Ⅱ-0403淨土高僧和讚 愚禿親鸞作 龍樹菩薩 付釋文 十首 (一) 本師龍樹菩薩は 『智度』・『十住毗婆沙』等 つくりておほく西をほめ すゝめて念佛せしめけり Ⅱ-0404(二) 南天竺に比丘あらむ 龍樹菩薩となづくべし 有無の邪見を破すべしと 世尊はかねてときたまふ (三) 本師龍樹菩薩は 大乘无上の法をとき 歡喜地を證してぞ ひとえに念佛すゝめける Ⅱ-0405(四) 龍樹大士よにいでゝ 難易ふたつのみちをとき 流轉輪回のわれらおば 弘誓のふねにのせたまふ (五) 本師龍樹菩薩の おしえをつたえきかむひと 本願こゝろにかけしめて つねに彌陀を稱すべし Ⅱ-0406(六) 不退のくらゐすみやかに えむとおもはむひとはみな 恭敬の心に執持して 彌陀の名號稱すべし (七) 生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらおば 彌陀の悲願のふねのみぞ のせてかならずわたしける Ⅱ-0407(八) 『智度論』にのたまはく 佛は无上法王なり 菩薩は法臣としたまひて 尊重すべきは世尊なり (九) 一切菩薩のゝたまはく われら因地にありしとき 无量劫をへめぐりて 萬善諸行を修せしかど Ⅱ-0408(一〇) 恩愛はなはだたちがたく 生死はなはだつきがたし 念佛三昧行じてぞ 罪障を滅し度脫せし 已上龍樹菩薩 天親菩薩 付釋文 十首 Ⅱ-0409(一一) 釋迦の敎法おほけれど 天親菩薩はねむごろに 煩惱成就のわれらには 彌陀の弘誓をすゝめしむ (一二) 安養淨土の莊嚴は 唯佛與佛の知見なり 究竟せること虛空にして 廣大にして邊際なし Ⅱ-0410(一三) 本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功德の寶海みちみちて 煩惱の濁水へだてなし (一四) 如來淨華の聖衆は 正覺のはなより化生して 衆生の願樂ことごとく すみやかにとく滿足す Ⅱ-0411(一五) 天・人不動の聖衆は 弘誓の智海より生ず 心業の功德淸淨にて 虛空のごとく差別なし (一六) 天親論主は一心に 无㝵光に歸命して 本願力に乘ずれば 報土にいたるとのべたまふ Ⅱ-0412(一七) 盡十方の无㝵光佛 一心に歸命するをこそ 天親論主のみことには 願作佛心とのべたまへ (一八) 願作佛の心はこれ 度衆生のこゝろなり 度衆生の心はこれ 利他眞實の信心なり Ⅱ-0413(一九) 信心すなわち一心なり 一心すなわち金剛心 金剛心は菩提心 この心すなわち他力なり (二〇) 願土にいたればすみやかに 无上涅槃を證してぞ すなわち大悲をおこすなり これを回向となづけたり Ⅱ-0414已上天親菩薩 曇鸞和尙 付釋文 三十四首 (二一) 齊朝の曇鸞和尙は 菩提流支のおしえにて 仙經ながくやきすてゝ 淨土にふかく歸せしめり Ⅱ-0415(二二) 四論の講說さしおきて 本願他力をときたまふ 具縛の凡衆をみちびきて 涅槃のかどにぞいらしめし (二三) 世俗の君子幸臨し 敕して淨土のゆへをとふ 十方佛國淨土なり なにゝよりてか西にある Ⅱ-0416(二四) 鸞師こたえてのたまはく わがみは智慧あさくして いまだ地位にいらざれば 念力ひとしくおよばれず (二五) 一切道俗もろともに 歸すべきところぞさらになき 安樂勸歸のこゝろざし 巒師ひとりさだめたり Ⅱ-0417(二六) 魏の主敕して幷州の 大巖寺にこそおはしけれ やうやくおわりにのぞみては 汾州にうつりたまひにき (二七) 魏の天子はたふとみて 神巒とこそまふしけれ おはせしところのそのなおば 鸞公巖とぞなづけたる Ⅱ-0418(二八) 淨業さかりにすゝめつゝ 玄忠寺にこそおはしけれ 魏の興和四年に 遙山寺にこそうつりしか (二九) 六十有七ときいたり 淨土の往生とげたまふ そのとき靈瑞不思議にて 一切道俗歸敬しき Ⅱ-0419(三〇) 君子ひとえにたふとみて 敕宣くだしてたちまちに 汾州汾西秦陵の 勝地に靈廟たてたまふ (三一) 天親菩薩のみことおも 鸞師ときのべたまはずは 他力廣大威德の 心行いかでかさとらまし Ⅱ-0420(三二) 本願圓頓一乘は 逆惡攝すと信知して 煩惱・菩提體无二と すみやかにとくさとらしむ (三三) いつゝの不思議をとくなかに 佛法不思議にしくぞなき 佛法不思議といふことは 彌陀の弘願になづけたり Ⅱ-0421(三四) 彌陀の廻向成就して 往相・還相ふたつなり これらの回向によりてこそ 心行ともにえしむなれ (三五) 往相の回向ととくことは 彌陀の方便ときいたり 悲願の信行えしむれば 生死すなわち涅槃なり Ⅱ-0422(三六) 還相の回向ととくことは 利他敎化の果をえしめ すなわち諸有に回入して 普賢の德を修するなり (三七) 論主の一心ととけるおば 曇鸞大師のみことには 煩惱成就のわれらが 他力の信とのべたまふ Ⅱ-0423(三八) 盡十方の无㝵光は 无明のやみをてらしつゝ 一念歡喜するひとを かならず滅度にいたらしむ (三九) 无㝵光の利益より 威德廣大の信をえて かならず煩惱のこほりとけ すなわち菩提のみづとなる Ⅱ-0424(四〇) 罪障功德の體となる こほりとみづのごとくにて こほりおほきにみづおほし さわりおほきに德おほし (四一) 名號不思議の海水は 逆謗の死骸もとゞまらず 衆惡の萬川歸しぬれば 功德のうしほに一味なり Ⅱ-0425(四二) 盡十方无㝵光佛の 大慈大悲の願海に 煩惱の衆流歸しぬれば 智慧のうしほと轉ずなり (四三) 安樂佛國に生ずるは 畢竟成佛の道路にて 无上の方便なりければ 諸佛淨土をすゝめけり Ⅱ-0426(四四) 諸佛三業莊嚴して 畢竟平等なることは 衆生虛誑の身口意を 治せむがためとのべたまふ (四五) 安樂佛國にいたるには 无上寶珠の名號と 眞實信心ひとつにて 无別道故とときたまふ Ⅱ-0427(四六) 如來淸淨本願の 无生の生なりければ 本則三三の品なれど 一二もかわることぞなき (四七) 无㝵光如來の名號と かの光明智相とは 无明長夜の闇を破し 衆生の志願をみてたまふ Ⅱ-0428(四八) 不如實修行といえること 鸞師釋してのたまはく 一者信心あつからず 若存若亡するゆえに (四九) 二者信心一ならず 決定なきゆえなれば 三者信心相續せず 餘念間故とのべたまふ Ⅱ-0429(五〇) 三信展轉相成す 行者こゝろをとゞむべし 信心あつからざるゆへに 決定の信なかりけり (五一) 決定の信なきゆへに 念相續せざるなり 念相續せざるゆへ 決定の信をえざるなり Ⅱ-0430(五二) 決定の信をえざるゆへ 信心不淳とのべたまふ 如實修行相應は 信心ひとつにさだめたり (五三) 萬行諸善の小路より 本願一實の大道に 歸入しぬれば涅槃の さとりはすなわちひらくなり Ⅱ-0431(五四) 本師曇鸞大師おば 梁の天子蕭王は おはせしかたにつねにむき 鸞菩薩とぞ禮しける 已上曇鸞菩薩 道綽禪師 付釋文 七首 Ⅱ-0432(五五) 本師道綽禪師は 聖道萬行さしおきて 唯有淨土一門を 通入すべきみちととく (五六) 本師道綽大師は 涅槃の廣業さしおきて 本願他力をたのみつゝ 五濁の群生すゝめしむ Ⅱ-0433(五七) 末法五濁の衆生は 聖道の修行せしむとも ひとりも證をえじとこそ 敎主世尊はときたまへ (五八) 鸞師のおしへをうけつたへ 綽和尙はもろともに 在此起心立行は 此是自力とさだめたり Ⅱ-0434(五九) 濁世の起惡造罪は 暴風駛雨にことならず 諸佛これらをあわれみて すゝめて淨土に歸せしめり (六〇) 一形惡をつくれども 專精にこゝろをかけしめて つねに念佛せしむれば 諸障自然にのぞこりぬ Ⅱ-0435(六一) 縱令一生造惡の 衆生引接のためにとて 稱我名字と願じつゝ 若不生者とちかひけり 已上道綽和尙 善導禪師 付釋文 二十六首 Ⅱ-0436(六二) 大心海より化してこそ 善導和尙とおはしけれ 末代濁世のためにとて 十方諸佛に證をこふ (六三) よよに善導いでたまひ 法照・少康としめしつゝ 功德藏をひらきてぞ 諸佛の本意とげたまふ Ⅱ-0437(六四) 彌陀の名願によらざれば 百千萬劫すぐれども いつゝのさわりはなれねば 女身をいかでか轉ずべき (六五) 釋迦は要門ひらきつゝ 定散諸機をあわれみて 正雜二行方便し ひとえに專修をすゝめしむ Ⅱ-0438(六六) 助正ならべて修するおば すなわち雜修となづけたり 一心をえざるひとなれば 佛恩報ずるこゝろなし (六七) 佛號むねと修すれども 現世をいのる行者おば これも雜修となづけてぞ 千中无一ときらはるゝ Ⅱ-0439(六八) こゝろはひとつにあらねども 雜行雜修これにたり 淨土の行にあらぬおば ひとえに雜修となづけしむ (六九) 善導大師證をこい 定散二心をひるがへし 貪瞋二河の譬喩をとき 弘願の信心守護せしむ Ⅱ-0440(七〇) 經道滅盡ときいたり 如來出世の本意なる 本願眞宗にあひぬれば 凡夫念じてさとるなり (七一) 佛法力の不思議には 諸邪業繫さわらねば 彌陀の本弘誓願を 增上縁となづけたり Ⅱ-0441(七二) 願力成就の報土には 自力の心行いたらねば 大小聖人みなながら 如來の弘誓に乘ずべし (七三) 煩惱具足と信知して 本願力に乘ずれば すなわち穢身すてはてゝ 法性常樂證せしむ Ⅱ-0442(七四) 釋迦・彌陀は慈悲の父母 種種に善巧方便して われらが无上の信心を 發起せしめたまひけり (七五) 眞心徹到するひとは 金剛の心なりければ 三品の懺悔するものと ひとしと宗師はのたまへり Ⅱ-0443(七六) 五濁惡世のわれらこそ 金剛の信心ばかりにて ながく生死をすてはてゝ 自然の淨土にいたるなれ (七七) 金剛堅固の信心の さだまるときをまちえてぞ 彌陀の心光攝護して ながく生死をへだてけれ Ⅱ-0444(七八) 眞實信心えざるおば 一心かけぬとおしえたり 一心かけたるひとはみな 三信具せずとおもふべし (七九) 利他の信樂うるひとは 願に相應するゆへに 敎と佛語にしたがへば 外の雜縁さらになし Ⅱ-0445(八〇) 眞宗念佛きゝえつゝ 一念无疑なるをこそ 希有最勝人とほめ 正念をうとはさだめたれ (八一) 本願相應せざるゆへ 雜縁きたりみだるなり 信心亂失するをこそ 正念うすとはのべたまへ Ⅱ-0446(八二) 信は願より生ずれば 念佛成佛自然なり 自然はすなわち報土なり 證大涅槃うたがはず (八三) 五濁增のときいたり 疑謗のともがらおほくして 道俗ともにあひきらい 修するをみてはあだをなす Ⅱ-0447(八四) 本願毀滅のともがらは 生盲闡提となづけたり 大地微塵劫をへて ながく三塗にしづむなり (八五) 西路を指授せしかども 自障障他せしほどに 曠劫已來もいたづらに むなしくこそはすぎにけれ Ⅱ-0448(八六) 弘誓のちからをかぶらずは いづれのときにか娑婆をいでむ 佛恩ふかくおもひつゝ つねに彌陀を念ずべし (八七) 娑婆永劫の苦をすてゝ 淨土无爲を期すること 本師釋迦のちからなり 長時に慈恩を報ずべし Ⅱ-0449已上善導和尙 源信大師 付釋文 十首 (八八) 源信和尙のたまはく われこれ故佛とあらはして 化縁すでにつきぬれば 本土にかへるとしめしけり Ⅱ-0450(八九) 本師源信ねむごろに 一代佛敎のそのなかに 念佛一門ひらきてぞ 濁世末代すゝめける (九〇) 靈山聽衆とおはしける 源信僧都のおしえには 報化二土をおしえてぞ 專雜の得失さだめたる Ⅱ-0451(九一) 本師源信和尙は 懷感法師の釋により 『處胎經』をひらきてぞ 懈慢界おばあらはせる (九二) 專修のひとをほむるには 千无一失とおしえたり 雜修のひとをきらふには 萬不一生とのべたまふ Ⅱ-0452(九三) 報の淨土の往生は おほからずとぞあらわせる 化土にむまるゝ衆生おば すくなからずとおしえたり (九四) 男女貴賤ことごとく 彌陀の名號稱するに 行住座臥をえらばれず 時處諸縁もさわりなし Ⅱ-0453(九五) 煩惱にまなこさえられて 攝取の光明みざれども 大悲ものうきことなくて つねにわがみをてらすなり (九六) 彌陀の報土をねがふひと 外儀のすがたはことなりと 本願名號信受して 寤寐にわするゝことなかれ Ⅱ-0454(九七) 極惡深重の衆生は 他の方便さらになし ひとえに彌陀を稱してぞ 淨土にむまるとのべたまふ 已上源信和尙 源空聖人 付釋文 二十首 Ⅱ-0455(九八) 本師源空よにいでゝ 弘願の一乘ひろめつゝ 日本一州ことごとく 淨土の機縁あらわれぬ (九九) 智慧光のちからより 本師源空あらわれて 淨土眞宗をひらきつゝ 選擇本願のべたまふ Ⅱ-0456(一〇〇) 善導・源信すゝむとも 本師源空ひろめずは 片州濁世のともがらは いかでか眞宗をさとらまし (一〇一) 曠劫多生のあひだにも 出離の強縁しらざりき 本師源空いまさずは このたびむなしくすぎなまし Ⅱ-0457(一〇二) 源空三五のよわいにて 无常のことわりさとりつゝ 厭離の素懷をあらわして 菩提のみちにぞいらしめし (一〇三) 源空智行の至德には 聖道諸宗の師主も みなもろともに歸せしめて 一心金剛戒師とす Ⅱ-0458(一〇四) 源空在世のそのときに 金色の光明はなたしむ 兼實博陸まのあたり 拜見せしめたまひけり (一〇五) 本師源空の本地おば 世俗のひとびとあひつたへ 綽和尙と稱せしめ あるいは善導としめしけり Ⅱ-0459(一〇六) 源空勢志と示現し あるいは彌陀と顯現す 上皇・群臣尊敬し 京夷庶民欽仰す (一〇七) 承久の太上法王は 本師源空を歸敬しき 釋門・儒林みなともに ひとしく眞宗をさとりけり Ⅱ-0460(一〇八) 諸佛方便ときいたり 源空ひじりとしめしつゝ 无上の信心おしえてぞ 涅槃のかどおばひらきける (一〇九) 眞の知識にあふことは かたきがなかになほかたし 流轉輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき Ⅱ-0461(一一〇) 源空光明はなたしめ 門徒につねにみせしめき 賢哲・愚夫もえらばれず 豪貴・鄙賤もへだてなし (一一一) 命終その期ちかづきて 本師源空のたまはく 往生みたびになりぬるに このたびことにとげやすし Ⅱ-0462(一一二) 源空みづからのたまはく 靈山會上にありしとき 聲聞僧にまじわりて 頭陀を行じて化度せしむ (一一三) 粟散片州に誕生して 念佛宗をひろめしむ 衆生化度のためにとて この土にたびたびきたらしむ Ⅱ-0463(一一四) 阿彌陀如來化してこそ 本師源空としめしけり 化縁すでにつきぬれば 淨土にかへりたまひにき (一一五) 本師源空のおわりには 光明紫雲のごとくなり 音樂哀婉雅亮にて 異香みぎりに映芳す Ⅱ-0464(一一六) 道俗男女豫參し 卿上雲客群集す 頭北面西右脇にて 如來涅槃の儀をまもる (一一七) 本師源空命終時 建曆第二壬申歲 初春下旬第五日 淨土に還歸せしめけり Ⅱ-0465已上源空聖人 已上高僧和讚 一百十七首 彌陀和讚・高僧和讚都合 二百二十五首 寶治第二戊申歲初月下旬第一日 釋親鸞W七十六歲R書之畢 見寫人者必可唱南无阿彌陀佛 Ⅱ-0466(正四) 南无阿彌陀佛をとなふれば 衆善海水のごとくなり かの淸淨の善みにえたり ひとしく衆生に廻向せむ