Ⅱ-1029惠信尼消息 (一) もんぞもやかせ給てや候らんとて申候。それへまいるべきものは、けさと申候めのわらは、としさん十六。又そのむすめなでしと申候は、ことし十六。又九になり候むすめと、おや子さんにん候也。又はつね、そのむすめのいぬまさ、ことし十二。又ことりと申おんな、としさん十四。又あんとうしと申おとこ。さて、けさがことしみつになり候おのこゞは、人の下人にぐしてうみて候へば、ちゝをやにとらせて候也。 おほかたは、人の下人に、うちのやつばらのぐして候は、よにところせき事にて候也。 已上、合、おんな六人、おとこ一人、七人也。 けんちやう八ねんひのえたつのとし七月九日 (花押) Ⅱ-1030(二) わうごぜんにゆづりまいらせて候し下人どものせうもんを、せうまうにやかれて候よしおほせられさふらへば、はじめたよりにつけて申て候しかども、たしかにや候はざるらんとて、これはたしかのたよりにて候へば申さふらふ。 まいらせて候し下人、けさおんな。おなじきむすめなでし、めならは、とし十六。そのおとゝいぬわう、めのわらは、とし九。又まさおんな、おなじきむすめいぬまさ、とし十二。そのおとゝ、とし七。又ことりおんな。又あんとうし、おとこ。 已上、合、大小八人なり。これらはことあたらしく、たれかはじめてとかく申さふらふべきなれども、げすはしぜんの事も候はんためにて候也。 けんちやう八ねん九月十五日 ゑしん(花押) わうごぜんへ 又いづもがことは、にげて候しのちは、さうたいなき事にて候うへ、子一人も候はぬうへ、そらうのものにて候が、けふともしらぬものにてさふらへども、おとゝしそのやうは申て、物まいらせて候しかば、さだめて御心へは候らむ、御わすれ候べからず候。あなかしこ、あなかしこ。 Ⅱ-1031(花押) いまは、あまりとしより候て、てもふるへて、はんなどもうるはしくはしへ候はじ、さればとて御ふしんはあるべからず候。 (花押) (三) こぞの十二月一日の御ふみ、同はつかあまりに、たしかにみ候ぬ。なによりも殿の御わうじやう、中々はじめて申におよばず候。 やまをいでゝ、六かくだうに百日こもらせ給て、ごせをいのらせ給けるに、九十五日のあか月、しやうとくたいしのもんをむすびて、じげんにあづからせ給て候ければ、やがてそのあか月いでさせ給て、ごせのたすからんずるえんにあいまいらせんと、たづねまいらせて、ほうねん上人にあいまいらせて、又六かくだうに百日こもらせ給て候けるやうに、又百か日、ふるにもてるにも、いかなるたいふにも、まいりてありしに、たゞごせの事は、よき人にもあしきにも、おなじやうに、しやうじいづべきみちをば、たゞ一すぢにおほせられ候しを、うけ給はりさⅡ-1032だめて候しかば、しやうにんのわたらせ給はんところには、人はいかにも申せ、たとひあくだうにわたらせ給べしと申とも、せゝしやうじやうにもまよいければこそありけめ、とまで思まいらするみなればと、やうやうに人の申候し時もおほせ候しなり。 さてひたちのしもつまと申候ところに、さかいのがうと申ところに候しとき、ゆめをみて候しやうは、だうくやうかとおぼへて、ひんがしむきに御だうはたちて候に、しんがくとおぼえて、御だうのまへにはたてあかししろく候に、たてあかしのにしに、御だうのまへに、とりゐのやうなるによこさまにわたりたるものに、ほとけをかけまいらせて候が、一たいは、たゞほとけの御かほにてはわたらせ給はで、たゞひかりのま中、ほとけのづくわうのやうにて、まさしき御かたちはみへさせ給はず、たゞひかりばかりにてわたらせ給。いま一たいは、まさしき佛の御かほにてわたらせ給候しかば、これはなにほとけにてわたらせ給ぞと申候へば、申人はなに人ともおぼえず、あのひかりばかりにてわたらせ給は、あれこそほうねん上人にてわたらせ給へ。せいしぼさつにてわたらせ給ぞかしと申せば、さて又いま一たいはと申せば、あれはくわんおんにてわたらせ給ぞかし。あれこそぜⅡ-1033んしんの御房よと申とおぼえて、うちおどろきて候しにこそ、ゆめにて候けりとは思て候しか。 さは候へども、さやうの事をば人にも申さぬときゝ候しうへ、あまがさやうの事申候らむは、げにげにしく人も思まじく候へば、てんせい、人にも申さで、上人の御事ばかりをば、とのに申て候しかば、ゆめにはしなわいあまたある中に、これぞじちむにてある。上人をば、しよしよにせいしぼさつのけしんと、ゆめにもみまいらする事あまたありと申うへ、せいしぼさつはちゑのかぎりにて、しかしながらひかりにてわたらせ給と候しかども、くわんおんの御事は申さず候しかども、心ばかりはそのゝちうちまかせては思まいらせず候しなり。かく御心へ候べし。 されば御りんずはいかにもわたらせ給へ、うたがひ思まいらせぬうへ、おなじ事ながら、ますかたも御りむずにあいまいらせて候ける、おやこのちぎりと申ながら、ふかくこそおぼえ候へば、うれしく候、うれしく候。 又このくには、こぞのつくりもの、ことにそんじ候て、あさましき事にて、おほかたいのちいくべしともおぼえず候中に、ところどもかはり候ぬ。一ところならⅡ-1034ず、ますかたと申、又おほかたはたのみて候人のりやうども、みなかやうに候うへ、おほかたのせけんもそんじて候あひだ、中々とかく申やるかたなく候也。かやうに候ほどに、としごろ候つるやつばらも、おとこ二人、正月うせ候ぬ。なにとして、ものをもつくるべきやうも候はねば、いよいよせけんたのみなく候へども、いくほどいくべきみにても候はぬに、せけんを心ぐるしく思べきにも候はねども、み一人にて候はねば、これらが、あるいはおやも候はぬおぐろの女ばうのおんなご、おのこゞ、これに候うへ、ますかたが子どもも、たゞこれにこそ候へば、なにとなくはゝめきたるやうにてこそ候へ。いづれもいのちもありがたきやうにこそおぼえ候へ。 このもんぞ、殿のひへのやまにだうそうつとめておはしましけるが、やまをいでゝ、六かくだうに百日こもらせ給て、ごせの事いのり申させ給ける九十五日のあか月の御じげんのもんなり。ごらん候へとて、かきしるしてまいらせ候。 (四) このもんをかきしるしてまいらせ候も、いきさせ給て候しほどは、申てもえう候Ⅱ-1035はねば申さず候しかど、いまはかゝる人にてわたらせ給けりとも、御心ばかりにもおぼしめせとて、しるしてまいらせ候也。よくかき候はん人によくかゝせて、もちまいらせ給べし。又あの御えいの一ぷく、ほしく思まいらせ候也。おさなく、御みのやつにておはしまし候しとしの四月十四日より、かぜ大事におはしまし候しときの事どもをかきしるして候也。 ことしは八十にゝなり候也。おとゝしのしも月よりこぞの五月までは、いまやいまやと時日をまち候しかども、けふまではしなで、ことしのけかちにやうへじにもせんずらんとこそおぼえ候へ。かやうのたよりに、なにもまいらせぬ事こそ、心もとなくおぼえ候へども、ちからなく候也。ますかた殿にも、このふみをおなじ心に御つたへ候へ。ものかく事ものうく候て、べちに申候はず。 二月十日 (五) ぜんしんの御房、くわんぎ三年四月十四日むまの時ばかりより、かざ心ちすこしおぼえて、そのゆふさりよりふして、大事におはしますに、こし・ひざをもうたⅡ-1036せず、てんせい、かんびやう人をもよせず、たゞおともせずしてふしておはしませば、御身をさぐれば、あたゝかなる事火のごとし。かしらのうたせ給事もなのめならず。さてふして四日と申あか月、くるしきに、まはさてあらんとおほせらるれば、なにごとぞ、たわごとゝかや申事かと申せば、たわごとにてもなし。ふして二日と申日より、『大きやう』をよむ事ひまもなし。たまたまめをふさげば、きやうのもんじの一時ものこらず、きららかにつぶさにみゆる也。さてこれこそ心へぬ事なれ。念佛の信じんよりほかには、なにごとか心にかゝるべきと思て、よくよくあんじてみれば、この十七八ねんがそのかみ、げにげにしく三ぶきやうをせんぶよみて、すざうりやくのためにとて、よみはじめてありしを、これはなにごとぞ、「じゝんけう人しんなんちうてんきやうなむ」(禮讚)とて、みづから信じ、人をおしへて信ぜしむる事、まことの佛おんをむくゐたてまつるものと信じながら、みやうがうのほかにはなにごとのふそくにて、かならずきやうをよまんとするやと思かへして、よまざりしことの、さればなほもすこしのこるところのありけるや。人のしうしん、じりきのしんは、よくよくしりよあるべしとおもひなしてのちは、きやうよむことはとゞまりぬ。さてふして四日と申あか月、まはさてⅡ-1037あらんとは申也とおほせられて、やがてあせたりて、よくならせ給て候し也。 三ぶきやう、げにげにしく千ぶよまんと候し事は、しんれんばうの四のとし、むさしのくにやらん、かんづけのくにやらん、さぬきと申ところにて、よみはじめて、四五日ばかりありて、思かへして、よませ給はで、ひたちへはおはしまして候しなり。 しんれんばうはひつじのとし三月三日のひるむまれて候しかば、ことしは五十三やらんとぞおぼえ候。 こうちやう三ねん二月十日 惠信 (六) 御ふみの中に、せんねんに、くわんぎ三ねんの四月四日よりやませ給て候し時の事、かきしるして、ふみの中にいれて候に、その時のにきには、四月の十一日のあか月、きやうよむ事は、まはさてあらんとおほせ候しは、やがて四月の十一日のあか月としるして候けるに候。それをかぞへ候には八日にあたり候けるに候。四月の四日よりは八日にあたり候也。 Ⅱ-1038わかさどの申させ給へ ゑしん (七) もしたよりや候とて、ゑちうへこのふみはつかはし候也。さてもひとゝせ、八十と申候しとし、大事のそらうをして候しにも、八十三のとしぞ一定と、ものしりたる人のふみどもにも、おなじ心に申候とて、ことしはさる事と思きりてさふらへば、いきて候時、そとばをたてゝみ候はゞやとて、五ぢうに候いしのたうを、たけ七さくにあつらへて候へば、たふしつくると申候へば、いできて候はんにしたがひてたてゝみばやと思候へども、こぞのけかちに、なにも、ますかたのと、これのと、なにとなくおさなきものども、上下あまた候を、ころさじとし候しほどに、ものもきずなりて候うへ、しろきものを一もきず候へば、… …一人候。又おとほうしと申候しわらはをば、とう四郎と申候ぞ。それへまいれと申候。さ御心へあるべく候。けさがむすめは十七になり候也。さて、ことりと申女は、こも一人も候はぬ時に、七になり候めならはをやしなはせ候也。それはおやにつきてそれへまいるべく候也。よろづつくしがたくて、かたくて、とゞめⅡ-1039候ぬ。あなかしこ、あなかしこ。 (八) たよりをよろこびて申候。たびたびびんには申候へども、まいりてや候らん。ことしは八十三になり候が、こぞ・ことしはしにどしと申候へば、よろづつねに申うけたまはりたく候へども、たしかなるたよりも候はず。 さていきて候時と思候て、五ぢうに候たうの、七しやくに候いしのたうをあつらへて候へば、このほどはしいだすべきよし申候へば、いまはところどもはなれ候て、下人どもみなにげうせ候ぬ。よろづたよりなく候へども、いきて候時、たてゝもみばやと思候て、このほどしいだして候なれば、これへもつほどになりて候ときゝ候へば、いかにしてもいきて候時、たてゝみばやと思候へども、いかやうにか候はんずらん。そのうちにも、いかにもなり候はゞ、こどもゝたて候へかしと思て候。 なにごとも、いきて候し時は、つねに申うけたまはりたくこそおぼえ候へども、はるばるとくものよそなるやうにて候事、まめやかにおやこのちぎりもなきやうⅡ-1040にてこそおぼえ候へ。ことにはおとごにておはしまし候へば、いとをしきことに思まいらせて候しかども、みまいらするまでこそ候はざらめ。つねに申うけたまはる事だにも候はぬ事、よに心ぐるしくおぼえ候。 五月十三日 これはたしかなるたよりにて候。時に、こまかにこまかに申たく候へども、たゞいまとて、このたよりいそぎ候へば、こまかならず候。又このゑもんにうだう殿の御ことばかけられまいらせて候とて、よろこび申候也。このたよりはたしかに候へば、なにごともこまかにおほせられ候べし。あなかしこ、あなかしこ。 ぜんあく、それへのとの人どもは、もと候しけさと申も、むすめうせ候ぬ。いまそれがむすめ一人候。はゝめもそらうものにて候。さて、おとほうしと申候しは、おとこになりて、とう四郎と申と、又めのわらはのふたばと申めのわらは、ことしは十六になり候めのわらはゝ、それへまいらせよと申て候也。なにごとも御ふみにつくしがたく候てとゞめ候ぬ。又もとよりのことり、七ごやしなはせて候も候。 Ⅱ-1041五月十三日 (花押) (九) たよりをよろこびて申候。さてはこぞの八月のころより、とけはらのわづらはしく候しが、ことにふれてよくもなりへず候ばかりぞ、わづらはしく候へども、そのほかはとしのけにて候へば、いまはほれてさうたいなくこそ候へ。ことしは八十六になり候ぞかし。とらのとしのものにて候へば。 又それへまいらせて候しやつばらも、とかくなり候て、ことりと申候としごろのやつにて、三郎たと申候しがあいぐして候が、入道になり候て、さいしんと申候。入道めにはちあるものゝなかの、むまのぜうとかや申て御け人にて候ものゝむすめの、ことしは十やらんになり候を、はゝはよにおだしくうく候し、かゞと申てつかひ候しが、ひとゝせのうむびやうのとししにて候。をやも候はねば、ことりもこなきものにて候。時にあづけて候也。それ又けさと申候しむすめの、なでしと申候しが、よによく候しも、うむびやうにうせ候ぬ。そのはゝが候も、としごろ、かしらにはれものゝとしごろ候しが、それもたふじ大事にて、たのみなきとⅡ-1042申候。そのむすめ一人候は、ことしは廿になり候。それとことり、又いとく、又それにのぼりて候し時、おとほうしとて候しが、このごろ、□とう四郎と申候はまいらせんと申候へば、ちゝはゝうちすてゝはまいらじと、こころにはまうし候と申候へども、それはいかやうにもはからい候。かくゐ中に人にみをいれてかはりをまいらせんとも、くりさわが候はんずれば申候べし。たゞしかはりはいくほどかは候べきとぞおぼえ候。これらほどのおとこはよにすくなく申候也。 又こそでたびたびたまはりて候。うれしさ、いまはよみぢこそでにてきぬも候はんずれば、申ばかり候はず、うれしく候也。いまはあまがきて候ものは、さいごの時の事はなしては思はず候。いまは時日をまつみにて候へば。又たしかならんびんに、こそでたぶべきよしおほせられて候し。このゑもん入道のたよりは、たしかに候はんずらん。又さいしやう殿は、ありつきておはしまし候やらん。よろづきんだちの事ども、みなうけ給りたく候也。つくしがたくてとゞめ候ぬ。あなかしこ、あなかしこ。 九月七日 又わかさ殿も、いまはとしすこしよりてこそおはしまし候らめ。あはれ、ゆかⅡ-1043しくこそ思候へ。としよりては、いかがしくみて候人も、ゆかしくみたくおぼえ候けり。かこのまへの事のいとをしさ、上れんばうの事も思いでられて、ゆかしくこそ候へ。あなかしこ、あなかしこ。 …………………(切封) ちくぜん わかさ殿申させ給へ とひたのまきより (一〇) たよりをよろこびて申候。さてはことしまであるべしと思はず候つれども、ことしは八十七やらむになり候。とらのとしのものにて候へば、八十七やらん八やらむになり候へば、いまは時日をまちてこそ候へども、としこそおそろしくなりて候へども、しわぶく事候はねば、つわきなどはく事候はず。こし・ひざうたすると申こともたふじまでは候はず。たゞいぬのやうにてこそ候へども、ことしになり候へば、あまりにものわすれをし候て、ほれたるやうにこそ候へ。さてもこぞよりは、よにおそろしき事どもおほく候也。 又すかいのものゝたよりに、あやのきぬたびて候し事、申ばかりなくおぼえ候。Ⅱ-1044いまは時日をまちてゐて候へば、これをやさいごにて候はむずらんとのみこそおぼえ候へ。たふじまでもそれよりたびて候しあやのこそでをこそ、さいごの時のと思てもちて候へ。よにうれしくおぼえ候。きぬのおもても、いまだもちて候也。 又きんだちの事、よにゆかしく、うけ給はりたく候也。上のきんだちの御事も、よにうけ給りたくおぼえ候。あはれ、このよにていまいちどみまいらせ、又みへまいらする事候べき。わが身はごくらくへたゞいまにまいり候はむずれ。なに事もくらからず、みそなはしまいらすべく候へば、かまへて御念佛申させ給て、ごくらくへまいりあはせ給べし。なほなほごくらくへまいりあひまいらせ候はんずれば、なにごともくらからずこそ候はんずれ。 又このびんは、これにちかく候みこのおいとかやと申ものゝびんに申候也。あまりにくらく候て、こまかならず候。又かまへてたしかならんたよりには、わたすこしたび候へ。おわりに候、ゑもん入道のたよりぞ、たしかのたよりにて候べき。それもこのところにまいることの候べきやらんときゝ候へども、いまだひろうせぬ事にて候也。 又くわうず御ぜんのしゆぎやうにくだるべきとかやおほせられて候しかども、こⅡ-1045れへはみへられず候也。 又わかさどのゝいまはおとなしくとしよりておはし候らんと、よにゆかしくこそおぼえ候へ。かまへて、ねんぶつ申てごくらくへまいりあはせ給へと候べし。なによりもなによりもきんだちの御事、こまかにおほせ候へ。うけたまはりたく候也。おとゝしやらんむまれておはしまし候けるとうけ給はり候しは、それもゆかしく思まいらせ候。 又それへまいらせ候はむと申候しめのわらはも、ひとゝせのおゝうむびやうにおほくうせ候ぬ。ことりと申候めのわらはも、はやとしよりて候。ちゝは御けん人にてむまのぜうと申ものゝむすめの候も、それへまいらせんとて、ことりと申にあづけて候へば、よにぶたうげに候て、かみなども、よにあさましげにて候也。たゞのわらはべにて、いまいましげにて候めり。 けさがむすめのわかばと申めのわらはの、ことしは廿一になり候がはらみて、この三月やらんにこうむべく候へども、おのこゞならばちゝぞとり候はんずらん。さきにもいつゝになるおのこゞうみて候しかども、ちゝさうでんにて、ちゝがとりて候。これもいかゞ候はんずらん。わかばがはゝは、かしらになにやらんゆゝⅡ-1046しげなるはれものゝいでき候て、はや十よねんになり候なるが、いたづらものにて、時日をまつやうに候と申候。それにのぼりて候しおり、おとほうしとてわらはにて候しが、それへまいらすべきと申候へども、めこの候へば、よもまいらんとは申候はじとおぼえ候。 あまがりんずし候なんのちには、くりさわに申おき候はんずれば、まいれとおほせ候べし。又くりさわゝなに事やらん、のづみと申やまでらにふだん念佛はじめ候はむずるに、なにとやらんせんじ申ことの候べきとかや申げに候。五でうどのゝ御ためにと申候めり。 なにごとも申たき事おほく候へども、あか月、たよりの候よし申候へば、よるかき候へば、よにくらく候て、よもごらんじへ候はじとて、とゞめ候ぬ。 又はりすこしたび候へ。このびんにても候へ。御ふみの中にいれてたぶべく候。なほなほきんだちの御事、こまかにおほせたび候へ。うけ給はり候てだになぐさみ候べく候。よろづつくしがたく候て、とゞめ候ぬ。又さいさう殿、いまだひめぎみにておはしまし候やらん。 あまりにくらく候て、いかやうにかき候やらん、よもごらんじへ候はじ。 Ⅱ-1047三月十二日ゐの時