Ⅴ-1053蓮如上人和歌集成 蓮如上人自筆和歌 一 (夢の記を示したる御文に二首) (1)かきをきし 筆のあとこそ あはれなれ むかしをおもふ 今日の夕暮 (2)かきとむる 筆の跡こそ あはれなれ わがなからんのちの かたみともなれ (應仁二年四月廿四日) 二 (3)くる春も おなじ木ずゑを ながむれば いろもかわらぬ やぶかけの梅 (4)年つもり 五十有餘を おくるまで きくにかわらぬ 鐘や久寶寺 文明二歲二月廿八日 (花押) Ⅴ-1054三 (賀州二俣坊にて) (日くれければかやうにくちずさみけり) (5)月かげの いたらぬところは なけれども ながむる人の こゝろにぞすむ (弥陀の大悲は信ずる機を摂取しましますものなりとて) (6)つくづく おもひくらして 入あひの かねのひゞきに 彌陀ぞこひしき (文明三年七月十六日) 四 (御さらへの章の御文の奥に) (7)のちの代の しるしのために かきおきし のりのことの葉 かたみともなれ (文明第五 十二月八日) 五 (多屋内方へまいらせたる御文の奥に二首) (8)たのめたゞ 彌陀のちかひの ふかければ いつゝのつみは ほとけとぞなる (7)のちの代の しるしのために かきおきし のりのことのは かたみともなれ Ⅴ-1055(文明第五 十二月八日) 六 (河内国にて) (親と同年にあたり初春をむかへて) (9)たらちをと 同年まで いける身も あけぬる春も はじめなりけり (猶々同じまよふ心なりと我身をいませめて) (10)年つもり おやと同く ながらへば 月日をねがふ 身ぞおろかなる (11)おやのとしと おなじきいきば なにかせん 月日をねがふ 身ぞおろかなる (于時文明八年六月二日) 七 (草木国土悉皆成佛の道理を示して) (12)草木も 佛に成と きく時は 心ある身は たのもしき哉 (文明九年後正月十二日書之) Ⅴ-1056八 (年齢のつもりしことを記したる御文に) (祖師開山之御恩德の深事を思ひて) (13)ふる年も くるゝ月日の 今日までも なにかは祖師の 恩ならぬ身や (久く命のながらへたる不思議さを思ひて) (14)六十地あまり おくりむかふる 命こそ 春にやあはん 老の夕ぐれ (祖父玄康と同年なることを案じ出して) (15)祖父の年と 同じよはひの 命まで ながらふる身ぞ うれしかりける (初春に鳴神なりわたりければ) (16)あらたまる 春になる神 初哉 うるほふ年の 四方の梅がへ (なにとなく東の山を見て) (17)小野山や ふもとは山科 西中野村 ひかりくまなき 庭の月影 Ⅴ-1057九 (有馬紀行) (田之池をうちながめて) (18)音に聞 ます田の池を いま見れば つゝみのかたち それとのみしる (湯山之御所坊と云ふ宿へ下著して) (19)岩坂や 七坂八たうげ こえすぎて ありまの山の 湯にぞつきけり (前の歌に続けて、又云) (20)さかこえて ゑにし有馬の 湯舟には けふぞはじめて 入ぞうれしき (水のおと事外かしましきあひだ) (21)ふる雨に にたるとおもふ 湯山の をとかしましき やどの谷川 (古への湯山へ入りし事を思出して二首) (22)年をへて 又ゆの山に 入身こそ 藥師如來に ゑにしふかけれ Ⅴ-1058(23)老の身の 命いまゝで ありま山 又湯に入らん 事もかたしや (あまりにかま倉谷のおもしろかりしままに) (24)ゆの山を いづるけしきの 道すがら かまくら谷の をもしろきかな (湯山を出ける時に加様に案じけり) (25)日數へて 湯にやしるしの 有馬山 やまひもなをり かへる旅人 (文明十五年九月十七日) 一〇 (中央「法印權大僧都大和尙位兼壽」、右「詠歌云」、左「又云」とあり二首) (26)七十地に 身はみつしほの にしの海 ふなぢをてらせ 山のはの月(右) (27)なき跡に 我をわすれぬ 人もあらば たゞ彌陀たのむ こゝろをこせよ(左) 一一 文明十七 始而郭公なきけるをきゝて (28)あか月の ねざめの枕 おどろきて なくほとゝぎす かずかずのこゑ Ⅴ-1059愚詠 一二 (中央「南無阿弥陀仏」、右「W弘誓強縁多生難値眞實淨信億劫叵獲。遇獲信心遠慶宿縁R」とあり左に一首) (29)七十地に 年はひとつも あまれども いつをかぎりの 世にはすままし (花押) 一三 (紀州紀行) (かい寺の池のていを見て) (30)いづみなる したての池を 見るからに 心すみぬる かい寺の宮 (河なべにて河水ながれけるを見て) (31)河なべの 瀨々の浪もや 水たかく とをくながれて ながをなりけり (淸水の浦々をながめて) (32)音に聞 淸水浦に 舟にのり 岩間がくれに 見ゆる島々 Ⅴ-1060(藤白たうげにてけしきを見わたして) (33)藤白の 島や小島を ながむれば たゞ布引の しろきはま松 (淸水浦に一宿せし夜に) (34)此島に 名殘をおしみ 又かへり 月もろともに あかす春のよ (淸水浦に名残は猶ある心地にて) (35)わきいづる 淸水浦を けさははや ながめてかへる 跡の戀しさ (ふけいの浦に一宿して) (36)いづみなる ふけゐ浦の 浪風に 舟こぎいづる 旅のあさだち (文明十八 三月十四日) Ⅴ-1061一四 長享第二 極月廿六日は節分あくれば立春なり。折節空かきくもり雪いたくふりつもり、日も暮るになりしかば、我身の年月のつもることを降雪におもひあはせてかやうにつゞけ侍りき (37)老の身の 七十地あまり けふすぎて 雪ふりつもる としのゆふぐれ 法印七十四歲 (花押) 一五 (右「法印權大僧都兼壽W年暮ぬればはや滿八十になるべき事をR」とあり続けて二首) (38)佛にも 祖師にもよはひ おなじくて 八十地にみてる あくる初春 (39)我なくは 誰も心を ひとつにて 南無阿彌陀佛と たのめみな人 一六 (中央「法印權大僧都大和尙位兼壽」、右「古在東山靈地雖立一流宗義今卜山科林窓欲遂安養往生同彌勒慈尊曉待畢命爲期夕」とあり左に二首) (40)佛にも 祖師にもよはひ おなじくて いける八十地の 年ぞたふとき (41)極樂へ 我行なりと きくならば いそぎて彌陀を たのめみな人 明應元年 滿八十歲 Ⅴ-1062一七 明應四年極月 (42)春夏は 日ながけれど いつのまに 秋冬くらす ほどのちかさよ (43)なにとてか 冬の日數の たちたるに 風あたたかなりし けふの日沒かな (44)老の身の むかしがたりを おもふにも たゞ何事も 夢の世のなか (45)つれなやな 今年の冬も はや暮て 八十にいまは ふたつあまれり (46)年暮て 老の命ももろともに さゆる月夜と にしにゆかばや (47)八十あまり 彌陀をたのみし たふとさに ころもの袖は 淚なりけり (48)彌陀たのむ 我身の心の たふとさに いつもなみだに ぬるゝ袖かな (49)年は暮 八十にあまる 老樂の いつをかぎりの 世にはすままし 明應四年極月 日 八十一歲(花押) 一八 (右「明應五年W丙辰R正月二日法印權大僧都W明應四年予八十一歲也又此冬節は八十二歲に候間如此詠歌云R」とあり続けて三首) (50)春立て 又や年へむ 老樂の 花にはえにし 我身なるらむ (45)つれなやな 今年の冬も 打暮て 八十にいまは ふたつあまれば (51)彌陀たのむ 心ひとつの たふとさに いつもうれしき 淚なるかな Ⅴ-1063明應五年W丙辰R正月二日 八十二歲 一九 (52)三吉野の こゝろとゞまる 河つらに すみても見ばや こゝにいひがゐ 二〇 (53)年暮て 老の齡を かぞふれば 八十地に三とせ あまるつれなさ (54)彌陀たのむ 心ばかりの たふとさに なみだもよほす 墨染の袖 (40)佛にも 祖師にもよはひ おなじくて いける八十地の かずぞたふとき (55)我なしと きかばやがても 一むきに 南無阿彌陀佛と たのめみな人 二一 (56)八十三 命ながらふ しるしには 彌陀をたのまむ 心をこせよ (57)我後は たれも心を ひとむきに 彌陀のちかひを ふかくたのめよ (58)我跡に のこらむ人は みなともに 彌陀を信じて ふかくたのめよ 明應六年八月十九書之(花押) Ⅴ-1064二二 (中央「法印權大僧都大和尙位兼壽」、右「古在東山靈地雖立一流宗義今卜山科林窓欲遂安養往生同彌勒慈尊曉待畢命爲期夕」とあり左に二首) (59)八十地あまり 身はみつしほの 西の海 船路をてらせ 山端の月 (39)我なくは たれも心を ひとむきに 南無阿彌陀佛と たのめみな人 二三 (60)南無といふ 二字の内には 彌陀をたのむ 心ありとは 誰もしるべし (61)ほれぼれと 彌陀をたのまむ 人はみな 罪は佛に まかすべきなり (62)眞實の 信心ならでは 後の世の たからとおもふ 物はあらじな 二四 (63)ほとけには 花たてまつる こゝろあれや つゐにめぐみの 春のゆふぐれ (64)五月雨は つゐにぞあがる けふの日の 空もくれゆく 雲のよそほゐ Ⅴ-1065二五 (信因称報の義を示したる御文の奥に) (39)我なくは たれも心を ひとつにて 南無阿彌陀佛と たのめみな人 「御文章」「和歌集」等収載和歌 二六 應仁二年四月仲旬御文の奧によませ給ける (65)かきをきし ふみのことばに のこりけり むかしがたりは きのふけふにて (應仁二年四月仲旬) 二七 同年四月廿二日夜御夢御覽じける記の奧に (2)かきとむる ふでのあとこそ あはれなれ わがなからんのちの かたみともなれ (1)かきをきし ふでの跡こそ あはれなれ 昔をおもふ けふの夕ぐれ 二八 (吉野紀行) 高野山より十津河小田井の道にて Ⅴ-1066(66)奧吉野 きびしき山の そわづたひ 十津河をつる のながせの水 (67)十津河の 鬼すむ山と きゝしかど すぎにし人の あとゝおもへば (68)これほどに けはしき山の 道すがら のりのゆかりに あらでやはゆく 十津河より小田井の道にて (69)谷々の さかりの紅葉 三吉野の 吉野の山の 秋ぞ物うき (70)山々の さかしき道を すぎゆけば 河にぞつれて かへる下淵 下淵より河つらの道にて (71)三吉野の 河つらつゞく いゝがゐの いもせの山は ちかくこそみれ 河つらよりして吉野藏王堂一見の時一年のうかりし事をいまおもひ出て (72)いにしへの 心うかりし 三吉野の けふは紅葉も さかりとぞみる Ⅴ-1067二九 (文明元年か) (73)五十五の としをむかへて この國の 法にあひぬる 縁ぞうれしき 三〇 文明二歲W庚寅R二月廿日 信證院御判 (74)五十六は 定命なるに 我身なり 眞證の證や ちかくなるらむ (75)みな人の 我とおこらぬ 信ぞかし たのむこゝろも 他力なりけり 三一 文明二年二月廿八日 御判 (76)きけや人 むかしのゑんの あれば只 おのれと信は おこりこそすれ (77)極樂へ われとゆかんと はからふは 彌陀のちからは たのまざるなり 三二 文明三年七月十六日賀州二俣坊にて文の奧に (6)つくづくと おもひくらして 入あひの かねのひゞきに 彌陀ぞ戀しき 此歌は後醍醐天皇御子八歲の宮御歌なるを、それは「君ぞこひしき」とあり、これは「彌陀ぞ戀しき」とかへられ侍ば可爲御詠也。 Ⅴ-1068三三 同年七月十八日二俣坊にて御作の御文奧に (78)あつき日に ながるゝあせは なみだにて かきをくふでの あとぞおかしき 三四 (亡母のことを記したる御文に三首) 文明第四 十月四日御文に亡母の十三回忌にとあり (79)十三年を をくる月日は いつのまに 今日めぐりあふ 身ぞあはれなる 同時に佛果もおぼつかなき事や侍りけんとて (80)おぼつかな まことのこゝろ よもあらじ いかなるところの 住家なるらん 同時「一子出家七世父母皆往生」の文「還來穢國度人天」を思召し出て (81)いまははや 五障の雲も はれぬらん 極樂淨土は ちかきかのきし (文明五年W癸巳R八月廿八日) 三五 文明五年霜月廿一日吉崎坊にて御文の奧に Ⅴ-1069(82)五十地に あまる年まで ながらへて この霜月に あふぞうれしき (83)みとせまで 命のながきも 霜月の のりにあひぬる 身こそたふとき (84)のちのとし また霜月に あはんこと いのちもしらぬ わが身なりけり 三六 同年の十二月八日吉崎の坊にて多屋内方へ御文の奧に (7)のちの世の しるしのために かきをきし 法のことのは かたみともなれ (8)たゞたのめ 彌陀のちかひの ふかければ いつゝのつみは ほとけとぞなる 三七 文明六年正月廿日吉崎にて四ケ”年をくらせ給事を (85)秋さりて 夏もすぎぬる 冬ざれの いまは春べと こゝろのどけし 三八 (無常にこころをとどめず信心を決定すべきことを示したる御文の奥に二首) (86)ふしぎなる 彌陀のちかひに あふもなを むかしののりの もよほしぞかし (87)いくたびか さだめてことの かはるらん たのむまじきは こゝろなりけり (文明六年九月 日) Ⅴ-1070三九 (十劫正覚の邪義を誡める御文の奥に) (88)あすみんと おもふこゝろは さくら花 よるはあらしの ふかきものかは (文明七歲二月廿五日) 四〇 加賀國河北郡二俣坊にて庭の木うへさせ給て (89)うへをける 庭の岩木も かはるなよ 又ふたまたの 春にあふべし 四一 吉崎の坊にてしやうこ打て念佛申てとおるをきこしめして (90)おなじくは 彌陀の誓を 知せばや とてもとなふる 人のこゝろに 四二 文明八歲林鐘上旬二日の御文の中に (9)たらちをと 同年まで いける身も あけにも春も はじめなりけり Ⅴ-1071四三 次に六月二日によみ給へる同御文に (11)おやのとしと おなじくいきば なにかせん 月日をねがふ 身ぞをろかなる 四四 文明九年九月十七日の御文の奧に (91)かきおくも ふでにまかする ふみなれば ことばのすゑぞ おかしかりける 四五 (敎・行・信・証の敎相を示したる御文の奥に) (92)みなひとの まことののりを しらぬゆへ ふでとこゝろを つくしこそすれ (文明九年W丁酉R十月十七日) 四六 (弥陀如来他力本願のたふとさありがたさのあまりとて三首) (一念帰命の信心決定のすがたをよみ侍べり) (93)ひとたびも ほとけをたのむ こゝろこそ まことののりに かなふみちなれ Ⅴ-1072(入正定聚の益・必至滅土のこゝろを詠み侍りぬ) (94)つみふかく 如來をたのむ 身になれば のりのちからに 西へこそゆけ (知恩報德のこゝろを詠み侍べり) (95)法をきく みちに心の さだまれば 南无阿彌陀佛と となへこそすれ (文明九年十二月二日) 四七 (年齢のつもりしことを記したる御文に) (他力本願・弥陀の御恩のありがたき故願力によせて三首) (96)六十あまり おくりし年の つもりにや 彌陀の御法に あふぞうれしき (97)あけくれは 信心ひとつに なぐさみて ほとけの恩を ふかくおもへば   (またあらたまる春にあはんことをうれしくおもひて) (98)いつまでと をくる月日の たちゆけば いく春やへん 冬のゆふぐれ Ⅴ-1073文明十一年正月に山科にて祖師の御恩德の事を (13)ふる年も くるゝ月日の 今日までも いづれか祖師の 恩ならぬ身や (類)をくるとし めぐる月日の 今日までも いづれかそしの 恩ならぬ身や (14)六十あまり をくりむかふる よはひにて 春にやあはん 老のゆふぐれ 同年祖父玄康法印と同年の事を思食て山科にて (15)祖父の年と おなじいのちの よはひまで ながらふる身こそ うれしかりけれ 同年Wあくる年のR正月朔日に雷のなりけるに (16)あらたまる 春になる神 はじめかな うるほふ年の 四方の梅がへ 同年九月十二日夜山科にて (17)小野山や おほやけつゞく 山科の ひかりくまなき 庭の月かげ 文明十一 十二月 日 Ⅴ-1074四八 文明十三年十一月廿四日の御文の奧に (99)このこと葉 かきをく筆の 跡をみて 法のこゝろの ありもとぞせよ 四九 攝州湯山にて (100)つの國に いまだゝえせぬ 有馬山 わく湯のかずは 神の誓ぞ 五〇 文明十六年正月 日 (101)七十に みてる年まで 老の身の いつをかぎりの 世にはすままし 五一 (102)七十に つもる年まで いける身の かりのやどりを いつかいでなん 五二 (暮齢七旬にみち年内もはや廿日ばかりなりとて) (103)七十に はやみつしほの すゑの松 老のとしなみ 又やこえなむ Ⅴ-1075五三 法印權大僧都の銘の脇左右に 二首 (26)七十路に 身もみつしほの にしの海 舟路をてらせ 山の葉の月 (27)なき跡に 我をわすれぬ 人もあらば なを彌陀たのむ こゝろをこせよ 五四 (文明十六年ころか) (104)なきあとに われをたづぬる 人あらば 彌陀の淨土に むまれたるといへ 五五 文明十七年の年を取つるに正 十一日節分なりければ (105)ふる年を こへぬるうへに 今日は又 猶一春を かさねてやへん 五六 文明十七 始而郭公なきけるをきゝて 愚詠 (28)あか月の ねざめの枕 おどろきて なくほとゝぎす かずかずのこゑ 五七 (106)七十地に 年はひとつも あまれども むかへぞおそき 彼岸のふね Ⅴ-1076五八 七十有餘のおりの御歌 (107)西へゆく 月とつればや 老の身の 七十地すぎて としのつもれば (108)七十地に あまるぞ老の としをへて またこの春の はなやみてまし (37)老の身の 七十地あまり けふすぎて 雪ふりつもる としのゆふぐれ (109)我身はや 七十にあまる よはひにて 冬の日數も つもる夕暮 (110)七十に あまる我身の つれなさよ はや此冬も くるゝ年月 (111)かぎりなく 七十あまり 年たけて ながらふ身こそ つれなかりけれ (112)いつまでと 七十あまり 老らくの いける命の つれなさの身や 五九 (113)七十地に 年はあまりて けふもはや 一夜ばかりの 老のゆふぐれ 六〇 文明十八年三月九日 (30)いづみなる したての池を 見るからに 心すみぬる かい寺の宮 (31)河なべの 瀨々の浪もや 水たかく とをくながれて ながをなりけり Ⅴ-1077(32)音に聞 淸水浦に 舟にのり 岩間がくれに 見ゆる島々 (33)藤白の 島や小島を ながむれば たゞ布引の しろきはま松 (34)此島に 名殘をおしみ 又かへり 月もろともに あかす春のよ (35)わきいづる 淸水浦を けさははや ながめてかへる 跡の戀しさ (36)いづみなる ふけ井浦の 浪風に 舟こぎいづる 旅のあさだち 六一 延德二年正月十五日朝いるりのまにて 七十六 (114)此春は みつわくむまで 年つもる 七十あまり 身こそ老ぬれ 六二 和泉國堺にての御歌 延德二 十二月 (115)七十に あまるよはひの さかひにて 年やこえなん はじめ成けり (116)七十に 七のとしの はじめかな 春めづらしき さかひなるらん (117)八專も 寒も土用も 波風に みな吹うする 堺なりけり (118)七十七 よはひはながき 老の身の 春やむかへん さかひなるかな (119)えにしあれば 又やくだりて 境なる 入しほぶろに 年をこそとれ Ⅴ-1078(120)わきいづる 和泉のさかひ しほぶろに くだりていりし えにしふかさよ 六三 延德三W辛亥R正月 愚詠 (121)津の國の むかしながらも けふははや 春といふべき 空のよそほひ (122)春くれば 難波のことも いふなみの 海こしみゆる 船の行すゑ (123)老らくの としをかさぬる 春くれば 花にあふべき 心こそすれ (124)いでそむる 空ぞほのかに 三日の月 けふはじめてや 春としらるゝ (125)けふよりは 雪ふりそむる 山の井の うすがすみてや 見ゆる夕ぐれ (126)けふははや 日もうすがすむ 空なれば たれも心は のどけからまし (127)けふははや あくる雲井の 天津空 かへるとつぐる 雁の一こゑ (128)七十に としはあまりて この春の 花をあひみん えにしふかさよ (129)つれなくも 七十七 いける身の 往來もつもる あとはしられじ (130)つのくにの さかひよりみる 住吉の 神のめぐみに あふぞうれしき Ⅴ-1079六四 延德三年に (131)七十地に あまる我身も 七年を なきてぞつぐる 郭公かな (132)いつまでか 七十地七つ 年たけて 今日にしらるゝ 秋の七夕 六五 延德四年五月に近松より顯證寺三位蓮潤厚の木の花五さきて實の成たるを持參ありしにあそばされける (133)厚の木に 實こそなりぬれ 世中に ひろまるものは 彌陀の本願 六六 法印權大僧都大和尙位兼壽詠歌云 (134)いまははや 八十地にちかき 老の身の いつをかぎりの 世にはすむらむ 又云 (135)後の世に 我名をおもひ 出しなば 彌陀のちかひを ふかくたのめよ (類)のちの世に わが名をおもひ いだしなば ふかくたのめよ 彌陀のちかひを Ⅴ-1080六七 (136)いつまでと 淚つゆけき 墨染の 八十地にちかき 秋の星合 六八 法印權大僧都兼壽年暮ぬればはや滿八十になるべき事を (38)佛にも 祖師にもよはひ おなじくて 八十地にみてる あくる初春 (39)我なくは 誰も心を ひとつにて 南無阿彌陀佛と たのめみな人 六九 (同じころの御歌) (137)としのかず ねがひし身にも なりにけり やそぢにみてる あくるはつはる 七〇 (138)八十地まで 命ながらふ 老の身の 船路をまつや 彼岸 (139)八十地まで 命ながらう 老らくの 月の夜船を まつや彼岸 (140)我なしと きかばやがても みな人は 南無阿彌陀佛と たれもたのめよ Ⅴ-1081七一 法印權大僧都の銘のわきに (40)佛にも 祖師にもよはひ おなじくて 八十にみてる 身さへたふとし (類)ほとけにも 祖師にもよはひ ひとしくて 命ながふる 身こそたふとき (41)極樂に 我ゆくなりと きくならば いそぎて彌陀を たのめみな人 七二 明應三 十一月廿二日蓮如上人より基綱卿へ御歌 返し 權中納言基綱卿 姉小路 (141)八十まで 老を知ざる 君なれば 猶行末や 千世の春秋 七三 (明応三年の歌か) (142)しはせ月 日數つもりし 老の身は 八十地にみてる 冬の暮かな (143)いく春の 秋の月をも おくる身の 八十地につもる 老のゆふ暮 七四 (明応三年の歌か) (144)明應三 八月八日の 八の字と 八十地のよはい おなじかりけり Ⅴ-1082(145)八十地まで つもりしとしの しるしには 南无阿彌陀佛と いふほかはなし (146)をいらくの 春秋をくる しはせ月 やそぢにみてる 冬くれにけり 七五 明應五年八月廿五日に芳野飯貝坊へ御下ありて彼坊にてあそばしける (52)吉野川 こゝろぞのこる 河つらの すみてもみたや こゝにいひがゐ (147)名もしるし 浪音たかき 吉野川 千またの里は むかひにぞみる 七六 同五年に (148)年たけば 八十地に三は あまる身の いつをかぎりの 世にはすまゝし (53)年くれて 老のよはひを かぞふれば 八十に三とせ あまるつれなさ (149)八十地には 三とせはあまる けふまでも いつをかぎりと 命つれなさ 七七 六字の尊號のおくに 五首 (41)極樂に 我ゆくなりと きくならば いそぎて彌陀を たのめみな人 (60)南無といふ 二字のうちには 彌陀をたのむ こゝろありとは たれもしるべし Ⅴ-1083(150)みな人の ひしとたのむと いふならば 彌陀はしりてや すくひたまはむ (62)眞實の 信心ならでは のちの世の たからとおもふ 物はあらじな (54)彌陀たのむ 心ひとつの たふとさに なみだもよほす 墨染の袖 明應六年五月十八日 八十三歲 御判 七八 (このころの歌か) (151)南無といふ 二字の内には をのづから 彌陀をたのみし こゝろあるべし (152)阿彌陀佛と まうす御名こそ たふとけれ 人をたすくる ちかひなりけり 七九 (信因称報の義を示したる御文の奥に) 明應六年十月十四日御文の奧に (153)あつらへし ふみのことのは をそくとも けふまでいのち あるをたのめよ 同年同月 日御文の奥に (154)八十地あまり をくる月日は けふまでも いのちながらふ 身さゑつれなや Ⅴ-1084八〇 八十有餘の御歌 (155)年月の つもりつもりて けふはゝや 八十地あまりの 初春の空 (156)八十地あまり をくりし年の 春秋を 昨日けふとや おもひぬるかな (157)八十地あまり ことしもつれなく いける身の いつをかぎりと まつぞひさしき (158)八十地あまり ことしもつれなく いける身の いつとさだめぬ 松風の音 (159)八十地あまり 春秋をくる 月日こそ けふにしらるゝ 年も暮けり (160)としつもり 八十地にあまる をひらくの あすともわかぬ ゆふ月のそら (161)この比は 八十地にあまる 冬くれて 春をもまたぬ おひらくの身や (162)年月の つもりしことは しらねども 八十地にあまる 老樂の身や (163)はるあきを なにとすぎにし ことしかな としは八十地に あまるつれなさ (164)西へゆく 月とつればや 老らくの 八十地にとしは あまるさかひに (165)あはれなり くれゆく年の 日かずかな 老のつもりは 八十地あまれば (166)八十地あまり をくり向て 此春の 花にさきだつ 身ぞあはれなる Ⅴ-1085八一 (このころの歌か) (49)このごろは やそぢにあまる をいの身の いつをかぎりと 世にはすまゝし (類)八十地あまり をくりむかふる 老の身の いつをかぎりの 世にはすまゝし (45)つれなやな ことしのとしも はやくれて やそぢにいまは ふたつあまれる 八二 (明応七年)正月一日賀州六日講中への御文の奧に 一首 (167)たぐひなき 佛智の一念 うることは 彌陀のひかりの もよをしとしる 八三 (一念に弥陀をたのむ心をふかくをこすべきものなりとて) (168)彌陀の名を きゝうることの あるならば 南无阿彌陀佛と たのめみなひと (明應七年初夏仲旬第一日) 八四 同年の御文の奧に 三首 (60)南无といふ 二字のうちには 彌陀をたのむ こゝろありとは たれもしるべし (61)ほれぼれと 彌陀をたのまん ひとはみな つみはほとけに まかすべきなり Ⅴ-1086(169)つみふかき ひとをたすくる のりなれば 彌陀にまされる ほとけあらじな 八五 (報土往生には六字のすがたをこゝろへて弥陀をたのむべきことを示して) (170)老樂の 立居につきての くるしみは たゞねがはしきは 報土往生 (類)老らくの をきねにつけて くるしみの たゞねがはしきは にしのかのきし (明應七年戊午子月五日) 八六 同年十一月廿五日御文の奧に (171)後の世の そのかたみとも なれよとて 筆をつくして かきぞをきぬる (172)のちの世の かたみのために なれよとて ふでをつくして かきぞをきける 八七 同年十二月十五日願行具足のいはれあそばしける御文 (173)老が身は 六字のすがたに なりやせん 願行具足の 南无阿彌陀佛なり Ⅴ-1087八八 (信因称報の義を示したる御文の奥に) (174)このごろは 八十地にあまる 冬くれて 春をもまたぬ 老いらくの身や (明應七年十二月 日 八十四歲) 八九 (明応八年)三月三日には芳野より櫻を切り參り北の庭にほりすへて侍りければ花もさきたるを御覽ぜられて御詠歌三首あそばさる (175)さきつゞく 花みるたびに 猶も又 たゞねがはしき 西の彼岸 (176)老樂の いつまでかくは 病ぬらん 迎へたまへや 彌陀の淨土へ (177)今日までは 八十五に あまる身の 久くいきじと しれやみな人 九〇 同年三月十日御坊にて (178)八十地五つ 定業きはまる わが身哉 明應八年 往生こそすれ (179)我しなば いかなる人も みなともに 雜行すてゝ 彌陀を憑めよ 此後は御歌もなかりき Ⅴ-1088(以下、年紀不明分) 九一 (文明十七年か) (180)かぞふれば つもる月日の やとしまで すみぞなれぬる やましなのさと 九二 六字名號のおくに (181)かきをきし 念佛の功の つもりなば にしの淨土は たれもゆくべき 九三 下間上野W法名蓮秀R菊壽といひし時燈臺のもとに侍ると聞召てあそばす (182)よるごとに 柱にそふる 影みれば たれもそへとや 菊壽なるらん 九四 下間藏人自在を進上して後に往生せし時にあそばす (183)かたみには これをやいはん 藏人が いのちはさらに 自在ならねば Ⅴ-1089九五 山科南殿の庭にてあそばす 駿河入道善宗慥物語也 (184)この葉ちる 庭の山路を めぐるにも 我身ににたる 老のあわれさ (185)山科を 朝たつ空の 道すがら けふにしらるゝ 年も暮けり 九六 (三吉野にて詠みける歌) (186)春たつと いふよりはやく 三吉野の やまもかすみて けさはみゆらむ (187)雪ふれば 春もちかげに みよし野の 花のおもかげ 思いでけり 九七 大坂の事をあそばしける歌 (188)千代やへん 花松うへし 大坂の ひかりはなをも 生玉のみや (189)みな人に 彌陀をたのめと いふ波の 川をとたてゝ みゆる大坂 (190)大坂へ のぼらんと思ふ みちよりも 彌陀をたのめる こゝろあるべし (191)又舟に のりてぞとをる わたなべの 磯ぎはとをる 大坂の山 Ⅴ-1090九八 (いく玉につきて詠みける歌) (192)いく玉の 神のめぐみの 志宜の森 よそやことしの 住し大坂 (193)いく玉の 神も久しき このところ よみよかりけり しぎの大さか (194)いく玉の ひかりかゞやく しぎのもり みちもひろげに みゆる大さか (195)老らくの 命のかずます 生玉の ひかりにあへる 春の大坂 (196)みな月の 昔ながらの はらひして いく玉まつる けふの大さか 九九 三月三日住吉の濱にて (197)住吉の ちかひかはらぬ 海なれば ひくしほみづの ほどのとほさよ 一〇〇 (堺を再訪して詠みける歌) (198)このたびは 不思議に命 ながらへて 又きてみつる 堺なるらむ 一〇一 六月十七日に (199)あすはげに 我たらちをの 日なりけり 昔をおもふ なみだふかさよ Ⅴ-1091一〇二 (郭公につきて詠みける歌) (200)あさぼらけ 雲井のほかの 郭公 なく一こゑの とをくきこゆる 返し 如宗禪尼 (201)よゐながら あけゆく空の 郭公 雲のいづくに なきてすぐらん 一〇三 (弥陀をたのむこころにつきて詠みける歌) (202)あら玉の 年のはじめは 祝とも 南無阿彌陀佛の こゝろわするな (203)うれしやな たうとやとこそ いはれけれ 南無阿彌陀佛の 口のひまには (204)彌陀たのむ 人の心の たふとさに なみだをのごふ 墨染の袖 一〇四 六字の名號のおくに 一首 (205)彌陀たのむ 我身ひとりの たふとさに なみだもよほす ぬるゝ袖かな 一〇五 名號の左右にあそばされける (206)つみふかき 人をたすくる 法なれば たゞ一すぢに 彌陀をたのめよ Ⅴ-1092(207)法の師の 筆と心を つくせども まことのみちを しるものはなし (年紀及び詠まれた背景が不明のものを、以下に五十音順にて収載した。) (208)秋過て 冬きにけりな 神無月 老のなみだや まづ時雨らん (209)あすもとは なにたのむらん 老らくの けふのゆふべも しらぬ世の中 (210)阿彌陀佛 たすけたまへの 外はみな おもふもいふも まよひなりけり (211)阿彌陀佛と なりしほとけの すがたこそ わが往生の しるしなりけり Ⅴ-1093(212)あみだ佛 南無とたのまん 人はみな やがて佛に なる身とぞなる (213)あれをみよ 鳥べの野べの 夕けぶり おくる人とて のこるべきかは (214)あはれなる 老のやまひの くるしみは 先世のむくひ むなしからねば (215)一念に 阿彌陀をふかく 信ずれば やすく淨土へ むまるとはしれ (216)一念に はや往生の ひまをえて うれしき事に ひまもなの身や (217)一念に むまれゆくべき 極樂も おもひしらねば うれしさもなし (218)いつまでか 有爲の命の ながらへて 無爲の淨土は ねがはしきかな (219)いつまでか 我身ながらも つれなくて 命ながらふ 今の世の中 Ⅴ-1094(220)いづみなる わくやしみづの 藥風呂 なを彌陀たのむ 心おこせよ (221)いづる息 いるをもまたぬ この世なれば いそぎてたのめ 彌陀のちかひを (類)いづるいき いるをもまたぬ この世なれば いそぎて彌陀を たのめみな人 (222)うき雲を はらはゞ夜をも 明ぬべし たゞそのよゝに あり明の月 (223)老が身の のちまでたのみし たらちめの のこりて趾に あるもかなしき (224)おもふべき 佛の恩を おもはねば 惡がふの身ぞ おもはれにける (225)かゝる身を たすけ給へと おもふとき 往生やがて さだまるとしれ Ⅴ-1095(226)かたみには 六字の御名を とゞめをく なからん世には たれももちゐよ (類)かたみには 六字の御名を とゞめをく わがのちの世には これをもちゐよ (類)かたみには 六字の御名を のこしおく なからんあとに たれももちひよ (227)きのふまで けふまでつくる 罪とがも 彌陀をたのめば たすけまします (228)くさも木も 年に一度の 花さきぬ 人にさかりの なきぞかなしき (229)恆河沙の こがねの塔の くりきより 南無阿彌陀佛の 一こゑぞます (230)極樂は 我人まひる 淨土なれば つゐにやあはむ ひとつところへ (231)このごろは 經や本書を 人まねに いかなるものも よまざるはなし Ⅴ-1096(232)櫻花 さかぬさきより にほふらん 木の本くらく かすむ夕暮 (233)壽像とは いのちのかたちと かきたれば いきたるうちに 我をみよかし (234)眞實の 信心ならでは 後の世の いま入しほの さかいなりけり (235)千秋の 口には人を いはふとも こゝろのうちには 南無阿彌陀佛 (236)たかき山 ふかきうみにも 限りあり 彌陀の功德を 何にたとへん (237)たゝばたて おどらばおどれ はるごまの のりの道をば しる人ぞしる (238)たのませて たのまれ給ふ 彌陀なれば わがはからひの いらぬ成けり Ⅴ-1097(類)たのませて たのまれたまふ 彌陀なれば たのむこゝろも われとおこらず (239)たのめとの をしへののりに ひかれつゝ 彌陀たのむ身と なれるうれしさ (240)たれとても 六字のこゝろ 知ならば つみの衆生も たすかりぞせん (241)つみの身を たすけたまへる 彌陀なれば 噫よりほかの ことのはもなし (242)つみふかき 身とむまれぬるこそ うれしけれ さてこそたのめ 彌陀のちかひを (類)つみふかき 身とうまれける うれしさよ さてとぞたのめ みだのちかひを (243)露の身の 命とともに きえはてゝ その名ばかりや あとにのこらん (244)とにかくに おもひしことは ちりあくた なむあみだ佛は 箒也けり Ⅴ-1098(245)鳥べのに あらそふいぬの 聲きけど わが身の上と おもはざりけり (246)ながむれば くもるともなき 秋の夜の 月のひかりに わたる雁がね (247)ながむれば くもるともなき 春の夜の 月にかすみて かへる雁がね (248)なきあとに われをこひしと 思なば 彌陀のちかひを たのめみな人 (類)なきあとに われを戀しと おもひなば 彌陀をたのみし こゝろもつべし (249)なきあとに われをたづぬる 人もあらば たからとおもふ ものはあらじな (250)南無といふ そのふた文字に 花さきて やがて佛の 身とぞなりけれ Ⅴ-1099(251)主しらぬ 心のうちの くもりをも なむあみだ佛の 風わはらひて (252)後の世に われをたづぬる 人あらば 彌陀の淨土に あるとこたへよ (253)法のみち たふときことは つきせねば いそぎむかへよ 彌陀の報土へ (254)のりのみち 筆とこゝろを つくさずは まことの道は たれかおしえん (255)はつ雪に 老のしらがを ならぶれば いづれもおなじ 白妙にみゆ (256)春の日の くもるけしきは ときなれや かすむはけふの 花のゆふぐれ (257)日にそへて さきぞまされる にはの梅 匂ひにふかき あさぼらけかな Ⅴ-1100(258)日々に猶 みどりをそふる 春木立 色こそまされ 庭のふし松 (259)不思議とも いふばかりなき ちかひかな 不思議不可思議 言語道斷 (260)ふたつとも みつともさかぬ 花なれば たゞ一乘の ほうがしは哉 (261)ふりにける 軒端は餘所に をとありて 苔よりをつる 玉あられかな (262)發願の 廻向といへる そのこゝろ 衆生攝取の すがたなりけり (263)郭公 なくとは人の つげしかど けふぞはじめて 聞や初音を (264)みがけたゞ 心のともを たづぬれば よきもあしきも かゞみなりけり Ⅴ-1101(265)彌陀たのむ 人の心を たづぬれば なむあみだ佛の うちにこそあれ (266)彌陀たのむ 人はつりする 舟なれや つみをつめども しづまざりけり (267)彌陀たのむ 人はね覺の 郭公 我名となふる あけぼのゝそら (268)彌陀たのむ わが身ばかりは 佛にて 人のこゝろは いかゞあるらん (269)彌陀をたゞ こゝろひとつに たのみなば 淨土の往生 うたがひはなし (270)彌陀をたゞ たのむこゝろの あるならば 淨土わうじやう 疑ひはなし (271)彌陀をたゞ たのむこゝろの はじめより 我とをこらぬ こゝろとぞしれ (272)みな人の 壽像壽像と いひけれど 後にはつねに なげしにぞすむ Ⅴ-1102(273)みな人の 法のみちをば とはずとも せめては馬の 物がたりせよ (274)皆人の まことの信は さらになし ものしりがほの ふぜいばかりぞ (275)みな人の みだの誓を たのみなば 西の淨土へ まひるとはしれ (276)みな人の 彌陀をたのむと いふならば 月の夜舟の のりてわたらん (277)みな人は 彌陀をたのまん 後の世は 月の舟路の ちかき彼岸 (類)みな人は 彌陀をたのまん 後の世は 弘誓の舟に のらんとぞきけ (278)みな人は 彌陀をたのめよ 後の世は まいらむかたは 淨土なるべし (279)みねの松 谷のかしは木 いかなれば おなじあらしに おとかはりけり Ⅴ-1103(280)名號は 如來の御名と 思しに 我往生の すがたなりけり (281)むまれつく こゝろの罪は そのまゝに あらためたきは たのむ一念 (282)妄念の 客人は あらばあれ 南無阿彌陀佛を いゑぬしにして (283)もえいづる しんゐのほのほ けしかねて われとのり行 火のくるまかな (284)もろもろの 雜行すてゝ みな人の おなじ心に 彌陀をたのめよ (285)よしあしと おもふこゝろに あらそはで 彌陀をたのみて 後生たすかれ (286)世の中に いきはてぬとは しりながら ながいきしては むやくなりけり Ⅴ-1104(287)世中の をくれさきだつ 定なさ いまぞ知ぬる 身こそつれなき (288)るりの木に こがね花さく 極樂の なむあみだ佛は あかし也けり (289)わかなをも としをつむにも 此春の 春のはじめの さかひなりけり (290)わがねがひ 人のおもひも みつしほの ひかれてうかむ 波の下草 (291)我死せば あはれとおもふ 人あらば 彌陀をたのみて 後生たすかれ (292)我なくて のちにあはれと おもひなば 彌陀をたのみて 後生たすかれ Ⅴ-1105(293)われなくと たれもこゝろを ひとむきに いそぎて彌陀を たのめみな人 (294)われなくは 誰も心を ひとつにて 彌陀をたのまん 身ともなれかし (295)われなくは 誰もこゝろを ひとむきに 彌陀をたのみて 後生たすかれ 親鸞聖人等和歌―蓮如上人言行錄収載― 【親鸞聖人】  世中に あまの心を すてよかし め牛の角は さもあらばあれ  鳥部野を 思やるこそ 哀なれ ゆかりの人の 跡と思へば Ⅴ-1106【覚如上人】)  今日ばかり おもふこゝろを わするなよ さなきはいとゞ のぞみおほきに 【存覚上人】  今はゝや 一夜の夢と なりにけり 往來あまたの 雁のやどやど