Ⅴ-0687蓮如上人御物語次第 蓮如上人のおりおり御物語候ひつる御金言どもを、蓮吾御讚嘆の時おほせいだされ候を、御きゝがきに數下條おんいり候ところに、のぞみのよし候あひだ、ぬきがきに少々にうつしさふらひまひらせ候。われらいかやうになり候とも、是を御らんじて、いよいよ御文のごとく心中御たしなみあるべく候。 (一) 一 蓮如上人おほせられ候。なにたることをきこしめしても、御心にはゆめゆめかなはざるなり。 (二) 一 ひとりなりともひとの信をとりたることを、きこしめしたきとおほせられ候。御一生は、ひとに信をとらせたくおほせられさふらふ。 (三) 一 おなじくおほせられ候。佛法をばさしよせていへいへとおほせられ候。法敬に對しおほせられ候。信心・安心と云は、愚癡のひとはまたくしらぬなり。信心・安心といへば、別のやうにおもへり。たゞ凡夫のほとけになることをおもふべし。たゞ後生たすけたまへと彌陀をたのめばと云べし。いかなる愚癡の衆生も、聞信をとるべし。當流にはこれよりほかの法門はなきなりとおほせられ候。『安心決定鈔』(卷本)いはく、「淨土の法門は第十八の願をよくよく心うるほかにはなきⅤ-0688なり」とおほせられ候。しかれば「御文」(五帖*一)には「一心一向に佛たすけたまへとまふさん衆生をば、たとひ罪業は深重なりとも、かならず彌陀如來はすくひましますべし。是すなはち第十八の念佛往生の誓願の心也」とおほせられさふらふ。 (四) 一 信のうへは、たふとくおもひて申す念佛も、佛恩にそなはるなり。他宗には、親のためまたなにのためなどゝいひて念佛をつかふなり。聖人の御一流には、彌陀をたのむが念佛也。其うへの稱名は、なにともあれ佛恩になる物也とおほせられ候。佛恩佛恩の稱名は退轉あるまじきことなり。あるひはこゝろよりたふとくありがたくぞんずるをば、佛恩とおもふべし。たゞ念佛まふされ候をば、それほどにおもはざること、おほきなるあやまりなり。自念佛のまふされ候こそ、佛智の御もよほし、佛恩の稱名なれとおほせられ候。 (五) 一 おりおりおほせられ候。たゞ佛法の儀をばよくよくひとにとへ。ものをばひとによくとひまふせとおほせられ候。たれにとひまふすべきとうかゞひ申ければ、佛法だにもあらば、上下をいはずとふべし。佛法はしりさふもなきものがしるぞとおほせられさふらふ。 (六) 一 ひとはあがりあがりておちばをしらぬなり。たゞつゝしみて不斷そらおそろしきことゝ、每事につけて心をもつべきよしおほせられ候。 (七) 一 一心とは、彌陀をたのめば如來の佛心とひとつになしたまふがゆへに、一心なりといへり。 (八) 一 同行・善知識にはよくよくちかづくべし。「親近せざれば雜修の失なり」と『禮讚』(意)にあらはせり。あⅤ-0689しきものにちかづけば、それにはならじと思ども、あしきことときどきにあり。たゞ佛法者にはなれちかづくべしとおほせられ候。ぞくてんにいはく、「そのひとの心をしらんとおもはゞ、そのともをみよ」といへり。「善人のかたきとはなるとも、惡人の友となることなかれ」となり。 (九) 一 「きればいよいよかたく、あふげばいよいよたかし」(論語意)と云ことあり。物をきりてみて、かたしとしるなり。本願を信じて殊勝なるほどもしるなり。信心おこりぬれば、たふとく思よろこびも、いやましになるなりとおほせられ候。 (一〇) 一 「蓮花のうへに座せぬあひだ、あんどのおもひあるべからず」(和語燈*卷五意)と、黑谷の聖人の御言にも有。水鳥もうへはたのしむやうなれども、あしをば由斷なくはたらかすなり。信のうへはいよいよ讚談・談合を佛法の惠命とおほせられ候。 (一一) 一 同行のまへにてはよろこぶなり、名門なり。信のうへはひとり居てよろこぶ法なり。佛法のかたへは世間のひまをかきて法をきくべし。ひまをあけて聞べきやうに思こと、あやまり也。佛法にはあらずと云ことはあるまじきこと也。「たとひ大千界に みてらん火をもすぎゆきて 佛のみなをきくひとは ながく不退にかなふなり」と、『和讚』(淨土*和讚)にもあそばされさふらふ。 Ⅴ-0690(一二) 一 くちとはたらきは、じするものなり。こゝろねになりがたきものなり。がいぶん、心のかたをたしなみ申べきよし、おほせられさふらふ。 (一三) 一 一句一言を聽聞するにも、えてに法をきく也。たゞよく心中のとほり同行にあひて談合すべきことなり。 (一四) 一 念佛申も、人の名聞げにおもはれ候はんとおもひてたしなむが大義なるよし、あるひとまふされ候。つねのひとの心中にはかはり候との義にさふらふ。 (一五) 一 御冠落のうちに、慶聞坊におほせられ候。ものをよめと御意候ところに、「御文」をよみまふすべきかとまふされ候。三通を二返づゝよませられ候。わがつくりたるものなれども、殊勝なることよとおほせられさふらふ。 (一六) 一 「御文」をば如來の御直說と存ずべきよし候。かたちをみれば法然かと、ことばをきけば彌陀の直說といへり。 (一七) 一 法敬坊まふされ候。つねにはわがまへにはいはずして、かげにうしろごとをいふとして腹立すること也。われはさやうには存ぜず候。わがまへにて申にくゝは、かげにてなりともわがわろきことをまふされよ。きゝて心中をなをすべきよしまふされ候。 (一八) 一 とをきはちかき道理、ちかきはとをき道理なり。「とうだいもとくらし」と、佛法を不斷聽聞まふすみは、御用をあひきて、いつもごとゝおもひて、法義にⅤ-0691佛法にうとく候て、おろそかなり。とをとをの人は、きゝたく大切にもとむるこゝろあるなり。佛法は大切にもとむるこゝろよりきくものなり。 (一九) 一 ひとつことをきゝて、いつもめづらしくはじめたるやうに、信のうへにはあるべきなり。たゞひとごとにめづらしきこと、いくたび聽聞まふせども、めづらしくはじめたるやうにあるべくさふらふ。 (二〇) 一 御法談の已後、四、五人の兄弟さまへおほせられ侯。四、五人の衆よりあひ候て、談合あるべきよしをおほせられさふらふ。 (二一) 一 ひとの佛法を信じてわれによろこばせんとをもへり。それはわろし。信をまことにとるべきならば、恩にも御うけあるべきよしさふらふ。 (二二) 一 まことに一人なりとも信をとるべきならば、身命をすてよ。それはすたらぬとおほせられ候。 (二三) 一 有時おほせられ候。御門徒の心へをなをすべきときこしめして、老のしわをのべばやとおほせられ候。 (二四) 一 御門徒衆御たづね候。そなたの坊主、心のなをりたるをうれしくぞんずるかと御たづね候へば、まふされ候。まことにこゝろえをなをされ、法義をこゝろにかけられ候。一段ありがたく存知候よしまふされ候。其時われはなをうれしく思よとおほせられ候。 Ⅴ-0692(二五) 一 時節到來といふことは、用心をもし其上にことのいでき候こそ、時節到來とはいふべし。不斷用心をもせずしてことのいでき候を、時節到來といふはいはれぬことなり。聽聞をこゝろがけてのうへの宿善・无宿善ともいふなり。たゞ信心はきくにきはまるよし御意さふらふ。 (二六) 一 法敬坊にたいし、まきたてといふものしりたるかとおほせられ候ところに、法敬まふされさふらふ。まきたてとまふし、一度まきて手をさゝぬ物よとまふされ候。それよ、まきたてがわろきなり。ひとびとになをされまじきと思心也。心中をば申しいだしてひとになをされ候はでは、心えのなをるといふことあるべからず。まきたては信をとることあるべからずとおほせられ候。なにとしてひとになをされ候やうに心中をもつべし。わが心中をば同行のなかへうちいだしておくべし。ひとしりたるひとのいふことをかならず腹立するなり。あさましきことなり。たゞひとにいはるゝやう心中をばもつべきよしの義に候。 (二七) 一 實如上人のおほせられ候。上下老若によらず、後生は由斷にてし損ずべきよしおほせられ候。 (二八) 一 蓮如上人御目をふさがせられ、あゝ、とおほせられ候。さだめて御口中御わづらひゆへみなみな存知候ところに、やゝありておほせられ候。ひとの信のなきことをおぼしめし候へば、身をきりさくやうにかなしきよとおほせられさふらふ。 (二九) 一 萬事信なきによりてあしきなり。善知識のわろしとおほせられさふらふ、信のなきことをくせごとゝおⅤ-0693ほせられさふらふ。 (三〇) 一 同行よりあひ候ときは、たがひにものをいへいへとおほせられ候。ものをまふさぬものはをそろしきとおほせられ候。ものをまふせば心中もきこへ、またひとにもなをさるゝなり。たゞものをまふせとおほせられさふらふ。 (三一) 一 蓮如上人おほせられ候。一向に不信のよし申すひとはよく候。ことばにて安心のとほりまふして、くちにはおなじごとくにて、まぎれてむなしくなるべきことをかなしくおぼしめし候よしおほせられさふらふなり。 (三二) 一 蓮如上人へ法敬まふされ候。あそばされさふらふ御名號かけ申し候が、六體の佛に御なりさふらふ。不思議なるとまふされ候へば、そのときおほせられ候。それは不思議にてもなき也。佛の佛に御なり候は不思議にてもなきなり。惡凡夫の彌陀をたのむ一念にて佛になるこそ不思議よとおほせられさふらふ也。 (三三) 一 佛法には无我とおほせられ候。われとおもふことはいさゝかあるまじきなり。われはわろしとおもふひとなし。これ聖人の御罰なりと御ことばに候。他力の御すゝめにて候。ゆめゆめわれといふことはあるまじく候。无我といふことは、前住上人もたびたびおほせられさふらふ。 Ⅴ-0694(三四) 一 前々住上人おほせられ候。前より御相續の義は別義なきなり。たゞ彌陀をたのむ一念の義よりほか別義なく候。これよりほか御存知なくさふらふ。いかやうの御誓言もあるべきよしおほせられさふらふ。 (三五) 一 當流には、總體、世間機わろし。佛法のうへよりなにごともあひはたらくべきこと肝要なるよしおほせられ候。 (三六) 一 同おほせられ候。世間におひて時宜しかるべき人なりとも、信なくはこゝろおくべきなり。たよりにもならずなりけりやう、かた目つぶれ腰をひき候やうなるものなりとも、信心あらんひとをばたのもしくおもふべきなりとおほせられ候。 (三七) 一 蓮如聖人おほせられ候。佛法のうへには、每事につけてそらをそろしきことゝ存知、たゞよろづにつけてあるまじきことゝ存知候へのよし、おりおり御意なされ候。佛法のことはいそげいそげとおほせられさふらふ。 (三八) 一 總體、ひとにはおとるまじきとおもふこゝろ有。此心にて世間には无我にて候うへは、ひとにまけて信をとるべきなり。理をことはりて我をさるこそ、佛の御慈悲よとおほせられ候。 (三九) 一 蓮如上人、兼縁にたいせられおほせられ候。たとひ木のかはをきるいろめなりとも、なわびそ。彌陀をたのむ一念をよろこぶべきよしおほせられ候。 Ⅴ-0695(四〇) 一 蓮如上人おほせられ候。「かむとはしるとも、のむとはしらすな」と云ことなり。妻子を對し魚鳥を服し、罪障の身なりといひて、さのみおもひのままにはあるまじきよしおほせられ候。 (四一) 一 朝夕、如來・上人の御用にて候あひだ、冥加のかたをふかく存ずべきよし、蓮如上人おほせられ候。