Ⅱ-0731彌陀如來名號德 无量光といふは、『經』(觀經)にのたまはく、「无量壽佛に八萬四千の相まします。一一の相におのおの八萬四千の隨形好まします。一一の好にまた八萬四千の光明まします。一一の光明徧照十方世界。念佛衆生攝取不捨」といへり。惠心院の僧都、このひかりを勘てのたまはく、「一一の相におのおの七百五倶胝六百萬の光明あり、熾然赫奕たり」(要集*卷中意)といへり。一相よりいづるところの光明かくのごとし。いはむや八萬四千の相よりいでむひかりのおほきことをおしはかりたまふべし。この光明のかずのおほきによりて、无量光とまふすなり。 次に无邊光といふは、かくのごとく无量のひかり十方をてらすこと、きわほとりなきによりて、无邊光とまふすなり。 次に无㝵光といふは、この日月のひかりは、ものをへだてつれば、そのひかりかよはず。この彌陀の御ひかりは、ものにさえられずしてよろづの有情をてらしたまふゆへに、无㝵光佛とまふすなり。有情の煩惱惡業のこゝろにさえられずⅡ-0732ましますによりて、无㝵光佛とまふすなり。无㝵光の德ましまさざらましかば、いかゞし候はまし。かの極樂世界とこの娑婆世界とのあひだに、十萬億の三千大千世界をへだてたりととけり。その一一の三千大千世界におのおの四重の鐵圍山あり。たかさ須彌山とひとし。次に少千界をめぐれる鐵圍山あり、たかさ第六天にくだる。次に中千界をめぐれる鐵圍山あり、たかさ色界の初禪にいたる。次に大千界をめぐれる鐵圍山あり、たかさ第二禪にいたれり。しかればすなわち、もし无㝵光佛にてましまさずは一世界をすらとほるべからず。いかにいはむや十萬億の世界おや。かの无㝵光佛の光明、かゝる不可思議のやまを徹照して、この念佛衆生を攝取したまふにさわることましまさぬゆへに、无㝵光とまふすなり。 次に淸淨光とまふすは、法藏菩薩、貪欲のこゝろなくしてえたまえるひかりなり。貪欲といふに二あり。一には婬貪、二には財貪なり。このふたつの貪欲のこゝろなくしてえたまへるひかり也。よろづの有情の汚穢不淨をのぞかむための御ひかり也。婬欲・財欲のつみをのぞきはらはむがためなり。このゆへに淸淨光とまふすなり。 次に歡喜光といふは、无瞋の善根をもてえたまへるひかり也。无瞋といふは、おⅡ-0733もてにいかりはらだつかたちもなく、心のうちにそねみねたむこゝろもなきを无瞋といふ也。このこゝろをもてえたまへるひかりにて、よろづの有情の瞋恚・憎嫉のつみをのぞきはらはむためにえたまへるひかりなるがゆへに、歡喜光とまふすなり。 次に智慧光とまふすは、これは无癡の善根をもてえたまへるひかり也。无癡の善根といふは、一切有情、智慧をならひまなびて无上菩提にいたらむとおもふこゝろをおこさしめむがためにえたまへるなり。念佛を信ずるこゝろをえしむるなり。念佛を信ずるは、すなわちすでに智慧をえて佛になるべきみとなるは、これを愚癡をはなるゝことゝしるべきなり。このゆへに智慧光佛とまふすなり。 次に无對光といふは、彌陀のひかりにひとしきひかりましまさぬゆへに、无對とまふすなり。 次に炎王光とまふすは、ひかりのさかりにして、火のさかりにもえたるにたとえまいらするなり。火のほのおのけむりなきがさかりなるがごとしと也。 次に不斷光とまふすは、この光のときとしてたへずやまずてらし…… ……ちにておはしますひかり也。超といふは、この彌陀の光明は、日月の光にすⅡ-0734ぐれたまふゆへに、超とまふすなり。超は餘のひかりにすぐれこえたまへりとしらせむとて、超日月光とまふすなり。十二光のやう、おろおろかきしるして候也。くはしくまふしつくしがたく、かきあらはしがたし。 阿彌陀佛は智慧のひかりにておはしますなり。このひかりを无㝵光佛とまふすなり。无㝵光とまふすゆへは、十方一切有情の惡業煩惱のこゝろにさえられずへだてなきゆへに、无㝵とはまふす也。彌陀の光の不可思議にましますことをあらはししらせむとて、歸命盡十方无㝵光如來とはまふすなり。无㝵光佛をつねにこゝろにかけ、となえたてまつれば、十方一切諸佛の德をひとつに具したまふによりて、彌陀を稱すれば功德善根きわまりましまさぬゆへに、龍樹菩薩は、「我說彼尊功德事、衆善无邊如海水」(十二禮)とおしえたまへり。かるがゆへに不可思議光佛とまふすとみえたり。不可思議光佛のゆへに「盡十方无㝵光佛とまふす」と、世親菩薩は『往生論』にあらはせり。阿彌陀佛に十二のひかりの名まし…… ……難思光佛とまふすは、この彌陀如來のひかりの德おば、釋迦如來も御こゝろおよばずとときたまへり。こゝろのおよばぬゆへに難思光佛といふなり。 Ⅱ-0735次に无稱光とまふすは、これも、この不可思議光佛の功德はときつくしがたしと釋尊のたまへり。ことばもおよばずとなり。このゆへに无稱光とまふすとのたまへり。しかれば、曇鸞和尙の『讚阿彌陀佛の偈』には、難思光佛と无稱光佛とを合して、「南无不可思議光佛」とのたまへり。この不可思議光佛のあらわれたまふべきところを、かねて世親菩薩の…… ……としとみえたり。自力の行者おば、如來とひとしといふことはあるべからず。おのおの自力の心にては、不可思議光佛の土にいたることあたはずと也。たゞ他力の信心によりて、不可思議光佛の土にはいたるとみえたり。かの土にむまれむとねがふ信者には、不可稱不可說不可思議の德を具足す。こゝろもおよばれず、ことばもたえたり。かるがゆへに不可思議光佛とまふすとみえたりとなり。 南无不可思議光佛 草本云 Ⅱ-0736文應元年W庚申R十二月二日書寫之 愚禿親鸞W八十八歲R書了 應長元年W辛亥R十二月廿六日 釋□□W五十六歲R書寫之