Ⅱ-0871親鸞聖人血脈文集 (一) 一 かさまの念佛者のうたがひとはるゝこと。それ淨土眞宗のこゝろは、往生の根機に他力あり、自力あり。このことすでに天竺の論家、淨土の祖師のおほせられたることなり。 まづ自力とまうすことは、行者のをのをのの縁にしたがひて、餘の佛號を稱念し、餘の善根を修行して、わが身をたのみ、わがはからひのこゝろをもて身口意のみだれごゝろをつくろひ、めでたふしなして淨土へ往生せんとおもふを自力とまうすなり。また他力とまうすことは、彌陀如來の御ちかひのなかに、選擇攝取したまへる第十八の念佛往生の本願を信樂するを他力とまうすなり。如來の御ちかひなれば、他力には義なきを義とすと、聖人のおほせごとにてありき。義といふことは、はからふことばなり。行者のはからひは自力なれば、義Ⅱ-0872といふなり。他力は、本願を信樂して往生決定なるゆへに、さらに義なしといふなり。しかれば、わが身のわるければ、いかでか如來むかへたまはんとおもふべからず。凡夫はもとより煩惱具足したるゆへに、わるきものとおもふべし。またわがこゝろのよければ、往生すべしとおもふべからず。自力の御はからひにては眞實の報土へむまるべからざるなり。行者のをのをのの自力の信にては、懈慢邊地の往生、胎生疑城の淨土までぞ往生せらるゝことにてあるべきとぞ、うけたまはりたりし。第十八の本願成就のゆへに阿彌陀如來とならせたまひて、不可思議の利益きはまりましまさぬ御かたちを、天親菩薩は盡十方无㝵光如來とあらはしたまへり。このゆへに、よきあしき人をきらはず、煩惱のこゝろをえらばず、へだてずして、往生はかならずするなりとしるべしとなり。しかれば、惠心院の和尙は、『往生要集』(卷下意)には、本願の念佛を信樂するありさまをあらはせるには、「行住座臥をえらばず、時處諸縁をきらはず」とおほせられたり。「眞實の信心をえたる人は攝取のひかりにおさめとられまいらせたり」(要集*卷下意)と、たしかにあらはせり。しかれば、无明煩惱を具足して安養淨土に往生すれば、かならずすなはち无上佛果にいたると、釋迦如來ときたまへり。しかるに、「五Ⅱ-0873濁惡世のわれら、釋迦一佛の御ことを信受せんことありがたかるべしとて、十方恆沙の諸佛、證人とならせたまふ」(散善*義意)と、善導和尙は釋したまへり。「釋迦・彌陀・十方の諸佛、みなおなじ御こゝろにて、本願の念佛の衆生には、かげのかたちにそへるがごとくしてはなれたまはず」(散善*義意)とあかせり。しかれば、この信心の人を釋迦如來は、「わがしたしきともなり」(大經*卷下意)とよろこびまします。この信心の人を眞の佛弟子といへり。この人を正念に住する人とす。この人は、攝取してすてたまはざれば、金剛心をえたる人とまうすなり。この人を上々人とも、好人とも、妙好人とも、最勝人とも、希有人ともまうすなり。この人は正定聚のくらゐにさだまるなりとしるべし。しかれば、彌勒佛とひとしき人とのたまへり。これは眞實信心をえたるゆへに、かならず眞實の報土に往生するなりとしるべし。この信心をうることは、釋迦・彌陀・十方諸佛の御方便よりたまはりたるとしるべし。しかれば、諸佛の御をしへをそしることなく、餘の善根を行ずる人をそしることなし。この念佛する人をにくみそしる人をも、にくみそしることあるべからず。あはれみをなし、かなしむこゝろをもつべしとこそ、聖人はおほせごとありしか。あなかしこ、あなかしこ。 Ⅱ-0874佛恩のふかきことは、懈慢邊地に往生し、疑城胎宮に往生するだにも、彌陀の御ちかひのなかに、第十九・第二十の願の御あはれみにてこそ、不可思議のたのしみにあふことにてさふらへ。佛恩のふかきこと、そのきはもなし。いかにいはんや、眞實の報土へ往生して大涅槃のさとりをひらかんこと、佛恩よくよく御按どもさふらふべし。これさらに性信房・親鸞がはからひまうすにはあらずさふらふ。ゆめゆめ。 建長七歲W乙卯R十月三日 釋親鸞八十三歲書之 なをなをよくよく念佛まうさせたまはん人々は、本願の念佛を信ぜさせたまふべし。 (二) 一 この御ふみどもの樣、くはしくみさふらふ。また、さては慈信が法文の樣ゆへに、常陸・下野の人々、念佛まうさせたまひさふらふことの、としごろうけたまはりたる樣には、みなかはりあふておはしますときこえさふらふ。かへすがへⅡ-0875す往生を一定とおほせられさふらふ人々、慈信とおなじ樣に、そらごとをみなさふらひけるを、としごろふかくたのみまいらせてさふらひけること、かへすがへすあさましふさふらふ。そのゆへは、往生の信心とまうすことは、一念もうたがふことのさふらはぬをこそ、往生一定とはおもひてさふらへ。光明寺の和尙の信の樣ををしへさせたまひさふらふには、まことの信をさだめられてのちには、彌陀のごとくの佛、釋迦のごとくの佛、そらにみちみちて、釋迦のをしへ、彌陀の本願はひがごとなりとおほせらるとも、一念もうたがひあるべからずとこそうけたまはりてさふらへば、その樣をこそ、としごろまうしてさふらふに、慈信ほどのものゝまうすことに、常陸・下野の念佛者の、みな御こゝろどものうかれて、はては、さしもたしかなる證文を、ちからをつくしてかずあまたかきてまいらせてさふらへば、それをみなすてあふておはしましさふらふときこえさふらへば、ともかくもまうすにをよばずさふらふ。まづ慈信がまうしさふらふ法文の樣、名目をもきかず。いはんやならひたることもさふらはねば、慈信にひそかにをしふべき樣もさふらはず。またよるもひるも慈信一人に、人にはかくして法文をしへたることさふらはず。もしこのこと、慈信にまうしながら、そⅡ-0876らごとをもまうしかくして、人にもしらせずしてをしへたることさふらはゞ、三寶を本として、三界の諸天善神・四海の龍神八部・閻魔王界の神祇冥道の罰を、親鸞が身にことごとくかぶりさふらふべし。自今已後は、慈信にをきては、子の儀おもひきりてさふらふなり。世間のことにも、不可思議のそらごと、まうすかぎりなきことどもを、まうしひろめてさふらへば、出世のみにあらず、世間のことにをきても、をそろしきまうしごとどもかずかぎりなくさふらふなり。なかにも、この法文の樣きゝさふらふに、こゝろもをよばぬまうしごとにてさふらふ。つやつや親鸞が身には、きゝもせず、ならはぬことにてさふらふ。かへすがへすあさましふ、こゝろうくさふらふ。彌陀の本願をすてまいらせてさふらふことに、人々のつきて、親鸞をもそらごとまうしたるものになしてさふらふ。こゝろうく、うたてきことにさふらふ。おほかたは、『唯信抄』・『自力他力の文』・『後世ものがたりのきゝがき』・『一念多念の證文』・『唯信鈔の文意』・『一念多念の文意』、これらを御覽じながら、慈信が法文によりて、おほくの念佛者達の、彌陀の本願をすてまいらせあふてさふらふらんこと、まうすばかりなくさふらへば、かやうの御ふみども、これよりのちにはおほせらるべからずさふらふ。またⅡ-0877『眞宗のきゝがき』、性信房のかゝせたまひたるは、すこしもこれにまうしてさふらふ樣にたがはずさふらへば、うれしふさふらふ。『眞宗のきゝがき』一帖はこれにとゞめをきてさふらふ。また哀愍房とかやの、いまだみもせずさふらふ。またふみ一度もまいらせたることもなし。くによりもふみたびたることもなし。親鸞がふみをえたるとまうしさふらふなるは、おそろしきことなり。この『唯信鈔』かきたる樣、あさましうさふらへば、火にやきさふらふべし。かへすがへすこゝろうくさふらふ。このふみを人々にもみせさせたまふべし。あなかしこ、あなかしこ。 五月廿九日 親鸞 性信房[御返事] なをなをよくよく念佛者達の信心は一定とさふらひしことは、みな御そらごとどもにてさふらひけり。これほどに第十八の本願をすてまいらせあふてさふらふ人々の御ことばをたのみまいらせて、としごろさふらひけるこそ、あさましうさふらふ。このふみをかくさるべきことならねば、よくよく人々にみせまうしたまふべし。 Ⅱ-0878(三) 一 諸佛稱名の願とまうし、諸佛咨嗟の願とまうしさふらふなるは、十方衆生をすゝめんためときこえたり。また十方衆生の疑心をとゞめん料ときこえてさふらふ。『彌陀經』の十方諸佛の證誠の樣にてきこえたり。詮ずるところは、方便の御誓願と信じまいらせてさふらふ。念佛往生の願は、如來の往相廻向の正業・正因なりとみえてさふらふ。まことの信心ある人は、等正覺の彌勒とひとしければ、如來とひとしとも諸佛のほめさせたまひたりとこそきこえてさふらへ。また彌陀の本願を信じさふらひぬるうへには、義なきを義とすとこそ、大師聖人のおほせにてさふらへ。か樣に義のさふらふらんかぎりは、他力にはあらず、自力なりときこえてさふらふ。また他力とまうすは、佛智不思議にてさふらふなるときに、煩惱具足の凡夫の无上覺のさとりをえさふらふなることは、佛と佛とのみ御はからひなり。さらに行者のはからひにあらず。しかれば、義なきを義とすとさふらふなり。義とまうすことは、自力の人のはからひをまうすなり。他力には、しかれば、義なきを義とすとさふらふなり。この人々のおほせの樣は、これにはつやつやとしらぬことにてさふらへば、とかくまうすべきにあⅡ-0879らずさふらふ。また來の字は、衆生利益のためには、きたるとまうす、方便なり。さとりひらきては、かへるとまうす。ときにしたがひて、きたるともかへるともまうすとみえてさふらふ。なにごともなにごとも、またまたまうしさふらふべくさふらふ。 二月廿五日 親鸞 慶西御房[返事] (四) 一 武藏よりとて、しむの入道どのとまうす人と、正念房とまうす人の、王番にのぼらせたまひてさふらふとておはしましてさふらふ。みまいらせてさふらふ。御念佛の御こゝろざしおはしますとさふらへば、ことにうれしうめでたふおぼえさふらふ。御すゝめとさふらふ。かへすがへすうれしうあはれにさふらふ。なをなをよくよくすゝめまいらせて、信心かはらぬ樣に人々にまうさせたまふべし。如來の御ちかひのうへに、釋尊の御ことなり。また十方恆沙の諸佛の御證誠なり。信心はかはらじとおもひさふらへども、樣々にかはりあはせたまひてさふらⅡ-0880ふこと、ことになげきおもひさふらふ。よくよくすゝめまいらせたまふべくさふらふ。あなかしこ、あなかしこ。 九月七日 親鸞 性信御房 念佛のあひだのことゆへに、御沙汰どもの樣々にきこえさふらふに、こゝろやすくならせたまひてさふらふと、この人々の御ものがたりさふらへば、ことにめでたふうれしうさふらふ。なにごともなにごともまうしつくしがたくさふらふ。いのちさふらはゞ、またまたまうしさふらふべくさふらふ。 (五) 一 法然聖人者 A流罪土佐國 幡多B俗姓藤井元彥 御名C 善信者 A流罪越後國 國府B俗姓藤井善信C 坐罪科之時敕宣稱 善信者 A俗姓藤井B俗名善信C Ⅱ-0881善惠者 A【慈鎭和尙の御ことなり】无動寺大僧正御坊にBあづけしめおはしましきC 幸西者 A俗姓物部B常覺坊C 愚禿者、坐流罪之時、望敕免之時、改藤井姓、以愚禿之字、中納言範光卿をもて敕免をかぶらんと、經奏聞、範光の卿をはじめとして、諸卿みな愚禿の字にあらためかきて奏聞をふること、めでたくまうしたりとてありき。そのとき、ほどなく聖人もゆるしましまししに、御弟子八人あひ具してゆるされたりしなり。京中にはみなこの樣は、しられたるなり。 『敎行證』六末(化身*土卷)云、「愚禿釋鸞、建仁辛酉曆、棄雜行兮歸本願。元久乙丑歲、蒙恩恕兮書『選擇』。本願念佛集内題字、幷南无阿彌陀佛往生之業念佛爲本、與釋綽空字、以空眞筆、令書之。同日空眞影申預、奉圖畫。同二年閏七月下旬第九日、眞影銘、以眞筆令書南无阿彌陀佛、與若我成佛、十方衆生、稱我名號、下至十聲、若不生者、不取正覺。彼佛今現在成佛、當知本誓重願不虛、衆生稱念必得往生之眞文。又依夢告、改綽空字、同日以御筆令書名之字畢。本師聖人、今年七旬三御歲也。」 Ⅱ-0882右以此眞文性信所尋申早所預彼本尊也。彼本尊幷選擇集眞影之銘文等、從自源空聖人奉讓親鸞聖人從親鸞聖人所讓給性信也。彼本尊銘文。  南无阿彌陀佛 建曆第二壬申歲正月廿五日 黑谷法然聖人御入滅A春秋B滿八十C 賢心 W御判R (六) 金剛信心事。 愚禿親鸞。信心をえたるひとは、かならず正定聚のくらゐに住するがゆへに等正覺のくらゐとまふすなり。いまの『大无量壽經』には、攝取不捨の利益にさだまるものを正定聚となづけ、『无量壽如來會』には等正覺とときたまへり。その名こそかわりたれども、正定聚・等正覺とまふすくらゐは、補處の彌勒おなじくらゐなり。彌勒とおなじく、このたび无上覺にいたるべきゆへに、彌勒におなじとゝきたまへり。さて『大經』(卷下)には、「次Ⅱ-0883如彌勒」とはまふすなり。彌勒はすでに佛にちかくましませば、彌勒佛と諸宗のならひはまふすなり。しかれば、彌勒におなじくらゐなれば、正定聚のひとは如來にひとしともまふすなり。淨土の眞實信心のひとは、このみこそあさましき不淨造惡のみなれども、心はすでに如來とひとしければ、如來とまふすこともあるべしとしらせたまへ。彌勒すでに无上覺にその心さだまりてあかつきにならせたまふによりて、三會のあかつきとまふすなり。淨土眞宗のひとも、このこゝろをこゝろふべきなり。光明寺の和尙の『般舟讚』(意)には、「信心のひとは、その心すでにつねに淨土に居す」と釋したまへり。居すといふは、淨土に、信心のひとのこゝろつねにゐたるといふこゝろなり。これは彌勒とおなじくといふことをまふすなり。これは等正覺を彌勒とおなじとまふすによりて、信心のひとは如來とひとしとまふすこゝろなり。