀なき事 (六)一 佛法も勤の體たらくの事 (七)一 依人機御勸化あるの事 (八)一 人の心得直るを御悅喜の事 (九)一 人の機をくつろげて御勸化事 (十)一 天王寺土塔會人多被御覽て仰事 (一一)一 同行の直をば無事也共可請乞事 (一二)一 法敬坊被申同行の詞事 (一三)一 仰云爲佛法には御辛勞共不思召事 (一四)一 雖爲正儀しげからんこと可停止事 (一五)一 佛にも神にも馴ほど無敬事 (一六)一 可被立佛法御念力の事 (一七)一 佛說に信謗ありとゝけるに無疑事 (一八)一 同行の前にての悅は名聞事 (一九)一 法敬坊物語云志の深き人事 (二十)一 存覺上人御作分物之不審事 (二一)一 開山聖人御時の事を伺被申事 (二二)一 慶聞坊に被仰ける戒文事 (二三)一 敵陣の火を見て可見火との事 (二四)一 無紋の小袖など御嫌の事 Ⅴ-0774(二五)一 有紋小袖上下等御用意事 (二六)一 往生は一人一人しのぎの事 (二七)一 各機を曖申處に御勸化事 (二八)一 おどろかす甲斐の雀の歌事 (二九)一 信の上の稱名はみな佛恩報謝の事 (卅)一 念佛御申の心を法敬に御尋事 (三一)一 西國の人安心被申時の仰事 (三二)一 人を惡きと仰は信のなき事 (三三)一 よき事も惡きになる事 (三四)一 人の物を出す時可心得事 (三五)一 佛法の座にて物を不云は惡事 (三六)一 金森の從善被申事 (三七)一 從善被申儀御物語事 (三八)一 同善野村儀被申段御物語事 (三九)一 蓮【(如)】―上人何方御座候共不知事 (四十)一 同上人廿五年忌に實如御夢想事 (四一)一 瞻西上人の攝取不捨の告事 (四二)一 冥加を蓮淳・蓮悟尋申御返事 (四三)一 蓮悟杉原を取時の仰事 (四四)一 兄弟中其外信のなきこと御歎事 (四五)一 法敬坊の妻女信のなき段被申事 (四六)一 不審と不信との差別事 (四七)一 善如・綽如上人兩御代事 (四八)一 佛法をば幾度もよく可聽と云事 (四九)一 佛物を世上事につかふ覺悟事 (五十)一 人が信をだにとらば可有御辛勞との事 (五一)一 名號を被遊人に被遣時事 (五二)一 惡人を御勘氣ありても御赦免の事 (五三)一 安藝の法眼御赦免事 (五四)一 奧州に當流の儀申亂人事 (五五)一 御一期は人に信を取せ可被立法流御存分の事 (五六)一 御詠歌は爲法門との被仰事 Ⅴ-0775(五七)一 法敬坊に兄弟よと被仰の事 (五八)一 極樂にまいるは推量に違事 (五九)一 蓮悟夢想に連經の事 (六十)一 同夢想「御文」事 (六一)一 同夢想に家をば麤相成共可取信由の仰事 (六二)一 同夢想に雜行雜修堅く被仰事 (六三)一 同夢想に一大事との仰られ事 (六四)一 同次夜夢想「御文」を肝要と被仰事 (六五)一 同行をば可敬の事 (六六)一 勤かるがると可申と常々仰事 (六七)一 賀州御門弟依將軍家仰御勘氣事 (六八)一 法物を與他人心もちの事 (六九)一 法敬は御往生已後可有存命との被仰事 (七十)一 御食物の時御恩を無御忘間物味無御覺事 (七一)一 無用の事無冥加子細の事 (七二)一 蓮悟夢想に梅干のたとへの事 (七三)一 同御病中御夢想存如上人仰の事 (七四)一 對蓮淳・蓮悟御心中を御物語の事 (七五)一 『嘆德文』に開山の御名を直に不讀申事A幷以のB字事C (七六)一 於堺「御文」被讀聞事 (七七)一 死せよと云死ぬるは有べし、信は取がたしと被仰事 (七八)一 祕事祕曲共可云事 (七九)一 普請造作を法敬被感申時御返事 (八十)一 趣前國名號の燒て成佛事 (八一)一 出口の御廚石見申詞を御感の事 (八二)一 鳥さしの狂言御感の事 (八三)一 開山聖人の仰を守申さるゝ高田坊主顯智の事 Ⅴ-0776(八四)一 仰を守被申嶋田の唯道事 (八五)一 蓮如上人御母儀事 (八六)一 同上人東山の邊御居住の事 (八七)一 金杜從善大谷殿へ馳走の事[幷]慶聞坊事 (八八)一 其比大谷殿御不辨御居住事 (八九)一 大谷殿儀山門同心連暑の事 (九十)一 蓮【(如)】―上人御隱居等の事[幷]御修行の事 (九一)一 同御病中御口内御煩の事 (九二)一 法敬坊の物語予慥物語分註之事 (九三)一 慶聞坊龍玄事 (九四)一 聖人御流は安心の儀被仰立子細之事 (九五)一 人々信心一人成共可在決定御滿足の事 (九六)一 行前計見不見足下の仰事 (九七)一 何事も仰は可成と可存事 (九八)一 佛法は聽聞にきはまる事 (九九)一 望このむ心肝要事 (百)一 人惡き事能成事ある事 (一〇一)一 可改心は色を立きはを立よとの仰事 (一〇二)一 佛法の座にて不物云不信の故なる事 (一〇三)一 詞にも悟の樣なる儀は惡き事 (一〇四)一 人の法を悅聞ては猶悅べき事 (一〇五)一 人に「御文」をよみ聽聞させ申も報謝事 (一〇六)一 ぬれたる物の日に干たるにて知他力心事 (一〇七)一 決定心の人たふとむは催佛智よる事 (一〇八)一 物を被下近付られて得信致報謝の事 (一〇九)一 心得たると思ふは不心得の事 (百十)一 願正の坊主蓮智信なきを被申入の事 (一一一)一 或人法敬坊に心得の通被申出の事 (一一二)一 法敬坊順誓於御前法儀方は申よき由被申事 (一一三)一 信を得てはさのみ惡事不可有の事 (一一四)一 佛法者の上にも違は有べき事 (一一五)一 佛恩の嗜と云子細事 Ⅴ-0777(一一六)一 珍物を調て不食のたとへの事 (一一七)一 彌陀の慈悲にあくべき儀なき事 (一一八)一 法には身を輕く持御恩をば重く可敬事 (一一九)一 佛法の威力といふ事 (百廿)一 南无阿彌陀佛の主に成れと被仰たる事 (一二一)一 思案の項上と被仰事 (一二二)一 僞はいはじよき事はすべきと嗜事 (一二三)一 『安心決定抄』被御覽事 (一二四)一 たふとむ人よりたふときと云事 (一二五)一 御食物等御用を成るゝ時の事 (一二六)一 佛法にすかざるは嫌也と被仰事 (一二七)一 不法の人佛法を病とする事 (一二八)一 法をばふかく心に可懸事 (一二九)一 聽聞は每度寶を給ると存ずる由事 (百卅)一 身あたゝかなれば法を忘るゝ由被仰事 (一三一)一 信あらば心詞柔輭なるべきの事 (一三二)一 善も惡も思付るは御恩と被仰事 (一三三)一 人の進上物御衣の下にて被拜奉御用事 (一三四)一 萬のかなしき事も御恩と御悅事 (一三五)一 佛法者に近付ては損なき事 (一三六)一 蓮如上人は權化再誕と云事 (一三七)一 蓮【(如)】―上人就「御文」實如上人へ御申段事 (一三八)一 佛法方萬かるがると可有之との被仰事 (一三九)一 佛法と世體とは嗜によると云事 (百四十)一 親の遺物をば取て佛法を可信との被仰事 (一四一)一 信をえずして悅ばんと云は全なき事 (一四二)一 本寺をば開山聖人の御座所可奉敬事 (一四三)一 辛勞もせで取德と云儀についての事 Ⅴ-0778(一四四)一 我よきになれば御恩を忘るゝ事 (一四五)一 宿善ありがたしと可云事 (一四六)一 他流は法にあふを宿縁と云事 (一四七)一 當流には信心の一儀を申立るを法門と云事 (一四八)一 眞宗一流の内に法を謗ずる人の事 (一四九)一 愚者三人智者一人と云事 (百五十)一 『安心決定抄』の儀肝要と被仰事 (一五一)一 佛恩をありがたしと可存之事 (一五二)一 家を作らば只頭だにぬれずはの仰事 (一五三)一 當流に奉公する身は有がたき事 (一五四)一 坊主達我身を敎化せぬは淺間敷事 (一五五)一 道宗に「御文」は取落の儀ありとの仰事 (一五六)一 法敬坊於佛法者前語り申は力在と被申事 (一五七)一 不信の人に大事聖敎は如何之仰事 (一五八)一 懸字をば可懸見之由仰事 (一五九)一 是にある身は取はづして可成佛由仰事 (百六十)一 高田顯智守聖人の仰被申事 (一六一)一 門徒の人を惡ろくは不可申の事 (一六二)一 開山御時御門徒を客人と被仰事 (一六三)一 蓮【(如)】―上人は遠國の衆に御見參の時肴酒等具被仰付事 (一六四)一 蓮【(如)】―上人關東御修行之儀被仰事 (一六五)一 惡人のまねより信心の人のまねすべき事 (一六六)一 存覺上人は勢至の化身と云事 (一六七)一 存覺御作は聖人の御作を仰崇事 (一六八)一 同辭世御詠歌事 (一六九)一 陽陰の氣のたとへ宿善の事 (百七十)一 蓮【(如)】―上人紙切にて被仰冥加儀事 (一七一)一 御病中の間金言被仰事 (一七二)一 同時慶聞坊に被仰事 (一七三)一 經の上不置物事 (一七四)一 同常々仰十惡・五逆も廻心の事 Ⅴ-0779(一七五)一 山科の御坊にて板屋をたゝき被上ての仰事 (一七六)一 信心決定年月日忘たる事 (一七七)一 善宗A下間駿河B入道C事 (一七八)一 赤尾道宗事[幷]蓮【(如)】―光明事 (一七九)一 蓮【(如)】―上人光明事 (百八十)一 於吉崎御坊幸子坊被申入事 (一八一)一 幸子坊與法敬坊於相坂申事 (一八二)一 百四十文御志申女性事 (一八三)一 同上人極寒御衣裳被召替事 (一八四)一 於江州金森同上人軍勢中被通事 (一八五)一 本泉寺蓮乘と妹壽尊比丘尼事 (一八六)一 同蓮乘進退事 (一八七)一 順如上人之事 (一八八)一 蓮【(如)】―上人御法談間被詠事 (一八九)一 同上人御往生兼被知召事 (百九十)一 信心決定一念儀蓮悟被得御意事 (一九一)一 予夢想事 (一九二)一 師匠の折檻は可直心得との事 (一九三)一 本泉寺勝如禪尼事 (一九四)一 東山本願寺御坊事 (一九五)一 實如上人多武峯御參詣事 (一九六)一 實如上人御骨變五色事 (一九七)一 實如御往生時人々捨身事 (一九八)一 蓮【(如)】―上人御往生時自害人事 (一九九)一 蓮【(如)】―上人の時 旦國人參事 (二百)一 同上人朝夕御あやまちをも驚思食事 (二〇一)一 春日局後生事 (二〇二)一 深草淨西寺後生事 Ⅴ-0780(二〇三)一 邪法申人不及殺害事 (二〇四)一 實如上人御時御内仁等無殺害事 (二〇五)一 蓮【(如)】―御時江州志人風吹夜繩事 (二〇六)一 同國の人小石取持事 (二〇七)一 同州人々奉菜事 條々連々聞書 一卷 隱倫兼俊 (一) 一 蓮【如】―上人仰られ候ひしは、本尊は掛やぶれ、聖敎はよみやぶれと、對句に仰られ候。 (二) 一 他流には、名號よりは繪像、繪像よりは木像と云也。當流には、木像よりは繪像、繪像よりは名號と云也。 (三) 一 北殿A御本寺 B野村御坊Cにて法敬坊に對せられ蓮【(如)】―上人被仰候は、我は何事も何事も當機をかゞみ被思食、十ある物は一にするやうに、かるがるとして理のやがて叶樣にする也。是を人が勘へぬと仰られ候。「御文」等をもⅤ-0781近年は御ことばすくなにあそばされ候。今は物を聞内にも退啒し、物を聞おとす間、肝要の事をやがてしり候やうにあそばされ候の由仰られ候。 (四) 一 法印兼縁A本泉寺B蓮悟C幼少の時、二俣にてあまた小名號を申入し時、信心をやるぞやるぞと被仰候。信心の體名號にて候よし被仰侍りし也。今思合候との義に候し。 (五) 一 蓮【如】―上人より御相續の義は別義なき也。只彌陀をたのむ一念之儀より外は別儀なく候。是より外は御存知なく候。いかやうの御誓言もあるべき由被仰侍りし。 (六) 一 同上人被仰候は、佛法は勤にてしれ、ふしはかせもしらで能すると思ふ也。つとめのふしわろきよきを被仰、慶聞坊をいつも取つめ被仰候つる由候。それに付て蓮【(如)】―上人被仰候。一向にわろき人はちがひなどゝ云事もしらず。たゞわろきまで也。惡き共仰事なき也。法義をも心にかけ、ちと心得もある上のちがひが、事の外の違也と被仰之由候也。 (七) 一 又仰に云、我は人の機をかゞみ、人に隨て佛法を御きかせ候由被仰候。何事にも人の數奇なる事をなど申させられ、嬉しと存候處にて、又佛法の事を被仰聞候き。色々に御方便ありて、人に法を御きかせ候事に候つる也。 (八) 一 ある人に御尋候しは、そなたの坊主は、心得のなⅤ-0782をりたるを嬉く存ずる歟と御尋候へば、申されたるは、誠に心得をなをされ、法儀をも心にかけ申され候間、一段ありがたく嬉敷存候由申され候時被仰候は、我は猶嬉敷思ふよと被仰候き。 (九) 一 おかしき事の能をもさせられ、佛法に退屈仕候者の心もくつろぎ、其氣をもうしなはれて、又あたらしく佛法を被仰候き。寔に善巧方便にて、難有事なり。 (十) 一 天王寺の土塔會に、人の多きを御覽ぜられて被仰候しは、あれほど多き人どもの皆地獄へおつべし、不便のことゝ思食さるゝ也。されどもその中に御門徒の人は佛になるべし、難在事也と被仰し也。 (一一) 一 同行のたとひなき事也とも、人の申され直され候事候はゞ、當座には領掌すべし。當座に詞を返すは惡也。ふたゝびと人の云ざる也。人の云事をば只ふかく心用すべき也。是に付て或人、相互に惡事をば申すべしと、契約候し處に、則或人あしき樣なる事ありければ、同行の聞付て申されければ、我は左樣に存候つれ共、人申す間左樣に仕候と申されき。此返答は惡との事に候。さなき事なりとも、同行の申され候はゞ、當座は尤と可申と也。 (一二) 一 法敬坊順誓申されけるは、常には其人の前にてはいはずして、隱にて後ごとをいふ事とて、尋常の人は腹立する事也。されども我等がわるき事あらば、後ごとになりといはれ候へ、惡事あらばいはれて直したしなむべしと也。只我惡きことをばいはれて、心中をなをすべき由ありし也。すぐれたる心もちにて侍りし也。 (一三) 一 蓮【如】―上人被仰候は、佛法のためと思食候へば、何Ⅴ-0783たる御辛勞をも御辛勞とは思食れぬ由被仰候。御心まめにて、何事も御沙汰候の由被候也。 (一四) 一 又仰に、假令正儀たりとも、しげからん事をば停止すべき由の仰事なり。これは佛法方に付ての儀也。まして世間の儀は停止候はんずる也。彌增長すべきは信心なりと被仰候し也。 (一五) 一 又云、神にも佛にも、馴れば手ですべき事を足にてするぞと、常々被仰候。如來・聖人・善知識にも馴申す程ぞ心やすく思ひて、聊爾麤相に存ずる也。馴申ほど彌渴仰の心をふかくはこぶべき事なりと被仰し事也。 (一六) 一 蓮【如】―上人御病中に被仰しは、御一代に佛法を是非ともに御再興あらんと思召たる御念力一にて、加樣に今まで皆々心安くある事は、此法師が冥加に叶ふによりての事なりと、御自證ありし事也。 (一七) 一 佛說に信謗あるべき由說をき給へり。信ずる者ばかりにて謗人なくは、ときをき給ふ事いかゞと思ふべきに、はや謗ずるもの有うへは、信ぜんにをひては必ず往生決定との仰せなり。[『歎異抄』見歟] (一八) 一 同行の前にて悅は、是名聞也。信の上には一人居て悅べき也。 (一九) 一 法敬坊の物語云、或人人々寄合、雜談ありし半に、或人風度座を立ける人ありし。【開山歟親【(鸞)】―歟】聖人いかにと仰られけⅤ-0784れば、一大事の急用ありとてたゝれけり。其後、前日はいかに風度御立候やと問申されければ、佛法の物語を約束申たる間、あるもあられずして罷り立たると申されけり。佛法に志あらば、加樣にぞ心がけの有べき事ぞと物語なりける。 (二十) 一 野村の御坊南殿にて存覺上人御作分の物の聖敎の内に不審の義理の事ありて、蓮悟[本泉寺]蓮【(如)】―上人へ伺申されければ、蓮【如】―上人仰られけるは、名人のせられける物は相違したる事あれども、其まゝ置事也。是が名譽の事也と仰られけり。 (二一) 一 又或人申されけるは、開山鸞聖人の御時の事を伺て、是はいかにとしたる子細候やと申されければ、仰に、我も不知事也。何事も何事もしらぬ事も、開山聖人させられ候の儀は、是も不審のやうなる事も其まゝをかれ候事也と、蓮【(如)】―上人被仰し事也。 (二二) 一 蓮【(如)】―上人御病中には、度々慶聞坊龍玄に被仰事あり。「【俗ばく歟】賊□の比丘は王遊に繫を脫、乞食の沙門は鵝珠を死後にあらはす」と云戒文ありと、たびたび仰られ候由被申候し也。これは、御滅後に不思議をあらはさるべきとの仰也と侍りし也。 (二三) 一 敵の陣にともす火を、火にてなきとは思はず。いかなる人なりとも、御詞のとほりを申、御詞をよみ申さば、信仰し、うけたまはる人は信をうべき事なりと[云々]。 (二四) 一 又云、蓮【(如)】―上人、無紋の物を著する事を御きらひ也。殊勝さうにみゆるとの仰也。又衣の墨の黑きも御きらひ也。黑き衣をきて御前にまいれば、仰に、衣文Ⅴ-0785たゞしき殊勝の御僧の御出候とぞ被仰、いやいや我は殊勝にもなし、たゞ彌陀の本願こそ殊勝に候なれと被仰也。 (二五) 一 又紋のある御小袖をさせられ、めさるべきとて御座敷のさほに被懸て【御往生の春の事也】被置候しなり。又奧こうの上下をも一具させられ、同さほにかけられをかるゝ也。是もめさるべきとの儀にて侍りし也。終にめされずして各に見られ候き。 (二六) 一 往生は一人一人の【仕退歟】しのぎ也。一人一人佛法を信じて後生をたすかる事也。餘所ごとの樣に思ふこと思へば、我身をしらぬ事也と被仰也。圓如も此儀常々仰也。 (二七) 一 南殿にて人々寄合、心中を何かとあつかひ申所へ、蓮【(如)】―上人御出ありて、何事を云ぞ、たゞ何事の扱もなく一心に彌陀をうたがひなくたのむばかりにて、往生は佛の御かたより定ましますぞ。其支證は南無阿彌陀佛よ。此上は何事をあつかふべきぞと被仰候也。不審などを申にも、多事を只御一言にてはらりと不審もはれ申事にて侍りき。 (二八) 一 仰に又曰、「おどろかす甲斐こそなけれむら雀 耳なれぬればなるこにぞ【の〈イ〉】ゐる」、此歌を常々引かせられ被仰て、只人は耳なれ雀なり、おどろかぬ心あさましゝとの仰也。 Ⅴ-0786(二九) 一 或人南殿にて起ざまに、何心なく念佛を申されければ、きこしめされて、何と思て念佛をば申たるぞと御尋ありければ、ふと何となく申たると申ければ、仰云、信のうへには何ともあれ、念佛申すは報謝となるなりと存ずべし。皆佛恩になる也と仰也。 (卅) 一 同南殿にてのうれんを打あげられて御出候とて、南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛と被仰候て、法敬は此心しりたる歟と御尋ありければ、何とも存ぜずと申されければ、是は我を御たすけ候、御嬉しやたふとやと申す心よと仰事ありき。 (三一) 一 又西國の人、安心の一とおりを被申入ければ、御返事に申され候ごとく心中候はゞ、それが肝要よと被仰侍りき。 (三二) 一 又信をとらぬによりて人はわろきぞ。たゞ信をとれと被仰候き。善知識のわろきと被仰候は、信のなき事をわろきと被仰也。或人を、蓮【(如)】―上人、言語道斷わろきと被仰候處に、其人申されて云、何事も御意のごとくと存候と申され候へば、被仰云、ふつとふつとわろき也、信のなきは惡き也と被仰侍りき。 (三三) 一 又仰云、よき事をしたるがわろき事あり、わろき事をしたるがよき事あり。よき事をしても、我は法儀に付て好事をしたると思ひ、我と思心あれば惡き也。あしき事をしても、心中をひるがへし本願に歸すれば、わろき事したるがよき道理になる由被仰侍りき。又云、まいらせ心がわろき也と被仰候き。 (三四) 一 又仰云、思よらぬ人が分に過て物を出し候はゞ、Ⅴ-0787一は子細あるべきと思べし。我心ならひに人に物を出せばうれしく思程に、何ぞ用を云べきと思ふ時は、人が左樣にする也と被仰き。 (三五) 一 世間の物語ある座敷にては、結句法儀の事を云事もあり。左樣の段は人なみたるべし。心には由斷あるべからず。又は佛法の讚談など云時、一向に物をいはざる事大なる違なり。佛法讚嘆とあらん時は、いかにも心中をのこさず、相ひ互に信不信の儀を、談合すべき事なりと仰事也。 (三六) 一 金森の從善に、或人申されけるは、此間は、さこそ徒然に御入候らんと申ければ、善申されしは、我身は八十に餘まで徒然と云事をしらず。その故は彌陀の御恩のありがたき程を存じ、又和讚・聖敎等を拜見申候へば、心面白し、又たふとき事充滿するゆへに、徒然なることを更に不知と申されき。 (三七) 一 從善申され候とて、蓮【(如)】―上人仰られ候しは、或人、善の宿所へ行けるに、履も【ぬぎ歟】服候はぬに、佛法の事申かけられ候ひぬ。或人申され候は、履をさへぬがれぬに、いそぎ加樣には何とて仰候ぞと、人の申されければ、善の申されけるは、出る息は入をまたぬ浮世なり、若履ぬがぬ間に死去し候はゞ、如何候べきと申され候き。佛法の事をば、加樣にさし急げと被仰候き。 (三八) 一 蓮【(如)】―上人、善の事を被仰しは、いまだ野村の御坊、其沙汰もなき時に、神無森をとおり國へ下向の時、馬Ⅴ-0788より下られ候て、野村の方をさして、此とおりにて佛法がひらけ申すべしと申され候しと候き。或人の申事に、是は年よりて加樣の事を申され候など申ければ、終に御坊御建立ありて繁昌は不思議の事と仰られき。又從善は法然聖人の化身なりと、世上に人申つると、同被仰候き。彼往生は長享二年八月廿五日なり。齡も滿九十歲なりき。 (三九) 一 蓮【(如)】―上人、東山を御出ありて、何方に御座候とも、人不存候し比、【(従善)】善方々尋申されければ、有處にて御目にかゝられ候き。一段御迷惑の體にて候つる間、蓮【(如)】―上人にも定て善かなしみ申さるべきと思召れ候へば、善ほかと御目にかゝられ、あらありがたや、はや佛法はひらけ申べきよと申され候。終に此詞符合せり。善は不思儀の人也と、實如上人も度々被仰事侍りき。 (四十) 一 大永三年三月始比、蓮【(如)】―上人廿五年忌のころ、實如上人御夢想御覽候き。御堂の上檀の南の方、蓮【(如)】―上人御座候て、紫の御小袖をめされ、實如へ向まいらせられ被仰しは、佛法は讚嘆・談合に極たり。能々讚嘆すべき由、堅被仰けり。寔の御夢想なりき。然ばその年、殊讚嘆の儀を肝要と仰事ありき。佛法は一人居て悅法也。一人居てさへたふとし、まして二人ともありては彌ありがたかるべき事也。只佛法は寄合寄合讚嘆肝要と被仰事也。 (四一) 一 雲居寺の膽西上人といひし人は、攝取不捨の事を不知とて、本尊に向居てねぶり居て、驚き立んとせられしが、我衣のすそを本尊の阿彌陀御ふまへありて、立いでんとせしがさもせられざりければ、其時攝取不捨と云ことばさとりしられたりと、蓮【(如)】―上人御物語あⅤ-0789りし也。攝取と云は、にぐる者をとらへてをき給やうの事とぞ知られけると、御物語ありし事也。 (四二) 一 蓮【(如)】―上人御病中に、蓮淳[顯證寺]・蓮悟[本泉寺]御前にありて、ある時被申入候は、冥加と云ことは何と心得申べきと尋申入られければ、仰に、冥加に叶と云は、彌陀をたのむ事よと被仰侍りと[云々]。 (四三) 一 同上人御存生の時、和泉の堺にて椙原を皆々買德ありけるに、蓮悟も取侍りしを聞召て、加樣の物は我方にもある物を、無用の買事よと被仰の時、蓮悟、自物にて取申たると答申さるゝの處に、被仰けるは、それは我物か、悉く佛物也、如來・聖人の御用にもるゝ事有べからずとぞ被仰侍ける。 (四四) 一 蓮【(如)】―上人御病中に被仰けるは、御自身何事も思食のこさるゝ事なし。思召事の不成といふ事なき也。それにつきて御往生ありとも、御身には思食殘さるゝ事なし。但兄弟中、その外誰々も信のなきをかなしく思食候。世間にはよみぢのさはりと云事あり。たゞ信のなき事、これを歎き思召候よしを被仰候と也。 (四五) 一 法敬坊に、或人不審せらるゝ事候き。是程佛法に御心をも入られ候に、法敬坊の尼御前の不信なるは、いかゞの儀候の由人のいはれて候へば、法敬坊申され候は、不審はさることなれども、これほど朝夕「御文」をよみきかせ申候に、おどろかぬ心中は、何とて法敬が申分にて聞入候べきと申されきと[云々]。 Ⅴ-0790(四六) 一 蓮【(如)】―上人被仰しは、不審と云と一向しらぬ事とは各別也。知らぬことを不審と云は、いはれなく候。物を分別して、あれはなにと、是はいかゞと云やうなるは不審にて候。子細も知らずしてあるを、不審と云はわろし、まぎらかし云はしかるべからず候とぞ仰らる。 (四七) 一 善如上人・綽如上人兩御代の事、蓮【(如)】―上人被仰候は、兩御代は威儀を本に御沙汰候ひしと被仰。然者、今に御影二幅御座候。黃袈裟と黃衣にて候。然ば蓮【(如)】―上人の御時、あまた當流にそむきたる本尊已下、風呂のたびごとにやかせられ候。此二幅の御影をも燒せらるべきにて被取出候つるが、いかゞ思食召つるやらん、表紙に書付を、よし・わろしとあそばされて、取て置せられ候事を今思案候へば、御代の内さへ加樣に御違候。ましていはんや我等式者は違事而已あるべき間、一大事と存じつゝしめとの御事と今思食あはせらるゝ由の仰事なり。又よし・わろしとあそばされ候事、惡と計あそばされ候へば、先代の御事にて候を左候へば、いかゞと被思召、加樣にあそばされ候事にて候と被仰けると也。又前々住上人の御時、あまた直近の旁ちがひ申事候し。彌一大事の儀候。佛法方の事をば、心をとゞめて細々人にとひ申心得べきの由被仰事に候き。 (四八) 一 佛法に厭足なければ、法の不思議を聞といへり[文字いかん]。同上人の仰云、たとへば世上に我數奇このむ事をば知ても知ても、猶能しり度おもひ有て、人に問、いく度も數奇の道をば聞もの也。猶佛法の事をば幾度きゝてもあかぬ事也。知ても知ても存じたき事也。佛法の道をば、たびたび人に問きはめ增信すべき事なる由被仰也。 Ⅴ-0791(四九) 一 世間へつかふ事は、佛物を徒にする事よと、おそろしく思ふべし。さりながら佛法の方へはいか程も物をあかぬ道理なり。それは又報謝にも成べしと也。 (五十) 一 堺にて蓮【(如)】―上人へ蓮悟、「御文」を被申候時被仰云、年も寄候に、むつかしき事を云よと被仰候て、後に被仰候は、佛法だに信ぜば、いか程なりともあそばしてたまはるべきよしを被仰侍りし也と[云々]。 (五一) 一 同堺の御坊に蓮【(如)】―上人、夜更て蠟燭をともされ、名號を遊ばされき。其時被仰けるは、老體にて手もふるひ、目もかすみ候へども、明日越中へ下と候程に、加樣に被遊候。一日も堪忍失墮にて候べき間、御辛勞をかへりみられず、人に苦勞をもさせ候はで、信をとらせたく思食候由被仰候き。 (五二) 一 蓮如上人は、何たる者もあはれみ給、不便に被思食候。大罪人とて人をころし候事、一段御かなしみ御哀にて候し。存命もあらば心中をなをすべしと被仰候て、御勘氣候ても、心中だにもなをり候へば、やがて御宥免ありき。 (五三) 一 安藝法眼蓮崇、加賀國をくつがへし、曲言に就て、御門徒をはなされ候。蓮【(如)】―上人御病中に、寺内へのぼり御侘言を申され候へども、取次人もなく侍りし。其折節に、蓮【(如)】―上人風圖仰出され、安藝をなをさうと思ふよと被仰侍りき。兄弟中各被申事には、一度佛法にⅤ-0792あだをなし申人にて候へば、いかゞと被申候へば、被仰事には、それよ、淺間敷事を云よ。心中だになをらば、何たる者なりとも、なをすが規模なり。惡人をたすけまします彌陀の本願の御意趣なりと被仰き。各さゝへ申度心中にて侍しか共、有所をも尋出して可召出の由、しきりに仰事ありしかば、召出されて御赦免ありき。御前へ被參て感淚をながし、前後をも亡ぜらるゝ程の體にてぞ侍りき。然ばありがたき氣縁にて侍とぞ、各被申ける。三月廿五日に御往生ありけるに、やがて御中陰の初つかた三月廿八日やらんに蓮崇往生あり、不思議なりし事共也。宿善の程可申やうもなき難有事也。 (五四) 一 奧州に御流の儀を申まぎらかされ候人を聞召れて、蓮【(如)】―上人、奧州の淨祐を御覽ぜられ、以外に御腹立ありて、さてさて開山聖人の御流を申亂す事の淺間敷さよと被仰て、御齒をくゐしめられて、さて切きざみてもあくかよあくかよと被仰候て、佛法を申亂す者をば、一段淺間敷咎よと被仰けり。 (五五) 一 又仰云、御身の一生涯御沙汰候事は、皆々佛法にて、御方便の御調法のみにて侍りて、人に信をとらせらるべき御はかりごとばかり也と被仰事也。 (五六) 一 同御病中に被仰て云、今我云ことは金言也。かまへてかまへて、能々意得よと被仰き。又御詠歌の事は、卅一字につゞくるにてこそあれ。是みな法門にてあるぞと仰有けり。 (五七) 一 又順誓に對し被仰事には、法敬とは兄弟よと仰られけり。法敬坊被申事には、是は冥加もなき御事と被申侍れば、蓮【(如)】―上人仰には、信をえつれば、前に生るゝⅤ-0793者は兄、後に生るゝ者は弟よ。法敬とは兄弟よと仰られけると[云々]。「信心を一同にうれば、四海皆兄弟よ」(論註*卷下意)と曇鸞和尙の要文を被仰ける也。 (五八) 一 又南殿の山水の庭の縁の牀の上にて各へ被仰事には、物を思ひたるより大きにちがうと云は、極樂へ參りての事也。爰にて推量しつゝありがたやたふとやと思ふには、物の數にてもなし。彼土に生じての歡喜は、ことのはもたえたる事よと被仰し事也。尤さこそと難在事也。 (五九) 一 文龜三年正月十五日の夜、蓮悟[本泉寺]夢に蓮【(如)】―上人に向奉て侍りしに被仰云、徒にある事あさましく思召候へば、稽古かたがたに、せめて經を一卷、日に一度、寄合みなみなよみ申せと被仰、世上に空く月日を送る事を悲く思召ゆへと被仰と見奉られければ、それより夏九旬の比まで、日に一卷連經をよませらるゝ也と[云々]。 (六十) 一 同夢云、同年極月廿八日夜、蓮【(如)】―上人、御衣・袈裟にて兩の障子をあけられ御出の間、御法談を聽聞申べき心にて候處に、つい立障子の樣なる物に、「御文」の詞のあるをよみ申と覺えしを御覽候て、それは何ぞと御尋候間、「御文」にて候由申入候へば、それこそ肝要よ、能信仰してきけよと被仰けりと[云々]。 (六一) 一 又翌年極月廿九日夜の夢に云、蓮【(如)】―上人被仰云、家をば能作らで、おかしくとも信心をよくとりて念佛Ⅴ-0794申すべき由を、堅被仰と見侍りきと[云々]。 (六二) 一 又夢に云、近年、大永三年正月朔日夜、野村の御坊南殿にて蓮如上人仰云、佛法の事種々被仰候て後に、田舍には雜行雜修の方を、堅申付べしと被仰と覺侍りしと[云々]。(六三) 一 同夢云、大永六年正月五日夜、蓮【(如)】―上人被仰云、一大事にて候。今の時分がよき時にて候。爰を取はづしては一大事と被仰候を、畏たりと御請申候へば、只其畏たりと云にては成候まじく候。唯一大事にて候由被仰と覺侍りき。 (六四) 一 次の夜の夢に云、蓮【(如)】―上人仰事には蓮誓に仰候。吉崎にて當流の肝要の事を習候つるに、一流の依用なき聖敎なんどを廣く見て、當流をひがざまにとりなし候事にて候。幸に肝要を拔候聖敎候。是が一流の極祕なりと、吉崎にて蓮【(如)】―上人え習申候と、蓮誓A光闡坊B光敎寺也Cにも被仰しと見侍りきと[云云]。 私曰、加樣に夢等をしるす事、蓮如上人御逝去の後なれば、彼御一言をも大切に存候へば、加樣に注之申也。夢想に告被仰事の金言なるあまり、まことの仰と存ずる條、是を注侍り。誠の夢想とは如此の條々也。總別忘想なりけれど、權者の御覽ずる儀と、如此又權者の御告は靈夢とも瑞夢とも申べし。加樣に權者の被告知ところの夢想、幾度も可注置事也。[此六ケ條蓮悟被注置候事を書付侍る也] (六五) 一 蓮【(如)】―上人仰云、佛法の讚嘆の時、同行をかたがたと申は平外なり。御方々と申べき由被仰けり。 (六六) 一 同仰云、雨雪もふり、又炎天の時分は、勤などⅤ-0795長々敷は不可然、はやくかるがると仕て、人をたゝせ候が能候由被仰けり。是も御慈悲にて侍るなり。又常々の仰には、御身は人にしたがはれて、佛法を御すゝめ候と被仰候きなり。御門弟の身として如御意ならざること、中々淺間敷事ども、申もをろかなる儀也。 (六七) 一 將軍家常德院殿[義尙]よりの儀にて、賀州一國の一揆等、御門弟の衆を御門徒を放さるべき由、度々仰事ありきA文明四B之比C。賀州居住兄弟中も召上られき。蓮【如】―上人被仰事には、賀州内の御門弟を可被放之由仰出され候事、御身をきらるゝよりもかなしく被思食之由仰事ありき。何事も知らざる尼入道の類の事迄も思食され候へば、何とも御迷惑此事に極候由被仰侍りき。御門徒をはなさるゝと申事は、善知識の御上にては一段御迷惑に、かなしく被思食事にて候由被仰たる事に候。 (六八) 一 蓮【(如)】―上人被仰て云、御門徒衆はじめて物をまいらせ候を、他宗の人に被出候儀惡候。一度も二度も御受用ありて、後は可然の由被仰候。如此の子細は存知もよらぬ事にて候。彌佛法の御用、御恩をばをろそかに不可存事にて候。驚入存事也。 (六九) 一 法敬坊、大坂の御坊へ被參候處、蓮【(如)】―上人被仰けるは、御往生ありとも、法敬は十年も生べしと被仰けり。然而何かと被申けれども、をし返、只いくべしと被仰つる也。されば御往生ありて一年も存命候つる時、或人云、蓮【(如)】―上人被仰しごとく存命候は、命を蓮【(如)】―上人より御あたへ候事にて候と、人の仰候つれば、誠にⅤ-0796さにて候とて、手を合、ありがたき由申され候き。それより後、蓮如上人仰のごとく、十年存命候。誠に冥加に叶はれ候つる不思議なる人にて候と[云云]。 (七十) 一 蓮【(如)】―上人は、物をきこしめし始てより、きこしめしはつるまで、如來・聖人の御恩を御忘なし。御膳を持てまいらるゝを御覽ぜらるゝより、はや御恩を思召出されてきこしめし候間、御忘なき間、御食物の鹽の一段とからきをも、又あまく鹽のなきをもきこしめし付られず侍りき。 (七一) 一 蓮【(如)】―上人は、每事に無用なることを仕候義、冥加なき由、何事に付ても被仰しと也。 (七二) 一 享祿二年十二月十八日の夜、蓮悟夢に、蓮【(如)】―上人、「御文」を遊下され候と見、其中の御詞に、梅干のたとへを遊され侍りき。梅干の事をいへば、皆人の口に一同にすし。一味の安心はか樣にかはるまじき也。「同一念佛無別道故」(論註*卷下)の文の心にて候つるやうにおぼえ侍るなりと物語候き。 (七三) 一 同蓮【(如)】―上人御病中に、正月廿四日に被仰しは、【存如上人】前住の早々我に乞と、左の御手にて御まねき候。あらありがたやと、くりかへしくりかへし被仰候て、御念佛御申候程に、各御心たがひ候てばし、加樣にも仰候歟と存候へば、その儀にてはなくして、御まどろみ候御夢に御覽ぜられ候由被仰候處にて、各安堵せしめ候き。是又あらたなる御告と、皆々申相候ける。 (七四) 一 同正月廿五日に、蓮淳[顯證寺]・蓮悟[本泉寺]兩人に對せられ被仰候は、前住存如上人より御代を讓被申てより以來の事共、種々被仰、御一身の御安心のとおりⅤ-0797を御物語ありけり。一念に彌陀をたのみ御申候て往生は一定と思召され候。それに付て、前住の御恩にて、今日まで我と思ふ心を持候はぬがうれしく候と被仰候き。各も誠に有がたくも、又は驚入申候き。我人、加樣に心得申てこそ、他力の信心決定申たるにてはあるべく候へ。彌一大事までの儀に候と申侍き。 (七五) 一 『嘆德の文』に、親鸞聖人と申せば、その恐あるゆへに、祖師聖人とよみ候。又は開山聖人ともよみ申も、をそれを存ずる子細にてありと被仰事侍りき。 唯聖人と直に申せば、聊爾なり。又親鸞と申も、聊爾歟。開山とは、略しては申べき歟との事に候。たゞ開山聖人と申てよく候との事にて候き。 『嘆德文』に、「以て弘誓に託す」と申ことを、「以て」を拔てよまず候と[云々]。A以の字近B繁と云心歟C (七六) 一 蓮【(如)】―上人、堺の御坊に御座の時、蓮淳參上の時、御堂にをひて卓の上に「御文」を被置て、一人二人、又五人十人の被參候人々に對し、「御文」よませられ候。其夜、蓮【(如)】―上人御物語の時仰られ候。此間、面白事を思出て候。堂にをひて一人なりとも來らん人にはよませてきかせ候へ、有縁の人は信をとるべし。此間、面白事を思案し出たると、くれぐれ被仰候。さて「御文」肝要の事と、彌しられ候との事に候。 (七七) 一 又仰云、只今なりとも、我、しねといはゞ、死ぬる者は有べく候。信をとる者はあるまじきと被仰候と[云々]。 Ⅴ-0798(七八) 一 同又仰云、大坂の御坊にての事也。各に對せられて被仰云、一念に凡夫の往生をとぐる事は祕事・祕曲にてはなき歟と被仰侍りしと[云々]。此信の御釋には「長生不死の神方、欣淨厭穢の妙術」(信卷)とのたまへり。聖人のたまへる也と被仰事。 (七九) 一 又普請・造作のありし時、法敬坊申され候は、何も不思議に、御眺望等も御上手に御座候由を申され候へば、蓮【(如)】―上人被仰事には、我は猶不思議なる事を知て候。凡夫の佛に成事をしりたるよとぞ仰られけるなり。 (八十) 一 蓮【(如)】―上人御存生の砌、越前國豐原寺の麓に【小黑歟】【在所名忘候】  申在所に、志の人、蓮如上人御筆の名號を所持す。然るに不慮に火事に屋を燒侍れば、名號も燒たり。かなしみ歎けれど甲斐もなし。あまりのかなしさに、燒たりける名號の灰を箱に入置たりしに、一夜にその灰三尊まで阿彌陀如來の金佛となる。各これを不思議と見奉て、このまゝ安置せんもいかゞとおもひて、持て上りて、蓮如上人へ上件の子細申上て、彼三尊あまりに不思議の由申上たりしに、御覽ぜられて、是は不思議にあらず、佛の御名なれば、燒て佛となるは更に不思議にあらず、凡夫の佛に成こそ不思議なれ、これは不思議にあらず、とくとく持て下るべしと被仰て、追下されけり。不思議に在がたき事とぞ、各申あひける。 (八一) 一 河内國出口村の坊は、御廚石見入道願人にてとり立たる坊、その外近所の坊々も、此石見光善こゝろざしの仁にてとり立らるゝ人也。その申さるゝ詞にいはく、頭に亂杭はふらるゝ共、佛法の御難はつかまつり候まじと申たりしを、蓮【如】―上人事の外に御感ありし詞Ⅴ-0799也とて、各物語候し也。常々又御襃美ありて、被仰出て侍りしと也。 (八二) 一 前住存如上人廿五年忌A文明B十三C山科にて御沙汰ありけり。御佛事一七日結願の已後に四日申樂の能ありし時、狂言にさい鳥さし鳥をさゝんと心に入ねらふ所に、或者來り衣裳を乞ければ、鳥に心を入るまゝに、身に著したる衣裳もみなみなぬぎてやり、腰の刀脇指もみなみなやりたるも覺ず、鳥さし鳥をにがしたるあげくに身のはだかなる事を思付て侍る。此狂言を二日めに仕りたるを蓮【(如)】―上人御感ありて三日めに又させられけり。是を後にも被仰出、鳥をさゝんと心にかけて、何も不覺不知は殊勝なりと仰られ、加樣に佛法に心を入てこそは佛には成べけれと被仰侍りし事也。 (八三) 一 【此段奧にあり此一行如何可被止歟】開山聖人は船きらひにて御座し也。舟には乘まじき物なりと被仰けり。然るを高田專修寺顯智仰をまもりて、都への上下にも舟に不被乘侍りし也。舟にてわたらで不叶所にては被乘侍りつらんなれど、總じては乘まじきと、仰を心中に、何事も守り申されし人也と、蓮【(如)】―上人御物語のよし、各語り申されしなり。 (八四) 一 賀州嶋田村に唯道とて、佛法を心に入し人ありしが、蓮【(如)】―上人の仰をふかく信じたてまつる人にて侍りし。病者なる由を聞召、中風氣の由申侍りしかば、仰に、加賀の山中の湯に入べし、中風によき由聞及べりと仰られし間、山科殿より下向して、其まゝ在所へもゆかず、直に山中の湯に入、三日三夜入つめて居られⅤ-0800けり。唯道の親類共きゝて、いそぎ行て、先食物を湯の中へ持せ、食せさせ侍りつゝ、さて何とて加樣に湯には入つめらるゝぞと問ければ、蓮【(如)】―上人我等が病氣を聞召されて山中の湯に入と被仰侍りければ、仰を忝く存ずるまゝ、如仰と思つゝ、加樣に入なりとぞ語られける。佛法者は加樣に仰を守り申されけるなり。 (八五) 一 蓮【(如)】―上人の御母儀は化人にてましましけり。無疑、石山觀世音菩薩にてぞおはしける。上人六歲のとき、我は是にあるべき身にあらずとて、應永廿七年十二月廿八日、東山の御坊後の妻戸より唯一人はしり出給ひしが、行方しらず成給なり。其比上人六歲の壽像を繪師に書せ、表襃衣までさせて、とりて出給ふ。我は九州豐後國のともと云所の者なりとぞ宣ける。彼所や觀音の由緖の何とぞ侍らん。上人御成人の後に、人を下御尋ありけれ共、左樣の人、ゆかりとてはなく、知たる事もなしと申ける。其比江州石山の觀世音は石山にはましまさぬといへる支證、明鏡なる事の侍るを、寺家の人々語りけるこそ不思議なれ。其後かの六歲壽像は、石山觀音堂の内陳にかゝりてありけりと、各申傳たる事の子細あり。不思議なりし事共也。彼御母儀は、東山の御坊にて例式女房達の樣にぞおはしけると、人々語あひけり。 (八六) 一 蓮【(如)】―上人は御若年の比は御繼母の如圓禪尼と申おはしけり。蓮【(如)】―上人卅三歲の時、圓兼法印[存如上人]宣化し給ける。然ば御若年の比、御母儀の一段なさけなくあたりまいらせられけるとぞ傳うけたまはる。實子の圓光院應玄を御執事御寵愛にて、是を御住持にと、連々内證に思食たりし間、萬事蓮【(如)】―上人の御方をばひつめまいらせられける。朝夕の事も萬御不辨に限なかりけり。存如上人の御内衆とても、只五人也。御小者Ⅴ-0801に竹若といひし者の侍りしを、時々御やとひありて召仕はれ、一年に代物五十疋つかはさるべき御約束にて、終に卅疋共不被遣、やうやう十疋計とやらんは被遣けり。やさしき者にて、御用を聞侍りき。召仕はるゝ人は一人もなし。御衣裳は紙子布子、白御小袖は只一、それも裏は紙にて、袖口計を絹の不思議なるうすき 絹にてさせられてぞめされける。又はこぶくめなんど云物ならでは御所持もなし。御息は皆所々へ里やしなひにておはしけり。順如[願成就院殿]ばかりぞ御そばには御座ける。【本泉寺】蓮乘は南禪寺に喝喰、【松岡寺】蓮綱は花開院、見玉の房は吉田の攝受庵、壽尊房も同攝受庵に住持也。【光敎寺】蓮誓は是も花開院の喝喰也。【本泉寺】蓮悟は丹波國、【中山殿女中】祐心禪尼も同國の里やしなひにぞ侍りける。朝夕の供御なども沙汰の限なる體なり。御汁御一人の分まいりたりしに、湯水を入のべて、一度入れ共不足ば、又入々ありければ、只水の如くなるを、御汁としてきこしめす、言語道斷のあさましき物をきこしめす。加樣のしたてなる人、今の世にいづくにかあるべき。如此の事は我も不忘奉覺申。加樣に御苦勞ありて、今我人、心安の活計安穩にある事は難有事と、末代までも蓮【(如)】―上人の御恩をば努々わするまじき事なり。舍兄・宿老衆御物語也。是を末の弟共可知由被仰置事也。 (八七) 一 江州金森の道西と云し人は、後には從善と申候。東山の大谷殿へ常に參られ、存如上人の仰を聽聞し、佛法者也。或時存【(如)】―上人御前に祗候候しを、蓮【(如)】―上人御手にて御まねきよせられて、常は御法談あり。仰には、凡夫の佛になる事は不思議なる事也と仰きかせらⅤ-0802れたりし。從善ありがたき事におもはれ、年に二度三度も金森へ御下向を申入られ、仰を承られてより以來は、佛法もひらけ、御門徒の人々も出來、御繁昌ありたる事也。又或時金杜へ御下向の時、おそあひ人々多あつまり居られ侍りし。其中に一人のおさなき人を、蓮【(如)】―上人、あれは誰ぞと御尋ありしに、從善申されて云、私が甥にて候と被申候へば、利根さうなる者也、我にくれよかしと被仰候へば、やがてまいらせをくべし、難有の由を被申、則御上洛の御供申され、大谷殿へ御歸寺あり。晝夜御腰もとに祗候せられ、後には美濃法橋と云、慶聞坊龍玄是なり。 (八八) 一 同其比は大谷殿にては御方と申也。一日に一度御食物は參る日もあり、又一向にきこしめし物のなかりつる日もありし也。龍玄、京へ出られ、油など少宛調法ありたる事也。油など無時は、小原木・黑木などを被燒、聖敎などあそばされ、又月夜などにも被遊ける也。『敎行信證』は十六歲御時六日に被請取侍とぞ承る。 (八九) 一 佛法繁昌あるによりて、山門衆いきどほり申出し、一亂をこり、一宗可成敗の及沙汰しかども、種々理あつかひありて、彌陀の本願の意趣をきかれ、終には被聞分、十六谷衆不可有疎略之旨、以連署被申、相靜訖。其砌は開山聖人御影等大津の御坊にすゑ被申、三井寺大津衆徒同心被申故也。其後越前へ御下向ありて、吉崎の御坊御建立、賀州其外近國佛法ひろまる。其後安藝法眼惡行により、賀州及大亂て、御上洛ありては、出口の坊に御居住。其已後山科郷野村里の御坊は御建立也。蓮【(如)】―上人の御意趣は、是非ともに開山聖人の法流を御立あるべきと思食立事は、十五歲よりの事也。聖人の法流はや加樣ひろまる事は、此法師がわざよと、御自證ありて被仰し事也。又仰云、我叶冥加こゝろ一Ⅴ-0803つにて、各子どもの兄弟中は心安あるよとの仰也。 (九十) 一 蓮【(如)】―上人御隱居の時は、【後には駿河入道と云】下間五郎左衞門尉を始とし、只五人召仕はれ侍り。是は存如上人御時の例なり。昔御迷惑の時を御忘あるまじきとの御意趣とぞみえける。先年御修行の時、御わらんづ御足にくい入申跡、御足にありしを、常に取出され、各にみせられ、加樣に我は辛勞をして佛法を立べきと門徒のため身命を捨たるぞと、常々御物語ありし事也。 (九一) 一 蓮【(如)】―上人御病中に、御口の内煩はれて、あらあらと、仰事ありし事あり。御煩の一儀歟と、各存知したれば、さにてはなくて、各の信のなき事をかなしく思食るれば、身を切さくやうにかなしきぞとの仰により、加樣に御煩に打そへて被思食ける事なり。然ば一人なり共信をえば、可爲御滿足也。今は又極樂の敎主と成ましまして、衆生の信のなき事猶ふかくかなしみ給べき者也。又同時の仰にも、哀々、一人成共信心をとりたると聞て、老の皺を延んとぞ被仰ける。ありがたくかたじけなき事に侍る也。 (九二) 一 法敬坊順誓物語ありしを愚老たしかに聞侍りし。蓮【(如)】―上人の仰に云、法敬は開山の御歲まで生べしと仰らる、何かそれまでは勿體なくと被申しかば、いやいや生べし生べしと被仰ける。當年八十四歲まで存命つかまつり候と被申ける。如仰滿九十歲まで存命ありて、永正七年七月廿七日に往生とげられき。A蓮【(如)】―上人御往生後B十一年存命也C Ⅴ-0804(九三) 一 慶聞坊龍玄と云は、蓮【(如)】―上人御若年の比、東山の大谷の御坊に御居住の砌より祗候の仁也。若き時は美濃と云、若年より法流の儀被得御意し人也。當流聖敎等大略蓮【(如)】―上人より傳受申さる。『敎行信證』・『六要鈔』まで請被申たる條々の子細等を常に物語候き。永正十三年に予A廿五歲B實悟C之時『敎行信證』を請侍ける。三月廿八日より請始て、同四月廿八日果畢。其時龍玄被申けるは、予兄弟中各に此『本書』相傳申事、我本望是也。前住蓮【(如)】―上人より請習申たるによりて、今兄弟中各にも傳申たる事、前住上人も可爲御本望と落淚せられける。龍玄七十二歲と侍りき。同學に順興寺實從候き。誠に本望と申されけるも、倂前住蓮【(如)】―の御意趣と覺侍るなり。其後永正十七W庚辰R十二月十三日七十六歲にて往生をとげられけり。W文安二誕生也R子息美濃法橋秀方、大永四 九月四日頓死、四十六也。 (九四) 一 聖人W親鸞Rの御流はたのむ一念の所肝要なり。古たのむと云事は代々あそばされ置れ候へ共、委く何とたのめと云事を知らざりき。然に蓮【(如)】―上人御代に、「御文」(五帖*九意)を御作候て、「雜行を捨て、後生たすけ給へと一心に彌陀をたのめ」とあきらかに知せられ候事にて侍る也。然ば聖人の御流御意趣を再興の上人にてましますとの各被仰たる事也と[云々]。 (九五) 一 同上人の仰に、一人なり共人の信を取たる事を聞召たきとの御持言に被仰也。御一生の間は、人に信をとらせられたき被思食候と[云云]。 (九六) 一 行さき向ばかりを見て、足もとをみねば、踏かぶるべき也。人の上を計云て、我身のうへをたしなまずは、一大事たるべきとの仰事ありし也。 Ⅴ-0805(九七) 一 善知識の仰なり共、成まじとは思べからざる事、何たる事なり共、仰ならば可成と可存也。凡夫の身が佛に成上は、さてあまじきとは不可存事也。然ば赤尾道宗A越中國B五ケ山内C申さるゝは、近江の湖を一人してうめよと仰なりとも、畏たると可申候。ならぬ事共可成と存ずる由を被申事也。 (九八) 一 「いたりて堅きは石也、至てやわらかなるは水也、水よく石を【うがつ歟】穿、心深もし徹たらば、菩提の覺道何事か成ぜざらん」といへる古き詞にあり。いかに不信なり共、聽聞をば心に入れば、御慈悲にて、信をうべき也。只佛法は聽聞にきはまる事也と、蓮【(如)】―上人の仰事也。 (九九) 一 又仰云、信決定の人をみて、あのごとく成ではと思へば成ぞと被仰候。あの如くに成てこそと思すつること、淺間敷事也。佛法には身を捨てのぞみ求る心より、信をば得なりと仰也。 (百) 一 人のわろき事は能見也。我身のわろき事は不覺もの也。我身にしられてわろしとしらば、能々わろければこそ身に知候とは覺て、心中を可改也。只人の云事をば可信用也。我わろき事は不覺物也と被仰き。 (一〇一) 一 心中を改候はんと申人、何をも違候と申され候は、萬わろき事をうめて加樣に申され候也。色を立て、きⅤ-0806わを立て申出てこそ可改事なれ。詮ずるところ、人の直らるゝを聞て、我もなをるべきと思て、我科を申出さぬは、なをらぬぞと被仰候。 (一〇二) 一 佛法の物語の時、物を申さぬは、信のなき故也。我心にたくみ案じて申すべきやうに思へり。餘所なる物を尋出す樣也。心に嬉しき事は其まゝに悅ぶなり。寒ければ寒しといひ、熱ければ熱しと、そのまゝなるもの也。心の通を云也。佛法の座にて物を申さぬは、不信の色也。又由斷と云事も不信の事也。細々同行に寄合讚嘆せば、由斷は有間敷の由被仰也。 (一〇三) 一 又仰云、一心決定のうへに、彌陀の御たすけありたると云は、悟の方に似てわろし。憑ところにてたすけ給候事は曆然なれど、御たすけあらんずると云て可然の由と[云云]。一念歸命の段、不退の位に住す。これ不退の密益なり、これ涅槃の分なる由の仰也。 (一〇四) 一 人に佛法の儀を語りよろこばれば、我は其人の悅よりも猶悅びたふとむべき也。佛智を傳申により、加樣に存ぜらるゝ事也と思て、佛智の御方をふかく難有悅べき也と被仰也。 (一〇五) 一 「御文」をよみて人に聽聞させ候とも、報謝と存ずべし。一句一言も信の上より申せば、人の信用もあり、又報謝とも成也と被仰事也。 (一〇六) 一 又仰云、彌陀の光明は、たとへばぬれたる物を干に、うへよりひて、下までひるごとくなる事也。是は日の力也。決定の心をこるは、是則他力の御所作也。罪障は悉く彌陀の御消ある事なる故也と被仰也。 Ⅴ-0807(一〇七) 一 信治定の人は誰によらず、先みれば則たふとく成候。是則彌陀の佛智のありがたき程を存ずべき也と被仰き。 (一〇八) 一 或は人酒をもたまはり、物をも被下て、人を近付らるゝは、佛法を仰きかせられ、信を取せらるべき爲なりと仰事也。是則報謝と思召るゝとの被仰事にて侍りき。 (一〇九) 一 又仰に云、佛法を心得たと思ふは心えぬ也。心得ぬと思ふは心得たる也。彌陀の御たすけ有べき事のたふとさよと思ふが、心得たる也。少も心得たると思事は有まじき事也と被仰候きと[云云]。『口傳抄』(卷上)云、「さればこの機のうへにたもつところの彌陀の佛智をつのらせぬよりほかは、凡夫いかでか往生の得生の得分あるべきや」といへり。 (百十) 一 賀州江沼郡菅生村の願正、坊主の聖敎をよまれ候を聞て、聖敎は殊勝に候へども、信が御入なく候間、たふとくもなく候と申され候を、蓮【(如)】―上人きこしめし、同郡荻生の寺蓮智を召上せられ、願正に被仰付て、蓮智に聖敎をもよみならはせられて、佛法の事を被仰聞て國へ下されて、其後聖敎をよまれ候へば、今こそ殊勝に候へとて、願正ありがたがられ候き。 (一一一) 一 或人心中の通を法敬坊に被申候に、御詞のごとくは覺悟仕り候へ共、たゞ油斷・不沙汰にて、淺間敷事Ⅴ-0808のみにて候と申され候。其時法敬坊被申候。それは御詞のごとくにては無之候。勿體なき申されごとに候。御詞には、油斷・不沙汰仕り候ひそとこそ、あそばされ候へと申され候きと[云云]。 (一一二) 一 順誓[法敬坊]申され候しは、佛法の物語を申すに、影私にて申段は、何たるわろき事をか申すべきと存じ候へば、脇の下より汗がたり候。蓮【(如)】―上人の聞召所にて物語申時は、わろく申候はゞ、やがて御なをし有べきと存候へば、心安く存候て、物を申候と申されき。 (一一三) 一 又仰云、信のうへはさのみわろき事は有間敷候。或は人の兔云角云などゝ、惡き事などは有まじく候。今度生死の結句を切て、安樂に生ぜんと思はん人、いかんとしてかあしざまなる事をすべきやと被仰き。 (一一四) 一 佛法者の少しのちがひを見は、あの上さへかやうに違候へばと、我身をふかく嗜べき也。然るをあう上さへ違ひ候、まして我等は違ひ候はではと思心、大きに淺間敷ことなりと被仰事也。 (一一五) 一 佛恩を嗜と被仰事、世間に物を嗜めなどゝ云やうなる事にてはなき也。信の上にたふとく有がたく存じ悅び申透間に懈怠申時、かゝる廣大の御恩を忘れ申事のあさましさよと、佛智にたちかへりて、難有やたふとやと思へば、御もよほしによりて念佛を申也。嗜とはこれ成よし被仰き。 (一一六) 一 重寶の珍物を調へ經營をしてもてなせ共、食せざればその詮なし。同行寄合談合すれども、信をとる人なければ、珍物を不食と同事也とぞ被仰侍りき。 Ⅴ-0809(一一七) 一 物にあく事はあれ共、佛に成ことゝ彌陀の御恩を喜び、あきたる事なし。燒も失もせぬ重寶は、南无阿彌陀佛也。然ば彌陀の廣大の御慈悲は殊勝也。信ある人を見るさへたふとし。能々の御慈悲なりと被仰き。 (一一八) 一 信決定の人は、佛法の方へは身をかろく持べし。佛法の御恩をばをもくうやまうべき由被仰たる事也。 (一一九) 一 佛法者は法の威力にて成事也。威力にてなくは不可成と被仰候。されば佛法をば、學匠・物しりは云立ず。たゞ一文不知の身も、信のある人は佛智を加へらるゝ故に、佛力にてあれば、人も信を取也。此故に聖敎よみとて、然も我はと思ふ人の、佛法を云たてたる事なしと被仰き。只何しらねども、信心定得の人は佛よりいはせらるゝ間、きく人も信を取ぞと被仰候。 (百廿) 一 彌陀をたのめば南無阿彌陀佛の主に成也。南無阿彌陀佛の主に成とは、信心をうること也と被仰候。又當流の眞實の寶と云は南无阿彌陀佛、これ一念の信心なりと被仰候ける也。 (一二一) 一 思案の頂上と申べきは、彌陀如來の五劫思惟の本願にすぎたる事はなし。此思案の道理に同心せば、佛になるべし。同心申とて別儀なし。只機法一體の道理なりと仰事ありき。 (一二二) 一 人はそらごと申さじと嗜むを、隨分とこそ思へ。Ⅴ-0810心に僞あらじと嗜人は、さのみ多はなき者也。又よきことはならぬまでも、世間・佛法共に嗜たき也と、蓮【(如)】―上人は常に被仰事侍りき。 (一二三) 一 『安心決定抄』の事、四十餘年の間御披見候へ共、御覽じあかれぬの由被仰侍り。只金をほり出すやうなる聖敎也と被仰事ありき。 (一二四) 一 法敬坊申されしは、【假なることば計歟】たふとむ人より、【眞實の心歟】たふとがる人ぞたふとかりけると申されければ、面白事を云よと、蓮【(如)】―上人被仰て云、たふとむ體、殊勝ぶりする人はたふとくもなし。たゞありがたやとたふとがる人こそたふとけれ。面白きことを云よ、尤の事と被仰候き。 (一二五) 一 供御々膳を御覽ぜられても、人は食しかぬる物を食べきことよと被思食、御用の程をありがたく思食れ侍れば、鹽のからきもあまきをも御覺なく、御恩の程をきこしめす間、御忘なく被思食の由仰られきと也。 (一二六) 一 佛法をすかざるがゆへに嗜候はずと、空善申され候へば、蓮【(如)】―上人仰には、それは、このまぬは嫌ふにてはなき歟と仰事ありき。 (一二七) 一 不法の人は佛法を違例にするぞと被仰き。佛法の讚嘆あれば、あら氣づまりや、とく果よかしと思ふは、違例にするにてはなき歟と被仰侍りき。 (一二八) 一 或人、今生の事を心に入るほど、佛法を心に悅度事にて候と、人申され候へば、又或人云、世間に對して申は大樣なる也。佛法はふかく可悅事也。又、一日一日と佛法は可嗜事に候。一期と存ずれば大儀也と、人被申ければ、又或人云、大儀なると思ふは不足也。Ⅴ-0811命はいか程もあれ、あかず可悅ことなりと[云云]。 (一二九) 一 又或人云、每日每日に、「御文」の御金言を聽聞させられ候事は、寶を給り候事と存ずる由申さると[云云]。 (百卅) 一 身あたゝかなれば、眠りきざし候、淺間敷こと也。その覺悟にて身をも冷くもち、眠をさますべき也。身隨意なれば、佛法・世間ともにをこたり、多く無沙汰・由斷あり。此儀一大事なりと、蓮【(如)】―上人被仰き。 (一三一) 一 信を得たらば、同行にあらく物も申まじき也、心和ぐべき也。觸光柔輭の願あり。又信なければ、我に成て詞もあらく、恈ひも必出來するなり。あさましあさまし、能々可心得と被仰けり。 (一三二) 一 萬事に付て、善ことを思付は御恩也、惡事をだに思付るも御恩也。捨も取も、何も何れも何れも御恩也と被仰けると也。 (一三三) 一 蓮【(如)】―上人は御門徒の人々進上の物をば、御衣の下にて每度御おがみ候の由被仰ける也。如來又は聖人より被下と思食るゝ也。又佛物と思召され候へば、御自身めし物をも、御足にあたり候へば、御いたゞき候やうに思召れ候つる由仰事ありけり。又御門徒の人の進上の物も、聖人より御あたへと被思食の由仰事ありきと也。 (一三四) 一 佛法には、萬かなしきも、かなはぬに付ても、何Ⅴ-0812事に付ても、後生のたすかるべきことをおもへば、悅び多き也。これ御恩と被思食との仰事也。 (一三五) 一 佛法者になれ近付て、損は一つもなし。何たるおかしきこと、狂言にもし、是非ともに心底に佛法あるべしと思ほど、我方に可有德多也と被仰けり。 (一三六) 一 蓮【(如)】―上人は、權化の再誕と云こと、其證多なり。別に是を記せり。先御詠歌にも、「形見には六字の御名を【トヾメ〈イ〉】殘しをく なからんあとのかたみともなれ」と候。彌陀の化身としられ候事歷然と[云云]。 (一三七) 一 蓮【(如)】―上人御病中に、大坂の御坊より御上洛の時、明應八年二月十八日に、三場の淨賢の處にて實如上人に對して御申候しは、一流の肝要は、「御文」に委くあそばしとゞめられ候間、いまは申まぎらかす者も有間敷候。此分を能々御心得ありて、門徒中へも被仰聞候へと、御遺言の由御申候き。然者、實如上人の御安心も「御文」の如く御覺悟也。又諸國の御門徒にも「御文」のごとく信をえられよとの支證のために、御判を被加候由の被仰事也。 (一三八) 一 蓮【(如)】―上人被仰事、世間・佛法ともに、人は輕々としたるがよき也。又は微音なる物を申も惡也。慥に可申也と被仰しなり。 (一三九) 一 又仰云、佛法と世體とは嗜によると、對句に被仰き。 (百四十) 一 同上人、本泉寺蓮悟に物を被下候の時、無冥加の由被申固辭候へば、仰に云、つかはされ候物をば、只とりて信をよくとれ。信なくは冥加なきとて佛物をⅤ-0813受ぬ樣なれども、それは曲もなし。我つかはす歟と思ふ歟。皆御用也。なに事歟御用にもるゝ事や候べきと被仰、又親のやる物をばありがたきと思て取べし。親ならでは誰かやるべきぞと被仰事也。 (一四一) 一 信を得ずして悅候はんと思ふこと、たとへば物をぬうに絲の跡を結ばずして其まゝにてぬゑばぬけ候やう也。悅ばんと思とも、信をえぬは徒事也。よろこべたすけんと被仰ことにてはなし。憑む衆生を助け給はんとの本願に候。「信心には自名號をば具する物なり」(信卷)といへり被仰き。 (一四二) 一 蓮【(如)】―上人仰云、本寺の坊は開山聖人御存生の時の樣に被思食候。御自身は、御留【守歟】主を當座御沙汰候。然れば佛恩を御忘なく候由、御齋の上の御法談に被仰候き。御齋を御受用候間にも、少も御忘なき由被仰侍りきと[云々]。 (一四三) 一 人の辛勞もせで德を取上品は、彌陀をたのみて佛になるに過たる事なしと被候き。 (一四四) 一 皆人每によき事を云もし、働もする事あれば、眞俗ともにそれを、我よき者にはやなりて、其心にて御恩の方をば打忘れて、我心本になるによりて、冥加につきて、世間・佛法惡心必々出來するなり。一大事也と被仰ける也。 (一四五) 一 蓮【(如)】―上人仰云、宿善めでたしと云はわろし。當流Ⅴ-0814には宿善ありがたしと申すが尤よき由被仰けると[云云]。 (一四六) 一 又言、他宗には法に會たるを宿縁と云、當流には信を取ことを宿善と云。信心をうる事肝要也。されば此御をしへには群機をもらさぬゆへに、彌陀の敎をば弘敎とも云なり。 (一四七) 一 法門を申すに、當流の心は信心の一儀を申披き立たる事、肝要なりと被仰き。 (一四八) 一 眞宗一流の内にて法をそしり、わろさまに云人あり。是を思に、他宗・他門の事は是非なし。一宗の中に加樣の人もあるに、我等宿善ありてこの法を信ずる身のたふとさよと思ふべしと被仰候き。 (一四九) 一 「愚者三人に智者一人」とて、何事も談合すれば面白ことのあるぞと、實如上人へ御申候。是又佛法の方には彌肝要の御金言なりと[云云]。 (百五十) 一 大坂の御坊にて各へ對せられ被仰候しは、此間申しゝ事は、『安心決定抄』の儀かたはしを被仰候の由也。然者、當流の儀は、『安心決定鈔』の儀くれぐれ肝要也と被仰たる事也と[云云]。 (一五一) 一 佛恩がと申すは聞にくき也。又聊爾なり。佛恩を難有存候と申すは、聞よく候の由被仰候と物語候き。「御文」がと申すも同前。「御文」聽聞申て、ありがたく候など申てよき由の沙汰、其砌の各申事に候き。佛法方の儀はいかにも尊敬可申事にて候よし、とりどりの被仰事に侍りき。 (一五二) 一 蓮【(如)】―上人被仰事には、家を作り候とも、つぶりだⅤ-0815にもぬれずは何ともかとも作るべし。萬事過分なる事を御嫌にて候し也。衣裝等にいたるまでも、よき物きんと思ふは淺間敷ことなり。冥加を存じ、たゞ佛法を心にかけよとのみ被仰候しと[云云]。 (一五三) 一 同仰に云、いかやうの人にて候共、佛法の家に奉公し候はゞ、昨日までは他宗にて候とも、今日ははや佛法の御用と可得意候。たとひあきなひをする共、佛法の御用と可得意と被仰き。 (一五四) 一 坊主達は人をさへ勸化せられ候に、我を勸化せられぬは淺間敷事なりと被仰けり。 (一五五) 一 赤尾道宗、蓮【(如)】―上人へ「御文」を申入ければ、被仰候は、「文」は取おとす事も有べし、只心に信をだに取候へば、取おとす事もあるまじと被仰候て、又明る年「御文」をあそばされ下され候きと也。 (一五六) 一 法敬坊申されしは、佛法をかたるに、志の人を前にをきて語候へば、力がありて申よき由申されき。 (一五七) 一 又仰に云、信もなき人の大事の聖敎を所持候人は、をさなき者につるぎをもたせ候樣に被思食候。その故は、劍は重寶なれ共、をさなき者持候へば、手を切【けが歟】見迦をする也。長男しき人持てば重寶也と被仰き。 (一五八) 一 蓮【(如)】―上人、從善に懸字を被遊候て被下候て、其後、善に御尋候しは、已前書つかはしける物をば何とⅤ-0816したるぞと被仰ければ、善被申しは、表補衣仕候て、箱に入置申候と申さる。又仰には、それは分もなき事也。不斷かけて置て、其ごとく心ねをなせと云事にてこそあれと被仰侍りき。 (一五九) 一 同仰に云、是の内に居て聽聞する身は、【一本にとりはづしてもと有】とりはづしたらば佛になるべきよと被仰候き。誠にありがたき仰と、各被申侍き。 (百六十) 一 開山聖人の御時、高田のA二代目B歟C顯智と申は上洛の時、申され候しは、今度は旣に御目にかゝるまじきと存知候處に、不思議に懸御目候と被申ければ、それは如何にと被仰侍ければ、今度船路にて難風にあひ申、迷惑仕候由被申しかば、聖人の仰に、それならば船には乘らるまじき物をと被仰侍りしに、其後は御詞の末なればとて、一期、船に乘れず候き。又同人茸に醉て、御目に遲くかゝられ候し時も、御尋ありければ、前のこと申されし。茸は食まじき物なりと被仰しを、承はられて仰を深く信じ、一期の間茸と船には乘られず。誠に難有殊勝に候心中ぞと、人々も感ぜられきとなり。 (一六一) 一 蓮【(如)】―上人被仰しは、門徒の人を聊もあしくは努々申まじき事也。開山は御同行・御同朋とこそかしづき被仰けれ。 (一六二) 一 開山は、一大事の御客人と申は御門徒の人々なりと被仰けると御物語ありきと[云云]。 (一六三) 一 御門徒の人々上洛せられ候の時、御對面あるべきとては、寒天には酒のかんを能々せよ、路次のさむさを忘られ候樣にと被仰付、餠を煮させられしを召寄Ⅴ-0817られ、味を御覽られんと少きこしめされ、味のあしきをば曲言の由被仰付、鹽の不足なるも不可然、からきも曲言の由堅被仰付侍りき。炎天の時分は、酒のかんをよくひやせと堅く被仰付き。又參入の人の事を、遲く申入るも一段曲言の由被仰付、門徒の人々を遲く披露候事大きに曲言の由、時々被仰出侍りきと承る。 (一六四) 一 蓮【(如)】―上人、細々兄弟衆に御足にわらんづの跡くい入見え候を常々みせられき。關東へ御修行ありし時の事也。開山聖人御修行ありし時の例とて、度々如此侍りき。加樣に御辛勞ありて、佛法を立んと思食て、佛法もひろまり各兄弟の者共も心安くあれと、度々御足を見せられき。ありがたき事也。能々此の段思案可申事也。三度まで御企ありけるに、始は御かちにてわらんづの跡もつき申す也。二度めには、はや佛法ひろまり、國々在々所々の衆も馬をまいらせてければ、馬にて大略御下向也。三度めには、吉崎の御坊より越中の瑞泉寺まで御下向の處、國中の人々多集參り、瑞泉寺にて人々に御對面もならず。人多押れて死する間、前の野に假屋を造て御對面ありしかど、武士の衆も多參り群集せしかば、忍て御下向も不成。其のまゝ吉崎へ御歸寺ありし事也。加樣に蓮【(如)】―上人御一代佛法諸國にひろまり、日本六十餘州御門人はひろまりき。是倂蓮如上人權化の再誕と知られたる事也。 (一六五) 一 同上人仰に云、惡人のまねをすべきより、信心決定の人のまねをせよと、切々常々被仰し事なりき。 Ⅴ-0818(一六六) 一 存覺上人は大勢至の化身也と[云云]。然に『六要鈔』(第三意)には或は「三心の字訓その外、勘得せず」とあそばし候。誠に聖意はかりがたき旨をあらはし、自力を捨て他力を仰本意にも叶申候ものをや。加樣の事が名譽にて明匠御作意候と[云云]。 (一六七) 一 註を顯され候事、自身の智解を顯さんがために非ず。聖人の御詞を襃美のため、仰崇のためと見たる事也。 (一六八) 一 存覺御辭世の御詠に云、「今はゝや一夜の夢と【さめ〈イ〉】なりにけり 往來あまたの雁の【まにまに〈イ〉】やどやど」。此言を蓮【(如)】―上人被仰云、さては釋迦の化身也、往來娑婆の心なりと[云云]。我身にかけてこゝろえば、六道輪廻をめぐりめぐりて、今臨終の夕に、さとりをひらくべしと云心なり。 (一六九) 一 陽氣・陰氣とてあり。されば陽氣をうる花は早く開く也、陰氣とて日影の花は遲くさくなり。加樣に宿善も遲速あり。されば已今當の往生あり。彌陀の光明にあひて、はやくひらくる人もあり、遲くひらくる人もあり。兔に角に、信不信ともに佛法を心に入て聽聞すべき也と[云云]。已今當の事、蓮【(如)】―上人被仰候は、昨日あらはす人もあり、今日あらはす人もあり、明日あらはす人もありと仰られしと【云云歟】也。 (百七十) 一 蓮【(如)】―上人、廊下を御通候て、紙切のおちて候つるを御覽ぜられて、佛法領の物をあだにする歟と被仰、兩の御手にて取られて御頂きありつる事なりと[云云]。總じて紙の切なんどの樣なる物をも、御用と佛物と思食候へば、あだに御沙汰なく候し由、蓮【(如)】―上人常御物Ⅴ-0819語ありし事也と[云云]。 (一七一) 一 同上人、近年御病中に被仰事には、何事も今いふ事は金言なり。心をとめて能聞べき由被仰候つると、各物語候き也。 (一七二) 一 御病中に慶聞坊をめして仰られしは、御身には不思議なる事があるぞ、氣を取なをして可被仰と仰られけると[云云]。三月十八日の事歟、【正月十四日事也】前住存如上人御夢に御覽ぜられて、とくこひまいれと被仰と御覽ぜられけるとぞ、御夢想ありけるとぞ被仰けると[云云]。 (一七三) 一 蓮【(如)】―上人仰云、經の上にことなる物を置は无間の業なり、あやまりても努々をくべからず。 (一七四) 一 同仰云、罪は十惡五逆の者も、廻心すれば皆往生すべし、由斷なるものは往生すべからず、能々心にかくべき也とぞ被仰ける。 (一七五) 一 蓮【(如)】―上人は山科の御坊にて四 を御杖をつかれ、御坊中御覽あり。板びさしの端の出たりしを、御杖にてたゝき入られて、仰に、聖人の御用にて、門徒の人々の志にて取立られたる坊中也、をろかに思べからず、破れたらん所をば見付次第にか樣にをしなをすべし、皆御用の所の物なりとぞ被仰ける。 (一七六) 一 信心決定の人ありけるが、彌陀をたのみたてまつりし其年、又月日時をも忘侍りければ、蓮【(如)】―上人へⅤ-0820申されけるは、たのみ奉たりし月日を不覺はいかゞ也と、云人ありと申人候、承り候へば、尤と存じ候が、いかゞと不審申されければ、決定の心にもとづきて年久き人もあるべし、年月時日を忘るゝ人あるべし。衆生は忘れたりとも、佛の御方には御わすれ有べからず、一度攝取ありては御すてなき事なりとぞおほせらる。 (一七七) 一 蓮如上人めしつかはれし駿河入道A下間筑前B八男C善宗と云しは、若年よりも久第一奉公に心をかけ、類なかりき。然るに佛法に心をかけ、後生を一大事とのみ思し仁也。蓮如上人每夜御寢なりては、面の座敷に傍輩をもねさせて、一人燈下にて聖敎・「御文」等拜見數尅して、同志人あれば法義の談合をし、夜ふくるまでもありがたき旨讚嘆せられけり。上人御往生ありては出家し、御葬の御供申されたり。老年に成ては彌佛法を心にかけ、道心道念たぐひなかりき。山科の御坊にて聊なる部屋に宿す。曉ちかく成て老眼はやくさめて常に夜を殘す身と成ては、寢られずとて、半夜の程より御堂へまいり、佛前・開山の御前に人多ねられたる中に入て、かしこまりありて、もししはぶきせば我と聞知人あり、起あがりてはと思、しはぶきのしたきをもこらへて堪忍す。いねられねば、宵からも夜半からも、佛前にまいり念佛まうし、御恩をよろこび居たりし人也。始はしはぶきをも心安したりしが、人聞知て起あひなんどし、後はしはぶきをこらへけるが難義なりけると、予に物語侍りし。奇特殊勝の佛法者也。是倂蓮如の御勸化によりたる事也。永正 年 月 日七十 歲に往生す。必安樂の敎主たるべき事うたがひなき仁也。 (一七八) 一 越中州赤尾道宗と云は、蓮【(如)】―上人御在世の時一年に二度三度は上洛し、山科野村の御坊へ參りけり。遙Ⅴ-0821の路をしげく上洛す、大儀たるべし、しげく上洛すべからずなど仰ければ、畏候と申ても猶上洛す。奇特の佛法者、都鄙かくれなかりし仁也。俗の時は彌七郎A「御文」あそばしB入らるゝ也Cとやらん云し事也。或時七月中旬比に上洛し、日暮て御坊へまいり、南殿へまいりけるに、折節奏者は下間駿河入道A五郎左衞門Bと云時也C、蓮【(如)】―上人へ道宗まかり上たりと申入らる。やがて可參とめさる。月さやかにて庭は晝のごとし、御座間はくらし。いづくに御座あるとも不知くらかりけるに、道宗心に思やう、遙久拜顏し奉らず、哀れ御尊顏を見奉らばやとは思けれども、ともし火ともされず、おがみ奉んと思へどもくらし。御前のとおりに忝、御禮申しければ、此炎天に大儀によくのぼりたる由被仰、忝くて頭を上おがみ奉ければ、御座敷光明奕赫と御すがたをもあきらかに拜し奉りしありがたさよと、其時の事常々ぞ道宗はかたり申侍りき。道宗は永正十三年【七歟】 月 日往生す。 (一七九) 一 蓮如上人の光明のこと度々おがみ侍りし由、亡母眞如院蓮能禪尼の御物語ありしは、御寢なりて佛法の儀被仰御悅ありし時は、座敷かゞやき光明ある事は常の事にて候とぞ、御物語ありける。 (百八十) 一 蓮【(如)】―上人越前國吉崎の御坊に三ケ年御座の時、晝夜佛法の一義よりほか他事なかりしに、手原の【字如何】幸子坊に蓮【(如)】―上人御尋ありけるは、これの一義は佛法三昧と見たる歟、又世間三昧と見たる歟と、御尋ありければ、幸子坊申されけるは、世間三昧とみえ申たると申されⅤ-0822ければ、事の外に御感ありける。其比晝夜佛法までにて御入候たるだにも、世間三昧と御沙汰候、今の時節は中々淺間敷候事にて候との沙汰のみにて候。 (一八一) 一 山科の御坊には蓮【(如)】―上人御座候、大津の御坊に順如上人ましましし比、皆人々兩所へ年始には早々御禮に被參候けるに、幸子坊は山科より大津へ被參、又法敬坊は大津より山科へ歸られけるに、相坂山中にて兩人出會て、法敬坊の御慶御滿足といはれければ、幸子坊云、我等に左樣の公界の禮義は不入候、一言成共御恩の方難有旨可承由申されて通られけり、各尤と被申けり。昔の佛法者は加樣に一言も徒なることなく、佛法ばかりなり。尤是まなぶべき也。 (一八二) 一 蓮【(如)】―上人御隱居ありて、山科の御坊南殿にて、ある女性の御禮にまうさんとて、御禮百四十文もちてまいりたり。折節奏者の駿河他行にて侍りしかば、かの女性の百四十文もちてまいりたる數のほどをおかしく思ひ、若輩の人々笑ゐたり。駿河まいり披露申されければ、百四十文有けるを不審に思食、御尋ありけるは、この女の百四十文持來れるは如何樣の子細あるべし、主に尋よと被仰。すなはち主に駿河尋られければ、この女性、御不審尤にて候。是は我身麻絲を持まいらせ候まゝ、絲にして一かせ宛賣まいらせ候初尾を一錢宛とりをき申て百四十錢に成候を、其まゝ進上すと語る。其由すなはち披露ありければ、事外に御感ありて、其の女性を召て被仰けるは、これは一段の志也。なんぢは此間に只一度來たれども、百四十度如來と開山聖人へは參りけり。殊勝の志とて、難在むねを仰られければ、この女性も歡喜の淚に袖をしぼりてぞかへりける。ありがたかりける事共なり。 Ⅴ-0823(一八三) 一 蓮【(如)】―上人はいかなる極寒にも、曉は夜のめし物はきたなき物をとてぬぎすてさせ給ひて、別の御衣裳を御はだよりめしかへされて、佛前への御出仕はありけり。誰も誰も如此ありたき事也。 (一八四) 一 古へ應仁・寛正の比の事歟、東山大谷の本願寺の御坊に日花門を立られしを、山門左は有べからずと押寄燒はらひけるより、蓮如上人は江州へ御下向ありて、所々徑徊しましますに、金森の道場へ移住し給し。當宗を偏執の輩の多き比、彼道場を可成敗の企ありて、或曉より押寄、其勢三百餘人なりしに、取まはし一人ももらさず討取らんと下知して侍りしに、蓮如上人は折節その道場に御座て、木像の本尊を、めしたりし御衣をぬがせ給ひ裹ませ給ひて、かいいだきはしり出させ給ふ。白晝なれ共一人も討もらすべかりし事なりしかども、敵陣の中へはしり出させ給ふを見付たてまつる人もなし、御供の人も御跡につきて出られける。見付る人もなく無事に隣の里御退ありし事なり。奇代不思議の事なり、とりどりに申沙汰せし事なり。此事かくれなく、人々もとりどりに申たりしに、其時近所にありて是を見て、蓮如上人はたゞ人にましまさずと取沙汰ありき。其比【奉公衆】松任上野守は御門弟に被參けり。是さらに御遁あるべき樣もなかりつる事なりと、上野守つねづね語られける由を申侍り。 (一八五) 一 古兄弟中をのをの竝居侍りしを、縁など蓮【(如)】―上人御通あるとて、座敷の内を被御覽仰せけるは、あまⅤ-0824たの人々の聲したりしが、誰も人がなきよと、被仰て御通ありけり。兄弟の中にて、本泉寺の二代に蓮乘と妹の壽尊比丘尼と兩人に、一人座中に御入候へば人があるよと、常々被仰けり。兩人ならでは人とは不思食事也。 (一八六) 一 本泉寺法印兼鎭A法名蓮乘B願成就院弟Cは兄弟の中にも無比類正直に律儀名譽の人也。「天に背ぐゝまり地にぬき足す」といへる本文のごとく、いづくにても頭をさげて足をとを聞たる人もなく、常住身體不增不減のありさま成き。常住坊にて獨居住の所にても、衣をぬがず、じやうろくかゝず、片膝を立て晝夜聖敎ばかり披見し、夜は子丑の剋まで燈のもとにて向聖敎披見し、曉は寅卯剋已前より佛前にあて佛法の一義ばかり讚嘆せし也。本願寺の御坊にては、縁郎下端計をつたひあるかれ、中をば亡父尊老御通の路とて、中をば聊も不被踏侍りし也。如此覺悟事にて侍る間、國中憐國近付衆信のなき一生の間歎にて、其を違例とせらるゝ事にて、廿五年の間所勞候。一向無機心に御成候しが、往生ちかくなりて、五、六日前より本心に成て、安心の一儀等竪固に物語候。往生ありし其後、往生奇瑞共繁多也。 (一八七) 一 順如上人A願成就院蓮乘兄B實名光助法印C本願寺住持十年ばかり御持候歟、蓮【(如)】―上人御存生の間也。大津顯證寺開山也。蓮【(如)】―上人は佛法方計被仰候時、順如は住持分にて、世上の儀萬御扱候し事也。依病氣酒を不斷御用候し間、早生候。四十二歲也。禁裏の御事、武家將軍家の事而已御扱候し事也。 (一八八) 一 蓮【(如)】―上人御法談ありしに、諸人聽聞心肝に入て、たふとさ無限て侍けれど、夜更る歟、又晝もしばしの事なれば、各沈みかへりて侍りしに、法敬坊うたへとⅤ-0825被仰しかば、軈てうたひ被申けり。必ず誓願寺の「となふれば佛も我もなかりけり」といふ處をうたはる。しばしうたはせられ、各の眠りをさまさせられて、又御法談ありし也。只人によく法をきかせられて信心の人出來るやうにとの仰也。 (一八九) 一 明應七年の冬、大坂にて御法談に、われは明年三月に往生すべしと被仰侍りしが、又は御詠歌にも「明應八年往生こそすれ」と下句にあそばされける事なり。兼て御往生の時剋をしろしめされけり。同三月廿四日、我は明日往生すべしと仰事ありしまゝ、さては明日御往生と人々も覺悟せられて、明日はまいるべしと各覺悟し侍りしに、不被參人も侍りしと、人の物語ありし事あり。是は仰を信ぜられざりし人也。 (百九十) 一 一念の信心決定の事、人々申あつかはれ侍りける時、蓮悟[本泉寺]蓮【(如)】―上人へ尋申入られける樣は、彌陀をたのむ一念とはいかゞ心得侍べきと申入たりしに、仰云、本願のことはりをきゝ、彌陀如來におもひつく初を一念と云也と仰事ありけり。 (一九一) 一 予實悟十八歲の秋、腫物を相煩侍て、可往生思ける曉方に、たゞしく夢相を見侍りし。蓮【(如)】―上人にあひたてまつるに、仰に云、今は不可往生と、また今より四十あまりまでは存命すべしと仰事ありて、我等が心をなぐさめられ仰られし。倂存命させられ信心も決定せしめらるべき御はからひと、たふとくありがたかりし。又其後能州府中にて煩たりける時、又往生Ⅴ-0826と覺悟し侍りし夢に、蓮【(如)】―上人もつけ衣を廿計懸をかれ被下て、一年に一づゝ可著之由仰事ありし。勘みれば、五十計なりしに、七十餘年あるべき樣に被仰とおぼえし。旣八十餘まで存命、たゞ信のなき事を仰事と、ありがたく覺侍りける。其後、又河内國茨田郡門眞庄に侍りし夢想を見侍ける。永祿十年 月 日、蓮【(如)】―上人光明赫奕として、佛檀の樣なる所に、空よりあまくだり給とみる。亡母蓮能禪尼も忽然と出給ふに、上人仰云、當時過分の振舞不可然、一身心懸てつゝしむべしと仰事あるとA大坂殿B之儀をC覺て、被仰聞、ありがたく流感淚侍りてぞおぼえける。不思議の仰共也。予八歲にして別れ奉る事也。度々御敎化とおぼえて、夢想を見奉事あり、則別紙に注侍りき。歡喜のあまり如此注置侍り、外見努々不可在之。 (一九二) 一 【本寺の住持の事なるべし】善知識の仰に違ふ事ありて、御勘氣をかうぶる人は、不可往生と云事歷然也。而れども子細にもよるべき歟。信あらば仰にも違ふべからず、又は人の申成により候はゞ、往生にさはりは不可有也。昔法然聖人の御時、熊谷次郎直實入道W蓮生法師R同行の人に名號を聖人のあそばし下されしを、ほしき由まうして、押てばひ取たりしを、曲言の由被仰て御折檻ありし時、蓮生法師なげきかなしみ、後生もむなしかるべしとて歎被申ける時、聖人の仰に云、源空が中をたがひたるとて、何事に後生のむなしかるべきぞ、坊主の弟子を折檻し  するは、心得をなをすべき爲なり、後生のむなしかるべき謂なし。其謂は、一度本願に歸しつゝ彌陀をたのみ奉る信心は、佛よりさづけ給心也、たのむ衆生の心は、彌陀如來の心光に攝取したまふてすて給ふべからず。坊主の勘氣をかうぶりたるとて、信心を御取かへし有べき歟とぞおほせらる。眞の信なくは、坊主の勘氣なくとても地獄におつべし、能々心得べしとぞⅤ-0827被仰ける。能々此道理分別すべき事也。 (一九三) 一 本泉寺勝如尼公とまうすは、玄眞法印四女、時藝法印孫也、宣祐法印室。兼鎭僧都病氣によりて、廿餘年の間悉皆住持代として、諸事はからひたりき。世間・佛法共、寺内の事は申に不及、加賀一箇國事も、此尼公のはからひにて、國中他宗の寺々へ音信ありて、不斷國中他門寺々衆音信共にて、威勢も無限、富貴自在にして、佛法興隆の人也。蓮【(如)】―上人・實如上人の仰にも、北陸道の佛法は、此尼公の所爲なりとぞ被仰ける。文明の比、蓮【(如)】―上人より中違の事侍りしと也。實如・蓮悟等に各に御物語ありしは、此中違の事は、常の人に替たる御中たがひ也とぞ被仰ける。何事ぞと云に、本寺へあまりに細々の音信あれば、本泉寺可斷候。本寺を心に被入事の無數限、時々折々に物を上せまいらせらるゝとて、蓮【(如)】―上人御中をたがはれ侍りける。さらば音信申すべからずとの他言を被申、御中を被直侍りしが、蓮【(如)】―上人仰に、音信すべからずとて中を直ては、後には猶本寺へ物を上せ、音信ありたる人なりと、蓮【(如)】―上人の仰とて、實如上人御物語ありしをば、予切々被仰聞、奇特不思議の尼公なりとぞ被仰。其息女の如秀禪尼W兼鎭女中Rも、をとらぬ佛法者不思議の人也と、實如上人は常々御物語ありける事也。 (一九四) 一 古へ本願寺の御坊は東山なり。靑蓮院の門跡の御近所なり、いまに草房あり。巧如上人・存如上人・蓮如上人の御代までの御坊也。蓮如上人若くましましき比までは、彼御坊に御座ありき事也。巧如上人の廿五Ⅴ-0828回忌も、東山にてましましきと見たり。彼東山の御房の指圖を慶聞坊は覺られけるを、顯證寺蓮淳の所望によりせられけるを、拙者も若年にて寫置侍りしかども、享祿の亂に失侍る也。凡阿彌陀堂ばかりは覺ける間、注侍るなり。阿彌陀堂は山科の野村にてのも同多きさ、三間四面也。内は九間なり、向は東の方一間六尺の縁に、三尺の小縁あり、其外の三方は、三尺の小縁までなり。内陣のたゝみ、まはり敷にて侍りしなり。御影堂も、内陣の大きさは同九間にて、疊まはりじき、野村にてのも同き也。脇の押板も二間なり。霜月報恩講に御傳繪かけらる。押板野村にてのも同き也。下檀はたゞ東の方へ二間也。已上、五間四面の御堂也。其外は三尺の小縁四方にありけると也。御亭もちいさく、其分量指圖おぼえず。御亭と御堂との間に廊下ある中程に亭あり、是を竹の亭と云。黑木造の麤相のちん也といへり。總じて御坊中もせばくちいさく、當時はそれ程のちいさき坊は、一家中の諸國の坊にも有間敷よし沙汰にて侍りき。御坊中の後の方に女中方の御入候つれども、いづ方に女方衆御入候ともみえず、人あるともなく、さびさびと御入候つるなどゝ、其折節の事、慶聞坊龍玄は物語候ひし事なり。 (一九五) 一 實如上人、永正年中の初比の事にて侍りしに、忍びて大和國多武峯、每年十月十五日六日の能を見物あるべきとて御越ありしに、不思議の事侍りけり。彼峯の坊中--院と申に縁ありて、御越ありし彼の坊主の夢想をみる、大織冠をば檀山大明神と申すより示現をかうぶる。彼候仁と覺しき人、彼--院に申さるゝ事は、此度の申樂に大明神の御客人參詣申さるゝ間、いかにも慇懃にあつかひ申さるべき由、慥に託宣をかうぶりけるに、忍て誰ともなく京中よりとて御出ありければ、内々は不思議に思て、ねんごろあつかひ奉てかⅤ-0829へし申侍るに、此外にあやしき客人もなし、されば託宣の旨は此人にてこそおはしまさんと、彼--院もおもひ、實如上人にまいらせけるあたらしき椀・家具を、只人にあらじと思ひて、後ろの檀の土の中に埋てぞをかれ侍し、不思議なりし事也。其後は内々さぐりきゝて、御主をも知侍りきと也。 (一九六) 一 同實如上人御往生の時、越中國女性、佛法に志ふかき人ありけり。御葬送にあひたてつり、御骨をとり頸にかけて下りけり。越前の州五本と云所にとゞまりて侍りけり。此在所は當流の門人一人もなき所なりしに、彼女房それをばしらで、みな當流の人なるべしと思ひて、彼宿の亭主の妻に、御骨を少わけて出し、これは山科本願寺の上人の御骨にて候といひて出しけり。亭主の妻は、何心なく上人御骨といひける程に請取たれども、骨といひけるほど、いさゝかいまいま敷こゝちにて、家のそとに藁がきに指をき侍りけり。程ふるまゝに、此亭の妻も忘れにけり。さる程に、その隣の里人、五本村に光物ありといひて、每夜各とがめつゝ申沙汰しければ、或人見付出て、五本の宿のうしろにひかる物ありとて、夜ごとに人々出て、この圓光を見付て、宿の亭主に所をさして云けるに、彼御骨の事を思出て、さる事の有けるよと思いでゝ、御骨を見ければ、五色になりて、夜ごと圓光の立ほどに、奇特不思議也と申て、近所の當流の人々に語つゝ、彼五本村衆あまた當流の門人とぞ成にける。 (一九七) 一 同實如上人大永五年二月二日御往生を歎き、山科Ⅴ-0830ちかき所の人、佛法に志ふかき人、あまた身をなげて死する人五、六人あり。越前の人二人、賀州に六人、已上十三人身を海河へなげ入て死せり。不思議なりし事也。 (一九八) 一 蓮【(如)】―上人の御往生の時は、年來聽聞に心を悅し人ありけり。【大和】芳野山里の人也し。山科にて御往生を遲々してきゝ、御葬送にまいらずして、ふかくなげき悲て、御葬禮すぎて侍りし晩景をそく參りて、をくれ奉ることの悲さよとて、かこひの内へはいり、腹十文字にかき切、腹わたを出し、我のどぶえをかき切てぞ死しける。御わかれを悲みける殊勝の事とぞ申合ける。明應八年三月廿六日の事也けり。 (一九九) 一  旦國の人四、五人日本にわたり、蓮【(如)】―上人へまいる事あり。堺の坊に御座の折節、彼國の人一子を失、なげきて子の向後をも知て佛果になし給れと、觀音にいのり奉るに、示現あらたにかうぶり、又日本に渡、後生の向後を知べしと告給ひければ、日本に渡、堺の津にて觀音の示現のごとくたづねゆきて、縁をもとめ蓮【(如)】―上人に御勸化をうけて、ありがたき旨申けり。本國の出立にて御坊へまいりけるが、事の外に大に一間に一人は有かぬる程なりける。その子孫いまも侍る覽とぞおぼゆる。 (二〇〇) 一 蓮【(如)】―上人、朝夕不斷にすこしも御あやまちあり、或は物を取おとさるゝ樣の事ある時は、御とがめ也、不信の心を御催促歟、或は聖人の御罰なりと、時々に思食たると也。常に仰られおどろかさせ給ける由、御物語ありしと也。 (二〇一) 一 同上人、將軍家の上臘春日の局と申は、攝津守姫、Ⅴ-0831代々祗候の事なり。實如の妹、愚老などが姉の妙秀と申せしを幼少の時より養育せし人也。然ば蓮【(如)】―上人へも知音也、この妙秀を養育せし事を深悅ましましけり。この春日局も後生の道を尋申されけるが、心得よくもとゞかず侍りければ、痛はしく思食、この局の後生の事は何と成ともすべきなり。愚老が請取申と、常々仰ありけると也。 (二〇二) 一 同上人、深草の里の淨西寺と云僧あり。小兒醫者にて侍りし。此僧、上人深甚の知音、人にすぐれたりき。正直にして正路の仁たり、人々皆したしみありし人、又細川右京太夫政元A大心院B號すC威勢の砌も、此淨西寺を一段と知音にて、如何樣に機嫌わろく侍る時も、淨西寺に相ては氣を直し侍りき。されば常に人々も賞にて、政元の機嫌をよからしめんと、此僧をよび寄賞したりし人也、奇特の仁也。蓮【(如)】―上人ことさらしたしく侍りて、法談の時も前にをきて法談あれど、佛法も耳にいらず、むざむざときゝて、我は今生の事は伊勢太神官を憑申す、後生の事は法印を憑申すと申されけれ。上人淨西寺の後生は請取ぞと被仰也。されば常の仰にも、春日局と淨西寺との後生を預るぞと被仰侍りけると也。 (二〇三) 一 法門申違たる人を生害させらるゝ事、近年これあり、前代は承不及事なり。蓮【(如)】―上人・實如上人御時までは承も不及事也。先釋迦如來の御時は、御弟子達のあまた相論の侍りしかども、雙方を如來いづれも御領納の事あり。其故は、さとりたるとさとらざるとの二Ⅴ-0832つにて各別に法を聞なりとて、いづれも曲言どもの宣ざりしとかや。法然聖人御弟子、又如此。立川流とて邪義を立て勸化せし也、是又御成敗ありたる事なし。新堤信樂房、御勸化をそむきて侍りしかども、さづけらるゝ所の本尊・聖敎を召返されよと申されしをだにも、左あるまじき旨、鸞上人の仰事ありつる事也。いづれの御代にも邪義・邪法を申さるゝ人ありしか共、邪見にその人を殺害せられたりと云事、注されたる物にも不拜見、承も不及也。蓮【(如)】―上人の御時も、邪法を申人あまた侍りき。或人其仁を成敗し殺害に及べき由申人ありしに、蓮【(如)】―上人、ゆめゆめ殺害などは不可有之事也、旣命をたちては不便の事也、聖人の法流を申みだし邪義をすゝむる人は、頸を引てもあきたらぬ事也、我一身邪義を申のみならず、又人を迷はし奈梨にしづむるはあさましき事也、雖然命をたちては不便の事也、いかにも其仁をふかく折勘せしめ、同行の列をはづすべき也、命あれば心中を思直し改るればありがたき事也、忽に命を失へば奈落に沈なり、能々心得べしと仰事ありし事也。されば蓮【(如)】―上人・實如上人の御時までは、殺害の沙汰承も不及事なり。 (二〇四) 一 蓮【(如)】―・實如兩御代、御内仁等わろきことせられ被申たる人あまた侍りしに、何れを歟忽生害させられたると云事の侍りしぞ、うけたまはり侍らず。其比事のありつる。ふかく御勘氣をかうぶり御内を被出て侍りしを、其親類同名中として、生害させられたる事あり、又は番衆中の傍輩中として、殺害に及たると云事をば承り及侍りき。上よりの儀として、生害に及たるなどゝ云事、且以うけたまはりも及ばざる事なりき。 (二〇五) 一 江州の何れの郡やらん、在所もわすれにけり、或る入道のありけるが、名を書付てをきて侍りしかどもⅤ-0833忘れけり、但おぼえたる人も侍るべし。此禪門、夜などに風の吹ことあれば、夜もすがらおきて、剩海道ちかく出て、わらなわを急ないて侍りけり。或人此入道の繩をいそぎなひけるを不審しければ、其比城州山科に御本寺はありける時なり、風ふけば、御本寺樣に何く歟吹やぶり侍らんと存ずれば、心許なく存じ侍る也と申されけり。又海道へ出たるは何事ぞと問ければ、御本寺樣の御左右何事歟ましますと承りたくて、海道へ出て侍るなりと云、夜明ければ、繩を背負て山科殿へのぼり進上申、板びさしなどの損じたる所を、結付なんどせられけり。志の人の覺悟は殊勝なる事と申あひ侍りき。 (二〇六) 一 同國に志の人侍りき。山科殿へまいるとて、路すがらあるきあるき、袂へ小石の栗又は茄子の大さのを取て入てのぼりけり。人々不審しければ、山科殿へもちてまいり、石藏のあひあひにかいてけり。若くづれてはいかゞと思ふ志ざし也、ありがたき心なりとて、各感じ申されけり。其入道の在所も名も忘けり、定で知りたる人も侍るべし、道專とやらんいひしなり。A名を尋てBしるすべしC (二〇七) 一 同國より志の人ありて、菜を作て春秋山科殿へ持せてまいらせけるが、しばし我も食せずして、はやまいりつきて、上々にもきこしめしてこそす覽とおぼえし日數を勘てのちに、我宿にてその菜の類をば食せられけり。尤志の殊勝なる事と、其比人々の沙汰ありし事也。其比より、江州には畠作する人々、菜の初尾とⅤ-0834て、在々所々より菜をまいらせけり。雜事のしばらく御用に、其比申せし二月三つきもつゞけてまいらせければ、御ことかゝれざるなど申あひけり。蓮【如】―上人も御感の事にてありき。 右此條々者、蓮如上人御時之儀、宿老衆兄弟中各御物語儀等、先年注置處、享祿亂皆失畢。然而其内一帖計、聊或人持來令見之間、則書加之。一字一點不可在虛說。仍子孫之外不可及披見者也。 天正二年W甲戌R十一月三日書納之 苾蒭兼俊W九十二歲R (花押)書之