Ⅲ-0331佛說觀無量壽經[末] 佛、阿難をよび韋提希につげたまはく、上品上生といふは、もし衆生ありて、かのくにゝ生ぜんと願ずるもの、三種の心をおこしてすなはち往生す。なんらをかみつとする。ひとつには至誠心、ふたつには深心、みつには廻向發願心なり。三心を具するもの、かならずかのくにゝ生ず。また三種の衆生ありて、まさに往生をうべし。なんらをかみつとする。ひとつには慈心にして殺せず、もろもろの戒行を具す。ふたつには大乘方等經典を讀誦す。みつには六念を修行す。廻向發願してかのくにゝ生ぜんと願ず。この功德を具すること、一日乃至七日してすなはち往生をう。かのくにゝ生ずるとき、このひと、精進勇猛なるがゆへに、阿彌陀如來、觀世音・大勢至・无數の化佛・百千の比丘・聲聞大衆・无數の諸天・七寶の宮殿と、觀世音菩薩、大勢至菩薩と行者のまへにいたる。阿彌陀佛、大光明をはなちて行者の身をてらしたまふ。もろもろの菩薩と授手迎接す。觀世音・大勢至、无數の菩薩と行者を讚歎して、その心を勸進す。Ⅲ-0332行者みをはりて歡喜踊躍す。みづからその身をみれば、金剛臺に乘ず。佛後に隨從して、彈指のあひだのごとくに、かのくにゝ往生す。かのくにゝ生じをはりて、佛の色身の衆相具足せるをみ、諸菩薩の色相具足せるをみる。光明の寶林、妙法を演說す。きゝをはりてすなはち无生法忍をさとる。須臾のあひだをへて諸佛に歷事し、十方界に徧して、諸佛前にして次第に授記せらる。本國に還到して无量百千の陀羅尼門をう。上品上生のものとなづく。 上品中生といふは、かならずしも方等經典を受持讀誦せずといへども、よく義趣をさとり、第一義にをいて心驚動せず。因果を深信して大乘を謗ぜず。この功德をもて廻向して極樂國に生ぜんと願求す。この行を行ずるもの、命欲終時に、阿彌陀佛、觀世音・大勢至・无量の大衆眷屬のために圍遶せられて、紫金臺をもたしめて、行者のまへにいたる。ほめていはく、法子、なんぢ大乘を行じ第一義を解す。このゆへに、われいまきたりてなんぢを迎接すと。千の化佛と一時に授手す。行者みづからみれば紫金臺に坐す。合掌叉手して諸佛を讚歎す。一念のあひだのごとくに、すなはちかのくにの七寶池中に生ず。この紫金臺は大寶華のごとし。宿をへてすなはちひらく。行者の身、紫磨金色になれり。Ⅲ-0333あしのしたに七寶の蓮華あり。佛をよび菩薩、倶時にひかりをはなちて行者の身をてらす、目すなはち開明なり。さきの宿習によりて、あまねく衆聲をきくに、もはら甚深の第一義諦をとく。すなはち金臺よりをりて、佛を禮し合掌して世尊を讚歎す。七日をへて、ときに應じてすなはち阿耨多羅三藐三菩提にをいて不退轉をう。ときに應じてすなはちよく飛行して、あまねく十方にいたり諸佛に歷事す。諸佛のみもとにしてもろもろの三昧を修す。一小劫をへて无生忍をえ、現前に授記せらる。これを上品中生のものとなづく。 上品下生といふは、また因果を信じ大乘を謗ぜず。たゞ无上道心をおこす。この功德をもて廻向して極樂國に生ぜんと願求す。行者命欲終時に、阿彌陀佛、をよび觀世音・大勢至、もろもろの眷屬と金蓮華をもたしめて、五百の化佛を化作してこのひとを來迎す。五百の化佛、一時に授手してほめてのたまはく、法子、なんぢ今淸淨なり、无上道心をおこす。われきたりてなんぢをむかふと。この事をみるとき、すなはちみづから身をみれば金蓮華に坐す。坐しをはればはな合す。世尊のうしろにしたがひて、すなはち往生をう、七寶池中にあり。一日一夜に蓮華すなはちひらく。七日のうちにすなはち佛をみたてまつることをう。Ⅲ-0334佛身をみたてまつるといへども、もろもろの相好にをいて心明了ならず。三七日ののちにをいて、いまし了了にみたてまつる。もろもろの音聲をきくにみな妙法をのぶ。十方に遊歷して諸佛を供養す。諸佛前にして甚深の法をきく。三小劫をへて百法明門をえ、歡喜地に住す。これを上品下生のものとなづく。これを上輩生想となづく、第十四の觀となづく。 佛、阿難をよび韋提希につげたまはく、中品上生といふは、もし衆生ありて、五戒を受持し、八戒齋をたもち、諸戒を修行して、五逆をつくらず、もろもろの過患なし。この善根をもて廻向して西方極樂世界に生ぜんと願求す。臨命終時に、阿彌陀佛、もろもろの比丘・眷屬のために圍遶せられて、金色のひかりをはなちて、そのひとのところにいたる。苦・空・無常・无我を演說し、出家の衆苦をはなるゝことをうることを讚歎す。行者、みをはりて心おほきに歡喜す。みづから己身をみれば蓮華臺に坐す。長跪合掌して佛のために禮をなす。いまだかうべをあげざるあひだに、すなはち極樂世界に往生することをう、蓮華すなはちひらく。はなひらくるときにあたりて、もろもろの音聲をきくに四諦を讚歎す。ときに應じてすなはち阿羅漢道をう。三明六通あり、八解脫を具す。Ⅲ-0335これを中品上生のものとなづく。 中品中生といふは、もし衆生ありて、もしは一日一夜八戒齋を受持し、もしは一日一夜沙彌戒をたもち、もしは一日一夜具足戒をたもちて、威儀かくることなし。この功德をもて廻向して極樂國に生ぜんと願求す。戒香熏修せる、かくのごときの行者、命欲終時に、阿彌陀佛、もろもろの眷屬と金色のひかりをはなちて、七寶の蓮華をもたしめて、行者のまへにいたるをみる。行者みづからきけば、空中にこえありてほめていはく、善男子、なんぢがごときは善人なり。三世の諸佛の敎に隨順するがゆへに、われきたりてなんぢをむかふと。行者みづからみれば、蓮華のうへに坐す。蓮華すなはち合す、西方極樂世界に生じて寶池のなかにあり。七日をへて蓮華すなはちひらく。はなすでにひらけをはりて目をひらく、合掌して世尊を讚歎す、聞法歡喜して、須陀洹をう、半劫をへをはりて阿羅漢となる。これを中品中生のものとなづく。 中品下生といふは、もし善男子・善女人ありて、父母に孝養し、世の仁慈を行ず。このひと命欲終時に、善知識の、それがためにひろく阿彌陀佛國土の樂事をとき、また法藏比丘の四十八願をとくにあはん。この事をききをはりて、すなはⅢ-0336ち命終す。たとへば壯士の臂を屈伸するあひだのごとくに、すなはち西方極樂世界に生ず。生じて七日をふ、觀世音をよび大勢至にあひて聞法歡喜す、一小劫をへて阿羅漢となる。これを中品下生のものとなづく。これを中輩生想となづく、第十五の觀となづく。 佛、阿難をよび韋提希につげたまはく、下品上生といふは、あるひは衆生ありて、もろもろの惡業をつくれり。方等經典を誹謗せずといへども、かくのごときの愚人、おほく衆惡をつくりて慚愧あることなし。命欲終時に、善知識の、ために大乘十二部經の首題名字を讚ずるにあはん。かくのごときの諸經の名をきくをもてのゆへに、千劫の極重惡業を除却す。智者またをしへて、合掌叉手し南無阿彌陀佛と稱せしむ。佛名を稱するがゆへに、五十億劫の生死のつみをのぞく。そのときにかの佛、すなはち化佛・化觀世音・化大勢至をつかはして行者のまへにいたらしむ。ほめていはく、善男子、なんぢ佛名を稱するがゆへに諸罪消滅す。われきたりてなんぢをむかふと。この語をなしをはりて、行者すなはち化佛の光明、その室に徧滿せるをみたてまつる。みをはりて歡喜してすなはち命終す。寶蓮華に乘じ、化佛のうしろにしたひて寶池のなかに生ず。Ⅲ-0337七七日をへて蓮華すなはちひらく。はなひらくるときにあたりて、大悲觀世音菩薩をよび大勢至、大光明をはなてそのひとのまへに住して、ために甚深の十二部經をとく。きゝをはりて信解して、无上道心をおこす。十小劫をへて百法明門を具し、初地にいたることをう。これを下品上生のものとなづく。佛名・法名をきき、をよび僧名をきくことをう。三寶のみなをききて、すなはち往生をう。 佛、阿難をよび韋提希につげたまはく、下品中生といふは、あるひは衆生ありて、五戒・八戒をよび具足戒を毀犯す。かくのごときの愚人、僧祇物をぬすみ、現前僧物をぬすみ、不淨說法す、慚愧あることなし。もろもろの惡業をもてみづから莊嚴す。かくのごときの罪人、惡業をもてのゆへに地獄に墮すべし。命欲終時に、地獄の衆火、一時にともにいたる。善知識の、大慈悲をもて、ために阿彌陀佛の十力威德をとき、ひろくかの佛の光明神力をとき、また戒・定・慧・解脫・解脫知見を讚ずるにあはん。このひと、ききをはりて八十億劫の生死のつみをのぞく。地獄の猛火、化して淸涼のかぜとなりて、もろもろの天華をふく。はなのうへにみな化佛・菩薩ましまして、このひとを迎接す。一念のあひⅢ-0338だのごとくに、すなはち往生をう。七寶池のなか蓮華のうちにして六劫をふ、蓮華すなはちひらけん。觀世音・大勢至、梵音聲もてかのひとを安慰す、ために大乘甚深經典をとく。この法をきゝをはりて、ときに應じてすなはち无上道心をおこす。これを下品中生のものとなづく。 佛、阿難をよび韋提希につげたまはく、下品下生といふは、あるひは衆生ありて、不善業の五逆・十惡をつくる。もろもろの不善を具せる、かくのごときの愚人、惡業をもてのゆへに惡道に墮すべし。多劫を經歷して苦をうくること、きはまりなからん。かくのごときの愚人、臨命終時に、善知識の、種々に安慰して、ために妙法をとき、をしへて念佛せしむるにあはん。このひと、苦にせめられて念佛するにいとまあらず。善友、つげていはく、なんぢもし念ずるにあたはずは、无量壽佛と稱すべしと。かくのごとく至心して、こえをしてたえざらしめて、十念を具足して南無阿彌陀佛と稱せしむ。佛名を稱するがゆへに、念々のなかにをいて八十億劫の生死のつみをのぞく。命終のとき、金蓮華をみる、なをし日輪のごとくしてそのひとのまへに住す。一念のあひだのごとくに、すなはち極樂世界に往生することをう。蓮華のなかにして十二大劫をみてゝ、蓮華Ⅲ-0339まさにひらく。觀世音・大勢至、大悲の音聲をもて、それがためにひろく諸法實相・除滅罪の法をとく。ききをはりて歡喜す。ときに應じてすなはち菩提の心をおこす。これを下品下生のものとなづく。これを下輩生想となづく、第十六の觀となづく。 この語をときたまふとき、韋提希、五百の侍女と佛の所說をきく。ときに應じてすなはち極樂世界の廣長の相をみたてまつる。佛身をよび二菩薩をみたてまつることをえて、心に歡喜を生じて未曾有なりと歎ず。廓然として大悟して無生忍をう。五百の侍女、阿耨多羅三藐三菩提心をおこして、かのくにゝ生ぜんと願ず。世尊、ことごとく、みなまさに往生すべしと記したまふ。かのくにゝ生じをはりて、諸佛現前三昧をえんと。无量の諸天、无上道心をおこす。 そのときに阿難、すなはち座よりたちて、すゝみて佛にまふしてまふさく、世尊、まさにいかんがこの經をなづくべき。この法の要をば、まさにいかんが受持すべきと。佛、阿難につげたまはく、この經をば觀極樂國土・無量壽佛・觀世音菩薩・大勢至菩薩となづく。また淨除業障生諸佛前となづく。なんぢまさに受持すべし。忘失せしむることなかれ。この三昧を行ずるものは、現身に无量壽Ⅲ-0340佛をよび二大士をみることをう。もし善男子・善女人、たゞ佛名・二菩薩名をきくに、无量劫の生死のつみをのぞく。いかにいはんや憶念せんをや。もし念佛するものは、まさにしるべし、このひとはこれ人中の分陀利華なり。觀世音菩薩・大勢至菩薩、その勝友となる。まさに道場に坐し諸佛のいへに生ずべし。 佛、阿難につげたまはく、なんぢよくこの語をたもて。この語をたもてといふは、すなはちこれ無量壽佛名をたもてとなり。佛、この語をときたまふとき、尊者目揵連・阿難をよび韋提希等、佛の所說をきゝて、みなおほきに歡喜す。 そのときに、世尊、みあし虛空をあゆみて耆闍崛山にかへりたまひぬ。そのときに、阿難、ひろく大衆のために、かみのごときの事をとく。无量の諸天をよび龍・夜叉、佛の所說をききて、みなおほきに歡喜して、佛を禮してしりぞく。 佛說觀無量壽經 康應元年W己巳R八月三日 以聖人御點祕書寫之訖